第2話 大きな勘違い
昼休み。島田から鍵を預かり、また美術室で昼食をとれるようになった二人は、胸をときめかせながら向かい合ってお弁当を食べていた。
焦がれていた二人の時間が、再びこうして戻ってきたことに、何も言わずとも幸福感が溢れ出ていた。
誠司は幸せを噛み締めるように、ひかりの作ってくれたお弁当を味わう。
ひかりはそんな誠司のお弁当を食べる姿を、幸せそうに見ている。
「美味しくできてるかな……」
「うん。すごく。なんでこんなに美味しいんだろう」
ひかりは頬を染めて嬉しそうに微笑む。
「そう言ってくれて嬉しい……」
ひかりは誠司の空になったコップに、お茶を足そうと手を伸ばす。
注ぎ口から白い湯気が上がる。
「少し冷ましてから飲んでね」
渡す前にひかりはふうと息を吹きかける。
「あ、ありがとう」
そのあまりの可憐さに、誠司の耳が赤くなる。
ほんの少しだけ窓を開けた美術室。
ゆっくりとカーテンを揺らして涼しい風が入り込んでくる。
あの日、そっと胸の内でひかりにさよならを言った誠司は、もう二度とこうして向かい合って、このような時間を過ごすことはないのだと思っていた。
今こうして、夢の様に向かい合って座る少女に、誠司は眩しげに目を細めた。
あの日、君を悲しませてしまったひと言の後、輝きを失ってしまっていたこの教室がまたこうして輝きを取り戻した。
自分一人でたくさんのものを抱えようとして、大切な君に涙を流させてしまった。
あの想いをのせて描いた絵のように、これからは君の前では素直になりたい。
誠司はそう願い、変わろうとしていた。
「あの……」
「うん、なあに?」
ひかりがこたえる。
そう、君の全てがそうさせるんだ。
「好きだよ……」
恥じらいながらも自然に誠司の口から言葉が出た。
どうしても伝えたい。君のことが大好きなのだと。
突然の誠司の言葉に、ひかりは真っ赤になって下を向いた。
そしてひかりもその想いを言葉で返す。
「私も大好き……」
赤面し、うつむいた二人はお互いの顔を見れないまま、手に持った湯気の立つコップに何となく視線を落とす。
ぎこちない二人の間に甘酸っぱい空気がまとわりついていた。
その時だった。
どん!
入り口の戸が大きな音を立てたので、二人は驚いて飛び跳ねた。
ひかりは立ち上がってドアの方に目を向ける。
「なにいまの?」
「さ、さあ」
二人はドアに近づき、覗き窓から外を見た。
そこにいたのは、しゃがみこんで二人の話を盗み聞きしていた楓と勇磨だった。
誠司とひかりは微妙な面持ちで楓と勇磨に向き合って座っていた。
ひかりはまず楓を問い詰めた。
「いったいあそこで何してたのよ」
「いやー。たまたま通りがかったら二人がいたんでつい」
楓はあからさまな言い訳をして胡麻化そうとした。
素直に覗きに来ましたと認める気はないらしい。
「じゃあ勇磨は?」
今度は誠司が少し怒った声で、楓の横で目を泳がせている勇磨を問い詰める。
「おれ? 俺はあれだよ。日課の校内散策でたまたまな」
いつから日課になったんだよ! 突っ込みたかった二人だった。
「なんかいい感じだし、私ら退散した方がいいかもね。じゃ」
怒られそうな雰囲気を察して、そそくさと楓は席を立とうとする。
「じゃ、おれも日課の続きがあるんで」
席を立った楓と勇磨は、お互いに顔を見合わせると、フフフと不気味に笑った。
「あんたたち盗み聞きしてたんでしょ! もう信じられない」
「勇磨、お前とはもう口きかないからな!」
「誠ちゃんそりゃないよ、俺は橘にそそのかされて……」
「かえで!」
二人に責められて楓と勇磨は反省してますと謝った。
そのあとムスッとしたままのひかりに、楓はちょっと真面目な顔で向き合った。
「でもやっぱりちゃんと二人の仲がうまくいってるのか確認したかったの。もう心配ないって心から安心して二人のこと応援したかったの」
その言葉を聞いてひかりは目頭を熱くして楓に抱きついた。
「ごめんね。私嬉しい。もう大丈夫だよ」
「うん。ちゃんとお互い好きって言ってるの聞いて私も安心した」
ひかりの顔がみるみる赤くなる。
「やっぱり聞いてたのね! もう知らない!」
こうして久しぶりに昼休みの美術室に賑やかさが戻ったのだった。
そのまま四人で机を並べてお喋りしているうちに、楓がひかりにちょっとしたことを聞いてきた。
「ねえひかり、どうして昨日あんなに朝から不機嫌だったの?」
「そうだった? ちょっと覚えてないなー」
ひかりはあの日、誠司が同じ二組の女子と休日に待ち合わせしていたのを聴いてから、ずっと気持ちのコントロールができてなかったのだった。
好きだと言ってくれた誠司を信じて、何もなかったはずと自分に言い聞かせていたが、やはり心のどこかで引っかかっていた。
「日曜日なにかあったの?」
楓は時々核心をついてくる。
誠司は顔色を変えたひかりの様子を少し心配そうに見ている。
ひかりは少し頭を横に振って、心に浮かんだ引っ掛かりを忘れようとした。
「大丈夫。私信じてるから」
「どうしたの急に?」
楓はひかりが前置きなくそう言ったのに首を傾げた。
でも……。
ひかりは向かいに座っている誠司の顔をじっと見る。
一度頭に浮かんでしまった小さな疑惑は、ひかりの中でじわじわと大きくなっていった。
「高木君……日曜日何してたの?」
聞かないでおこうと決めていた一言をついに言ってしまった。
誠司はひかりの質問に落ち着いた感じでこたえる。
「あの絵を仕上げてたんだけど」
ひかりは唇を噛んだ。
「それだけ?」
「どうしたの時任さん? なんか俺変なこと言った?」
「朝は何してたの……」
「学園祭の仕事だけど。どうしたの? 顔色が悪いよ」
「嘘つき!」
ひかりの口から、自分でもびっくりするほど強い言葉が出てしまっていた。
「どうしたのひかり?」
楓は急に様子の変わったひかりを覗き込む。
急に雰囲気の変わったひかりに、一番うろたえたのは勿論誠司だった。
「時任さん、何かあったの?」
ひかりはあの時の、女の子と待ち合わせしていた誠司の姿を思い出してしまっていた。
そして事情を知らないひかりは、誠司が嘘をついていると思い込んでしまったのだった。
「私、高木君が女の子と日曜日に待ち合わせしてたの知ってるんだから!」
半分泣きそうな声で言ってしまってから、ひかりは口を押えた。
「高木君本当なの?」
「お前ひでえやつだな!」
楓も勇磨も誠司に詰め寄った。
誠司はひかりが何のことを言っているのか分からず戸惑っているみたいだった。しかしようやく思い当たったのか、落ち着いた感じでこう言った。
「そうだよ」
そして誠司は簡単にひかりの疑問に答えた。
「学園祭実行委員の林さんと、クラスの代表で商店街のたこ焼き研修に行ってた。模擬店三組に負けたくないからね」
さらりと言った誠司に、その場が一瞬止まったようだった。
「なんだびっくりさせるなよ! いきなり浮気発覚かと思ったぜ」
「ひかり、信じてるからって、疑いまくってるじゃない。ほんと純情なんだから」
ひかりはもう、ぐうの音も出ないくらいに二人から責められた。
「すみません……全部私の勘違いでした」
肩を落としてひかりはすっかり小さくなっている。
勇磨はそんなひかりの恥ずかしそうな姿を笑い飛ばした。
「ハハハ、まあいいよ。昨日の今日で夫婦喧嘩が見られて楽しかったし」
夫婦喧嘩!
誠司もひかりも一瞬ハッとしてから、うつむいて黙り込んだ。
そしてひかりは真っ赤になりつつも誠司にぺこりと頭を下げた。
「ごめんね高木君、私馬鹿みたいに空回りしちゃって。恥ずかしい」
「ひかりはそーゆーとこあるよね。高木君、大目に見てあげてね」
ワハハと笑う楓にお前が言うなと、この時三人とも思っていた。
「いいんだ。そんな風にヤキモチ焼いてくれてたって知って、むしろ逆に嬉しかったというか、それにもし逆の立場だったら俺、嫉妬しておかしくなりそうだから」
「私は絶対そんなことしないよ。高木君だけだよ」
二人の会話に居心地の悪そうな楓と勇磨に気付き、また黙り込む二人だった。