第3話 伝えたい事
下校時刻。
誠司とひかりは昨日と同じ夕日が照らす並木道を肩を並べて歩いていた。
楓と勇磨は気を利かしたのか、私達お邪魔よねと先に帰っていったのだった。
昨日ひかりが誠司の胸に飛び込んで告白したあたりに差し掛かると、二人とも頬を染めて普通に話せなくなった。
しばらくして誠司はやや緊張した様子のまま口を開いた。
「あの……昨日はありがとう」
「私のほうこそ……」
ひかりはそう言ってうつむく。
「あの……」
少しの沈黙の後そう言ったのは二人同時だった。
二人とも足を止める。
「ご、ごめん」
「私のほうこそ、ごめんなさい」
また少し話し辛くなる。
「時任さんからどうぞ……」
誠司が譲ると、ひかりは少しもじもじしながらやっと口を開いた。
「私……こうしているだけで夢を見ているみたい」
ひかりはそこに自分がいるのを確かめるかのように胸に手を当てた。
「あなたの傍にこうしていられるなんて……」
「それは俺の方だよ。本当に夢みたいだ。君とこうしていられるなんて……」
何となくお互いの顔を見て話も出来ないまま、また少し黙り込む。
それはきっと今日の夕日がとても綺麗で、澄み渡った茜色の空が昨日の二人をどうしても思い起こさせてしまうからなのだろう。
「本当に嬉しかった」
ひかりはあの時に感じた気持ちを素直に口にした。
ひかりの胸の中は溢れてしまいそうなくらい今は満たされていた。
それはやっと手の届かなかった大好きな人に追いつくことが出来たから。
そして何よりも自分がこんなにも大切にされていたことを知ったからだ。
「私、高木君からいっぱいもらったんだ」
ひかりは顔を上げ誠司をまっすぐに見つめる。
「私にも高木君に受け取って欲しいものがいっぱいあるんだよ……」
誠司はそんなひかりの言葉に、こみあげる感情を我慢するかのように唇を結ぶ。
「俺はもう君からいっぱいもらったよ。これ以上望んだらバチが当たりそうなほど……」
誠司はもう動くことのない右手に目を落とす。
「それでもまだ君を求めてしまうんだ。君がこれから辛い気持ちを持ち続けるかも知れないのに……」
まだ痛みをこらえるように誠司の声は少しだけ震えていた。
ひかりはもう知っていた。
あの美しすぎる悲しい絵を見てしまったことで知ることの出来た、この目の前にいる少年の本当の心を。
やがてその痛みをそのまま絞り出すかのように、誠司は想いを言葉にした。
「それでも君と一緒にいたいんだ。どうしようもなく……」
ひかりはそっと誠司の手を取った。
「またもらっちゃった……」
ひかりの目に涙が浮かぶ。
本当は誠司を抱き締めてたくさん泣いてしまいたかったけれど、ひかりには言葉にして伝えたいことがあった。
「高木君と一緒にいたいと望んでるのは私のほうなんだよ……」
ひかりは涙をこらえながら想いを言葉にしていく。
「高木君のこの手が私にくれるのは辛い気持なんかじゃない」
ひかりは誠司の手を両手で包み込んで微笑んだ。
「私があなたにどれだけ大切にされているかをこの手がいつも感じさせてくれる。ただ幸せで胸をいっぱいにしてくれるんだよ」
誠司の目から涙がこぼれ落ちた。
ぽろぽろと止まらない涙がひかりの手に落ちる。
そう、やっと少年はこの時、少女の言葉で満たされたのだ。
胸の中のずっと痛かったところにひかりの手が届いた瞬間だった。
「ありがとう……」
傷ついていた心を癒してくれた少女に、少年はこの上のない愛おしさを込めた瞳を向けた。
そして少年の口から素直な気持ちが溢れだした。
「君以上に大切なものなんて、もう考えられないんだ」
ひかりの目にこらえきれない涙が浮かぶ。
まばたきをしたその目から涙が落ち、そのまま次の涙が後に続く。
そしてひかりの口からまた想いが溢れる。
「こんなに誰かを好きになってしまうなんて思わなかった……」
ひかりはほんの少し秋の涼しい空気を吸い込む。
「あなたがそう言ってくれたように、私もあなた以上に大切なものなんか考えられないんだよ」
ひかりは涙を隠さず目を細めて笑顔を見せた。
「おんなじだね」
そよ風が吹いて夕日がまたひかりの髪を彩る。
「時任さん……」
名前を口にするのが精いっぱいの様に誠司は声を絞り出す。
ひかりはそんな誠司の想いを痛いほど感じていた。
「あの……おれ……」
誠司は言葉を詰まらせる。何か大切なことを少年が伝えようとしているのがひかりには分かった。
ひかりは顔を上げたまま誠司の言葉を待つ。
あまりの近さに気付き、二人の顔が少しずつ紅く染まっていく。
「こういうこと……ちゃんと言っておかないといけないと思って……」
ひかりの胸が高鳴る。きっと少年も……。
誠司はひかりの手を少し震えた掌で包む。
「時任ひかりさん」
「はい……」
緊張した誠司の顔が夕日に照らされる。
「俺と……お、お付き合いしてくれませんか……」
夕日のせいだけではなく、誠司はこれ以上赤くなれないほど真っ赤になっていた。
少年の必死さを、ひかりはそのまま受け止める。
震える掌に包まれた自分の手も、きっと今震えているのだ。
ひかりの目からまた涙がこぼれた。
「はい……よろしくお願いします……」
真っ直ぐに、ひかりはそう応えた。
夕日の中で、少年と少女はしばらく言葉もなく見つめあう。
そしてどちらからともなく、二人の顔に嬉しそうでいて恥ずかしそうな笑顔が浮かんだ。
ほんの少しまた涼し気な風が、二人の間を通り抜ける。
夕日に照らされた少女の黒髪が少し揺れて光を集める。
そしてひかりは過度の緊張から解放されてあらためて気付く。
今目の前にいるずっと優しい眼差しを向けてくれる少年が、自分にとってかけがえの無いものだということに。
あなたの全てが欲しい……。
ひかりは心の内でそう願わずにいられなかった。
胸の高鳴りは収まることなく、少女をまた苦しくさせる。
それはとても甘くて、心地良い苦しさだった。