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ひかりの恋それから  作者: ひなたひより
第三章 島田とゆき
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第9話 紅葉の中で

 ゆきはいつものように早朝の並木道を歩く。

 生徒たちがまだ通学していない時間帯。

 少し冷たい独特の空気が頬に心地い良い。

 真新しいそんな透明感のある空気と光の中を歩くのがゆきは好きだった。


 もうひと月か……。


 すっかり紅く染まった樹々の葉を見上げて、ゆきは時間が流れたことを感じとる。


 充実した日々。生徒達はそんな毎日を一生懸命過ごしている。


「私もあの子たちと同じだな」


 変化していく環境の中、必死で私も走っている。

 息を切らして走り続ける喜びを今全身で感じている。

 私はきっと大丈夫なんだ。

 そう、あの人が言ってくれたように。

 そしてあの人はこの学校に来てからずっと私の走る姿を静かに見守ってくれている。

 思い切り走っていいんだ。

 そう言いたげにあの人はいつも目を細めてそこにいてくれる。


 でも本当は……。


 ゆきは白い校舎に遠い目を向ける。


 私はあなたと一緒に走りたいんだ。


 少女の様なときめきを胸に、ゆきはまた今日も走りだした。



 卒業写真。

 来年の卒業アルバムに載せる集合写真を撮るために島田とゆきは生徒達を引き連れて明るい校庭に出ていた。

 冬服に身を包んだ生徒たちは思い思いに服装と髪型を整える。

 良く晴れた空。白い校舎を背景に綺麗に整列したその姿は、切り取られてこれからずっとアルバムに残るのだ。

 島田とゆきは整列した生徒を挟むように両側に立つ。


「お前ら一番いい顔しろよ」


 島田はよく通る声で生徒たちの笑顔を誘う。

 そしてシャッターが切られ、思い出が一枚出来上がった。



 誠司とひかり、勇磨と楓の四人は、集まって校庭を背景にデジカメで写真を撮っていた。


「先生、島田先生」


 楓が島田を大きな声で呼ぶ。

 呼ばれた島田は、ご機嫌な感じで四人と合流した。


「おう、記念写真か。ちょっと待て」


 島田は髪型を手櫛でセットしなおした。

 即席で身だしなみを整えた島田に、楓はカメラを手渡した。


「何してんの? シャッター押して」

「なんだよ。失礼なやつだな。貸せ」


 不満顔で島田は何枚かシャッターを押した。

 カメラを楓に返すと、誠司がこっちだと手招きした。


「次、先生も入ってください」

「おう、やっと出番か。ちょっと待て。清水先生こっちこっち」


 他の生徒たちと写真を撮っていたゆきを、島田はよく通る声で呼んだ。


「おっ、未来の嫁さんを呼んだな」


 勇磨がすかさず茶化す。

 ゆきが走ってきて「何か言いましたか」と島田に訊いた。


「いえ、こっちの話です。新、お前はシャッター押せ」

「ちぇ、なんだよ、真に受けるなよ」


 勇磨はしぶしぶカメラを持って移動する。

 島田とゆきが三人を挟んで一枚撮る。


「島田先生、清水先生、真ん中にどうぞ」


 ひかりは二人の腕を取って並ばせる。

 島田とゆきは目を合わせて、ちょっと照れつつ二人で並んだ。


「あ、前田先生こっちこっち!」


 楓は前田の姿を見かけて大声で呼ぶ。

 呼ばれた前田は髪を直しながら小走りでやってきた。


「先生シャッター押して。新、カメラ渡してこっちに来なさい」


 勇磨は不満げな前田にカメラを渡し、喜んで戻ってきた。

 島田とゆきを真ん中に入れた六人での集合写真は、不機嫌な前田先生の素晴らしいフレーミングで、この六人の宝物になった。

 そのあと写真を撮り終わっても、まだあちこちで撮りまくるんだと楓が先頭に立ってひかり達を連れて行った。

 島田はそんな教え子の姿を何とも言えない表情で見送る。


「寂しいんじゃないですか?」


 ゆきは燃える様な紅葉の下で佇む島田の横に来て、その横顔を見つめる。


「寂しいですよ。引き留めることが出来るんだったら引き留めたいぐらいです」


 ゆきは少し遠い目をした。


「素直なんですね。あの子たちと一緒」

「あいつらに置いて行かれるのが俺の仕事ですから。でも正直こたえますよ」


 寂しげな笑顔を島田は浮かべる。

 そんな横顔を見上げているうちに、ゆきの心は揺れ動く。

 島田の隣で、ゆきはひかりが涙を流していたことを思い出していた。


 あのとき彼女は、素直に自分の思いを伝えられなかったことを今も後悔しているのだと涙を流していた。

 素直な本当の気持ちを伝えるために彼女は必死で走った。

 だから彼に追いつくことができたんだ。


 ゆきは胸に手を当てて大きく息を吐いた。


 私だって……。


 そして押さえていたゆきの気持ちが溢れだした。


「私も残ります。島田先生とずっと……来年も再来年もずっとずっと」


 そしてゆきは躊躇いを越えて行こうと進み続ける。

 島田はそんなゆきの一生懸命な姿に、眩しそうに目を細める。


「私、教師としても人としても本当にまだまだです。それでもあなたに今どうしても伝えたいことがあるんです……」


 ゆきは頬を真っ赤に染めながら必死で前に進もうとしていた。その姿に島田はやや緊張した面持ちで向かい合い口を開いた。


「清水先生のこと応援していたつもりでした……」


 いつもの滑らかな口調ではなかった。島田はまるで少年の様に口ごもる。


「あの、ここから先は俺に言わせてください。俺にも一歩踏み出させて欲しいんです」


 頬を紅く染めたまま見つめるゆきの前で、島田はごくりと生唾を飲み込んだ。


「あなたが前に進めるよう手助けをしているつもりでした。でもいつの間にかあなたに追い越されてしまってた……」


 ざわざわと二人の頭上で紅葉が風に揺れる。


 そして島田は一歩を踏み出す。ゆきがそうしていたように。


「あなたが一人で前に歩いて行けるようになっても、隣でずっとあなたを見ていたいんだ」

「島田先生……」


 頬を紅く染め必死に最後のひと言を言おうとしている島田を、ゆきは見つめる。


「つまり、その、なんというか……あなたが好きなんです。お恥ずかしい……」


 やっと島田が言い終えた時、ゆきは目にいっぱい涙をためてこらえていた。

 そしてひかりが言った通りゆきは一歩を踏み出す。


 そう、心のままに。


 島田の胸にゆきはスッと寄り添う。


 そしてまばたきをした瞳からこぼれた涙と一緒に、ゆきの唇からも胸の想いがこぼれだした。


「私もあなたが好きです。先に言われちゃったけど……」


 島田はもうゆきを抱きしめていた。

 生徒のいない中庭の色づいた紅葉の下で、島田はゆきの甘い髪の匂いを深く吸った。


「あなたはやっぱり特別な人だ……」


 島田はゆきに回した腕に少し力を込める。


「学校であなたを抱きしめてしまうなんて、あいつらになんて冷やかされるか」


 ゆきは顔をあげる。


「私はそんなの気にしません……」


 また風がそよいで色づいた葉が音を立てる。


「二人であいつらを見送りましょう」

「はい」


 ゆきが見上げる逆光の島田の顔に、白い歯が映える。

 そして風に揺れる紅葉のきらめきの向こうに、抜けるような青空がどこまでも広がっていた。

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