第四十三話「お腹は、空いているかしら?」
闇の中を、一台の馬車が疾走している。
やがて、馬車は森へと差し掛かり、速度を落とした。
客車の窓から流れていく景色を見ていたテルヤは、その違和感に気づく。
「なあ、行きと景色が違わないか?」
言われて、二人も気付く。
アルシオンからイルルズまで、辺りには一面の草原があるのみ。森などなかったはずだ。
馬車は森の中を進んでいく。
あまりの違和感に、テルヤは御者台と繋がる小窓を開けて御者に声をかける。
「おい、ここどこなんだよ? アルシオンに向かってるんだよな?」
御者は答えない。
「なあ、聞いてんのか?」
御者は、答えない。
「おい——。」
何度呼びかけても、御者は答えない。
テルヤは小窓を閉めると、ワラシに視線を送る。
「ワラシちゃん。周辺情報を取得してくれ。現在地を確認したい。」
「わかった。……エラー、周辺情報の取得に失敗したわ。」
その言葉に、サルビアがうろたえる。
「そ、そんな。この馬車は一体どこへ向かっているのですか? 早く降りないと——。」
「いや、むしろそのほうが危険だ。現在地が分からない以上、迂闊に外に出ないほうがいいい。とにかく、馬車が停まっても単独行動だけはするな。」
「はい。」
「わかった、です。」
それから数十分。馬車がゆっくりと停まった。
御者が客車の扉を開く。その目は虚ろだ。
外を見れば、古めかしい煉瓦造りの屋敷。枯れた木に囲まれ、ひっそりと、しかし堂々と月光を浴びている。
呆然とする四人の元に、一人の男が悠然と歩み寄る。白髪交じりの髪をオールバックに固め、モノクルをかけた初老の男だ。
「ようこそいらっしゃいました、勇者様。」
恭しく礼をする男。しかし、その肌には赤みが差していない。
警戒されていると悟ったのか、男が思い出したように口を開く。
「ああ、失礼。私はジャルソン。シャルテお嬢様に仕える執事でございます。」
刹那、テルヤが背負っていた弓を構える。
だがジャルソンは動じない。
「ご安心ください。今のところお嬢様は皆さまを傷つけるつもりはありません。ささ、お嬢様がお呼びです。こちらへどうぞ。」
薄ら寒い笑みを浮かべながら、馬車を降りる一行に紳士的に手を差し伸べるジャルソン。
そのあまりにも奇妙な待遇に、テルヤたちの心は不安に包まれていくのであった。
屋敷の中は外見に似合わず手入れが行き届いていた。
壁にはシミの一つもなく、家具や調度品には一片の曇りもない。
玄関ホールの正面には巨大な肖像画がかけられており、絵の少女はジャルソンと同じように薄ら寒く笑っている。
玄関ホールから広々とした廊下を進み、重々しい両開きのドアの前に通された。
ジャルソンがその扉を開く。
そこには、いくつもの椅子が並べられた、長いテーブルが扉と平行に置かれている。
ダイニングホールだろうか。テーブルの上には燭台、それから四組のナプキンとカトラリーが用意されていた。
「どうぞ、お座りください。」
「どういうつもりだ。」
その異様なもてなしに、テルヤが警戒心をあらわにする。
「何度も言いますが、お嬢様は皆様を傷つけるつもりはありませんので。」
そう言って、ジャルソンはテルヤ側のカトラリー、その前の椅子を引いていく。
「どうぞ、お座りください。」
テルヤたちは恐る恐る椅子に座る。
「では、少々お待ちください。」
ジャルソンは深々と頭を下げ、入ってきた方向とは反対側の扉から出ていく。
残されたテルヤたちは、不安から口を開く。
「おい、どうなってんだよ。シャルテって四天王だよな? 俺たちはなんでこんなもてなし受けてんだ。」
「分かりません。傷つけるつもりはないと言っていましたが……。」
「信用できない、です。きっと油断したところを一撃、です。」
「怖いこと言うなよ……。」
かち、かち、と振り子時計が時を刻む。
「ワラシちゃん。」
「なによ。」
「なんか明るくなるようなこと話してくれよ。」
「ふんっ、どうしてもって言うなら話してあげるわ! ……昔あるところに、お姫様が暮らしていました——。」
「童話かよ……。」
いい加減話題も尽き、その場には得体の知れない不安だけが残った。
すると、ゆっくり逆側の扉が開く。
「大変お待たせ致しました。」
ジャルソンがこちらに向けて頭を下げる。
それに続いて入ってきたのは、一人の少女。
緑の長い髪に、吸い込まれるような赤い瞳。一見美しく見えるが、それは人間としての美しさというよりは、人形のような無機質な美しさに感じられた。その姿は、玄関ホールにあった肖像画と同じ。
彼女は黒いドレスのスカートのすそをつまみ上げ、一礼をする。
「こんにちは、勇者様。お待たせしてしまったかしら?」
「……お前が幻皇シャルテか。」
「ええ、私が幻皇——シャルテ=アルミアス。魔王様にこの身を捧げた、しがない吸血鬼。」
ジャルソンが椅子を引き、シャルテがテルヤの正面の椅子に座る。
その泰然として隙のない振る舞いは、得体の知れないプレッシャーをテルヤに与えた。
シャルテは口角を上げ、笑う。そして、訊ねる。
「——お腹は、空いているかしら?」