第七話「どうなってんだよ、これ。」
目が、覚める。朝日が容赦なくテルヤの目を覚ます。彼はその天井が自分の知らないものであることに気づく。
まだ、慣れない。
この世界で目を覚ますのは二回目だ。だが、やはり、慣れない。
自分が異世界に来てしまったのだという実感は何度も受けた。だが、彼の顔からは、心のどこかでまだ信じ切れていないような、不安が見て取れる。
「んぅ……おはよう、です……。」
すぐ隣からルートの声がした。見ればその白い髪が胸元にかかっていて、息遣いが聞こえそうなほど近くにルートの顔がある。
「お、おい。なんでお前が俺のベッドにいるんだよ! 恥じらいとかねーのか! てか、こういうのって普通サルビアじゃねーのか!」
勢いよく跳ね起きると、テルヤは飛びのくようにベッドから離れる。
ルートは寝っ転がったまま、返す。
「なんです? テルヤはサルビアに惚れたハれたなのです? シット、嫉妬、です。」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるルートに、テルヤは返す。
「そういうのじゃねえよ! ……仮にそうだとしてもお前がベッドにいる理由にはなんねえだろ。」
「親睦を深める、です。これから旅を共にする仲間、です。」
「は? いや、お前の仕事は終わったんだぞ。無理についてくることはない。」
ルートは少し、ほんの少しだけ優しさのこもった笑みを浮かべ、
「ちがう、ちがうです。テルヤはいい金づる……じゃなくて、いいパートナーになりそう、です。」
そうぬけぬけと言ってみせた。
「おい、今金づるって言ったか。金づるって言ったな。まさかこれからもタカる気か。」
ルートはゆっくりとその身を起こすと、またいつもの不敵な笑みを浮かべ、言った。
「じゃあ、また攻撃魔法の使える人を一から探す、です? 見つかる、です? 引き留めるなら、いま、いまです。」
テルヤは頭を搔きむしりながらも、
「ああクソ、足元見やがって。わかったよ。これからもよろしく頼むよ。」
そう言って、右手を差し出した。
「きたない、です。頭掻いた手と握手なんかしない。です。」
「この女! 同じベッドでは寝れる癖に!」
「わはー、怒った、怒ったです!」
顔を真っ赤にして怒るテルヤを尻目に、子供のように部屋の外へ駆け出すルート。
テルヤは大きくため息を吐くと、ベッドに腰を下ろした。
その時、ルートが明け放したドアからサルビアの顔がちょこんと覗く。
「テルヤ様、おはようございます。今日はずいぶんとお早いですね。」
責めるような目で見るサルビアに、テルヤは居心地悪そうに答える。
「悪かったって。勘弁してくれよ。」
「ふふっ、冗談です。ルートさんに起こしてもらうよう頼んだので、今日は寝坊の心配もありませんしね。もう水に流します。アヴァスタさんが呼んでいますから、行きましょう。」
そう言っていつもの天使のような微笑を浮かべると、サルビアは小走りで駆けていった。
……何もしてないくせにずいぶんとモテますね。ちょっと妬ましくなってきました。もう少しハードな展開にしたって文句はないでしょう。よし、そうしましょう。
「お待ちしておりました。」
アヴァスタの家を出ると、そこには幌張りの馬車が一台泊められていた。
「ガルムスまでお送りします。ヨーグレーを売りに行くついででよければ、ですが。」
「まさに僥倖でしょう?せっかくですからお言葉に甘えましょう。」
嬉しそうに小躍りするサルビアを見ながら、テルヤも頷く。
「そうだな、助かるよ。」
「では、お乗りください。馬車を出します。」
恭しく一礼したのち、アヴァスタは御者台に上る。
テルヤたちが荷台に乗ると、威勢のいい掛け声とともに馬車がゆるゆると走り出す。
幌張りが故、外は見えないが、次第に揺れが少なくなっていくことは分かった。
しばらく馬車に揺られいていると、ふと馬車が止まる。
が、アヴァスタは口を開かない。それどころか、動かない。
「おい、どうした。大丈夫か。」
カタカタと小さく震えるその背中は、明らかに異常だ。
しばらく震えたのち、かすれた声で、絞り出すように、言う。
「ガルムスが、壊滅している……。」
聞くが早いか、テルヤが跳ね出されるように馬車から降りる。
二人も後に続く。
馬車を降りたサルビアが、泣きそうな声でつぶやいた。
「そんな、ひどい……。」
サルビアが口元に手をあてる。その声色からは恐怖や不安が容易に感じられた。
彼女の目線に広がるのは、崩れ落ちた外壁。あたりには少しの魔族と、たくさんの兵士の死体。それから逃げ遅れたか、武装していない人々の死体。
未だところどころ黒煙を上げ、燃えている街並み。
「どうなってんだよ、これ。」
テルヤもようやく口を開く。ようやく実感する。この世界で起きている惨劇を。自分のするべきことを。夢からさめた。異世界転移という夢物語から、現実に。
これは、間違いなく、現実だ。
一行がしばらく立ち尽くしていると、遠くから鎧の擦れる音が聞こえてくる。
見れば、足を引きずり、頭から血を流した兵士だ。おそらく、この襲撃の生き残りなのだろう。
「あなたたちは、旅のお方ですか……。」
息も絶え絶え、といった様子で口を開く。
「大丈夫です、すぐ治しますから。女神よ、女神。白は癒し。勇気あるものに安息を。」
サルビアが駆け寄り、その傷を癒していく。
だが、兵士の強張った表情は変わらない。彼は重々しく告げる。
「あなたたちも早く逃げてください。またいつ襲われるか分かりません。」
「酷かもしれないけどさ、何があったか教えてくれないか。」
テルヤが問う。兵士はその拳を固く握り、目に涙を浮かべながらも、言った。
「魔族の襲撃です。突然現れた魔族は我々兵士の前で、いたぶるように市民を殺していきました。我々は何も出来ませんでした。奴らの親玉……“獣王レディブル”と名乗った魔族は、兵士を、口から出した強靭な糸で拘束し、八つの足で市民を刺し殺していきながら言いました。『皆殺しだ。この国は魔王様の支配下となる。これは見せしめだ。』と。私は……私はただ隠れていただけでした。ワーウルフが、オークが、リザードマンが、幾度も目の前を横切っていました。私は……私はただ震えていただけでした。」
自分を責めるように、震えながら独白する兵士に、テルヤは声をかける。
「大丈夫だ。お前が生き残ってくれたおかげで、このことを正確に王に報告できる。お前はよくやった。」
兵士は、腕を目に当てて、声もなく、泣いた。