第9話 少しずつでいい
午前中、結構頑張ってあちこち周った後、レストランで昼食をとりながら四人は談笑していた。
「この後のペンギンショーとラッコのエサやりは絶対見逃せないわね」
パンフのスケジュールをチェックする楓は滅茶苦茶楽しそうだった。
「楓、ほんと動物好きね。私も結構好きな方だけど楓の場合、守備範囲が広いと言うか」
「動物なら何でも好きなの?」
ひかりの話に興味が湧いたのか誠司が尋ねた。
「大体はね。でも蛇はパス。何考えてるか分からないし」
「他の奴なら分かるのか?」
勇磨は楓の口ぶりに食いついてきた。
「そうよ。私、大体の奴とは通じ合ってるの。さっき見たでしょ。スナメリちゃんとコミュニケーションとってたの」
楓は自慢げに胸を張った。
「ほんとか? スゲーな。俺この前ライオンとじゃれ合ってた外国人の凄いやつをテレビで観たばかりなんだ。あれと一緒ってことだな」
勇磨は楓にライオンとじゃれ合うすごい奴を重ねているみたいだ。
「まあね。ライオンはあんましお目にかかったことは無いけど、近所をうろついていた野良犬は私に尻尾を振ってたわよ」
「ホントか、なあ、あとでペンギンが何考えてんのか俺に教えてくれ」
「いいわよ。ペンギンが実は滅茶苦茶性格悪くても驚かないでよ」
「やめてよもう。可笑しい」
それっぽく語る楓を、クスクス笑いながらひかりは窘めた。
誠司もつられて笑ってしまう。
「なんだ? 嘘か? 出鱈目か?」
勇磨は真顔で楓に訊いた。
「信じるか信じないかは君次第よ」
いたずらっ子のような笑顔を見せて、楓はその話を終わらせた。
「ね、ひかり、さっき大水槽の前で高木君といい感じだったね」
ひかりはびっくりしたように食事の手を止めた。
思い当たることがあったので少しうろたえている。
「えっ、なに?」
楓はうっふっふと意地悪な笑顔を見せる。
「あんなところであんなこと言っちゃうんだからもう、大胆ね」
「聞こえてたの?」
ひかりは耳まで赤くなった。
誠司も一緒に赤くなる。
「もしかしていっつもそんな感じなの? いたたた」
ひかりは話の途中で楓のほっぺをつねった。
「なんの話だ?」
勇磨が分からんという顔をした。
「こっちの話です」
ひかりは楓を可愛い瞳で睨んだ。
「まったくひかりはどこかしこでラブシーンモードになるんだから見ちゃうし聞いちゃうのよ。見てるこっちがドキドキしちゃうじゃない」
少し物足りないかのように楓は勇磨をちらりと見た。
勇磨はそんな楓の様子にまるで気付いていない。
「ごめんね。楓のデートだったのに私が舞い上がっちゃって」
「いいのよ。でもひかりがぞっこんだからかえって安心かな。うるさいハエみたいなやつ時々来るじゃない」
ひかりの顔がこわばる。楓はアッと言って口を押えた。
「それは秘密でしょ!」
「ゴメン!」
何やらひそひそ揉めだした二人に、誠司は不安そうになっている。
「あの、どうしたの……」
「誠ちゃん。時任なんか隠してるぞ」
「な、何にもないよ。ね、楓」
「滅茶苦茶怪しいな。なんかあんならゲロッちまえよ」
勇磨が食事時にふさわしく無いひと言を吐いた。
「食べたばかりで、なんであんたはそう下品なのよ。馬鹿」
楓はいつもの調子で叱咤した。しかし勇磨の意見を聞いて、楓はウーンと悩み始めた。そしてしばらくしてから口を開いた。
「ひかり、やっぱりこんなことまたあるだろうし、隠さない方がいいよ」
毒を喰らわば皿までというが、この場合ひかりはそれ以上は言って欲しくなかった。
それでも楓は思い切り暴露した。
「学園祭のあと、ひかり、三人の男子に告られたの」
誠司は一瞬で呆然となった。
それでも健気に必死に平静を保とうとしている。
「なに? それで時任はなんて答えたんだ」
勇磨は面白そうな展開になったとニタニタし始めた。
「そんなの決まってるじゃない。すぐお断りしたわ。お付き合いしている人がいるって、ちゃんと言いました」
ひかりは誠司の反応を心配そうに見ている。
誠司は一度死んだかのように燃えカスみたいになっていた。
誠司はあらかじめ、あのほぼメイドカフェのウエイトレスをひかりがやったのだから何かあるだろうと気を強く持っていた。しかし実際に聞いてしまって想像以上のダメージを受けたみたいだ。
「ごめんなさい。誠司君が変に気にしたらいけないと思って黙ってたの」
「いえ。ダイジョブ。全然平気。信じてるから」
声が上ずっている。平気では無い人の声色だった。
「俺には相当なダメージを受けてるようにしか見えんけどな」
勇磨は無理に笑顔を作ろうとしている誠司の顔を心配そうに覗き込んだ。
そこへ楓が追い打ちをかける。
「まあ、高木君も慣れるしかないよ。きっとひかりに近づこうとしてる予備軍なんてまだまだいるはずだよ」
「はーーー……」
決定的な楓のひと言で、口から魂が抜けていきそうな音を出して誠司は落ち込んだ。
「楓ひどい。誠司君に心配させたくなかったのに」
ひかりは誠司の手を取る。とにかく立ち直って欲しくて必死だった。
「何にも心配ないの。私は誠司君だけなんだよ。私は誠司君のものなの!」
熱くそう口にした後、ひかりは周りの視線がこのテーブルに集まっているのを感じた。
「ちょっと声が大きかったみたいね……」
周りの好奇な視線を感じつつ楓は小声で諭した。
とっても恥ずかしくなった四人だった。
そのあとも楽しい時間は続いた。
四人で館内をくまなく散策した。
ひかりは時々小さな子に「さっきのお姉ちゃんだ」と指さされ、そのたびに赤面していた。
「なんか人気者になったね」
「もう。恥ずかしー。私ったら」
ひかりは顔を赤らめながら誠司の隣を歩いた。
「手、繋いでいいかな……」
恥ずかし気に誠司はひかりに手を伸ばす。
ひかりはハッとしてすぐにはにかんだ。
「うん。私も繋ぎたかったの。先に言ってくれた」
二人は指を絡める。
ひかりはその手の温もりに、言葉にできないほどの心地よさをおぼえてしまう。
緊張も躊躇いも、その胸の中にある色々な気持ちさえもが、繋いだ手の温もりと一緒にゆっくりと伝わってくるみたいだった。
大好き。
またそう口にしてしまいたい。
そんな誘惑をひかりは胸にしまったのだった。
前を歩く楓と勇磨は振り返ってそんな二人を見る。
手をつなぐ二人は、まるで映画のワンシーンのように楓の目に素敵に映った。
ふと頭一つ背の高い勇磨を見上げる。
言ってくれないかな。楓は勇磨の手にそっと目を落とす。
「あのさ」
勇磨が口を開く。
「え?」
楓の胸が高鳴る。
「おれ……俺ちょっとトイレ」
勇磨はそう言ってそそくさと消えて行った。
「もう、なんでこのタイミングなのよ」
楓は勇磨の消えた方を見ながら不満げに膨れた。
勇磨はトイレに駆け込んで大きく息を吐いた。
「ダメだ。なんも言えなかった」
本当は楓の手を掴みたかった。
「おれダメなやつだ……」
小さく震える自分の手を見てそう思った。
写真を一緒に撮ろうと言った楓の姿、精いっぱいの気持ちは勇磨にも届いていた。
「あいつ、あんなに必死に言ってくれたのに、俺は何やってんだ」
勇磨は鏡に顔を映すと、頬が赤くなるほど自分の手でバシバシと叩いた。
「よし!」
トイレに響くほどの声で気合を入れて勇磨は歩き出した。
「君、可愛いね。一人?」
楓に声をかけてきたのは、大学生くらいに見えるすらりとした二人組だった。
楓は周りを見渡すが、誠司とひかりは別のところを周っているのか姿が見えない。
「良かったら一緒に周らない? 一緒にショーとか見に行こうよ」
二人は楓に詰め寄ってきた。
勇磨が戻ってくると、楓は二人組に声をかけられていた。
勇磨は慌てて、そのまま真っすぐに男たちを引き離そうと近づいた。
「ごめんなさい」
楓がペコリと頭を下げる。
「私いま彼とデート中なんです」
堂々とした楓の態度に、二人はなーんだと言う顔で消えていった。
「橘!」
そのまま勇磨が駆け寄る。
戻ってきた勇磨を、特に何事もなかったかのように楓は振り返った。
「あんまり待たせないでよ。私どこかに行っちゃうよ」
ちょっとからかうようにそう言った楓の手を、勇磨は戸惑うほどいきなり握った。
「どこへも行くなよ」
勇磨は必死な表情で、驚いた表情の楓をまっすぐに見た。
「うん」
楓は少し照れながら勇磨の手を握りなおした。
誠司たちは勇磨たちと、しばらくしてまた合流できた。
誠司はひかりと、勇磨は楓と手を繋いでいるのを見て、お互いに照れ笑いをしたのだった。
「楓、後は二人で周っておいでよ」
「ひかりも二人で、ね」
誠司と勇磨はなんとなく二人で顔を見合わせて少し赤くなっていた。
「じゃあ一時間後に、ここでね」
楓は勇磨の手を取って行ってしまった。
「良かった」
ひかりは楓の行ってしまった方を見送って安堵の表情を浮かべた。
「二人とも手を繋いでたね。勇磨もやるなあ。なんか見直したよ」
誠司も肩の荷が下りたようだった。
ようやく今日の目標を達成できたことで、二人の気持ちに少し余裕が出来た感じだった。
あとはただ二人で気兼ねなく同じ時間を楽しめる。
そんな思いを胸にひかりは隣にいる誠司に目を向ける。
「なんだか私たち、もう先を越されそう」
「そうだね。俺たちもがんばらないと」
誠司は少し紅くなって照れたような笑顔を浮かべた。
そんな表情にひかりは溢れてしまそうな気持を押さえられずに、自分から誠司に寄り添い、二人の間の隙間を無くした。
「楓に影響されちゃった」
ひかりは誠司を上目遣いに見上げる。
「いこ」
ひかりははにかむ誠司の手を引いて、嬉しそうな笑顔を見せた。
勇磨と楓はクラゲの水槽の前で手をつなぎ、ゆらゆら揺れる丸い姿を眺めていた。
「なんか生き物じゃないみたい」
クラゲに勇磨がどんな反応をしているのかと楓が見上げると、勇磨はじっと楓の方を見ていた。
「なあ」
頭一つ背の高い勇磨は照れくさそうに楓と視線を合わす。
「今日ありがとな」
ぎこちない勇磨の顔に水槽が蒼い影を落とす。
「水族館に誘ってくれたこと。色々考えてくれてたんだろ」
「何よ、あらたまって……」
楓は何となく勇磨から目をそらした。
「おれ、駄目だな……」
目をそらした楓にかまわず勇磨は続ける。
「橘にばっかり気を使わせてごめんな……」
勇磨は少し言いたいことを整理するように黙り込む。
「おれ、橘と上手くこんなふうに出かけたりしたいんだ。でもいざとなると何もできなくて……とにかく、ごめんな」
「いいよ」
楓は少し握った手に力を込めた。
「それでいいよ。きっとそれが私たちのペースなんだよ」
楓は元気のない勇磨に笑顔を見せた。
「うん……ありがとな」
勇磨はまた少し黙り込む。
「あのさ」
「なに?」
楓は訊き返す。
「もう少しくっついてもいいかな……」
小さな声には本心と勇気が込められていた。
「いいよ……」
楓は短く言って下を向いた。
肩を寄せあいお互いの距離が無くなった二人は、もう何も言わず目の前の水槽に見とれるのだった。




