第8章 終幕へ
本当は、ずっと知っていた。─実験のことも、この世界のことも。
この作品は「不思議の国のアリス」と「白雪姫」のオマージュ作品です。
「不思議の国のアリス」と「白雪姫」のキャラクター名を使わせていただいてますが、キャラクターの性格は原作と異なる場合があります。
第8章 終幕へ
「全ての始まりって何かしら…?」
アリスはずっと魔女の言葉について考えていた。
「よし、わかったぞ!きっと土の中にあるんだ。植物は土から生えてくるから!」
白兎は勝手に納得し、土を掘り始める。
「兎さん、植物は一体どこから出てきたのです?」
白兎にそう尋ね、メアリーアンは「うふふ」と上品に笑う。
「全ての始まりってことは植物じゃないの?」
「土の中から探すのは流石に範囲が広すぎると思いますが…」
メアリーアンと白兎がそんな話をしている中、考え事をしていたチェシャ猫が何かわかったように突然ニヤリと笑った。
「お、その様子だとチェシャ猫くん、わかったのかい?」
「まあそうだけど…。どうせルイスもわかってるくせに」
「ばれてたかー。流石だね、チェシャ猫くん」
そう言ってルイスはにこりと笑う。
「じゃあ僕らで行ってみる?鍵のありかへ」
そう言うチェシャ猫にルイスは「そうだね」と笑顔で答える。
そんな二人の様子を、一人の人影がじっと見つめていた。
♤ ♡ ♧ ♢
「おそらく、ここだと思う」
「僕も同じくここだと思うよ」
チェシャ猫とルイスが来たのは、物語の最初のシーンでアリスが本を読む野原だった。
「“全ての始まり”とはきっと物語の冒頭部分のことだと思うんだ。だから僕は、物語のスタート地点であるこの野原のどこかに鍵はあると考える」
そう言ってルイスは野原を眺める。
「この野原の中でも特にこの木が怪しいんじゃないか?」
そう言って木を見上げるチェシャ猫にルイスはクスリと笑う。
「まさか、ここまで同じことを考えていたとはね」
「ルイスもこの木だと考えていたのか」
驚くチェシャ猫にルイスは「そうだよ」と笑いながら答える。
「だって最初のシーンで、アリスはこの木に寄りかかって本を読んでいるからね」
ルイスの言葉にチェシャ猫は頷く。ついこの前まで毎日同じ物語を繰り返していたから、物語の中で登場人物がどんな行動をとるのかは覚えている。
「確かちょうどその時間帯を、ゴールデン·アフタヌーンって言うんだよね」
チェシャ猫はそう言ってルイスの方を見たが、ルイスは木を見上げていた。
「チェシャ猫くん、僕、木登りができないんだけど…」
「よし、僕が木に登って上の方を見て来る。ルイスはここで待ってて」
木登りの得意なチェシャ猫は枝をつかんで、どんどん上へ登っていく。だいぶ上の方までチェシャ猫が来た時、ルイスは下から言う。
「チェシャ猫くーん、何かあったー?」
「えっとね…」
チェシャ猫はキョロキョロと周りを見る。すると、小さな木の箱を見つけた。
「あった!これじゃないか…?」
ドキドキしながらチェシャ猫は箱を開けた。だが…。
「何も無い…」
箱の中は空だった。普通、意味もなく箱をこの木の上に置いたりはしない。きっと箱の中には鍵が入っていたはずだ。だとしたら、考えられることは一つ。
「誰かが鍵を持ち去ったのか…?」
そう言いながらチェシャ猫は木から下りる。
「その可能性が高いね」とルイスは言う。
「だとしたら、一体誰が…?」
「鍵を持ち去った人物はおそらく、鍵さえ見つからなければもとの現実へ戻らなくてもいいと考えたんだ。つまりもとの世界、現実へ帰りたくない。ずっとここにいたいんだ」
そう言ってルイスは木々の立ち並ぶ方を見つめる。
「ねえ、そうでしょう?メアリーアン」
「その通り」
そう言って物陰から現れたのは、いつものように微笑むメアリーアンだった。
♤ ♡ ♧ ♢
「まさかそこまでばれていたとは思いませんでした。流石ね、ルイス」
メアリーアンは静かにそう告げる。
「何故そこまでしてこの世界に留まろうとするんだい?」
「どうしてそんなに元の世界へ戻りたいのですか?」
ルイスとメアリーアンは向かい合い、互いの目をじっと見つめる。
風に流されて木の葉は二人の間を通っていく。
「この世界で生きることが私の幸せなので、邪魔はしないで貰えませんか?」
そう言って薄く笑うメアリーアンの手の中には銀色の鍵が光っている。
「メアリーアン、鍵を渡すんだ」
「渡してしまったら、現実へ帰らなければいけないのでしょう?私はずっとここへいたいのです。ここが実験のためだけに作られた空間だとしても、皆と過ごすことが楽しかったから」
そう言って笑うメアリーアンはどこか寂しそうに見えた。
「君の気持ちがわからないわけでもない。でも…アリスは元の世界へ帰りたいって言ったんだ。全てを決める権利は主人公、アリスにある。だから」
ルイスがそう言った、その時だった。
「メアリーアン、今の話は本当なの?」
そう言ったのはアリスだった。
「アリス、いつの間に…!」
メアリーアンは驚いて、動きを止める。
話を聞いていたのはアリスだけでなくハートの女王と白兎もだった。
「ハートの女王に兎さんまで…」
三人を見て、メアリーアンは突然下を向いて静かに肩を震わせて笑った。その笑いはまるでメアリーアン自身に向けられているようだった。
「見つかってしまっては仕方ありません。鍵はお返ししましょう」
そう言ってメアリーアンはそっとアリスの手を取り、アリスの手に鍵をのせた。そんなメアリーアンに向かってアリスは言った。
「ありがとう…ごめんね、メアリーアン」
鍵を隠した自分に謝るアリスにメアリーアンは一瞬目を丸くし、困ったように微笑む。
「…本当は私、元の現実で普通に暮らしていた時の記憶が消えていなかったんです」
ぽつりと呟いたメアリーアンに「どういうこと?」とアリスは聞く。
「最初から、これは実験であり、ここはプログラミングされた世界なんかではないとわかっていたんです。知っていながら誰にも言わなかったのです。ずっと皆といたかったから」
そう言ったメアリーアンの目は潤む。
「でも、もう終わりね」
メアリーアンは空のずっと向こうを見てそう呟いた。
(全てを知った上で何も言わなかったのね…)
アリスは今までの日々を振り返る。ずっと物語通りの生活をしていた日々を。思い出せば思い出すほどに、まるで夢のようだった。
それでも─。
「さあ帰りましょう、皆で。元の現実世界へ」
風はアリスの背中を押すように吹き、アリスの髪をなびかせた。
♤ ♡ ♧ ♢
ハートの女王は野原を歩いていた。帰る前にできるだけ多くの場所を見ようと思ったからだ。
遠くにはルイスの姿が見える。ルイスはかがんでじっとしている。ここからでは遠くてよく見えない。
(ルイス、一体何をしているのかしら?)
ハートの女王がそう考えていた、その時だった。
「何をしているの?ハートの女王。ルイスの後ろ姿をじっと見つめて」
そう言ったのはチェシャ猫だった。
「何よチェシャ猫。別に見つめてないわよ」
ハートの女王はそう言ったが、チェシャ猫はハートの女王の目を見つめたまま言う。
「言わなくていいの?」
「何のことよ」
「もう会えないんだよ。今が最後のチャンスだ」
チェシャ猫の言いたいことがやっとわかり、ハートの女王は赤くなる。その時だった。
「おーい、二人で何してるのー?」
ルイスの声が響く。
するとチェシャ猫は「じゃあ頑張ってね」と言ってどこかへ走って行ってしまった。
「あれ?チェシャ猫くん、行っちゃった」
そう言いながらルイスはハートの女王の方へ歩いて来る。
ハートの女王はさっきのチェシャ猫の言葉のせいで鼓動が速まっていた。
(何なのよー!チェシャ猫のやつ…!)
「ねえ、さっき何の話をしていたの?」
「別に大した話はしてないわよ」
ハートの女王はそっけなく返事をする。
「なんだよ、冷たいな」
「だって、ルイスが…!」
そこまで言って、ハートの女王は言葉を止める。
「僕が何?」
「ルイスが私の気持ちに気づかないからよ!」
勢いでそう言ってしまったハートの女王に、ルイスは戸惑う。
「私、本当は…ルイスのことが好きだったのよ」
顔を赤くしたままハートの女王は目を伏せる。そんなハートの女王の姿を初めて見たルイスは少しドキリとする。
「僕が…悪いのかな…?」
「そうに決まってるでしょ!」
「ええー、だって…知らなかったんだもん」
「そういうところがダメなのよ!」
「…ごめん」
そう言ってルイスは申し訳なさそうに目配せする。
「でも、教えてくれてありがとう。女王」
「まったく…」
ハートの女王は小さく溜め息をつく。
「そういえば、さっき何をしていたの?」
「ああ、えっとね…」
そう言ってルイスはポケットから小さな手帳を取り出して、ハートの女王に見せた。
「これにここの風景や僕の気持ちを文章で書き表してみたんだ」
ハートの女王はルイスの手帳をパラパラとめくる。そこには、まるで詩のような文章が書き込まれていた。
「僕ね、小説家になりたいんだ。小説を書いたら、ハートの女王にも見て欲しいなぁ」
「私読みたい、ルイスの小説。だから、必ず私に見せて。そして私に会いに来て。いつか必ず」
ハートの女王の必死な表情にルイスは目を細めて微笑む。
「わかった、約束」
そう言ってルイスとハートの女王は指切りをする。でも…。
(きっとこの約束は守ることはできないだろう)
言葉にはせずにハートの女王は心の奥でそっと呟いた。
野原の上の二人を少しだけ強くなった日差しが照らしていた。
♤ ♡ ♧ ♢
「ねえ、メアリーアン」
「どうしたの兎さん」
優しい木漏れ日は二人をそっと包み込む。
「記憶は本物じゃないけど、性格や感情は本物なんだよね?」
「ええ、そうですよ」
「よかったー!」と白兎は胸を撫で下ろす。
「何故よかったと思うのです?」
「だってメアリーアンを大好きな気持ちはニセモノじゃないから」
そう言って白兎は嬉しそうに笑った。その笑顔の眩しさにメアリーアンは何も言えなくなる。黙ってしまったメアリーアンを白兎は心配そうに見つめる。
「どうしたの?」
「…兎さんは今まで何度も私に大好きと言ってくれたけど、私は言ったことがありませんでしたね」
そう言ってメアリーアンは白兎のまん丸な目を見つめる。
「兎さん、大好…」
「言わないで!」
メアリーアンの言葉に被せるように白兎は叫ぶ。驚くメアリーアンに向かって白兎は言った。
「その言葉は、今度現実で会ったときに言ってよ」
「…もう会えないかもしれませんよ」
「会えるよ!いや、また会わなきゃいけないんだ」
真剣にそう言う白兎にメアリーアンは、「ふふっ」と小さく笑う。
「兎さんらしいですね。私、兎さんのそういうところ…」
──大好きですよ、とメアリーアンは心の中でそっと言う。
ずっとこんな時間が続いてくれたら。
この時が永遠になればいいのに。
メアリーアンはそう思いながら高い高い空を仰ぐ。
空はどこまでも青く澄み渡り、ずっと広がっていた。
もうすぐ、この物語にも終わりが来る。
「じゃあねアリス、いや─」
次回、最終章です。
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