13-5.幕開
”常しえ”とは永遠、恒久。
リアフェスの英雄が眠る壮麗な霊廟にふさわしく、扉を預かる鍵に与えられた名は『常しえの眠り』。
この世界に暮らす善良な人々にとって、そこは智略の魔女フィアルーの墳墓。
新たな上王が即位するたびに執り行われる参拝の義も、十年おきの行幸も、歴代の上王が継承してきた伝統的慣習。その裏側に別の側面があるなんて、きっと想像の余地もない。
限られた者しか立ち入ることのできない霊廟の内側に何が封じられているのか、人々が知ることは決してあってはならなかった…。
だから私は思う。刻の水底からフィアルーが出てきたのは、偶然ではないって。
あの出入り口を閉じさせ、刻の水底に閉じこもったのは彼女の意思だもの。
そこを出たってことは、紛れもなく波乱の予兆。
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現在から遡ること千余年。リアフェスの命運を分けたシャノンモイの戦。
明けの空に走る青と黒の螺旋が稲妻のごとく大地に突き刺さったこの時、勝利をおさめたのは智略の魔女フィアルーだった。歴史はそう伝える。
「しかし勝利は完全ではなかった。」
頬杖をついた上王は言った。彼女が語るのは、知られざる歴史。
「現状に勝機がないと悟った魔女は、黒の魔術師の魂を自身の身体に封じ込め拘束した。
魂の入れ替わりを知っていたのは第二十一代リオン上王と、魔女の部下だった四人の魔術師。」
「四人とは、四大魔術師のことでしょうか?」
私の頭の中には、真っ先にあの本の名前が浮かんだ。
「ああ、よく知っているな。」
「ゆ、、有名ですから。」
私は揺れる心を隠しつつ、一瞥してハルの表情を探った。
様子は通常運転。普段と変わらないけれど、瞳はちゃんと私を察している。
クレアモントホールの書庫にある『ドゥリヤール史伝』の破られたページには、ハルが推測したとおりの内容が書かれていたんだろう。
そして、少なくとも四大魔術師の一人は未来を憂い、密かな奔走の人生を生きたのだと。
「…でも、秘密にする必要はあったんでしょうか?こんな重要なこと…。」
秘密を守るって、孤独。だから、守り通してきたことは尊敬する。
けれど、真実を知ったら知ったで心が重くなるのはどういうことだろう。
悔しさと小さな憤りが心の中で渦巻いて、穏やかではいられない。
「重要…そうだな。
そもそも秘密とは、共有者が少ないほど鮮度が保たれるものだ。
時を経て最後の二人となれば、それは限りなく”なかったこと”に等しい。
彼らの意図を鑑みれば、お前たちに話すことは本意ではなかった。
我々も、可能な限り極秘に動いている。」
威勢の良いはずの上王の声がくぐもって聞こえたのは、気のせいじゃない。
”なかったこと”にしようとし続けた王たちの伝統に終止符を打ったのだから、「二人の秘密は神の秘密 三人の秘密は万人の秘密」ってやつだ。
結末は言わずもがな、今更リアフェスの人々が事実を知ってどんな反応をするか、想像しただけでゾッとする。
だから、”知る必要のなかった”私たちに上王メイヴが語るこの現実は、彼女の苦悩と深刻さの表れ。
上王のことは嫌いだったはずなのに、同情する。
「お前がそんな顔をするな、ララ・ミドリカワ。」
「だって…いつかこんなことが起こり得るって、頭のいい為政者なら簡単に想像がついたはずなのに…騙し続けていたなんて酷いです。」
「騙したわけではない。」
「本当のことを伝えなかったんだから、同じことじゃないですか。
千年も時間を無駄にしておいて、今の私たちに何ができるっていうんです?」
私は少し、感情的になった。心に渦巻く不快感を、つい吐き出してしまったかもしれない。
「ならばお前は、想像できるか?当時の人々がどれほど深く傷ついていたか。」
「はい?」
「かの時代は魔術と魔法の黎明期。
黒の魔術師のような男は、法の整備も体系化も発展途上の無法地帯に出現する。
諸悪の権化は己の欲望のために魔術を使い、人々を容易に惑わした。
例えの一つだが、ある日お前の愛する者が狂信的になり、お前を傷つける。
別人のように変わり果てたそいつがお前の最も望まぬことをした時、お前はどう行動する。」
「どうって…。」
私が最も望まないこと?そんなの、考えたこともない。
ハルが別人のように変わり果てて私を傷つけるなんて想像できないし、したくない。
不覚にも考え込む私に、上王が続ける。
「相手を受け入れ、黒の魔術師に囚われるか。
もしくは激昂して相手を憎み、殺めるに至るか。
あるいは自分を責め、死に追い込まれるか。」
「こっ、好きな人を殺すなんて、そんなこと…!」
私は大きく身震いし、全力で否定した。
「ふっ、できぬと思うか?」
上王が皮肉な笑みを浮かべる。まるで、何かを見てきたみたいに。
「状況が変われば人は何をしでかすか分からんものだ。
とにかく、リアフェスは悲劇と混乱の中に多くの大切なものを失い、奴を完全に消滅させることは叶わなかった。
心に深く傷を刻まれた民に対し、”メラースは死んではいない”と伝えるべきなのか。
千年前の論点はそこだ。」
「…。」
つまり、傷口に塩を塗ることはできないってこと?
傷心の人に余計な不安を与えたくないという気持ちには私も同意するけれど。
「怯えながら生きるくらいなら、何も知らぬ方が幸せ。
そう考えるに至るのは至極当然のこと。
それに問題は過去ではなく、常に現在ある。
我々はそれに対処するだけだ。
無用な批判は慎め。」
「はい…。」
大切なものを、最も望まない形で失う苦しみとは。
当時の人々がどれほど傷ついていたのか、私は自分のことに置き換えても明確な答えがすぐに出なかった。
二つ返事で心が晴れたわけじゃないけれど、私が知っているリアフェスの人々は、黒の魔術師の話題を禁忌とするきらいはありつつも、その影に怯えることなく平穏に暮らしている。
与えられた平和が一つの幸福の形なら、結果的にこの選択は間違っていなかったのかもしれない。
けれど、近い未来に彼が本当に目覚めてしまったらどうなる?
ああ、この世界は間違いなく混乱に陥る。
上王が緊急時にリアフェスの全ウィザードを召喚できるといっても、今や形式的な話だし、召集の理由が広まることだって避けようもない。
目の前には暗い材料しか残されていないのに、彼女は過去を責めても答えは導き出せないと知っている。
けれど、私は未練がましくも考えてしまう。もしもこの秘密が始まりから万人の秘密であったなら、私たちは大勢で力と知恵を合わせ、乗り越えていけたんじゃないだろうかって。
もしも当時の人々が事実を知らされていたとしたら、別の『現在』になっていたとしたら…。
やり直すことはできなくても、思いを馳せずにはいられない。
ねぇ、あなたが下した決断は本当に正しかったの?フィアルー…。
私は、自分の心に尋ねた。もちろん、そこに彼女の返答はありはしないのだけれど。
「陛下、質問があるのですが。」
私は小さく手を挙げた。ふいに、些細な疑問が湧いたのだ。
「なんだ、言ってみろ、ララ・ミドリカワ。」
「あの、私は器のない魂がリアフェスに留まることは不可能だと聞きました。
なぜフィアルーは、自分の身体を使って彼を封印する必要があったのでしょうか。
黒の魔術師がスプリタスになってしまえば終わる話ではないのですか。」
スプリタスになれば生前の記憶を失う。だから黒の魔術師の企みは消える。私はそう考えた。
「器のない魂ではなく、健全な魂としてリアフェスに存続することが不可能なのだ、ララ・ミドリカワ。
スプリタスとは、生前の記憶を失ったまま執着を残し、それらを抱えてさ迷う存在。
黒の魔術師の執念となれば、リアフェスに甚大な被害を与えかねない。
子孫である我々が十年毎に霊廟に赴き、新たな封印をかけ直さなければならない相手なのだ、魔女が魂の放置を危惧したのも当然のこと。
…自身を封印の道具にするなどよく思いついたものだが…考え得る最強の柩であったのだろう。」
「そしてその最強の柩が綻びかけている、と。」
ハルの落ち着いた声が、上王に続く。この受け入れがたい現実に彼女がどう答えたかというと、その表情は立ち向かう覚悟を決めた戦士のように凛々しかった。
「全ては六年前の事件を早期に解決しなかった私に責任がある。
綻びは、封印を仕損じた私の落ち度。
ステラに一家言ないわけではないが。」
「お言葉ですが陛下、」
これまで存在を消すかのように黙っていたストライドが、突然口を開いた。
「封印の仕損じは他でもなく六年前、鍵を守り切れなかった守り人の落ち度。
彼は何があろうとも、鍵を持ち帰らねばならなかったのです。」
「ステラ…。」
ストライドの意見なんかお構いなしに、私はステラの名を唱えていた。
私の心に響く、馴染みある呼び名。宿命の守護者ステラ。
古城の敷地内にあった小さなお店ホワイトステラに始まり、この一年、何度耳にしたことだろう。
別名”光の三姉妹”と呼ばれる彼女のことは、ジュールの祝日にリビエラからリアフェスの起源譚を聞いたことがある。ステラは遠い昔この地に人間を導き、繁栄を願って空に消えた。つまり私がいた世界における、女神のような存在。自分なりに、そう理解している。
神話の中の多くの女神は自由奔放で嫉妬深い。よく言えば人間味あふれる描き方をされるけれど、ステラにもそんな一面があるんだろうか。黒の魔術師の復活、なんて。いったいどんな魔が差したっていうの?
「誤解するなよ、ララ。」
「ん?」
時々ある、人の心を読み取ったかのような絶妙なタイミングでハルが言った。
「守護者ステラはリアフェスの繁栄を願い導く存在。
過去と未来を見通す力を持っているが、その流れに直接手を加えることはない。
だが稀に、主観的にでも事象に運命や宿命を強く感じられる時、そこにはステラの干渉があると言われている。」
「ごめん…言っている意味がよく分からな。」
「スッ、ストライド殿っ!」
思いがけず、切羽詰まる御者の叫び声が会話を遮った。
「何事だ!」
馬車内に緊張が走り、ストライドが小窓からすばやく確認する。
「きっ緊急事態!れ、、霊廟が!!」
ヒヒィィン!!
ガクンッ
「うわっ!」 「きゃっ!」
馬が嘶き、馬車が荒々しく急停車した。
「霊廟?一体何が起きた!」
”霊廟”という言葉に、最も強く反応したのは上王だった。
彼女はその言葉尻が終わるか終わらないかのうちに立ち上がると、突然私の目の前で姿を消した。
と同時に、空気圧が私を勢いよく弾いた。
「きゃっ!」
「ララ!」
ハルが間一髪、椅子にたたきつけられそうになった私の身体を支えてくれた。
「な、、なに、今の?!」
「瞬間移動の余波だ。」
「陛下!」
ストライドが、ドアをけ破って馬車の上に移動する。彼女はどうやら、屋根に移動したらしい。
「オレたちも行くぞ、来い。」
そう言うと、ハルは私の腰をグイと引き寄せた。
「う、、わっ、何するの?!」
私は、私を抱えて馬車を飛び出そうとするハルに抵抗した。
なんでそんな反応をしてしまったのか自分でもよくわからない。けれど、顔は熱を帯びたように赤面し、動揺せずにはいられなかった。
「じっ、自分の箒があるっから!」
「この方が早い。」
彼は有無を言わせず馬車を飛び出すと、魔法を使ってそのまま屋根へと移動した。
「聞こえるか、アルバ!広域のヒューイットに対応を要請しろ!」
仁王立ちした上王が、霊廟の一点を見つめたまま姿の見えない使者アルバに叫んでいた。
「なに、あの黒い点は?…ひと?」
霊廟の上空に、幾つかの黒い点が見える。
私のすぐそばで、「結界を突破しようとしているのか。」とストライドが言った。
動きや仕草からして、あれは黒いローブを纏った人間。この世界において黒装束を身に着けることは、黒の魔術師の崇拝者とも受け取られる行為。それらが霊廟の結界に近づいているのだから、上王やストライドが殺気立つのは当然のこと。
「フォンウェール、魔女を呼び出せ、今すぐにだ!」
上王は叫ぶと、屋根を蹴って滑空した。みるまに箒にまたがり、ストライドが後に続く。
彼は御者にミースと王城の警戒レベルを引き上げるよう指示すると、風のように飛んだ。
命令を受けた馬車がガクンと音を立てて動き始める。
ハルは相変わらず私を離さない。いつもなら銀色のスティックを使って飛んでいくところなのに、わざわざ箒を出して私を前に乗せて飛ぶ。
「私、一人でも怖くない!」
本心ではなかったけれど、勇気を見せなきゃと思った。
「ウィザード以外は箒で空を飛べない」なんて理屈をこねられたって、緊急事態なんだからそんなの無礼講よ!って言い返すつもりだったのに、彼は「だめだ。」と短く言うと、私を包み込むように背後から手を回して、片手で箒を操縦する。
耳元に直接響く彼の声を聞くのは、今日二度目。こんな時に無駄にドキドキして、調子が狂いそうだった。




