13-3.駈引
『ここが特別なんぢゃ。』
いつだつたか、ザムはそう言った。
イーリーは、西の国コルマクの小さな町。そしてイーリーベルはそのはずれにある。
家を取り巻く林は、田舎のどこにでもある景色の一つ。
属する世界が違う住人たちが、お互いを認知し共存しているという点を除けば。
ザムの何気ない言葉は、私があの時感じ取ったよりもずっと特別なのだと、今さら実感する。
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「なんという体たらく!広域のお前たちがこれほど無様な姿を晒すとは!」
上王が、私の眼前で失望と怒りをあらわに叫んでいる。
予想外というべきか期待外れというべきか、上王の盾と謳われる「金の枝」の制服に身を包んだボロボロの男たちに、彼女は怒り心頭だった。
「も、申し訳ございません、陛下…。」
声を絞り出した彼らは、リビエラと私に支えられて林からようやく帰還したところ。
ついさっきまで追われる身だったのに、なんで彼らを救出する立場になったかって?
それは、ピクシーたちの仕業。ハルが飛んで行ったすぐ後のこと。
林の奥で悲鳴を聞いてリビエラと私が駆けつけた時には、彼らは見えない相手に身動きが取れなくなっているところだった。
一人は樹液にやられて目を開けることもできず、なぜか身体中に色んな色や山の実がぶら下がるようにくっついている。別の一人はあちこちを刺されていて、きれいな金髪は焼けたみたいにちりぢり。顔は真っ赤に腫れ上がって、前が見えていない。
二人して明後日の方角に向かって「トラップだ!」って騒いでいたけれど、そうじゃない。
姿を見せない存在から総攻撃を受けて、闇雲に逃げ惑っていただけ。
ピクシーの怒りを買った侵入者たちは、木の幹に激突したり何もないところで転んだり、傍から見ていると喜劇役者みたいで滑稽だった。
つまりここは、精霊やそれに属するものが敵とみなした者は、もれなく排除される。そしてイーリーベルの住人は、ここにいる限り彼らに守られている。
私は最初から、制服の男たちに怯える必要なんてなかった。
早くこのことを理解していれば、さっきだってもう少し上手く立ち回れたんじゃないかと反省している。
機嫌が悪い上王を見るのは最っ高に気分がいいけれど、彼女だって、こんな場所にピクシーやノーム、それに家屋精霊が暮らしているとはきっと想像もできない。
ところでこの、無残な姿の二人。
追われる脅威から一時解放された私は、気がついたことがある。それは、彼らは金の枝の団員じゃあないっていうこと。
上王の口から発せられた『広域』というのは、広域捜査局の略称。
リビエラが違和感を感じていた通り、彼らは金の枝ではなく広域から駆り出された仮の団員なのだ。とすると、今や上王の盾は聞いた通りの相当に使えない集団なのかもしれない。ギルが嘆いていた理由も理解できる…。
だけど、ヘカテが言う『広域は優秀なウィザードがたくさんいるエリート組織』っていうのもどうなんだろう?
この人たちをハルと同等とするのはいただけない。
「エリートと言っても、能力差は確実にあるんだな。
当たり前だけど…。」
私の感想に対して、リビエラはそんなふうに呟いていた。
にわかに、広場の反対側を皆が注目した。
ざわついた意識の先に、ハルが金の枝の制服を着た男たちと一緒に林から戻ってくる。
「向こうもか…。」と、上王のため息が聞こえた。
ハルは、こうなることを見越していたんだろうか。
視線を戻す最中、ふと上王の後方にいたギルと視線が重なる。
ドクンッ
目が合った…。大きく脈打つ臓器の反応に、我ながら驚いた。
ここは、余裕を見せて微笑むべき?それとも…。耐えかねて顔をそむける。
彼が今どんな顔をしているのか、怖くて向き合うことができない。
もしも、私を見る目が冷ややかだったら?
ウィッスルで笑いかけてくれたあの優しい瞳も、この広場で両手を広げて抱きしめてくれたあの姿も、夢の藻屑となってしまうんじゃないかと怖くなる。
ギルを信じたいけれど、現実と穏やかでない感情がそうさせてくれない。
これまでの彼のちぐはぐな言動に、私の心は未だかき乱されている。
視線をさ迷わせているうちに、黒髪の男が上王に近づいてギルの姿は遮られた。
深い青みを帯びた短髪に、厳しい印象の淡いブルーグリーンの瞳。
引き締まった体格にピンと伸びた背筋。他とは別格の高貴な衣装を当たり前のように着こなしている。
お酒に酔って醜態を見せたり、大きな骨付き肉を豪快に食いちぎったりしたことなんて一度もない。そんな顔つきだ。
名前は確か、ストライド。そう呼ばれていた。
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彼が耳打ちをするや、上王の表情がスッと変化した。思い出したようにニヤリと口角を上げ、私を見る。
「そうだな、まずはお前の中の魔女と対話するとしよう。」
は?お前って誰?
何を耳打ちされたら、そんな科白が飛び出るのやら…。私は呆気にとられ、まさか自分のことだとは思わなかった。
「間抜け面を晒すな、小娘。
お前の後見人がそう言ったのだ、魔女を呼び出せるとな。」
「なっ?!何をっ…!?」
私はハルを振り返った。
これは、過呼吸に陥るんじゃないかと思うほどの衝撃。
「ウィザードに二言があってはならぬ。
そうだな?フォンウェールよ。」
いやいやいや、なんでそうなるのっ?なんでそんな嘘をつくのっ?なんなのっ?!
私の目は、必死で彼に訴えた。
フィアルーの気配は、私の中から完全に消えている。このごまかしようのない事実は、私が一番よくわかっている。それなのに呼び出せるだなんて、そんな勝手なことどうしたら言えるの!!
どう釈明すればいいのか、いや、釈明するべきじゃないのか混乱する。
ハルが嘘をついているなんて上王には言えないし、言いたくない。だけど、こんな無茶ぶりはすぐにバレる。
「オレは嘘は言っていない。」
「そうじゃなくて!」
(もぉ!だからなんでそんなに冷静なのっ?!)
聞きたいのは、そんな言葉じゃあない!
頭を掻きむしりたくなる衝動をぐっと抑え、拳を握りしめて肌色の地面に視線を落とす。
あぁ、我ながら私はハルの嘘に乗っかることも否定することもできないヘタレ。
これがリビエラやキャスなら、気の利いた言葉が出るに違いないのに。
「馬車の中がよかろう。」
上王が呟くと、傍にいたストライドが機敏に命令を下し、あっという間に空飛ぶ馬車に乗り込む手筈が整った。
「早く乗らぬか。」
上王が、私を急かす。
「でっでもっ…。」
ままならない。まるで死刑台の階段に足をかける気分。
私は、恨めしい気持ちを込めてもう一度ヴァイオレットの瞳を見た。
思えば今日は、目が覚めてからというもの言葉に表せない不安がずっと続いている。
頼みの綱だったフィアルーが消えたことは、想像した未来とは全く別の方向へ流されていくみたいですごく心地悪い。自分の意思とは無関係に、他人の思惑に翻弄されていく感覚。
私はあなたを信じたい、ハル。でも、一体どこまで先の未来を見ているというの?
「怖気づいたか。」
「!」
ええ、ええ、怖気づいてますとも!
だけど、背後で睨みを利かせるサファイアの瞳は、選択の余地を与えてはくれない。
(どうなっても知らないからねっ…!)
私は泣きたい気持ちを堪え、やけくそになって一人馬車に乗り込んだ。
リビエラは制服の男たちを手当するため、上王の命令でここに残る。そしてギルはリビエラの補佐にまわる。
つまり馬車に乗るのは上王とストライド、そしてハルと私の四人だけ。
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ドアが締まり、ゆっくりと動き出すのを感じた。
私はどこに連れていかれるんだろう。
本来なら豪華で洗練された内装に魅入るところだけれど、はっきり言って何も感じない。
最高級の座り心地であるはずの座席も、今の私には岩と同じ。
時が止まったみたいに誰もが口を閉ざしている中で、永遠に続きそうな沈黙を断ち切ったのは、やっぱり上王だった。
「フォンウェール、私は小娘ではなく魔女に話があるのだが。」
「まずは段取りが必要です、陛下。」
「というと?」
「魔女の有する力を行使し、対話できるのは彼女のみ。
霊廟の扉を開けるには、智略の魔女だけでなくララの協力が不可欠と言えば理解していただけますか。」
「ふむ…。」
ハルの言葉に、上王は小さく唸って私を見た。いや、見ているというよりは私を通り越して考えを巡らせている…。そんな感じ。
馬車としては決して狭くはない空間。その中で彼女とハルの思惑が光るシナプスみたいに交錯していることくらい、私でも感じ取れる。
相手を探るような二人の会話はたぶん、”何か”を前提に進んでいる。
って…ちょっと待って…?霊廟の扉を開けるってどういうこと?
さっきテーブルを囲んでいた時、ハルは王家から盗まれた『秘宝』は智略の魔女の霊廟に関するものだろうって言ってたけれど、それと関係があるんだろうか。
でも、探している秘宝はもともとミースの王城に保管されていたはず。
「歴代の上王は、即位後まず参拝の義を執り行う。」
次の沈黙を破って話し始めたのは、ハルだった。彼は続ける。
「王家の血縁でもない魔女の霊廟に上王が報告のために行幸するというのは、立場を鑑みれば不自然です。」
「第二十一代リオン上王の遺言だ、仕方あるまい。」
「しかし千年も続く慣習に至るには、それ以外にも理由があった。
オレはそう考えます。
リアフェスを救った英雄とはいえ、霊廟参拝が即位後最初の公務である必要はない。」
「英雄は称えられて当然だ。
お前の言うそれ以外の理由とは、どのようなものだ?」
上王の声の調子が、微かに上がった。不快感というよりは会話を愉しんでいる声色。
「オレに知るすべはありません。
ですが、陛下はご存じのはず。
参拝の義は即位の年とその後は10年おきに行われ、歴代上王はもれなくこの慣習に従って来られた。
しかしあなたは違いましたね、メイヴ上王陛下。」
「おかしなことを言うな?私は六年前、即位後に霊廟参拝を行ったぞ。」
「儀式が慎ましく執り行われたことはオレも知っています。
ですが、あの時は諸事象により予定を変更せざるを得ず、儀式は短縮された。
これはオレの推測ですが、陛下は霊廟内にお入りにならなかった。
公表された短縮の理由は、御身の心身の不調。
巷では、先代が急逝されたことで心身への負担が大きかったのだろうと皆が噂しました。」
「そうだな、儀式は短縮され、それは公にも発表された。
だが、それだけで私が霊廟内に入らなかったことにはなるまいよ。」
「『入らなかった』ではなく、入れなかったと仰るべきでは?
心身の不調は表向で、本当は入ることができなかった。
なぜなら、霊廟に入る際に必要な”常しえの眠り”がオーリズ・ランバールと共に消えてしまっていたからだ。」
(オーリズ・ランバール!ギルのお父さんの名前だわ!!)
私は心の中で叫び、上王がどんな反応をするのか目が離せなかった。でも、期待していたのとは大きく外れる。彼女はいたって冷静にこう答えた。
「私はあの日、枢密院議長からネックレスを受け取った。
お前はあれが偽物であったと言うのか。」
「模造品を使用せざるを得なかった、ということです。
”常しえの眠り”は、貴石があしらわれたネックレス状の鍵。
霊廟前で枢密院議長の手によって御身の両肩に戴く習わしとなっています。
群衆の目に晒される以上、代替品を準備しないわけにはいかない。
しかしいくら精工でも、意味がなかった。」
「面白い。
例えばどのように?」
「本物は特殊な仕掛けもしくは術式が施された世界で唯一つの鍵。
それでなければ、扉は開かない。
陛下がオーリズ・ランバールを追い続けている理由は、この”常しえの眠り”を取り戻すためではありませんか。」
「ふん…我ながら人選は誤っていなかったと悦に入ったぞ。
よく突き止めたな、フォンウェール。」
上王は、薄い笑みを浮かべた。
でもなぜか、言葉のわりに誉めているようにも感服しているようにも聞こえなかった。
彼女は、ハルの話に肯定も否定もしていない。曖昧な印象は、むしろつかみどころがない。
怒ってる…?私がそう感じた次の瞬間、彼女はこう言った。
「言いたいことはそれだけか。」
相手を牽制するような、突き放すような声だった。
私は背筋が凍る思いだったけれど、ハルは動じない。
「続けても?」
「かまわぬ。」
短い二人のやり取りに緊張する。私は、ハルの隣で自分の存在を消すように縮こまった。
「参拝の儀が即位の報告という形式的なものであるなら、鍵の真偽は問題ではなく、霊廟内に入る必要もない。
陛下は義務を果たされたことになる。
価値あるネックレスが失われたことは残念ですが、言ってみれば文化的、金銭的損失のみ。
加えてこの六年、霊廟に侵入した者が誰一人いないとなれば、ならず者の目的は霊廟ではなかったという可能性も高い。
ところが陛下は、参拝の義が執り行われたにもかかわらず、枢密院に相談もなく個人的に霊廟に入ろうとなさっている。
鍵が見つからないなら、ステラの思し召しのように現れたエトラを使う以外にないとお考えのようだ。
では、そこまでなさるよほどの理由は何なのか、中にいったい何があるのか。
オレは、それがララに危害を与えるものであるなら、たとえ陛下のご命令であっても彼女を行かせはしない。」
「魔女を呼び出せると言ったのは、お前だぞ。」
「はい、確かに言いました。
真実を教えていただけるまで、陛下が魔女と対話なさることは誓ってありませんが。」
「…私には、お前がリアフェスよりもこの娘のほうが大事だと言っているように聞こえるが、そういうことだな?」
「エトラと言えど、彼女は我々と同じ人間。
人としての尊厳をもって接していただきたいと訴えているだけです。」
「私が尊厳をもって接したとして、このララ・ミドリカワが協力するとは言い切れまい。」
上王が私を見た。病院での出来事以来、初めて名前を呼ばれた気がする。
「ご安心ください。
ララの言動は、後見人であるオレが責任を持ちます。」
「らしくない軽口を叩くのだな。
その程度の口約束で、この私が納得すると思うか。」
「では、オレの命を差し出しましょう。」
「私ではなく、ララ・ミドリカワに命を捧げると?」
「いえ。陛下の治世にある、このリアフェスの安寧に。」
ハルは、恭しく頭を下げた。




