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ひかりの恋それから  作者: ひなたひより
第三章 島田とゆき
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第4話 ときめき症候群

 島田が職員室で寛いでいると、清水ゆきが古文の授業を終えて戻ってきた。

 以前と同じ人物と思えない程、はつらつとしたゆきの姿に、授業の方も上手くいってそうな感じが見て取れた。

 ゆきは島田の横を通る時に明るい笑顔を見せ、軽く会釈してから自分の席に腰を下ろす。

 ゆきが席に着いたのとほぼ同時に、ノックをして職員室に男子生徒が入って来た。


「あの、先生」

「ん? 高木か」

 

 島田は振り返って、職員室に入ってきた誠司をちょっと面倒臭そうな感じで応対した。


「なんだまたお前か。用事は一日一回にまとめろ」

「違うよ。清水先生に用がるんだ」

「え、私?」


 職員室に入って来た誠司は島田を素通りして、ゆきの席へとやって来た。


「先生、休み時間にすみません。最後のとこだけもう一度説明して欲しくて」


 左手で字を書いている誠司は時々授業に追いつけず、こうやって教科ごとの先生に尋ねていた。

 誠司の手のことを知らないゆきは、自分の授業の進め方がまずかったのだろうとすぐに謝った。


「ごめんね。私早く進め過ぎたかもしれないね。今度から気を付けるね」

「いえ、先生の説明丁寧で分かり易いです。一生懸命聞きすぎて手が止まっちゃって」


 ゆきは誠司の開いたノートに途中まで書き写された内容を確認し、テキストと照らし合わせて丁寧に解説をした。


「ここはこう。そう。ノートはここだけとっとけばいいからね」


 ゆきは誠司がぎこちなくノートにペンを走らせているのに気付いた。


「右手、怪我してるの?」

「はい。今は左で書いてます」

「がんばってるのね。応援してるわよ」

「はい。ありがとうございます」


 ちょっと仲良くしている二人に完全に無視されて、島田は、ハアとため息をついた。

 誠司が相手をしてくれないのが寂しいようだ。

 そしてまた、職員室の入り口から聞き馴れた声が聴こえて来た。


「失礼します」


 艶のある黒髪をフワリと揺らして職員室に入ってきたのは時任ひかりだった。

 何だかひかりのせいで、殺風景な職員室が一段明るくなったように感じられた。


「おう、なんか用か?」


 今度こそ自分に用事かと、島田はひかりを座らせてやろうとして椅子を用意した。

 ひかりの視界には誠司しか入っていないのだろう。島田が椅子を用意したのに気付きもしないで、ひかりは誠司に小さく手を振った。


「誠司君ここだったの。クラスの子に聞いたら職員室って言ってたから、てっきり島田先生のとこかと思ってた」

「うん。古文のノートをとり切れなくて、清水先生に聞いてたんだ」


 キラキラしている二人に島田はチッと舌打ちした。


「また俺じゃないのかよ」


 聴こえないようにボソリと呟いて、島田は椅子をひっこめた。

 ひかりはそのまま島田の後ろを素通りして、誠司にキラキラした笑顔を向けた。


「じゃあ、ここで待ってるね」


 はにかみながら誠司の横に並んだひかりを目にして、ゆきは目と口を大きく開いたまま固まった。


 可愛い。なんて可愛いの。こんな可愛い子見たことない……。

 まるで少女漫画の世界から飛び出して来たヒロインだわ。


 ゆきはひかりを記憶に焼き付けようと思い切り凝視した。

 その穴の開きそうなぐらいの視線に、ひかりは耐えられずに口を開いた。


「あ、あの、三組の時任ひかりです」

「あ、清水ゆきです。高木君が窓から見てた子ね」


 そりゃ見たくなるわとゆきは納得した。

 ひかりはポッと赤くなると、恥ずかし気な目を誠司に向けた。


「窓から見てたの?」

「うん。見てたんだ……」


 ゆきに暴露されて誠司も恥ずかしそうだ。

 そのもどかしい学園恋愛ドラマを前に、ゆきはどうしようもなく萌えてしまっていた。


 やだ、すごいときめいてる。


 職員室でときめき始めた二人に、ゆきのスイッチが再び入ったようだった。


「時任さんだったら高木君が大好きって思わず言っちゃうのも分かるわ」


 またまた暴露されて今度は二人同時に真っ赤になった。

 ひかりは誠司の顔をまともに見れないまま、小さな声で訊いた。


「言ったの?」

「うん。言っちゃった……」


 恥じらいとときめきが半端ない二人に、ゆきはもう失神寸前まで行ってしまっていた。


 虚構の世界にしか存在しないと思っていた完璧なときめき純情学園恋愛が、こんな身近な所に実在していたなんて、しかも私の想像をはるかに凌ぐ完璧な美少女がヒロインだなんて……。


 もう、ゆきには今そこで繰り広げられているときめきのワンシーンしか目に映っていなかった。


「二人ともなんて可愛いの……こんなのもう反則だわ。今まで読んできた恋愛小説を軽く超えちゃってるし、やっぱり生ときめきは半端ないわ……」

「あの、清水先生、職員室なんでそういう話題はちょっと……」


 島田がたまりかねて注意すると。三人ともハッと我に返った。


「そうノート、ノートだったのよね。これで大丈夫。また分からないことがあったら二人で聞きに来て」

「二人?」

「いや、一人でもいいからいつでも来てね」


 ゆきはときめき系に滅茶苦茶関心があるタイプだった。



「あー、いいなぁー。ときめきあってたなー」


 ひかりと誠司が出て行った後も、うっとりと余韻に浸っているゆきだった。

 島田はそれを隣で眺めつつ苦笑いしている。


「そんなもんですかね。俺から見たらあいつらは学校で堂々と毎日不純行為してる無法者どもですよ。いっそ校則で恋愛禁止にしてやりたいくらいです」


 冗談のつもりだったが、ゆきはムッとした。


「そんな、ひどいです。あんなに好きあってる二人を引き離すなんて、いくら島田先生でも、それだけは私納得できません」


 ゆきはよっぽど二人のことを気に入ったようだった。

 真面目に抗議されて、島田はたじろいだ。


「いや、すみません。私が悪かったです」


 ややこしくなってきたので、島田はとりあえず謝っておいた。


「私あの子たちを断然応援しちゃいます。島田先生も一緒に応援してあげて下さい」

「はい。分かりました。応援します。させていただきます」


 ハアと深いため息を一つついて、島田はこの数日で見違えるほど変化したゆきを目を細めて眺めるのだった。


「清水先生も学生時代そんな経験いっぱいあったでしょ」


 島田の問いにゆきは「なんにも」と答えた。


「私ずっと女子校でしたから」


 ゆきはまたうっとりした目で、何もない空間に何かを見ている。


「初めて生であんなの見ちゃいました」


 ゆきのときめき症候群は、かなり根が深そうだった。



 小テストの採点をようやく終えたゆきが、椅子の背もたれに体を預けてウーンと伸びをしていると、体育教師の前田が声を掛けてきた。

 どうやらゆきが一息つくのを待っていたみたいだ。


「お疲れ様です、清水先生」

「あ、前田先生、お疲れ様です」


 採点に集中していたゆきは、職員室に前田と自分以外いないことにたった今気が付いた。

 放課後少し暗くなりだす時間帯。部活の顧問をしている教師はまだ残っている筈だが、今はまだ戻って来ていない。

 前田もサッカー部の顧問をしている筈だが、いつからいたのか前の席で微笑を浮かべながらゆきの姿を眺めている。

 はばからない前田の視線に、ゆきは職員室の中なのに身の危険を感じてしまった。


「さ、そろそろ帰ろうかな……」


 机の上をそそくさと片付けて帰り支度を始める。

 前田は恐らく今日こそはと狙っていたのだろう。目をそらせたままのゆきに積極的に話しかけてきた。


「暗くなるの早くなってきましたね。もし良かったら送りますよ。私もそろそろ上がろうと思っていましたんで」

「え? いえ大丈夫です。お気遣いなく」


 ゆきはそのまま席を立って前田に一礼する。


「じゃあ、前田先生お疲れさまでした。お先に失礼します」

「あ、ちょっと、ちょっと待って下さい」


 前田は席を立ってゆきを引き留めた。


「あの、清水先生ってどなたか特定の男性とかおられるんでしょうか」

「え? といいますと?」


 もちろん前田の意図していることに気付いてはいた。ゆきはこの職場環境の雰囲気を壊さぬよう配慮し、そ知らぬふりでやり過ごそうとした。


「いや、その、どなたかとお付き合いされてるのかなーと思って」


 ゆきの意図を察することなく、前田はそのものずばりを訊いてきた。

 段々怪しい展開になってきたのを感じて、誰か戻って来てくれないかと心の中で願うと、丁度廊下からスリッパを鳴らす音が聞こえて来た。


「あーつかれた」


 まだ入って来てもいないのに、ダルそうな島田の声は職員室内によく聴こえてきた。

 ゆきの安堵の表情とは反対に、前田はうんざりとした面持ちだった。

 そして島田が欠伸をしながら職員室に入ってきた。


「あれ? 清水先生今日は遅いんですね」

「小テストの採点してたんです」

「あー、それでね。んじゃあ、その辺まで一緒に帰りますか? ちょっとクラスの予定とか話したいことありますんで」

「あ、はい」


 不完全燃焼の前田を残して、ゆきは助かったと島田について部屋を出た。

 島田は大きな欠伸をしながら、ゆきの隣をすたすた歩いて行く。


「あの、クラスの予定ってさっきおっしゃってましたけど」

「ああ、あれね……」


 島田は口元にニタリと笑みを浮かべた。


「ちょっと清水先生が困ってそうだったんで、まあ方便ってやつですよ」

「まあ、そうだったんですか」

「余計でしたか?」

「いえ、実は助かりました」


 ゆきはほっとしたような笑顔を見せた。


「なら良かった」


 見掛けに寄らず繊細な気遣いを見せた島田の横顔をゆきは見上げる。

 はっきりとしたものではなかったが、言い表せない心地良さをゆきは島田の隣で感じていた。

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