第8話 伝説の話
「これは道場でも古株の人たちだけが知ってる話なんだ」
誠司の話は誠司の父、信一郎が大学生の時に遡った。
「当時ここ誠真館は祖父の大島誠太郎が総師範を務めていてね、大学生だった父さんといつもつるんでいた柔道部の松田謙三と相馬太一という仲間三人で、誠真館へ入門したんだよ。それからここで稽古を始めることになるんだけど、父さんは俺の母さん、大島静江とここで出会ってしまうんだ」
いきなりの恋物語の予感に、ひかりと楓は期待して目を輝かせた。
特に楓にとって、恋話はケーキよりもご馳走だった。
「え? ひょっとしてラブストーリー?」
「まあ、ちょっとそんな話も入ってるかな。父さんはその時一目惚れしたらしい。あと他の二人も」
「きゃー!」
ひかりと楓は声を揃えて目を輝かせた。
さらに楓は身を乗り出した。
「それでそれで? 二人はその後どうなるの?」
「あ、いや、その後はただ、父さんの片思いが続くだけなんだけど」
「え? そうなの?」
二人のモチベーションはやや下がった。
勇磨は色恋沙汰よりも、バイオレンス的な話の方を聞きたいようで、女子二人の反応を気にせず誠司を急かした。
「そんなのはいいから、早くあのえげつないやつの話をしてくれよ」
「私らはえげつないやつの方はちょっとでいいんだけど」
この時、勇磨の頭の中には血しぶき飛び散る劇画が浮かび、女子二人の頭には薔薇色の少女漫画が浮かんでいた。
誠司はそのまま淡々と話を続ける。
「まあ一年ほど経ってから、お互いちょっと話が出来るぐらいになったって言ってたけど、父さんも母さんも奥手な人でね、お付き合いとかに発展するまで行かなかったみたい。そのうちに母さんに縁談の話が来てね、父さんは諦めようとしたらしいんだ」
どうやら感情移入している感じの楓は、顎に手を当てて眉をひそめた。
「何? そんな簡単に諦めたの? 好きだったんでしょ?」
「祖父がたいそう世話になった、町の有力者の息子だったそうなんだ。まるで釣り合わない自分と比べてしまって、母さんの幸せを考えて身を引こうとしたんだ」
「高木君もそうだけど、そんなんじゃ駄目よ。もっと厚かましく相手から奪い取るくらいで丁度いいんだから」
楓はなんだか熱くなりだした。
軽く説教された誠司は、その先の話をまた続けた。
「そんな時、対立している他の道場に母さんは拉致されたんだ。祖父に他流試合を断られ続けて、実力行使に出たということだったらしい」
「なんて卑怯な。許せないわ!」
楓は拳を握りしめ奥歯をギリギリと鳴らした。
あっという間に興奮状態になった楓の熱量が半端ない。
「それで? それから静江さんはどうなったの?」
「その時その道場から使いの者が来たんだけど、タイミング悪く祖父は大会に出ていて留守だったんだ。そして留守番をしていた父さんたち三人にことづてを残して去ろうとした使者を、父さんは叩きのめしたんだ。そしてそれからすぐに隣町の母さんが拉致されている道場に、三人で乗り込んだんだって」
話が佳境に入り、ひかりたちはハラハラしながら誠司の話に耳を傾けている。
「他流試合禁止という道場の掟を破り、破門覚悟で父さんたち三人は、その道場に正面から乗り込んだんだ。そしてそこにいた三十人程いた男たちと闘ったんだ」
「たった三人で三十人と?」
ひかりは口に手を当てて驚きを隠さずそう言った。
「まあ本当かどうかは分からないんだけどね。それからそこにいた道場生たちを全員、立ち上がれないくらい叩きのめして、母さんを救いだしたんだ」
そこまでの話を聞き終えて、勇磨は聞きたがってたはずなのに青ざめていた。
「その後、そこの道場長が帰って来てね。弟子が先走ったことだと母さんに謝ったんだけど、父さんは許さなかったんだ。そしてその場で決闘を申し込んだ」
楓は胸の前で手を組んで、ちょっとだけウルウルし始めていた。
「大勢と闘った後に? 無茶だよ」
「父さんは母さんを泣かしたやつを誰一人許す気はなかったんだ。さっきの闘いで体中ボロボロだったんだけど、気力だけは充実していたらしい」
「それで、それでどうなったの?」
「母さんは必死に止めたんだけど父さんは立ち合った。相手に執念で一撃を見舞ったけど流石にもう闘う力が残っていなくて、殺される覚悟をしたときに祖父が乗り込んできたんだ。そして祖父は相手をもう二度と武道が出来ない様にしてしまった」
誠司の話に没入している三人は青ざめていた。
「まあ誰も死者を出さずに騒動は収まったんだ。父さんたち三人はそれからしばらく入院したらしいよ」
「それでお父様と静江さんはどうなったの?」
楓の関心はそっちに戻ってきた様だ。
「そのことだけど、後日談で母さんは縁談を断ったんだって」
「やっぱりねー。そりゃそうだよねー」
「断った理由を話さないものだから、祖父は母さんと関係のありそうな父さんに問い詰めたんだ。父さんもその時母さんの気持ちを知らなかったもんだから何も答えられなかったらしい」
ひかりは共感したのかウンウンと何度も頷いた。
「純真な二人は、ここに来てもすれ違っていたのね」
「そうかも知れないね。そしてその時、父さんは祖父に娘をどう思ってるか訊かれたんだって。父さんは初めて師範である祖父に逆らって、そんなこと言えないって部屋を飛び出したらしい」
楓とひかりはまたうっとりと話に耳を澄まし、そしてクライマックスへの期待感を燃え上がらせていた。
「それからすぐ父さんは母さんに告白したらしい。母さんも父さんのことずっと想っていたらしく二人は結ばれたんだ」
「きゃーーー!」
ひかりと楓は抱き合って盛り上がった。どうやら二人が思い描いたような結末だったらしい。
「なに? 高木君のお父様かっこいい。本当のロマンスね」
「私も感動しちゃった。途中ちょっと怖い所もあったけど、聞かせてもらって本当に良かった」
二人ともうっとりしながら、まだストーリーを反芻しているようだった。
そこにこちらも興奮気味な勇磨が口を挟んできた。
「な、俺が言った通り鬼みたいだっただろ」
勇磨は多人数とやりあったことを言っているようだ。どうも楓と言っていることが噛み合っていない。
楓は割り込んできた勇磨を冷たい目で見た。
「馬鹿、どこが鬼よ。失礼ね。どう考えたってお姫様を助けたプリンスって感じでしょ」
「そうよね。私も素敵って思っちゃった」
ひかりも楓と目を輝かせている。
二人が満足げにキラキラしているのを見て、誠司はここで話を終わらせた。
「まあどこまで本当なのか分からないんだけどね。取り敢えずこんな感じの話だったみたいだよ」
勇磨と女子二人の捉え方に相当な温度差があるのはさておき、各々盛り上がってくれたみたいだ。
楓は最後にちょっとしたラブストーリーの感想をつけ加えた。
「お父様の真っすぐで純情なところって高木君と似ていたわね。そしてヒロインもちょっとひかりとかぶちゃった。さっき高木君のお母さんの写真に手を合わせたけど、確かに一目惚れするくらい綺麗な人だったわ」
「ありがとう橘さん。母さんも喜んでるよ」
誠司は壁に掛けられた時計を見る。
「さあ、そろそろ打ち上げをしようよ」
今はまだ三時。
夕食とは別に、当たり前のようにすることがクリスマスにはあった。
そして誠司が予め用意していたケーキをみんなで頂いた。
クリスマスイブにグループでとはいえ、恋人同士で過ごす時間は四人には特別だった。
ひかりに切り分けてもらった生クリームのケーキを誠司は味わいながら、その甘さの中に恋そのものを感じてしまっていた。
「おいしい……」
誠司がそう呟くと、隣のひかりもその甘さを味わいながら頷いて見せた。
「うん。本当だね」
きっと二人とも恋の味を感じている。そう思えるような笑みを二人は浮かべていた。
ケーキを食べ終えた四人は、そのまま学校の話題で盛り上がる。談笑している間に、いつの間にか少し窓の外が暗くなり始めていた。
誠司は話を一段落させてから、そろそろ夕食の準備にかかろうかと席を立った。ひかりも誠司に続いて腰を上げる。
「お重、レンジで温めた方がいいよね」
お刺身の入っているもの以外を温めるために、ひかりが段取りを始めた。
楓もひかりと並んでお重の中身を確認する。
「すごい量ね。パンパンに詰まってるわ。新、あんたそれ全部台所に運びなさい」
「やっぱりお前は持たねーのかよ」
「高木君のお父様を見習いなさい。あんたもああいう感じ、今から目指しなさい」
「なんだよ、余計に風当たりがきつくなったみたいだ。あんな話ふるんじゃなかった」
勇磨が言い出した伝説の話だったが、結果的に楓の勇磨に対する目が厳しくなったのだった。
楓は勇磨に指示したものの、お重を前にウーンと唸りつつ悩んでいた。
「これが十二個も……絶対食べられないよね」
誠司とひかりと勇磨は予想通りだったので苦笑いをしただけだった。
「どうする? 余らせたら勿体ないよね。私達だけだったらこれの半分でよくない?」
たしかに楓の言うとおりだった。食べる前から無理だろうと簡単に推測できた。
勇磨は前の感じを思い出したのか、渋い顔をして頷いた。
「前に三人で六個食べた時も限界超えてたもんな」
思い悩む四人の中でひかりがパッと笑顔を咲かせて手を挙げた。
「そうだわ。道場の人たちに手伝ってもらうのはどうかしら。今日お稽古あるって誠司君言ってたよね」
誠司はなるほどと頷いた。
「熟練者クラスのことだね。それはいい思い付きだよ。今日はクリスマスイブだからいつもより少ないかもしれないけど、それでも十人くらいは来ると思う」
「じゃあ丁度いいかも知れないね」
「そうだね。みんなそれでいいなら父さんに話してくるよ」
反対する者はいなかった。
誠司は、「じゃあ行ってきます」と出て行ったあと、しばらくして戻ってきた。
ニコニコしている所を見る限り、話はまとまったみたいだった。
ひかりは戻って来た誠司に首尾を尋ねた。
「どうだった?」
「喜んでた。稽古を早く終わらせて、みんなで宴会するって」
「じゃあ一件落着ね」
こうして多すぎる夕食の一件は片付いたのだった。
そして楽しみにしていたクリスマス会兼、打ち上げが始まった。
半分に減って六段になった重箱でも四人には食べきれないほどであった。
そして思ったとおり、ひかりの母が作った料理は美味かった。
四人とも喜んで食べていたが、特に勇磨はすごい勢いだった。
楓はその姿を一瞥して、呆れ顔で苦言を呈した。
「あんた、なに犬みたいにがっついてんのよ。もう少し味わって食べなさいよ」
「分かってるよ。分かってるけど止まんねぇんだよ。いったい何入れたらこんなに美味くなるんだ?」
誠司も呆れ顔で勇磨の勢いに目を向けている。
「勇磨、おまえ凄いペースだな。まあ、いっぱいあるからいいけど」
「腹の容量が無限大だったら全部食いてえよ」
そう言って食べ続ける勇磨に、みんな声をあげて笑った。
特にひかりは可笑しそうに目尻の泪を指で拭った。
「この食べっぷり見たら、お母さんきっと喜ぶだろうな」
楓は鞄から携帯を出してがっつく勇磨の写真を撮った。それをひかりに見せる。
「どう? ひかり」
ひかりはぷっと吹き出してから、クスクス笑った。
「すごい。楓、あなた天才ね」
「でしょ。高木君も見てよ」
「どれどれ……」
誠司はひかりの横に並んですぐに吹き出した。
「ホントだ。これは傑作だね」
盛り上がっている三人に、気になったのか勇磨は箸を止めた。
「なんだよ、俺にも見せろよ」
「駄目。あんたには見せてあげない」
楓はサッと隠して、今度は携帯を誠司とひかりに向けた。
「もっとくっついて。もう、ひかり、恥ずかしがらないの」
そして二人の写真がまた一枚増えたのだった。




