13-4.氷解
空を征く馬車の室内。
その時私は、初めて彼に出会った時のことを思い出していた。
沈黙と冷えた空。
魔性が支配するサウィーンの夜。
寒くて心細そくて、震えながら顔を上げた先にハルはいた。
輝く満月を背に、私を見下ろすヴァイオレットの瞳。幻想的な絵を見ているかのように、時が止まった瞬間。月の精霊に遭遇したと思った。
癖のあるダークブロンドの髪に、切れ長の瞳。
端正な顔立ちは、ハリオスの森のウェールに瓜二つだという。
母親は、妖精と見まごうほどの、妖精に愛された人間の女性。
二人の間に生まれた彼を、あの夜私が精霊と勘違いしてもおかしくはなかった。
でも、私があの時魅入ったのは、人外の美しさに見惚れたーただそれだけじゃない。
上王に深く敬意を表し、ゆっくりと顔を上げた彼の横顔は卓然としたオーラを放っていて、私はこの潔さに吸い込まれたのだと思った。
ハルに内在にする自律の精神。それは、妖精が人間界の世俗的なものから離れた場所に身をおいている感覚と、少し似ている。
もちろん、私は彼らが清廉潔白だと言いたいわけじゃなく、むしろ人間以上に自分勝手だと、声を大にして叫びたいくらいに思っている。
けれど、他の種族に迎合しない高潔さは彼ら独特。
妖精を妖精たらしめるものの一つ。
そしてハルの心のありようは、それに似ている。
私がオルランドに会わせて欲しいと泣いて頼んだ時、彼は絶対に首を立てに振らなかった。
妖精の領域を見つけるのは不可能だと絶望した時は、可能性はゼロじゃないと言い切った。
できないことは出来ないとハッキリ言うけれど、最初からあきらめているわけでもない。
先を読み、用意周到で、私たちが口にする『努力』という言葉を良い意味で持ち合わせていない人。
時に大胆なことを平然と言えるのは、確信と自信を持っているから。
氷の女王に凍らせられていた時でさえ瞳から消えることのなかった強い意志は、リアフェスの頂点に君臨する彼女の前においても変わらない。
今ならわかる。
私が彼のことを”上王の命令ならなんでも従う人”としか見ることができなかったのは、怖かったからだ。
私は怖かった。心の拠り所を、この、今私の前に座るこの女性に取られてしまうことが。
自分の命を差し出す。
それは上王のためでもなく、きっと本心はリアフェスのためでもなく、彼の生き方が言わせた。
彼は、誰のものにもならない。
ハルの横顔に私が考えていたのは、そんなことだった。
「ララ・ミドリカワ。」
「は、はいっ?!」
矛先を変えた上王の不意打ちに、私の声は不覚にも上ずった。
「後見人はこのように申しているが、そなたの意見を述べよ。」
「わっ私は…えっと…。」
私の言動一つで、ハルの命運が左右される。彼の決意に見合う行動が、私にできるだろうか。そんなことが真っ先に頭に浮かび、綱渡りのように緊張した。
「ハルと…同じ、気持ちです。」
声がしりすぼみになり、両膝の衣服を握りしめる。
「頼りない意見だな。」
上王の不満げな声が、いい兆候なわけがない。
ここで失望させたら、全てが水の泡になる気がした。
とにかく何か肯定的なことを言わなくては。私の正直な気持ちと、何を信じているかということを。
「あのっ、そうではなくて、その…私が、リアフェスに来て、こうやってい、生きていられるのは、全てハルとこの世界の人々のお陰なので…。
私は、ハルを信じているし、彼が私にできるというのなら、その通りに、して見せます。」
「今の言葉、この私の左目に誓って言えるか?」
「左目…に?」
「ああ、そうだ。」
上王の不思議な言い方に、私は戸惑いを隠せずハルを見た。
それを察したのか、彼は無言でうなずく。
「誓います、陛下の左目に。」
私は上王の左目を見つめ、宣誓した。
今はただハルを信じ、彼について行こう。不思議なほど強い決意が、誓いを声にしただけで湧きあがってくる。
これが、言霊の威力なんだろうか…。
「ララ・ミドリカワ、そなたの誓い、しかと見届けた。
以後、私もそなたへの態度を改めることとしよう。」
私を見つめ返すサファイア色の瞳が、ほんの少し和らいで見える。それは底知れぬ紺碧の海を彷彿とさせる、陽の光を含んだ深い青。
私たちを取り巻く室内の空気が少し和んだ。そう感じたのは、私だけだろうか。
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これから話す内容は、極秘事項である。
上王はまず、そう告げた。
和解したものの、ハルが言ったように段取りは続く。
そして彼女から伝えられた様々な事実は、私にとって本当に驚きの連続だった。
「少々癪だが、お前の推測は概ね正しいのだ、フォンウェール。
そこに、私が知る情報をいくつか付け加えよう。」
少し残念そうに、少し解放されたように、上王は複雑な心理をその表情にのぞかせつつ口を開いた。
「まずは常しえの眠りだが…。
あれはちょうど一年前、我が手元に戻って来た。」
「えっ?!」
驚きの声を上げてしまったのは、私。
頭の中に直感的な疑問が浮かび上がり、連動するように椅子の背もたれから背が浮いた。
ネックレスが見つかっていたのなら、ネルフォーネの騒動は何のためだったの?
ハルとギルが何か月もリアフェスを旅したのは何のため…?
物言いたげな私の表情に、上王が抑止の仕草をとる。
私は、背中をゆっくりと背もたれに戻した。
「といっても、部分的でな。
そもそもあれには、二種類の鍵がついている。
一つは、霊廟の秘密をおさめた、とある箱の鍵。
そしてもう一つが、霊廟の扉を開く鍵。
当のネックレスは五年の歳月を経て闇市に流れ、ほぼ失われた当時の状態で発見されたのだが、唯一、扉を開ける鍵の部分が、取り付けのパーツごと失われていた。」
そこで上王は、いったん口を閉じた。
ネックレスは見つかったけれど、霊廟の鍵は行方不明のまま。
期待したほどには進展しなかった、ということ…?
「ネックレスに二つの鍵が存在していたとは、知りませんでした。」
ハルが、上王の話を促すように会話を繋ぐ。
「だろうな。
この私も、王冠を戴くまで知らなかった。
本来なら、第一の鍵は即位後最初の霊廟参拝の前夜、枢密院議長立ち合いのもと非公式に使用される。
私が箱を開け、中の文書に目を通すのだが、鍵の制作に手間取って延期された。
霊廟が真の鍵でしか開けられないとなれば、私もそれ以後すっかり忘れていたというのが本当のところだ。」
「それでようやく一年前、箱の文書をお読みになった、と?」
「そうだ。
そこには、魔女の霊廟に関する事柄が記されているのだが、特に鍵の重要性がうたわれている。
だから文書に目を通すのは私と、私が指名した鍵の守り人の二人だ。」
「鍵の、守り人?」
「有事の際、王に代わって鍵を死守する役目を担う者だよ。
お前も初耳だろう、フォンウェール?時の上王と本人しか知らない守り人の名が世に知られることは、おおよそない。
そして我々は霊廟を守り、次の代へと引き継ぐ責務を負う。
文書には歴代上王と守り人の署名欄があるのだが、末尾にオーリズ・ランバールの名があった。」
「っそ、それって、…ギルのお父さん…!」
「いかにも、ララ・ミドリカワ。」
上王は相槌とともに私を一瞥した。
「オーリズは我が父である先代上王が選んだ鍵の守り人。
魔女の霊廟が未だ以て暴かれていないということは、六年前の事件はあいつの裏切りによるものではないのだろう。
むしろ逆、というべきか。」
むしろ、逆!
上王の呟きに、私の心は踊った。
「あの、そのことをギルは?彼は知っているのですか、陛下?」
ギルの父親は、悪い人ではなかった。もう誰にも、何の負い目も感じる必要はない。彼が知っていれば、どんなに喜び、安心するだろう。
「いや、いずれ話すつもりではいたのだが…。」
上王は以外にも言い渋り、その先をハルが続けた。
「肝心の霊廟の鍵が見つからない。
だからオレにギリアムを探させ、続いてランバールの捜索に行かせた、ということですか。」
「何がどう判明しようと、鍵が見つからなければ何の解決にもならない。
結局のところはそこなのだが、お前たち二人に捜索を命じた時点では、私の中でオーリズへの疑いが完全に払拭されていたというわけではなかった。
だが、あの捜索が契機となって新たな事実が判明した。」
「というと?」
「黒く変色した魚の奇病があっただろう、あれだ。」
「そういえば陛下は、あの件にいたく関心をお持ちのご様子でしたが。」
「黒く変色した魚と、同様の症状をなすフラリンガス。
お前たちから報告があった一連の事件を広域に引き続き調査させ、彼らは実行犯を特定した。
もともと目を光らせていた不穏な団体の一味だったらしいのだが、追及していくうちにネックレスの盗難にも関与していたことが判明したというわけだ。
詳しい話は割愛する、お前も後で報告書に目を通しておけ。」
と言いおいて、彼女は判明した三つの事実を手短に述べた。
一つ目は、ならず者の手にネックレスが渡った時、霊廟の鍵となる部分は既に欠けていたこと。
二つ目は、鍵は追跡してきた城の男に阻まれ、その男は鍵とともに崖に転落したこと。
そして三つ目、城の男というのは十中八九オーリズ・ランバールで、それがランバールに関する最後の目撃証言であること。
「連中は霊廟の鍵が欠けていたことでネックレスを無価値とみなし、足がつく前に手放したのだろうが…私が気になるのはその先なのだ。
報告書によると、妙なことを口走ったらしくてな。」
上王は、その妙なことについてハルに考える時間を与えるかのように間をおくと、こう言った。
「かの霊廟には偉大なる師が眠っている。」
彼女が発した短い一文が耳を抜けた時、私は自分がそれを理解しているのかそうでないのか、不思議な感じがした。『偉大なる師』とは誰?フィアルーのこと?
文は理解できるけれど、違和感しかない。
「彼は常しえの眠りから開放される。」
「彼…。」
ハルが小さく呟き、眉毛を寄せた。
「やはり何か掴んでいるな?フォンウェール。」
「確証はありませんが…。」
「まったく、報告書の作成者がマメな人物で感心した。
このような戯言…。」
上王の表情は厳しかった。辟易するような言葉尻には苛立ちが感じられ、二人の間に重い鉛色の空気が広がっていく。
意味深な会話の中心にあるのは『彼』。フィアルーを指す『魔女』でも『彼女』でもなく、彼…。
「あ…。」
私はさっき自分が全力で否定し、リビエラに諌められた可能性の話を思い出した。
「どうした、ララ・ミドリカワ?」
「彼…。」
千年前の魔女が生きていたのなら、同じく千年前、同時に消えた黒の魔術師が生きていてもおかしくはない。あの時のリビエラとの会話が、私の中で気持ち悪いほどにしっくりときた。
真実の方位磁石は、同じ方向を指している。上王の苛立ち。核心に触れない二人のやり取りがその証拠だと言わんばかりに。
目線を上げると、こちらを見つめるサファイア色の瞳がある。
「それってまさか…。」
私は、無意識にハルの服の裾を掴んだ。
「…だな。その戯言がただの戯言でなければ、連中の言う”彼”とは黒の魔術師。」
ハルの断言を私はもはや否定することができない。
どこまでもどこまでも、たとえ千年の時が過ぎ去った今でも、リアフェスに影を残し続ける黒歴史。
時に黒の魔法使いと呼ばれ、時に黒の魔術師と呼ばれる歴史上の人物。
上王を凌ぎリアフェスを手中におさめようとした男、メラース。
彼は、ウイッスルのあの霊廟に眠っている。
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「でも、おかしい…。」
「何がだ?」
私の呟きに、上王が反応した。
「だって、フィアルーは言ったんです、あの霊廟には自分が眠っているって。
安置されている自分をこの目で見届けたのだから、まごうことなき事実だと。」
「おかしいことなどなかろう、魔女の言っていることは正しい。」
「じゃあ、黒の魔術師が眠っているってどういうことですか…。
霊廟には二人の遺体が納められているってこと?」
私の素朴な疑問に、上王がゆらりと首をかしげる。
「初対面の時から思っていたのだが、お前は相当に鈍いな?ララ・ミドリカワ。」
「なっっ、どういう意味ですかっ。」
「どうもこうも、そいう言う意味だが。」
彼女は赤面する私を見てニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
(なに?このやり取り。)
ものすごい既視感。フィアルーにも同じことを言われた覚えがある。二人はなんでこんなにも似ているんだろうか。
「魔女の証言は正しいのだ、ララ・ミドリカワ。
”一人が身体を失い、二つの魂が残った”と言えば理解できるか?」
「一人が身体を失い、二つの魂が残った…?歴史書によれば、黒の魔術師は消滅して、フィアルーだけが地上に落ちた。
残ったのは、フィアルーの遺体だけ…。」
「いかにも。
そして残された遺体は霊廟に安置され、二つの魂はそれぞれの場所で生き続けた。
自分の遺体をこの目で見届けた、という魔女の不可解な言い方が真っ当に聞こえるだろう。」
「!」
上王の指摘したとおりだと思った。確かに、よく考えてみると、自分の遺体を確認したっていう言い方はおかしい。まるで自分の物理的な身体を、高みから俯瞰しているような言い方。つまり、魂となったフィアルーは、自分の体の外から自分を見ていたってことだ。
「四大魔術師の助力によって魔女の魂は刻の水底で生き延び、今、お前の中にいる。
そしてもう一つの魂は。」
「フィアルーの…身体の中?」
上王は無言のまま、その瞳で静かに肯定の意を示した。
”魔女の遺体は当時と変わらない姿のまま霊廟に眠る”
歴史が語り継いでいたことは、嘘じゃなかった。
誇張された英雄譚にすぎないとリビエラは言ったけれど、深く考えもしないであり得ないことじゃないと力説した自分の方が正しかっただなんて、皮肉にもほどがある。
霊廟の魔女の遺体が当時の姿と変わらないのは、黒の魔術師の魂が宿っているから…そう言うことなんだ。
「”常しえの眠り”とは、実に体裁よく名づけたものだと思わないか?あれは智略の魔女の鎮魂を願うものではなく、忌まわしい黒の魔術師を封印するためのものなのだから。」
上王の声が、馬車の室内に響く。それは彼女らしい皮肉が込められた複雑な声だった。




