ただいま。
今日も一日、何とか頑張った。
帰りの電車の中で窓に映る自分の顔を眺めて思う。
「…疲れた顔してるな。そりゃそっか。」
今は入社して初めて自分一人で仕事を任され、日々悪戦苦闘している真っ最中だ。
寝ても覚めても仕事の事が頭を占めている。
…今までこんな事なかった。
趣味の読書も音楽を聴く時間も持てなくなった。
こんなんでいい仕事なんて出来るのだろうか…?
そう思う自分もいるが、私は元々不器用で一度に色々な事は出来ない。
自分の顔があまりにも疲れて見えて、窓の方を向いているのが辛くなった。
立っている向きを変えてドアにもたれかかり、いつもより少し遅い時間の車内を見渡す。
気のせいだろうか…何だか車内にいる他の乗客も心なしか疲れて見える。
…みんな闘ってるんだ。
日々、それぞれ自分の大切なモノを守るために。
いつもの駅の階段を降りて、いつもの街並みを見ながら歩いて帰る。
大通りから細い中道へ入る角を曲がると少し緩い坂道を登る。
高い建物がなくなってポッカリ空が見えた。
薄い雲の切れ間から綺麗な三日月が覗く。
空気が澄んでいるのか尖った月がくっきり見えて、何故かじんわり涙が浮かんだ。
心が疲れている時に綺麗なモノを見ると泣けるなんて知らなかった。
「離れててもそばにいるよ。」
そう言った彼の声が耳に蘇る。
「…ウソツキ。」
きっとふいに溢れた涙は仕事で疲れたからだけじゃない。
一ヶ月前、急に別れを告げられた。
「…ごめん。好きな人が出来たんだ。」
「…は?意味分かんない。相手は誰?」
「職場の後輩。」
「そう。…わかった。別れよ。」
「えっ。そんな…。」
「何?どっちとも付き合う気?…最低ね。」
「いや、そうじゃなくて。そんなアッサリ受け入れると思ってなくて。」
「泣いて縋ったら、その子じゃなくてわたしを選ぶの?」
「……。」
「君はズルいね。困ったらいつも黙る。」
「…ごめん。」
「自惚れないで。私が君ナシでいられないほど惚れてるとでも?」
私の精一杯の強がり。
…本当は泣いて縋りたかった。
「俺たち、何処で間違えたんだろうな。」
「間違えたのは君だけだよ。…さよなら。」
「あ、おいっ!」
私は静かに席を立ち、コーヒー代を置いて彼も置いて帰った。
それが私たちの最後。
可愛くないね…。
素直じゃないね。
でもそんな時に我が儘を言える程、子供じゃないの。
わかってる。
もう元には戻らないって。
こんな時にそんな事を思い出してしまったら、もう泣くしかないじゃん。
「…ただいま。」
『…おかえり。お疲れ様。』
「みゃあ〜ん。」と猫のレンがお出迎えしてくれた。
足にスリスリとレンが纏わりつく。
「レン…お出迎えしてくれたの?ありがと。」
『元気ないな?大丈夫か?』
「にゃあお。みゃ〜。」
「なんか元気出せって言ってるみたい…?レン〜!君だけだよ!私の味方は〜!」
玄関に座り込んでレンを抱く。
『泣いてるのか?俺が慰めてやる。泣くなよ。』
今度は顔をスリスリしてくれる。
「グスッ…ありがと。なんか、元気出た。お風呂入ってくるね。」
『やっと笑ったな。良かった。』
「みゃあ〜。」
温かいお風呂に浸かって、今日の疲れと心の棘を洗い流す。
お風呂って昔から大好きなんだよね。
考えた人天才だと思うわ。
体だけじゃなくて心もほぐれる…。
ポカポカと温まった体で布団に潜り込む。
もう今日は寝る!
こんな日は寝ちゃうに限る。
レンがモゾモゾと布団に潜り込んで来た。
「一緒に寝てくれるの?今日のレンは優しいね〜。」
『仕方ないから、一緒に寝てやるよ。お前は寂しがりだからな。』
「にゃ〜。みゃあ。」
また返事が返ってくる。
「ふふっ。ありがと。レン、暖かいね〜。」
私の腕の中でレンが丸まった。
柔らかいレンの体を撫でているとウトウトと眠気が襲ってくる。
私は抗えずそのまま瞼を閉じた。
「…おやすみ。レン。」
もう寝息を立てて、レンは眠っているようだった。
『やっと眠ったのか?お前の泣き顔は見たくないな…。』
夜中、レンは彼女の腕から抜け出し寝顔を眺めていた。
眠っているのに彼女の目に光るモノが流れた…。
瞑っている目にチュッと口づける。
『俺が人間ならお前にそんな顔させないのに。…ごめんな。俺がそばにいるから泣くな。』
爪を立てないように気をつけながら、髪を撫でた。
『今夜はゆっくりお休み。…愛してるよ。』