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ひかりの恋それから  作者: ひなたひより
第五章 深まる季節
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第1話 競技大会

 十一月の最終週の日曜日、ひかりと楓は県立競技場へ来ていた。


「高校生活最後の試合だね」


 楓はストレッチしているひかりの背中に声をかける。


「そうだね。最後にいい記録だしたいね」


 インターハイ以降試合に出ていなかったひかりと楓は、久しぶりの高揚感を味わっていた。

 また大学で陸上をすることを選んだ二人だったが、この試合では自己ベストを更新して高校最後の競技を飾りたかったのだった。

 競技場の晴天に恵まれた高い空を見上げて、ひかりは一つ大きく息を吐く。

 そしてまた、もう朝から何度も思いかえしたあの人のことを、どうしても考えてしまうのだ。


 先週は誠司君とお昼休み以外殆ど会えなかったな。

 朝練と、特別練習で通学の時も会えず、休みの日も練習ばかりで電話だけしかできなかった。

 会いたいな……。


「ねえひかり、今、高木君のこと考えてたでしょ」


 心を見透かしたような楓のひと言に、ひかりはドキリとした。


「どうして分かったの!」

「へへへ、私には隠しごとなんてできないのです」


 楓は自慢気にひかりを指さした。


「ひかりの考えてることなんて殆どは高木君のことなんでしょ」


 そうかも……。


 ひかりは口には出さなかったが、楓の言うとおり特に最近はそうだと気付いた。

 練習で体の調整は順調にできている一方、誠司に会えないという心の乱れをひかりはコントロールしきれていなかった。


「軽くアップに入れ。あと二人一組で伸ばしとけ」


 監督の指示が出て、部員はみんなトラックに入って軽く走り出した。


「最後の試合だけあってまあまあ観に来てる人多いね」


 楓の眺める観客席にはそこそこ人が入っていた。

 

「インターハイみたいに大勢いたら緊張するけど、このぐらいならいい緊張感でやれそう」


 ひかりは話しながら軽く足を動かす。


「新君、今日見に来るの?」


 ひかりは昨日楓がそんなことを言ってたので訊いてみた。


「分からないの。観にいこーかなーって言ってただけで確認してないから」

「なんだ、そうなんだ」

「ひかりの方はどうなの? 高木君なんて言ってたの?」

「誠司君は私の集中力を切らしたらいけないからって来ないみたいなの」

「なんだか高木君らしいわね。すぐに自分の気持ちよりひかりのこと優先しちゃうんだね」

「うん。そうなんだけど……」


 そう言ったひかりは少し残念そうだった。


「でもそれってひかりの場合逆だと思うけどな。高木君が応援してくれたらきっといい記録出ると思うんだけどな」

「それを言ったら楓もじゃないの?」

「わ、私はあんな奴いなくたっていいもん」


 少し紅くなった楓を見てひかりはクスリと笑った。


「なあに、少し紅くなってるよ。楓、すごく可愛い」

「もう、私が可愛いのは事実だけどからかわないで」


 楓はちょっと嬉しそうに口を尖らせた。

 そんなことを談笑しながら、体を二人でほぐしているうちに時間になった。


「じゃあ、あらかじめ配ってあった番号順に並べ」


 監督の声に選手たちの身が引き締まる。


「いいか、今年の大会はこれで最後だ。特に三年生は高校生活最後の競技大会になる。悔いのないよう全力を出し切れ。以上!」

「はい!」


 そして競技大会が始まった。



 予選はひかりも楓も順調に勝ち上がった。


「すごいね。ひかり、1位通過だよ」


 楓は6位だったが、まだそれでも調子が良い方だった。


「でも今日は踏切が微妙に合わないの……」


 ひかりは三度の跳躍のうち一度踏切線を越えてしまっていた。

 あとの二つの跳躍も踏切は今一つで、二位の選手との差が殆どない状態での一位通過だった。


「あんま気にしないの。次のこと考えたらいいんだからね」


 楓はそう言ってひかりにウインドブレーカーを羽織らせた。


「ありがとう。楓も良かったね。次、決勝で対決ね」

「ひかりに勝っちゃうかもよ。私、結構調子いいのよね」


 そんなことを話しているうちに決勝の時間が近づいてきた。


「なんか緊張してきちゃった」


 楓が緊張をほぐそうと、その場でぴょんぴょんジャンプし始めた。


「ひかり先輩」


 ひかりも体をほぐしていると、二年生の女の子が数人、二人に駆け寄って来た。


「一位通過でしたね。やっぱり彼氏が来てるから今日はのってるんですか?」


 好奇心を隠さず詮索する後輩たちに、ひかりは首を横に振った。


「ううん、今日は観に来てないんだ」


 ひかりがこたえると、二年生の女子たちは怪訝な顔をした。


「じゃあ、さっき予選の時ひかり先輩をめちゃくちゃ見てた人誰だったんだろう。てっきり高木先輩かと思ったんだけど」


 それを聞いて楓は逆に訊き返した。


「それってどこで見たの?」

「観客席です。丁度幅跳びの区画からグラウンドを挟んだ所です。なんか坊主頭の人相の悪い人と並んで観てましたけど」

「それって……」


 楓とひかりはお互いの顔を見て、パッと顔をほころばせた。


「誠司君だ」

「新だ」


 二人は同時に名前を口にした。


「あの二人なんだかコソコソしてたけど、滅茶苦茶見てましたよ」

「そう……そうなんだ」


 それと分かるほど、ひかりはウキウキしだした。


「なんかやる気出てきた」


 相当元気をみなぎらせたひかりに、楓は良かったねと肩を叩いた。


「あんたたち、良く教えてくれたわね。これでひかりの優勝は間違いなしだわ。私も、ちょっと頑張っちゃおうかしら」


 楓はスイッチの入ったひかりを見て、自分も気合を入れたのだった。



「おっ、出てきたぞ」


 誠司と勇磨はできるだけ目立たないように小さくなって、ひかりと楓が競技場に入ってくるのを見守っていた。


「決勝に残るって、あいつら凄いんだな」


 勇磨は楓とそんな話をしないのか、あまり幅跳びのことは知らなさそうだった。


「しかしすごいな時任の跳躍って、予選の時どこまで跳ぶんだって思ったよ」

「いや、俺もだよ。すごいのは知ってたけど実際試合で見ると思ってた以上だった」


 遠目に他の選手が跳んでいるのを眺めながら、二人は興奮気味に話していた。

 そうこうしているうちに、楓の順番が回ってきた。


「先に橘だな。ああやって手を上げて走り出すんだな」


 楓は手を挙げて「行きます」と宣言すると走り出した。

 どんどん加速して踏み切って跳躍する。


「おっしゃー!」


 勇磨が大きな声を上げたので、誠司は勇磨の背中をたたいた。


「あんまり目立つなよ。二人が気付いたら競技に集中できないだろ」

「そうだった。忘れてた」


 勇磨は頭を搔いて舌を出した。


「いまあいつ結構跳んだよな」

「ああ、跳んだように見えた。橘さんもやるなあ」


 いつも勇磨と絡んでいる楓とは別人のようだと、誠司は感心する。


「なんか格好いいよな」


 誠司がそう言うと、勇磨もそうだなと頷いた。

 さらに数名の選手が跳んだあと、長い髪を後ろに括った選手がスタート位置についた。


「次、時任の番だぜ」


 誠司はひかりの姿を見て、自分のことのように緊張してしまう。

 ひかりが手を挙げて「行きます」と宣言し走り出す。


 速い……。


 凄い加速だった。跳ねるように駆けるひかりはあっという間に踏切ラインに到達する。


 そして……。


 誠司はただただそのひかりの踏み切った姿を見て美しいと思った。


 すごい……。


 勇磨も息をのんだ。


「予選の時、本気出してなかったのか?」


 着地したひかりはとんでもない距離を跳んでいた。


「すげえ、ぶっちぎりだ」


 電光掲示板を見て勇磨が感嘆の声を上げた。

 そんなに人間が跳べるのかという距離だった。

 それから楓もひかりも二度目の跳躍でまた距離を伸ばしてきた。


「すごいな。まだ距離が伸びてる。あの二人、他の選手よりもなんだか違う雰囲気があるというか……」


 誠司がそう感じたように、ひかりと楓は特別な集中力がありそうなぐらい落ち着いていた。

 三度目の跳躍、楓は踏み切って今日一番の跳躍を見せた。

 勇磨はもう何も言わなかった。その姿を見ることに集中しているみたいだった。

 そしてひかりの三度目の順番が来た。

 ひかりは体をほぐすように全身を揺らすと大きく息を吐いた。

 合図が鳴った。そこから60秒以内でスタートを切らなければならない。

 そのときひかりは見守る誠司たちのいる方向を向いた。

 遠くから見つめる誠司を真っすぐに見る。

 そして髪を束ねているゴムを外した。

 ふわりと長い髪が風にそよぎ揺れる。

 誠司はすぐに気が付いた。


 あれはあの時の……。


 そして踏み切る方へ向き直ると手を上げた。


「行きます」


 ひかりは駆けだした。

 加速するたびに黒髪は光を集め、跳ねながら後ろへなびく。


 君は一陣の風そのもののようだ。


 誠司はその美しい姿にくぎ付けになる。

 そして少女は踏み切って跳躍した。

 その一瞬があの絵の少女と完全に重なる。

 誠司は瞬きも忘れて、そのあまりの美しさに惹きつけられた。

 黒髪が後ろになびき光を集める。

 地を蹴り跳躍して空中を舞う少女は、何もかもから解放された自由な姿をほんのつかの間、誠司の瞳にまるで白昼夢のように映し出す。

 美しいという言葉で表現することすら色あせてしまうほどの眩しさがそこにあった。

 ひかりの跳躍は誰もが驚く結果だった。

 誠司はあの恥ずかしそうに頬を染める可憐な少女が、この世界の何よりも自由で美しいものだと思い知ったのだった。

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