第6話 そして決着へ
田畑は楓に呼び出されて放課後プール裏に来ていた。
邪魔が入ってなかなか楓に近づけなかったので、返事をしたいと楓の方から連絡してきたのは田畑にとって好都合だった。
田畑の計画はほぼ予定通りだった。誠司の存在が邪魔だったが、勇磨を陥れたことによって、自分の思い通りに事は進んでいきそうだった。
「田畑君」
少し予定時刻より遅れて、楓は小走りにやってきた。
「ごめんなさい。色々やることがあって。待った?」
「全然。今来たところだよ」
田畑は白い歯を見せて笑みを浮かべた。
「楓ちゃんの方から誘ってくれたってことは、今日返事くれるのかな?」
わざとらしく田畑は少し照れたように頭をかいた。
「うん。そのつもり」
楓は少しうつむいてじらすように返した。
「で、どうかな? 俺と付き合ってくれるの?」
楓は少し目をそらしながら恥じらうしぐさを見せる。
「ずっとちゃんと考えてやっと結論が出たの。聞いてくれる?」
「うん。聞かせて」
なかなかはっきりとしない楓に田畑はじれ始めた。
るるるる。
携帯が鳴る。
「ごめん私のだ」
楓はポケットから携帯を取り出す。
「ひかりからだ。出ていい?」
「もちろんいいよ」
またあいつか。田畑はイライラを隠して笑顔を見せた。
「うん、うん、わかった。しょうがないわね」
携帯を切った後、用事が出来たのと楓は言った。
「ミーティング忘れててすぐ来いって。ごめんなさい。私行かないと」
「あ、ああ、そうなの」
田畑はもう少しなのにと腹では思いつつも作り笑顔を見せる。
「ね、じゃあ、今度いつ会えるかな?」
田畑は笑顔を崩さず聞いた。
楓は少し悩むような仕草をした。
「携帯番号交換しよ。また連絡させて」
「うん」
田畑はポケットから携帯を出す。
暗証番号をいれてロックを解除する。
「貸して。番号登録するね」
楓は田畑の携帯を手に取った。
そして踵を返して走り出した。
しまった!
田畑は楓の手をとっさに掴んだ。
振り返った楓はさっきまでの表情とは打って変わって田畑を睨みつけていた。
「高木の入れ知恵か、何か言われたんだろ?」
「そうよ。悪い? 放してよ!」
田畑は楓から携帯を取り上げる。
「残念だったな。俺の方があいつより一枚上手だ」
「放しなさいよ! はなせ!」
田畑は楓の腕をつかんで引き寄せた。
「ちょっとお仕置きしてやるよ」
そう言うと田畑は楓のスカートの中に手をのばそうとした。
「いや、やめて!」
楓は必死に抵抗するが田畑はそのまま手を伸ばす。
脚を閉じて抵抗する楓の太腿の内側に、田畑は手を入れようとしてきた。
「その汚い手を放せ!」
勇磨はそう言って姿を見せた。怒りがむき出しになっている。
誠司とひかりも勇磨の後について姿を見せた。
「新か? 懲りない奴だ。お前明日から停学決定だそうだぜ」
「橘を放せ!」
勇磨の耳にはもう何も入っていないようだった。
楓は目に涙を浮かべていた。田畑にされたことがショックだったのだ。
勇磨はそのままゆっくりと間合いを詰める。
「なんだやる気か? おまえ身の程知らずだな」
勇磨が一気に間合いを詰めようと動いた。
次の瞬間、田畑は楓を勇磨に向かって突き飛ばした。
とっさに勇磨は楓を腕で受け止める。
田畑は両手の塞がった勇磨の顔に拳を叩き込んだ。
肉と肉がぶつかる嫌な音を立てて勇磨はよろけた。それでも踏ん張って楓を自分の背後に庇う。
「下がってろ!」
楓を後ろに庇いながら勇磨は田畑に向かい合った。
「邪魔しやがって、立てないようにしてやるぜ」
ボクシングをやってる田畑の動きは速かった。
最初の不意打ちをまともに受けて相当なダメージを受けてしまった勇磨は、ふらつきながら相手のパンチを受け続けた。致命傷を避けるために頭部をかばうので精いっぱいだった。
誠司は二人の立ち合いをじっと見ている。
「やめて! もうやめて!」
楓は一方的に殴られる姿を見ていられず叫んだ。
ひかりは楓を抱きかかえて、勇磨の様子を心配そうに見ている。
田畑は反撃できそうもない勇磨のガードの隙間に、拳を何度も打ち込んだ。
「そこまでだ」
ずっと黙って見ていた誠司が静かにそう言って前に出る。
田畑は勇磨を殴るのをやめて一歩後ずさった。
そのまま勇磨は膝をついた。
誠司はその肩に手を置いた。
「少し休んでろ」
誠司が踏み出すと田畑はまた一歩下がった。
自然体で肩の力が抜けた感じの誠司の姿は、この場にふさわしくない程落ち着いているように見えた。
誠司の雰囲気が急に変わったことをひかりは感じ取っていた。
「一対一でやりあってんだ。お前が出てくることないだろ」
田畑の声には明らかに焦りの色が浮かんでいた。
誠司はまた一歩足を進めた。
「橘さんを盾にして、お前は勇磨に決定的なパンチを入れた。一対一の勝負ってこういうことなのか?」
静かにそう口にした誠司の背中は、獲物を前にしたしなやかな肉食獣のようだった。
田畑は雰囲気の変わった誠司に、また一歩後ずさる。
「俺はお前とはやりあいたくない。お前は新なんかよりずっとやばい奴だって俺知ってるんだ。なあ、高木、俺たちやりあう理由ないだろ」
膝を折って荒い息をつく勇磨に誠司は目をやった。
「今お前が作った」
誠司の声はひかりが聞いたこともない冷たさを含んでいた。
そしてまた一歩踏み出す。
「お前は勝てる立ち合いしかしないみたいだけど、勇磨は闘うべき相手と闘うんだ」
ひかりと楓の前で、初めて誠司は普段と違うもう一人の自分を見せる。
勇磨がずっと前に見たことのあるもう一人の姿だった。
荒々しい田畑と違い、そこに立つ誠司はまるで獲物を狩るしなやかな肉食獣のように落ち着きはらっていた。
ひかりはあの優しくおとなしい誠司の中に、このような一面があったのをこの時知った。
言い表せぬ圧力をまとい誠司は間合いを詰めていく。
そんな誠司の圧力に耐えきれず田畑は仕掛けた。
軽いステップで一気に誠司に近づく。
田畑のジャブを誠司は前に構えた手でことごとく捌ききる。
時々伸びてくるストレートとフックも腕でガードする。
手数は田畑の方が圧倒的だったが、そのすべてが誠司に届いていなかった。
田畑の表情には焦りの色が濃く出始めていた。
そんな中、一度フェイントを入れてから右の拳が誠司の顔に伸びてきた。
田畑のフックが誠司の左頬を捉えた。
ばしっ! 高い音がした。両腕でかばった先で誠司の頬に拳が届いていた。
「誠司君!」
ひかりは叫んだ。
駆け寄ろうとするひかりを、座り込んだままの勇磨が制止した。
「やめろ! まだだ、見てろ!」
拳の当たった誠司ではなく田畑の表情が変わった。その顔にはあからさまな動揺が浮かんでいた。
「おまえ、わざと受けたな」
田畑が慌てて次の拳を誠司に放った時だった。
決着は一瞬だった。
田畑の攻撃を両腕で捌いたのが見えた刹那、誠司の体は反転していた。
気高く美しい誠司の技は田畑の両足を綺麗に浮かせていた。
両足をはね上げられた田畑は、なにが起こったのかも理解できない表情のまま背中から固い地面にあっという間に叩きつけられていた。
どん! と激しい音がして田畑の口から「ぐう」とも「むう」ともつかぬ音が漏れる。
「ぐ、うううう……」
呼吸ができないのだろう。顔を真っ赤にして立ち上がれない田畑の胸ポケットから、誠司は携帯を取り出した。
「か、返せ……」
ふらつきながらやっと立ち上がった田畑は、必死で声を絞り出した。
後ろから誠司に掴みかかろうとよろよろと近づく。
誠司はそんな田畑をまるで振り返ろうとしない。
しつこく追い縋ろうとする田畑の前に、殴られて顔を腫らした勇磨が立ち塞がった。
「いい加減諦めろ」
「どけよ! また痛い目にあいたいのか!」
「やってみろよ」
そして勇磨は構えを作った。
田畑はまだ苦しそうだったが、満身創痍の勇磨に殴りかかった。
勇磨は間一髪で右ストレートをかわして、渾身の正拳をみぞおちに叩き込んだ。
田畑はげえと呻いて、そのまま膝から崩れ落ちた。
「勝負あったな」
誠司の見る限り田畑はもう立ち上がれそうになかった。
「よくやったな勇磨」
「ああ、でも誠ちゃんの技のダメージが残ってなかったらよけきれなかったよ」
二人はお互いの殴られた跡のある顔を見合わせて笑顔を見せた。
楓はそんな二人の姿を見て、安堵の表情を浮かべる。もう涙は乾いていた。
「男の子同士って結構いいもんなんだね」
「うん、そうだね」
ひかりは楓と並んでそんな二人をしばらく眺めていた。
田畑の携帯は黒田すみれが言った通りの暗証番号4桁で簡単に開いた。
そして携帯には過去に撮った全部の写真が消去されずに残っていた。
「ひかりちゃん、一緒に島田先生のところに報告しに行こう」
「うん」
勇磨たちにちょっとした気遣いを残して、誠司はそのままひかりを連れて校舎に入っていった。
校庭の椅子に勇磨と楓は二人で座っていた。
殴られて赤く腫れた痛々しい顔を、楓は濡らしたハンカチで拭いてやっていた。
黙って何も話さない二人。夕日がもう沈もうとしていた。
「ごめんなさい」
楓はぽつりとやっと口を開いた。
「また……なんで私……こんなに怪我させてごめんなさい」
小さな声で謝ると楓は泣き出した。
「どうってことねーよ」
勇磨の声は優しかった。
楓はしゃくり上げながら涙も拭こうとせず、勇磨の血のにじんだ口元を濡らしたハンカチで拭いてやる。
「なんで……ひっく、なんで私を好きになる男は、ひっく、みんなあんな奴ばかりなのよ」
勇磨は涙を流し続ける楓の頬に掌を当て、指を滑らせて涙をぬぐった。
「俺は違うよ」
楓はハッとして顔をあげる。瞼の腫れた痛々しい顔がまっすぐ楓を見ていた。
「おれじゃ駄目かな」
楓にとっては三度目の告白。
勇馬にとっては初めての告白だった。
「駄目じゃない」
楓はぽろぽろと涙を流す。
「駄目じゃないよ」
言葉に詰まりながら楓はやっと笑顔を見せたのだった。