第2話 過去にも嫉妬
「ねえひかり」
休み時間、ひかりの席にやってきた楓は、空いている席に腰を下ろして話しかける。
「こないだまた告られてたね。あれ二年の子でしょ」
あまり触れて欲しく無い話題に、ひかりは少し嫌そうな顔を見せた。
「もう、その話はしないで」
学園祭でカフェのウエイトレスをやってから、ひかりはもう三度も告白されていた。
高嶺の花と、今まで手をこまねいていた男子諸君が、今回の学園祭のカフェで意中のひかりにふんだんに笑顔を向けてもらえたせいで、脈ありかもと勢いづいてしまったのだろう。
まるで自覚がないのが悩ましいが、ひかりのその可憐な笑顔一つで、たいていの男子は明るい街灯に群がる蛾のごとく寄ってくるのである。
殺到する男子たちを、勿論ひかりは即座にお断りしていたが、誠司に変な心配をさせたくなくて、楓にも絶対言わないでと念を押していた。
「大丈夫。高木君には気付かれてないよ」
「楓がそういう風に言うと何か悪いことしてるみたいじゃない。やめてよね」
少し口を尖らせたひかりの表情に、楓はまたちょっと萌えているみたいだ。
何をやっても可愛いというのは、ある意味罪深いものだ。
「でも、ひかり、これからもまだしばらくは覚悟しといたほうがいいよ。そのうちに高木君の耳にも入っちゃうかもだけど、あんまし気にしない方がいいよ」
「そうかも知れないけど、誠司君に余計な心配させたくないの……」
ひかりは真剣にそのことで悩んでいるようだった。
「ごめんね。余計な心配させちゃって。ひかりは高木君にぞっこんだもんね」
「うん。そうなの」
ひかりは素直に口に出してから頬を紅く染めた。
「それでね、ひかりがモテてるの見てて思ったの。高木君てどうなのかなって」
「どうって?」
「高木君っておとなしくてあんまり目立たないけど、勉強もできるしけっこう可愛い顔してるし……」
楓の話の途中で、ひかりは頬を染めたまま滑らかに話し始めた。
「そうなの。優しいし、可愛い顔立ちだし、それなのに時々すごくかっこよくて……」
言ってからひかりは黙り込んだ。楓はニヤニヤしている。
「ふふふ。ひかりは高木君が絡むと隙だらけなんだから」
「もう、からかわないで」
ひかりは膨れて楓から目をそらす。
「だからさ、いまひかりが言ったように、他の女子でそんな風に思ってる子がいたら今まで告白されたこととか、付き合ってたこととかあったのかなって思ったの」
楓がちょっと面白がって話題に上げた話なのに、ひかりは口元に手を当て表情を変えた。
「そ、そうよね、そうかもしれない……」
ひかりはなにやら呆然としている。
「ねえ、ひかり、ひかりったら。もしかしたらの話だよ。なんでそんな深刻になってるのよ」
予想以上のひかりの受け止め方の重さに楓はうろたえた。
「そんなに気になるんだったら本人に訊いてみたら?」
「訊けるわけないでしょ!」
ひかりは滅茶苦茶気にしているようだった。
「そんなこと訊いたら嫉妬深くて重い女だと思われちゃうじゃない」
楓はあたふたしているひかりを面白そうに眺めながら「だってそうじゃない」と小さく呟いた。
「じゃあ、あいつに聞いてみようよ」
楓は教室の端っこの席で机に突っ伏して寝ている勇馬を指さした。
「あらたー」
ひかりが止めようとする前に、楓はクラスの端まで聞こえるような声で呼んだ。
「うるさい! 今寝てんだ」
勇磨は顔を起こさず応えた。
「起きてるじゃない。ちょっとこっち来なさいよ」
「なんだよ……」
頭をかきながら勇磨は眠たそうにやってきた。
「まあそこに座りなよ」
楓は勇磨に空いている席を勧めた。
相当面倒くさげに、勇磨は言われるがまま腰を下ろした。
「で、なに?」
いかにもダルそうに、勇磨はあくびを一つした。
「高木君のこと、あんた相当詳しいよね」
楓は嬉々としている。こういった話は大好物といったところなのだろう。
「ああ、それがどうした?」
「ずばり聞くけど、高木君って今まで告白されたことあった?」
「なんだそんなことか……」
勇磨は「んー」と伸びをする。
ひかりはドキドキしながら勇磨が何と答えるのか待っている。
「あるよ」
ひかりはその一言で、頭をトンカチで殴られたかのように目の前がくらくらした。
「いつ? 誰によ?」
楓は勇磨をさらに問い詰める。ひかりが呆然自失なのに対し、更なる面白い情報を引き出してやろうといった感じだ。
勇磨はさらりと答えた。
「うちの妹。去年ぐらい」
「なにそれ、小学生じゃない」
楓は拍子抜けしたようだ。
軽く聞き流しながらも、楓はもう少し妹のことについて探りを入れる。
「千恵ちゃんだったよね。一応聞いとくけど、なにも無かったのよね」
「まあな。千恵のやつ、誠ちゃんが構ってくれるもんだから、懐いててさ。誠ちゃんが好きって、よく言ってるんだ。まあそういう感じじゃないかも知れんし、誠ちゃんも告白だと受け取ってないみたいだけど」
その説明を聞いて、ひかりは胸を撫で下ろした。この感じでは大丈夫そうだ。ひかりは胸に手を当てて、落ち着きを取り戻す。
楓は脱線した話を元に戻そうとする。
「私は同級生とかの話をしてるのよ。もう、びっくりしたじゃない」
「同級生か、時任がそうじゃないのか?」
「ひかりの話はいいの。過去にそうゆうことがあったかって訊いてんのよ」
「俺の知ってる限り……」
ひかりは願った。無いと言って。
「二人、いや三人だな」
ひかりはそれを聞いて胸をかきむしられているような気持になった。
あのとき学園祭の準備で実行委員の女の子と待ち合わせしていた誠司を見たときと一緒だった。
「なんだ時任、そんな顔すんなよ。昔のことだよ。中学の時一回と高校で二回かな」
勇磨は表情も変えず、ひかりは真っ白になり、楓は面白くなってきたと舌なめずりをした。
「それで、それで付き合ってたの?」
楓は好奇心をむき出しにして核心に迫った。
ひかりはもう耳を塞いでしまいたい気分だった。
「いや、断ってたと思う」
「どうして?」
楓がしつこく訊く。
「知らないよ。たぶん……」
勇磨はあまり歯切れがいいとは言えない態度を見せたが、なにか心当たりがあるみたいだ。
「多分なに?」
楓は歯切れの悪い勇磨にイライラを隠さずさらに追及した。
「中学の時はおいといて、高校は誠ちゃんが大賞を取った後、すぐ告ってきた女子だった。俺もちょっと知ってる奴らだったけど、誠ちゃんのことちゃんと見てるような感じじゃなかったよ。それでじゃないかな」
「ふーん、高校の時のことは分かったけど、中学の時のことも詳しく教えなさいよ」
「そうだな……」
勇磨はウーンと眉間に皴を寄せて何かを絞り出そうとしていた。
「なんか言ってたな、怪我した女の子がいて、放っておけなくて家まで負ぶってやったって」
「えーっ! 負ぶったの?」
楓は顔を紅くして叫んだ。そしてさらに興奮気味にその先の話をしろと急かした。
一方、ひかりはあまりに嫉妬しすぎて気が遠くなってきていた。
「まあ、そんで後日、その子が誠ちゃんのとこにお礼を言いに来たらしい」
「それで、そこで告白されたのね」
「まあ、そういうこと。それだけだよ」
「それだけって、あんたやけにあっさりしてるわね。その筋書ってもうドラマじゃない。続きは? そのあと、なんかなかったの?」
ひかりは胸を手で押さえながら楓の手をもう片方の手で握った。
「楓、もういいから。私、これ以上耐えられそうにないみたい……」
「え? ここで止めちゃうの? ここまで聞いといて結末を知らなくっていいってこと?」
「なあ、時任、そんな深刻になるなよ。大した話じゃないんだからさ」
血の気が引いてしまったひかりに、勇磨は珍しく気遣いを見せた。
話の続きが気になる楓は、ここで終わらせてなるものかと勇磨に詰め寄った。
「いやいや、大した話でしょ。ねえひかり、最後まで聞こうよ。ここまで聞いちゃったらあんたも引きずっちゃいそうだしさ」
「うん……」
涙目でひかりは頷くと、楓は続きを話せと身を乗り出した。
「だから、そこまでなんだよ。なんもなかったんだから」
「えっ? 告られたんでしょ。断ったってこと?」
「まあ、そんな感じかな。相手は小学生だったし」
「それを最初に言いなさいよ!」
楓は一変して怒り出した。
「最初に言ったでしょ。小学生はカウントしないんだって」
「あ、そうだった。へへへ」
「へへへじゃないわよ。なに話を面白くしてくれてんのよ。あんたのせいで変に期待しちゃったじゃない。まあいいわ。これでひかりも安心できたってことだから」
ひかりは誠司が誰とも付き合っていなかったことを聞いて、ようやく落ち着きを取り戻した。
しかしそれでもどこかで過去の誠司に嫉妬してしまっていた。
私が男子に告白されたって知ったら誠司君もこんな気持ちになるのかな。
ひかりは自分が今感じた胸の苦しみを、誠司がすると思っただけで辛くなった。
「楓、私が告白されたこと、絶対誠司君には言わないで。絶対だからね」
「なんだ時任、おまえ誰かに告られたのか?」
そうだ。新君がいたんだった。ひかりの頭の中は真っ白になった。
「もう、ひかり馬鹿ねえ。新、あんた今の話高木君にしたら殺すわよ」
「分かってるよ。俺大事なことぽろっと言っちゃうけど、口は堅いんだ」
「それってどっちなのよ。言ったらもうあんたとは口きかないからね」
「言わないよ。任せとけ」
ひかりは目の前にいる二人とも信用できず内心ハラハラしていた。
大好きな人がいるのって苦しいこともあるんだなと、ひかりはあらためて気付いたのだった。




