第3話 卑劣な罠
誠司はすぐにでも楓に田畑のことを警戒するように伝えるべきだと考えていた。
教室に戻る途中、誠司は何やら廊下で騒いでいる人だかりができているのに気付いた。
嫌な予感がした。
野次馬をかき分けて中に入ると、そこに田畑と勇磨が対峙していた。
「お前、言いがかりもほどほどにしろよな!」
田畑が吼える。
「お前がやったに決まってる。いいか、橘に近づくんじゃねえ」
勇磨は昨日誠司から聞いたことを色々考えて、突っ走ってしまったようだった。
遅かった。
野次馬に阻まれて誠司は勇磨に近づけない。
誠司は勇磨の勇み足を何とか止めようと必死で声を上げた。
「勇磨よせ。手を出すな」
頭に血が上った勇磨の耳に、誠司の声は届いていないようだった。
田畑は勇磨を挑発するかのように、薄笑いを浮かべて見せた。
「誰と付き合うか楓ちゃんが決めたらいいことだろ。お前が口をはさむ問題じゃねーよ」
「あいつのこと気やすく呼ぶな!」
田畑が視線を移す。
そこにはいつからいたのか楓の姿があった。
すっかり逆上してしまっている勇磨は気付いていない。
まずい!
誠司は田畑の意図に気が付いた。そしてようやく野次馬をかき分けて、対峙する二人の前へと抜け出した。
「よせ、勇磨!」
誠司の制止する声よりも早く、勇磨は田畑に殴りかかっていた。
激しい音とともに田畑は倒れこむ。
「やめてよ!」
楓が野次馬の間を抜け出ながら声を上げた。
「いつつ……」
田畑が頬を押さえ楓の気を引く。
誠司は背後から勇磨を羽交い絞めにした。
「もういい、よせ勇磨!」
自分を見失っているようで、勇磨は誠司の腕を振りほどこうとした。
しかし、楓が田畑を庇うように前に立ち塞がったのを見て勇磨の動きがぴたりと止まった。
「どっか行って!」
楓が言った。
「どっか行けって言ってるでしょ!」
楓は勇磨を睨みつけていた。
「もう私の前に姿を現さないで!」
楓は田畑の血のにじんだ口元にハンカチを当ててやっていた。
呆然と立ち尽くす勇磨を誠司はその場から連れ出すことしかできなかった。
「見事にはめられたな」
空いている教室で、誠司は勇磨を椅子に座らせて落ち着かせた。
「起こってしまったことはしょうがない、さあどうしたらいい……」
誠司は考えを巡らせるように、少しのあいだ目を閉じる。
「誠ちゃん、おれ、どうしても我慢できなかったんだ……」
楓に言われた言葉が相当こたえているみたいで、勇磨は顔をあげようとしなかった。
「ああ、分かってるよ。俺がもう少し早く動いてれば引き留めれたんだが、済まない」
勇磨は俺が悪いんだと肩を落とした。
「なあ勇磨、少し落ち着こう。がむしゃらに動いて取り返しのつかないことにならないようにしないと」
「分かった。誠ちゃんの言うとおり、もう勝手にあんなことしないよ」
うなだれる勇磨に慰めの言葉をかける余裕はなかった。
状況が変わってしまった今、少しでも時間を稼ぐ必要があった。
誠司はひかりに事情を説明し、可能な限り楓を田畑に近づけないように楓の気を引いていて欲しいと頼んだ。
ひかりは快諾して楓のそばにずっとついていると言ってくれた。
田畑の術中にはまってしまった今の状況で、ひかりだけが頼みの綱だった。
そして勇磨にはしばらく大人しくしていろと言っておき、誠司はまた島田と今後のことを話すために放課後の教室に残っていた。
生徒が全員出て行ったのを見計らって、島田は誠司にまあ座れと席を勧めた。
「もう噂になってるな。新のやつ、やってくれたな」
「すみません。俺、一歩遅かった」
島田は腕を組んで眉を寄せて考えている。
「あいつ橘を味方につけたみたいだし、これで周りが変に口出ししにくくなっちまった。田畑のことだ、もう今頃、根も葉もないことで殴られた被害者を演じてるよ」
島田はさらに険しい顔をして続ける。
「大勢の前で田畑に手を出したことで、新には学校から何らかの処分があると思う。停学は覚悟しといたほうがいい」
「そんな、なんとかならないんですか?」
「言ってみれば現行犯だからな。頑張ってみるが庇いきれるかどうか……任せとけと言いたいところだが、すまん」
誠司は左の拳を色が変わるほど握りしめた。
「こうなってしまったからには、橘のことも新のことも時間との勝負になってくるな。幸いこちらには時任という橘を引き留めれる強力なカードがある。今の状況をひっくり返すにはあいつの協力なしには絶対に成り立たないだろう」
島田は、覚悟を決めたようだ。
「朝俺が言ったことを時任に話せ。そのうえで橘を絶対に守ってやれ。俺も今はいい案が浮かばないが、何とかあいつが逃げられない証拠を掴めるように考えてみるよ」
「証拠か……」
誠司は目を閉じる。
「田畑が問題の画像を持ってるかどうかですよね」
「そうだ。ネットに流れたやつじゃダメなんだ。あいつが持ってることを証明できたらな……」
「俺も考えてみます」
誠司は席を立った。
今は一刻も早くひかりに会いに行かなければならなかった。
「ひかりちゃん、橘さん」
バスに乗り込もうとしてる二人に何とか追いついた誠司は、息を切らして同じバスに乗りこんだ。
ひかりはうまく楓を引き留めてくれていたようだった。誠司はひとまずほっとした。
「どうしたの高木君、そんなに息を切らして?」
楓はそう言ってから、ははーんとニヤついた。
「反省して追いかけてきたってわけね。ひかりも許してやりなよ」
誠司は二人の間に、何か自分にまつわるストーリーが出来ているのを感じた。
後でひかりに聞いたところ、引き留めるためのアイデアが浮かばず、悩みごとがあって聞いて欲しいのと持ち掛けたらしい。
そして学園祭のカフェで男子に囲まれて写真を撮られまくったことで、誠司が嫉妬しておかしな雰囲気になったというストーリーを楓は勝手に妄想した。
ひかりはもうそれでいいやと、乗っかったのだと言っていた。
「駄目よ。男の嫉妬はみっともないよ」
楓が肘でわき腹を小突く。
この時は何のことか良く分からなかったが、内容を知っていたとしたら誠司にとって痛い図星だった。
「それより朝ごめんね。勇磨のこと。あいつ悪気なかったんだ」
まだ怒っているかと思った誠司だったが、楓の反応は思ったのと違っていた。
「また私、あいつに言い過ぎちゃった」
ぽつりとそう口にする楓はいじらしく見えた。
「いつも私のことになると頑張っちゃう奴だって知ってたのに、私ったらあんな言い方しちゃって」
楓は唇を噛む。
ひかりは楓の背中にそっと手を当てる。
「明日、新君と話してみたら?」
「うん。そうする。なんか二人でってやりにくいから、お昼休みに美術室行っていい?」
「うん。それがいいと思うよ。ね、誠司君」
「うん。それがいいよ。俺は勇磨を誘っとくよ」
楓がバスを降りて二人に手を振る。二人も楓の姿が小さくなるまで手を振った。
駅前にあるファーストフード店。
成長期の空腹を満たした後、少年は険しい顔で携帯を手にした。
鋭い目つきで携帯を睨むように見だしたのはあの田畑だった。
今日、本当なら橘楓と一緒に帰る約束をしていた。
朝一番に多少目障りだった新勇磨を排除できたことで、計画は順調にいくはずだった。
しかし思いがけない邪魔が入って、こうして約束をドタキャンされてしまった。
「時任ひかりか……」
橘楓と時任ひかりが揺るがない間柄であることが、田畑にとって大きな障害になっていた。
橘楓はどれだけ自分が画策したとしても、親友の時任ひかりを優先するだろう。
苛立たしさを顔に出しながら、携帯の画面を田畑は眺める。
そこにはあのオタクが熱狂する神アニメ、ラブぽよが映っていた。
田畑は別にアニメオタクでは無かったが、ラブぽよ2号に激似しているという楓のことを耳にして、これは金になりそうだと目を付けたのだった。
オタクが熱狂するキャラ似の裸なら高い値が付く。
自分は女遊びができて金まで入ってくると、田畑はそう考えたのだった。
「焦りは禁物だな……」
ぼそりとそう呟いて田畑は席を立った。




