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ひかりの恋それから  作者: ひなたひより
第三章 島田とゆき
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第1話 新しい副担任

 始業前、島田は苦手な教頭に呼び出され、産休に入った副担任の代わりの教師を紹介された。


「こちら今日から副担任をしてもらう清水先生。そしてこちらは担任の島田先生。協力して頑張ってください」


 紹介された目の前に立つ色白の女性は、まだあどけなさの残る綺麗な顔立ちをしており、伏し目がちな瞳を島田に向けていた。


「島田です。よろしくお願いします」

「清水ゆきです。こちらこそよろしくお願いします」


 そう自己紹介した新しい副担任の過度な緊張ぶりを見て、島田は目を少し細める。


「清水先生には産休に入られた小林先生の教科の古文を引き継いでやって頂きますので、よろしくお願いしますね」


 そう言って教頭は島田のほうをちらりと見た。

 口には出さずとも教頭が何を言いたいのか島田には分かっていた。

 島田はあらかじめ清水ゆきのことを教頭から詳しく聞かされていた。

 他県の高校の学級崩壊したクラスの副担任。

 担任は学級崩壊後しばらくしてPTSDと診断され学校に来なくなり、まだ新米教師の清水ゆきが崩壊後の教室をまとめようとしていたという。そのうちに代わりの担任が入ったのだが、清水ゆきはしばらくして学校に休職願を出したそうだ。

 違う環境でもう一度やり直したいと言う本人の希望で復職することになったが、心の問題を抱えている清水ゆきをケアするようにと教頭から言われていた。

 どちらかと言えば、教頭は清水ゆきをあまり歓迎している感じではない。生徒だけでなく教師のケアまでしていられないといった雰囲気を島田は教頭の態度から感じ取っていた。

 つまり教頭から面倒な問題を一任されたといったところだ。

 しかし島田自身はそのことに関して、取り立てて難しくは考えていなかった。

 逆にこの二学期の中途半端な時期に再スタートを切ろうとしている前向きな副担任に、興味を覚えていた。



 教室に向かう廊下の途中で、島田は後ろからついて来る清水ゆきに声をかけられた。


「島田先生」


 島田は振り返る。


「私のこと聞いてますよね……」


 足を止めた清水ゆきは島田の方は見ようとせず、聞き取りにくいほど小さな声でそう言った。

 島田は立ち止まって、すっかり顔色の悪くなってしまったゆきを観察した。

 足が小刻みに震えている。

 彼女の内面で激しい葛藤が起こっているのが見て取れた。

 そして島田は口を開いた。


「ええ、聞いてますよ。会ったこともないあなたのことはね。でも……」


 島田は口元に笑みを浮かべた。


「今ここにいるこれからのあなたのことは、まだ何も知りません」


 ゆきは一瞬ハッとして顔を上げる。


 そして……。


 パンパンパン。


 脚を何度か手で強く叩いて、ゆきは一歩踏み出した。



 教室の生徒はもう着席して待っていた。

 この時期の生徒たちは自分の進路が決まっている者や、これからの者が入り混じっていて、お互いに気遣いしながら淡々と授業を受けていた。

 島田が清水ゆきを連れて教室に入ると、さすがに教室はざわついた。

 生徒たちは、ゆきの教師らしくないほどの綺麗な顔立ちに盛り上がってしまったのだった。


「うるさい。静かにしろ」


 島田がそう言うと、すっと静かになった。


「清水先生どうぞ」


 清水ゆき。黒板に書かれた文字はびっくりするほど上手だった。


「清水ゆきです。産休の小林先生に代わって古文を受け持つのと島田先生の副担任をさせていただきます」


 その声には隠せない緊張が表れてはいたが、用意してきたであろう挨拶の言葉を、ゆきは生徒たちによく聞こえるように伝えようと努力しているようだった。


「皆さんとは残り少ない高校生活の中で、たくさんいい思い出を作りたいと思ってます。どうぞよろしくお願いします」


 うわずった声での自己紹介の後、拍手が湧いた。


「そういうわけだ。ついでに俺も自己紹介しとこうか?」


 島田がそう言うと、先生はいいよ! ききたくねー! とやじが飛び、クラスは盛り上がった。

 緊張していたゆきの表情は、いつの間にか生徒たちと同じになっていた。



 島田が見ている限り、清水ゆきは問題なく生徒たちに馴染み始めていた。

 考えすぎてたかなと、島田は他の教師たちとも積極的にコミュニケーションをとろうとしているゆきを見て、そう感じていた。

 そんな中、体育教師の前田は向かいに座るゆきに、何かとことあるごとに話しかけていた。

 島田の席は清水ゆきの隣だったので、職員室にいる間は二人のやり取りが自然と目に入るし耳に入ってくる。まあ、あの美貌だし、しかたないだろうなと、若い体育教師の下心丸見えの積極的行動を面白く鑑賞していた。

 島田の印象では、ゆきは苦笑いしながら前田の相手をしているが、明らかに自分の仕事をしたそうにしていた。


 こりゃ、脈ないかもな。


 前田先生の猛攻を受けるゆきの困り顔を横目に、島田は煙草を吸おうと席を立った。


「島田先生」

「はい?」


 呼び止めたのは清水ゆきだった。


「ちょとご相談したいことがあるんで、いいですか?」


 ゆきは席を立って島田について教室を出た。


「なんです? 相談って?」


 ゆきは「ごめんなさい」と言って、申し訳なさげな笑顔を見せた。


「ちょっと前田先生と二人が耐えられなくて。嘘なんです」


 島田は吹き出した。


「意外と器用なんですねえ。まあわかりますよ。あいつ暑苦しいから」


 島田は歩きながら笑い声をあげた。


「私、そこまで言ってません」


 ゆきもつられていい笑顔だった。

 暑苦しい体育教師から逃れた後も、どういうわけか、ゆきは島田の後をついてきた。


「どこに行かれるんですか?」


 スリッパを鳴らしながら廊下を歩く島田に、少し後ろをついてきながらゆきは尋ねてきた。

 島田は別に振り返りもせず軽く答えた。


「美術室に煙草を吸いに」

「煙草?」

「いや! そうじゃなくて! 美術室に行って生徒を見てから、後で煙草を吸おうかと」


 島田は焦った。流石にまだ新任の教師の前で、先輩の自分が悪い手本を見せるわけにはいかない。

 生徒の前で時々うっかり一服してしまう島田も、ここは必死で誤魔化した。

 ゆきは島田の慌てっぷりに不思議そうな顔をしたものの、それ以上そのことについては追及しようとはしなかった。


「私もご一緒していいですか? 今戻ったらまた……」


 島田はまた吹き出した。


 あいつ、脈なしだな。


 島田は可笑しさをこらえながら、猛烈な片思いをしている前田を残念な奴だと少し哀れんだ。

 また、この美貌の副担任もおかしなのに好かれて気の毒だと思わずにいられなかった。



 美術室には静物のスケッチを終えて帰ろうとしている美術部の生徒がまだ数人残っていた。


「おわったかー」

「はい。先生。もう帰ります」

「よーし、じゃ、また明日がんばれ」


 そう言って生徒を島田は送り出す。

 生徒たちは帰り際、窓の傍にいる男子生徒に声をかけて帰る。


「お先に失礼します。高木先輩」

「うん。お疲れ様。また明日」


 ゆきは窓際の少年を見て「二組の子ですよね」と島田に尋ねた。


「ええ、高木ですよ。一番めんどくさい教え子です」

「先生、ごめん。もうちょっといい?」


 誠司は立ち去り難いかのように窓の外を眺める。


「今さらなに憧れの目で見てんだ。ほんと変な奴だな」


 少年がいったい何に目を向けているのか興味が湧いたのだろう。ゆきは窓に近づくと、少年の視線の先にあるものを見つけようと覗いてみた。


「いったい何を見ているの?」

「あれです」


 少し照れたようにはにかむと、誠司はグラウンドの奥を指さした。

 ゆきは遠目に見える陸上部の少女たちに目を向けた。


「幅跳びね」

「ええ、そうです」

「好きなの?」


 ゆきの軽い問いかけに、誠司はうろたえたように言葉を詰まらせた。

 

「は、はい。その、大好きで……変な質問しないでください」


 頬を染めてはぐらかす誠司に、ゆきはニコニコしながらさらに尋ねてきた。


「そんなに高木君は幅跳びが好きなの?」


 そんな二人のやり取りを耳にして島田が吹き出した。


「ハハハ、高木、清水先生はお前よりはるかに上みたいだな」


 ゆきはどういうこと? という表情で二人を見る。

 ここまで来てもまだ事情を察していないゆきに、島田は正解を言ってやることにした。


「いやね、清水先生、こいつはね、今跳んでるあの子のことを言ってるんですよ。ハハハ」

「ごめんなさい!」


 ようやく気付いたゆきは、頬に手を当て顔を赤らめた。


「私、なんか高木君に恥ずかしいこと言わせちゃったみたいね」

「いえ、もういいです。ぼくも勘違いしてたんで」

「そうなんだー。好きどころか大好きなんだ。いいなー」


 頬に手を当ててゆきは目を輝かせた。

 察するに、こういった学園恋愛話に相当関心ありそうな人だった。

 妙に熱い視線を向けてくるゆきに、誠司は居心地悪そうにそわそわし始めた。

 島田はやれやれといった表情で、誠司の傍に来て耳打ちする。


「なんかスイッチ入ったみたいだな。そろそろお前も帰れ」

「うん。帰りたくなった」


 誠司はそう言うとサヨナラと言い残し、そそくさと教室を出て行った。


「なんだかドキドキですね。島田先生」


 ゆきは興奮冷めやらぬまま、ときめいてる。


「いや、私はもうしょっちゅうあいつらのイチャイチャを見せられてるんで慣れてますので」

「いーなー。青春してるのね」


 思いがけずときめきの現場に出くわしたゆきは、そのあとウキウキしながら美術室の絵を見て周っていた。


「皆さんお上手ですね。島田先生のご指導がいいんでしょうね」

「いや、私は何にも、自由にやれってそれしか言ったことないですから」

「だからみんな生き生きしてるんですね」


 ゆきは島田を振り返って、パッと笑顔を咲かせた。


「いや、ほんと、私はなにもしてないんで……」


 島田はどういうわけか口ごもる。


「この絵は?」


 ゆきが立ち止まって向かい合ったその先には、あの誠司の絵があった。

 光をまとい跳躍する少女に、ゆきは一瞬でくぎ付けになっていた。


「綺麗……」


 ゆきの唇から自然に言葉が出た。


「高木が描いた絵ですよ」

「じゃあさっき跳んでた子を?」

「そう。あの子がモデルです。あいつの一年越しの作品ですよ」


 島田はゆきと並んで絵を眺める。


「いい絵でしょう」

「はい。驚きました」


 ゆきはじっと絵を見つめる。

 あまりに熱心に絵を見つめるゆきに、島田はちょっとした質問を投げかけようとした。


「もしかして清水先生も絵をやられて……」


 質問の途中、島田がゆきの横顔に目を戻した時、ゆきの頬には一筋の涙が流れていた。


「あれ?」


 ゆきは涙を手の甲で拭う。


「どうして私、泣いてるんだろう」


 不思議そうに頬の涙を拭いながら、ゆきの目はまだ絵に向けられたままだった。

 島田は少しだけ頷いてこう言った。


「清水先生は、きっとこの絵のことを少し知ってしまったんだと思いますよ」


 その言葉に、ゆきは少し考えるような仕草をしてからこう答えた。


「はい」


 そして夕日の射し込む美術室で、ゆきは素直な笑顔を島田に向けたのだった。

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