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14-5.覚醒

 遠い過去の感慨も束の間、赤の玉の半分が埋め込まれた碑文を後にすると、私たちの前には四角形の構造物があった。

 それは取っ手もなく開く要素もないのっぺりとした塊で、どう考えても扉とは言い難い。でも、かといって他に期待できるものがあるかというと、そんなものはなく。ただ、来訪者を誘導するように敷かれた道のおかげで、これが入口かもしれないと推測できる程度だった。


(エトラ)は開けられるのだろう?早くしたまえ。』


 白猫が涼しげに言った。

 王と名のつく生き物は、なんでこうも自分本位なんだろう。 諦めか呆れか、私もいつの間にかこの程度ではムカついたりしなくなる。代わりに慣れとは恐ろしいと他人事のように呟いてみたりして。


『何か言ったか?』


「いいえ。」


 私は鈍い光沢を醸す箱型の構造物を見上げる猫を横目に、物体の表面に触れた。

 一辺の長さは、腕を伸ばしても届かない。感触はまるで硬い粘土。子どもの頃は粘土が嫌いだったから、なんだかゾワッとする。見れば見るほど意味不明だ。

 もっと霊廟にふさわしい扉があってもいいのに。


「何をしているんだ、ララ?」


「分かりやすい入口を作らないのはウィザードの性かしら。」


「ウィザードの性?面白いことを言うな。」


「だって、クレアモントホールも刻の水底も、まともな入口じゃなかったもの。

 この霊廟を作ったの、どうせ四大魔術師の誰かでしょう?入口はどこなの?」


「正面だ。」


「ここ?!」


 大真面目に驚く私に、ハルは続ける。


「ララの言いたいことはわかる。

 常しえの眠りを使っていれば、印象は違ったかもしれないな。」


 正真正銘のウィザードは、こともなげだった。

 でも、確かに一理ある。

 もしも正当なやり方で開けたなら、この武骨な塊は魔法で扉に変化し、絢爛に私たちをいざなってくれたのかもしれない。


「これは、内側からも外側からも容易に開けられない仕掛けだと思う。

 脅すわけじゃないが、万一ララに何かあれば、当然オレたちも出られなくなる。」


 淡々とした口調は、通常モード。ハルはさらりと現実を語りながらも、その実言っていることはときにとんでもなく大それたことだったりする。

 万一なんてあってはならないけれど、あれは脅しじゃない。

 常しえの眠りでしか入れない場所なのだから、出るときだって同じこと。刻の水底へ入った時のように。


「大丈夫、絶対にやり切ってみせるわ。」


 私は冷静なヴァイオレットの眼差しを振り払いながら、意気込んでみせた。


 そう、私に鍵は必要ない。唯一無二の鍵を必要とするこの入口ですら、異界渡りと呼ばれる能力の前では無意味。

 異界人(エトラ)はどんなに複雑で堅固な鍵、つまりは魔術であろうと、空間の前でその名称さえ正しく唱えることができれば入ることができる。


 半年前に刻の水底でギルから知らされて以来、私はこの力をこれまで無意識に使ってきた。

 何気なく手に取った絵も、背中を押されて飛び込んだ刻の水底も、どれも成り行きだった。けれど今、初めて自分の意志で侵入しようとしている。

 そういう意味で、緊張感が全然違う。


 でこぼこした表面にそっと掌をあてがい、向こう側にいる残酷な現実が薄らいでしまうほど、目の前に集中していた。


(絶対に、戻って来る…。全てを終わらせて。)


 それがキャスを助けることになり、ハルを上王の命から解放し、皆の幸福へとつながる。なにより、そうなることは全て私の望みだ。


(棺の間へ…。)


 ひやりと冷たい感触が来るかと思いきや、手はそのまま塊に埋もれた。


「!」


 体が物質を通り抜ける。物体を目視しながら、2次元の膜を抜けていくような感触。

 クレアモントホールの時は、気がついたら館の中に吸い込まれていた。刻の水底では、歪んだ入口が渦を巻いて現れ、その中に飛び込んだ。

 でもこれは、新しい。新しいものに出会した戸惑いで、歩みが止まる。


「進め。」


 ハルの声が私の背中を支え、我に返る。


(皆が欲しがるわけよね…。)


 限られた者しか入れない場所へ侵入するとはどういうことか…。

 今私たちを待ち受けているのは紛れもなく脅威と呼べる敵だけれど、もしもこれが財宝の眠る宝物庫だったとしたら…なんて不覚にも想像してしまった。

 多くのウィザードが求めた力の凄さを、改めて実感する。

 私は心を落ち着かせ、気持ちを引き締めた。いつ魑魅魍魎を引き連れた黒装の魔術師と対面してもいいように。


 ところが、壁を通り抜けて最初に目にした光景は意外にも水を打ったような静けさに包まれていた。

 空間には柔らな自然光が広がっていて、周囲の濡れた壁面の高い位置には自然に生えたのかそれとも千年前からそうだったのか、ところどころ緑が茂っている。

 そして、中央の奥に祭壇。手前には台座に据えられた硝子の棺。台座の周囲は人が一人通れるくらいの余地があって、それ以外は銀色の鏡のような水面に四方を囲まれている。


 人の息づかいも営みも排除された場所。

 例えるなら神社の境内のような静けさだけれど、”神聖”と形容するには程遠い場所だってことは、察知できた。

 ここの沈黙は、妙に殺伐としている。

 点在する緑や豊富な水とは裏腹に無機質で、この雰囲気はどこかで経験したことがある。あれは、どこだっただろう…。

 そんなことを思いながら、私の注意はガラスの棺に向けられた。あの中に、黒装の魔術師が眠っている。

 いや、眠っている…はず。期待した私の瞳に、()()は輪郭すらも映らなかった。そして私の目を覚ますかのようにハルの声が通り抜けた。


(カラ)だ。」


 時を同じくして猫の王が横を駆け、宙を飛ぶ。


「気を付けろ、ヴァンチーヒャ!」


 皆が殺気立ち、にわかに騒然とする。私は空間のどこかに潜んでいるだろう魔術師に死角を取られまいと、できる限りの方向に目をやった。だって、襲われて血を奪われたら即終了だもの。


『いたぞ!』


 棺の近くに迫ったヴァンチーヒャが、空中で叫んだ。彼は一点をじっと見つめ、微動だにせず、決して視線をそらさない。それはつまり、棺の中ではなくその向こう側に魔術師がいるという合図だった。

 鼓動が早まる。


「待て、ララ。」


 ハルが私の腕を掴み、引き留めた。


「なんでっ?」


「棺の周囲は結界がある。」


 と、その時だった。台座のある床の角から色白の指がのぞき、私は悲鳴とともにハルに飛びついた。

 続いて腕と金髪の後頭部が現れる。弱々しくも身体を引きずって見えたのは、少年か少女かと思わせる上半身。


「結界を…解け。」


 声は苦しそうに呟き、ふらりと揺れながら顔を上げた。


 ドクンッ


 お互いがシンクロしたのが分かった。私の心臓は波打ち、相手は小さなうめき声をあげた。

 強いエネルギーが全身を走り抜け、その戦慄に眩暈がする。

 輝く金髪に、虹色の瞳。弱々しい少女の姿をした生々しいもう一人のフィアルー。確実に彼女ーいや、彼が目覚めた気配を感じた。

 震える私の手を、ハルが支える。


「…なぜ、私…を眠らせ…る。

 何…者だ。」


『お前の茶番に付き合えるほど我らは暇ではないのだが?メラースよ。』


 ヴァンチーヒャは宙に浮いたまま、右の前足を小刻みに動かしながら言った。


「メラース…。」


 朦朧と重力に抗う華奢な体。上半身を起こした彼女は私を見ると、次の瞬間目を見開いて愕然とした表情になった。


「まさか…。」


 疑いの眼差しで自分の両手を確認し、身体を強張らせる。彼は四つん這いで水面に近づくと、そこに映る姿を見て絶叫した。


「今、状況を理解したのか…。」


 ハルの言葉に、ヴァンチーヒャが鼻を鳴らす。


『滑稽なものだよ。

 所詮は人間、千年の眠りは決して短くなかったのだ。』


「それって、記憶をなくしてたってこと?こんな展開になるなんて思ってもみなかったわ。」


「覚醒の機会がある度に術で眠らされたんだ。

 術が重なれば記憶は薄れる。 

 自分の姿を見て発狂しているところを見ると、前後の記憶ははっきり残っていなかったのかもしれない。

 大地に衝突した衝撃で意識が飛んでいても不思議じゃない。」


『魔女が一枚上手だったというわけだ。

 あの様子だと覚醒は時間のもんだ…おいっ、まずいぞ!』


 もう、手遅れだった。突然、棺の周囲に張り巡らされた結界が振動した。


「おのれ…魔女!」


 魔術師の周りは、怒涛の勢いで旋風が巻き起こっていた。それは、破壊が起きる瞬間を目の当たりにしながら何もできない長い一瞬だった。

 怒りのエネルギーはみる間に増幅し、フィアルーの金髪が生きた蛇のように踊り巻きあがった。


「姿を変えようとも、そこにいることは分かっている!」


 魔術師は、私を睨みつけていた。

 蠢く力は風に乗った鳥のように彼を中心に渦巻き、バチバチと音を立てて結界の壁にぶつかった。


 バァンっ


 破裂音がした。結界が吹き飛び、きらきらと薄ピンク色の欠片が飛び散って水面に落下する。魔術師は姿を消したかと思うと、次の瞬間私の目の前に現れた。


「はっ!うぅっ!」


 私は自分の周りで起きていることに追いつけなかった。ハルはいとも簡単に弾き飛ばされ、フィアルーの姿をした魔術師は私の襟元を掴んでいた。

 違う魂を宿した虹色の瞳が、私の目に映る。

 深淵なる魅力を湛えていたかの瞳は今、狂暴化した春風の妖精よりも恐ろしく鬼気迫ってくる。

 歴然とした力の差は否定しようもなく、この時、私の命は確実にメラースの手中にあった。


「私を封じるために自分の体を捨て、他人の体に寄生していたのか。」


 彼は声も出せずに固まっている私を品定めすると、次に薄笑いを浮かべた。


「私よりも遥かに劣る力と身体…無様ですね。

 今の貴女は何もできないでしょう?魔女よ。」


 魔術師が発していた激しい怒りは静かな怒りへと変化し、それは口調に現れた。表情は、かつての体裁を取り戻しつつある。

 だがしかし、それが私の神経を逆なでしたことは言うまでもない。

 私は、上から目線で勝ち誇った態度の輩が大嫌いなのだ。メラースは所謂地雷を踏み、私を支配していた恐怖は一瞬にして吹き飛んだ。


「その慢心が千年前のあなたの敗因だって、まだ気づかないの?」


 私は彼を睨み返した。


「なに…?」


「フィアルーは、あなたと話す気なんかないよ。

 そして私の言葉が、彼女の意志。

 たとえ真界の力を手にしていようと、あなたは絶対にフィアルーに勝てない。

 そしてここで眠り続けるよりももっとふさわしい場所へ、私があなたを落としてあげる。」


「小癪な。」


 私の襟元を掴む手に力がこもる。

 丁寧な物腰の裏に隠したプライドの高いこの男は、眉根を寄せた。

 と、その時、変化が起こった。私たちの上へ覆いかぶさるように、逆立った白い毛並みが飛び掛かって来たのだ。

 メラースはそれをかわし、私との距離に隙間が生じる。すると、隙をついて時雨が私のポーチから飛び出した。

 彼女は般若の姿でメラースの腹を突き飛ばすとその前に立ちはだかり、構えの姿勢を取った。

 男の正面に時雨、左手にヴァンチーヒャ、そして右手にハル。気が付けば皆が三方から黒の魔術師を囲んでいる。


「なるほど…不揃いな護衛が三人。

 今の貴女がどういう立場にあるのか、よくわかりました。」


 魔術師の表情は、余裕に満ちていた。


「ならば私も宣言しましょう。

 この手で魔女を引きずり出し、次こそ消してみせると。

 リアフェスを手に入れるのは、その後でも十分に間に合いますから。

 この意味が分かりますか?つまり、雑魚どもに用はないということです!」


『雑魚かどうかは、一戦交えてから判断するんだな!』


 あたかもヴァンチーヒャがときの声となり、全員が一斉に動いた。

 俊敏な走りでメラースに襲いかかる猫の王。短刀を投げつけて魔術師の行く手を阻む時雨。そしてハルは、相手が放つ魔法に対抗して二人を援護する。

 戦いの場はあっという間に空中に移行し、そのスピードに、私はあっけなく取り残された。

 参戦したいところだけれど、やらなきゃならないことが別にある。私はバングルを箒に変えて浮く体勢を取った。


「逃がしませんよ!」


「きゃっ!」


 腕に刺激が走り、バランスが崩れた。


「いった…。」


 痺れと転倒の衝撃で、すぐに立てない。

 私の名を呼ぶハルの声がして、その瞬間、彼が私を庇ってフラリンガスに襲われた夜のことがデジャヴのように蘇った。


「大丈夫!私は、大丈夫だからっ!」


 彼を近づけまいと必死に平静を装う。

 あんな辛い思いは、もう絶対にしたくない。

 歯を食いしばり立ち上がる。目指す場所は祭壇。

 そこにある扉を開ける。


 私は前を見た。棺の間は、余分な装飾がなく広々としている。

 石の床が敷かれているのは入口から棺がある台座付近までで、それ以外は水面。

 祭壇は水面から出て奥に続く階段を上ったところにあり、ここからだと数十メートルはある。

 箒で行くのが手っ取り早いと考えたのだけれど、メラースの攻撃を受けたせいで箒の柄が持てなくなった。こうなったら、泳いででも行くしかない。私は、水面に近づいた。


(あれ?)


 光の反射で気づかなかっただけだろうか。驚いたことに、水位は(くるぶし)程度。これなら、箒に乗れなくても大丈夫そうだ。

 私は、一気に勢いづいて走り出した。


 足元にパシャパシャとリズムよく水を切る音が響き、しぶきが上がる。


(ん?)


 何故か進むごとに、足が重くなる。まるで重しがくっ付いてくるみたいに。

 私は、走りながら足元を見た。


「えっ?!やだっ!なっ、何コレ?!」


 そこにあったのは、私の足首やふくらはぎを掴もうとするいくつもの水の手。

 舞い上がるしぶきは掌まで、水面に接しているところは手首まであり、どれも私の服や足を掴んでくる。

 私は立ち止まり、振り落とそうとした。でも、それが良くなかった。

 足が接していた水面がみる間に成長し、私そっくりの顔をした人型が何体も波のように纏わりついてきたのだ。

 前に進もうにも、前進する力はどんどん弱くなる。止まっちゃいけなかったのだと今更気づいた。


「う…動けないっ!」


 咄嗟に、バングルを棒に変えて上ってくる水の自分を叩き切った。

 大量の自分と対峙するのはモルグで経験済みだから、躊躇いはない。けれど何度叩いても、飛沫は直ぐに形を整えて戻って来る。

 パニックになりそうな自分を必死になだめながら、どうすればいいのか夢中で考えた。


「うぁっ!」


 とうとう、自分そっくりの生きた水に体が抑え込まれた。踝にも至らない水位のはずなのに、身体がゆっくりと沈んでいく。まるで、妖怪に水底へ引きずり込まれていくみたいに。


 ロープを作って自分の体を上に引っ張り上げてみたけれど、わかったのは、身体が水面と接している限りどれも効果がないということだった。


(どうしよう…どうしたら…。)


 呪文のように同じ言葉を頭の中で繰り返す。私はあきらめたくなかった。

 私に与えられたオルランドのベール。これがあれば、きっと切り抜けられる。魔法は使えなくても、魔性を遠ざける、私の意のままに動く小道具。


(私の意のままに…。私が…。そうよ!)


 それは、過去の私が教えてくれた閃きだった。


(おいで!カリガリアン!)


 私は、バングルに念じた。

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