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ひかりの恋それから  作者: ひなたひより
第五章 深まる季節
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第5話 試験の日

 美大の試験は二日間にわたった。

 一日目は鞄一つで試験を受けれたので、誠司は問題なく一人で試験会場に来て無難に初日を終えることが出来た。

 そしてその二日目。

 ひかりはどうしようか迷ったが、誠司に付き添って試験会場まで付いて来ていた。

 誠司の集中力を散らしたくはなかったが、持ち込む指定された荷物の多さを考えると、どうしても手伝いたくてじっとしていられなかったのだ。


「ごめんね。こんなところまで付き合わせて」


 大学の門の前。誠司は今日も少し緊張気味に二日目の試験に臨む。


「私のことは何にも気にしなくていいの。誠司君はいつもどおりいい絵を描いてね」

「うん。ありがとう」


 誠司はひかりの言葉に背中を押してもらい笑顔を見せる。


「じゃあ、行ってきます」

「うん。行ってらっしゃい」


 手を振って校舎の中に消えて行った誠司の背中をひかりは見送り、胸の前で握った手に少し力を込めた。

 そして誠司が油絵を描くこの二日目の試験の間、祈るような気持を胸にひかりはじっと待つのだった。



 大勢の受験生が緊張した面持ちで指定された席について試験開始の合図を待っていた。

 誠司も他の受験生と同じように、やや緊張気味な顔でその時を待っていた。

 二日目は、課題に出された静物画を時間内に描き切らなければならない。

 誠司は白い布で覆われたままのモチーフに目を向けたまま、緊張を押さえようと大きく深い呼吸をするよう意識していた。

 試験官の開始の合図とともに、モチーフにかけられていた白い布が取り払われた。

 そこにはガラス細工の工芸品が重ねて並べられており、誠司はしばらく俯瞰したのちにキャンバスと向き合った。

 課題に出された対象を、誠司の感じるままに描いていく。

 正確にそのものを描写しているというより、視覚で捉えた対象の個性を、描き手の感性で上描きしていくといった感じだった。

 誠司は右手の薬指と小指で筆を持ち、左手を添えながら丁寧に線を描いてゆく。

 誠司は絵を描きながら、自分が意外なほど落ち着いていることを感じていた。


 今日はなんだか筆が馴染むな……。


 誠司はどう言う訳か自然と動いていくように線を引く右手に心地良さを感じる。


 どういう訳だろう……。


 誠司はその時感じていたのだった。

 感覚のない筈のただ添えられているだけの三本の指が暖かくなっていることに。

 それはまるで誰かの手に包まれているかのような暖かさだった。


 そうか……君なんだね……。


 誠司はその時動かしていた筆を持つ右手に、ひかりの手の温もりを感じていたのだった。



 午後まで続いた試験の終了時刻。

 ひかりは試験会場の門の前で誠司を待っていた。

 少しずつ試験を終えた受験生たちが、ひかりの前を通り過ぎていく。

 そのひときわ目を引く可憐な少女に振り返る男子たちも大勢いる中、ひかりは誠司の姿を見つけて駆け出した。


「誠司君」

「ひかりちゃん」


 誠司も荷物を揺らせながらひかりに向かって走り出す。


「お疲れ様」

「うん。ありがとう」


 誠司の明るい表情を目にして、ひかりも眩しい笑顔を見せる。

 そして誠司は抑えきれないときめきをまた感じてしまうのだ。

 誠司はひかりの耳元に顔を近づける。


「君が大好きなんだ」


 ひかりは流石にこの場所では意外だったみたいで、ハッとしてから頬を染めた。

 そしてひかりも誠司の耳元で囁く。


「大好き……」


 誠司もひかりも同じ様に頬を染めて微笑む。

 そして、ひかりは誠司の肩に掛けられた鞄に手を伸ばす。


「持ってあげるね」

「うん。ありがとう」


 そして、お互いに手を繋ぐために空けてある手を取って指を絡める。


「あったかい」


 誠司はそう口にしてから、上目遣いに微笑むひかりを、ただ愛おし気に見つめる。

 そして誠司は島田に貰ったあの言葉をまた思い出していた。


 本当だ。君がいるだけで世界はこんなにも……。


「ひかりちゃん、お腹空いたよね」

「うん。ぺこぺこ。誠司君は?」

「俺もだよ。じゃあ何かおいしいもの食べに行こうよ」

「うん」


 そして誠司は、ひかりにもらった鮮やかな世界の中に、また一歩踏み出すのだった。



 遅い昼食をとったあと、電車を乗り継いでようやく戻ってきた二人は、駅前のアーケードを手を繋いで歩いていた。

 

「もうすぐクリスマスだね」


 賑やかなクリスマスカラーに彩られた通りを目にして、ひかりがはしゃいだような声を上げた。

 誠司もひかりと同じように、明るく彩られた通りを感慨深げに眺める。


「うん。もうあと一週間だね」

「楽しみだな……」


 ひかりの声には待ちきれないといった期待感が込められていた。

 無邪気な仕草を見せるひかりの横顔に、誠司はまた惹きつけられてしまう。


「あ、誠司君、あれ見て」


 ひかりが指さした先の広場には大きなクリスマスツリーが設置されてあった。朝通った時にはここには何も無かったはずだった。

 誠司はひかりに手を引かれて、ツリーの前までやってきた。

 そしてひかりはちょっと興奮気味にアーケードまで届きそうなツリーを見上げた。


「すごい。朝には何もなかったのに、こんな立派なクリスマスツリーが出来上がってるなんて」

「ほんとだね。驚いたな」


 誠司もひかりの隣で感嘆の声を上げた。

 ひかりは繋いだ手をギュッと握りなおす。


「今年は誠司君と一緒なんだね」

「うん。ひかりちゃんと一緒なんだ……今年のクリスマスは……」


 そのまま二人でツリーを見上げながら、しばらくクリスマスの雰囲気を味わう。

 誠司は温かなひかりの手の温もりを感じながら、今ひかりとここでこうしていることをあらためて実感していた。


「一年前には全く想像もできなかったことが今起こってる……君の隣にいられるなんて……」

「私だってそうだよ……」


 そう言ってお互いの顔を見ると、二人とも頬を染めていた。

 少し日が傾いてきたそのタイミングで、クリスマスツリーに電飾が灯る。

 ふわりと明るい光がクリスマスツリーを彩った。

 ひかりはとても嬉しそうに目を細めた。


「きれい……」

「本当だね……」


 そのままもう何も言わないで二人は寄り添う。

 お互いの温もりを感じながらクリスマスツリーを見上げる二人を、柔らかな光が夢の様に照らしていた。

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