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2-2.交渉

 

 シルキィの食事は、素朴だけれど上品な味がする。

 昨日の夜食べたとき、最初の一口で好きになった。


 今朝の朝食は、ふわふわのスクランブルエッグとハム、ピクルスの盛り合わせ、フルーツのコンフィ。それから、焼きたてのパン。

 彼女の食卓は、中庭で採れた新鮮な食材と、自家製のジャムや保存食で彩られる。


 寂しい雑木林の行き止まりから、イーリーベルの中庭にある小屋にキャスを移動させ、服を着替えてようやくテーブルについた私。


 生きるために食べるべきだ。

 そう言ったのは、誰だったっけ。

 食は人生に与えられた愉しみの一つ。故に、私は食べる!


 フォークですくった黄金のスクランブルエッグを口に放り込もうとしたその時、私の至福を無慈悲にも奪い取る、まさかの絶叫が耳を貫いた。

 同じテーブルいたリビエラも、この不意打ちにコーヒーを吹き出しそうになる。


 人のような獣のような声の出どころは、疑う余地もなく中庭。

 私たちは目を合わせると、テーブルをそのままにダイニングキッチンの戸口から中庭に出た。


「うおいっ!なにモンだ!

 儂の納屋に薄気味悪いもんを置いていったバカもんは!」


 向かいの小屋の階段を、怒髪天をつく勢いで怒鳴りながら降りてくる丸っこいものがいた。


「グリンザムっ!」


 リビエラが声をかける。


「お前かっ!リビエラこん畜生!」


 グリンザムと呼ばれた小柄な男は、リビエラを見るなり猪みたいな早さで向かってきた。

 私は怖くなって、彼の後ろに隠れる。そしてちょっと引き気味に、小さな男を観察した。


 日焼けした肌に彫りの深いビー玉のような目、顔を覆う黒い髭。身体は丸っこくて身長は百センチほど。手がグローブみたいに大きい、小さな山男。

 着ているものは、顔に似合わず絵本から抜け出てきたような恰好で、緑色の上下の服ときれいな模様が彫られた皮のベルト、足元はこげ茶色の作業ブーツ。

 胸のあたりに上からオレンジ・赤・青色の四角いボタンが付いていて、キラキラ光る。


 見ていると、おとぎ話の世界に迷い込んでしまったかのように錯覚する。

 まぁ、ここには精霊や魔法使いがいるから、特別なことではないだろうけど…。


「お前は儂の作業場を何だと思っちょる!

 気色悪いもんを持ち込みおって!

 このままで済むと思うでか!」


 こっそり観察する私をよそに、グリンザムは地面が沈みそうなほど足を踏みならしてリビエラにほえていた。


「やぁザム!

 落ち着こう。

 君に最後に会ったのは、いつだったかな。」


 暴れ馬を躾ける手練れみたいに、リビエラはたじろぎもせずに言った。


「とぼけるなっ。

 お前は毎日来ちょるだろうがっ。」


「そうだ、昨日会ったね。」


 そう答えながら、今度はザムの気を引くような仕草で私を手招きする。


「なんぞ、客人か?ふんっ。」


「紹介するよ、グリンザム、ララだ。」


「あ、えっと…はじめまして、グリンザムさん。

 ララです。」


 私は緊張気味に、不機嫌なグリンザムに丁寧に挨拶した。

 彼は腕組みをしたまま口をへの字に曲げ、チラリともこっちを見ない。


「ララ、この畑兼庭はね、ザムが作ったんだ。

 素晴らしいだろ?」


 リビエラは、不機嫌なグリンザムなどお構いなしに、大袈裟に両手を広げて言った。

 その様子は、ちょっと滑稽で三文芝居みたいに陳腐だったけれど、それには気づかないふりをして私は素直に相づちをうった。


『庭は文化なり』おばあちゃんがよく言ってたっけ。

 庭を愛する人に、悪い人はいないんだとかなんとか。


「この庭、素敵ね。」


 愛情たっぷりに育てられた野菜や花が、お互いに今朝の調子をたずね合っているような、温かい庭だと思う。


「そ、そうか?」


 私の何気ない言葉に、ザムが気恥しそうにモジモジした。褒められて喜んでいるのか、厳つい顔がしおらしくなる。


(あれ?ええと…、この展開はちょっと予想外だわ。)


 さっきまでの怒りにまみれた鼻息は、どこへ行った?

 グリンザムの乙女な反応にどう対応していいかわからず、取り繕った笑顔のせいで顔が引きつる。そこへ、リビエラが「もっと褒めろ」とサインを出してきた。

 あ、なるほど…。

 きっとこのまま褒め殺して上機嫌にさせ、キャスのことをうやむやにしてしまおうという魂胆?


 そこで私は、思いつく限りの美辞麗句を並べて、庭とザムを誉め倒した。自分に文才があるとは言えないけれど、ザムは次第に表情を高揚させ、ご機嫌になる。

 あからさまな喜びように、こっちも悪い気はしなくて、大袈裟な褒め言葉に、いつの間にかお互いふんふんと悦に入っていた。単純だな、私たち。

 クスリと笑う、リビエラの顔が見えた。彼の策略に、まんまと丸め込まれてる。


「というわけで、男気のある、唯一無二にしてリアフェス最高の庭師グリンザムにお願いするよ。

 あの石像を、しばらく君の作業場に置かせてもらえないかい?」


 切り株の丸いすに腰掛け、短い足をちょこんと組んでふんぞり返るザムに、私たちはお願いした。


「うーむ…。

 お前らがワシの庭の価値をわかっているなら、考えてやらんこともない。

 しばらくってのは、どのくらいだ?」


 胸を張って堂々威張った姿勢も、指でつつくとコロンと切り株から落ちてしまいそうで、愛嬌がある。


「早ければ明日まで、と言いたいところだけど。

 最長、一年…かな?」


 私はグリンザムの顔色を伺いながら、控えめに答えた。


「一年?ふむむ。」


 彼はしかめ面のまま、唸った。そして、考えている。庭師としてのプライドをくすぐられ、今さらむげに断るつもりはなさそうだけれど、まだ首を縦に振ってくれそうにない。

 あとひと押し、何かが足りない。


「それじゃ、ウィスキーボンボン三箱。

 どうかな?」


「ウィスキーボンボン!」


 切り株にくっついていたザムのお尻が、見事にピョコンとはねた。


「二言はないな?リビエラ。」


 グリンザムの目に歓喜の光が差す。怒ったり喜んだり、わかりやすい人だ。

 リビエラの最後のひと押し、ウィスキーボンボン交渉は効果絶大だった。


「勿論。ユベールの名に懸けて。」


「それでは、テンタシオンのウィスキーボンボン五箱で手を打とう。

 今日中に持ってこい。

 それができなければ、あの石像は粉砕する。」


 ザムはもったいぶった調子で言った。とはいえ、緩んだ顔は隠そうとしてもバレバレだし、しれっと二箱も追加してる。


「え?今日中?

 無理だよ、明日まで待ってくれない?」

 リビエラが渋る。


 テンタシオンというのは、ウィッスルという街にある有名なチョコレート店。

 距離としては日帰りで十分なのだけれど、リビエラは今日、ハルの助手としてその街とは真逆の方向へ同行することになっていた。今日中にザムご指名の品を買ってくるのは、時間的に難しい。

 そこへ、家の中から顔を出したハルが、追い討ちをかける。


「出発だぞ!リビエラ!」


「あちゃー…。」


 左手で自分の綺麗な髪をクシャリとしながら、リビエラは困り顔で呟いた。私のことは、眼中にない様子。

 近くの大きな街にお菓子を五箱買いに行くだけなら、私にだってできると思うんだけど。


「私が、行こうか…?そのお店に。」


 リビエラに、自分からそっと提案してみた。

 悪くない提案だと思う。それに、筋から考えれば当然私が行くべき。だってグリンザムの小屋にある石像は、私の友だちなのだから。


「だめだよ。君を一人では行かせられない。」


 困っているはずなのに、リビエラには無下にも断られた。

「お前には任せられない」と役立たず宣言されたような気分。

 そこへ、ザムが両手で両膝をパンと叩く。


「それが良いな。

 よし、お前が行け。ララ。

 今日中だぞ。」


「え?おい!」


「あ、うん…。わかった。」


「おし。じゃな。」


「ザム、ちょっと待って!

 今日は無理だって、僕は言ったんだけどっ!」


 切り株からさっと立ち上がるザムを、リビエラは慌てて大声で引き留めた。


「あ?決めるのは儂だ。お前の承諾なぞいらん。」


 彼にとっては、こちらの都合なんてどうでもいいに違いなかった。もちろん、猶予を与える理由もない。

 グリンザムは、テンタシオンのウィスキーボンボンが食べたい。

 自分の欲望に、バカが付くほど正直。ただそれだけ。

 彼は冷めた目つきで言い捨てると、鼻歌を歌いながら庭に消えた。


 というわけで、渋るリビエラをよそに、無情にも約束は交わされた。


 キャスを『粉砕』という惨事から守るためのミッション…ていうのは少し大げさだけれど、私はウィッスルという街に、菓子を買いに行くことになった。

 簡単じゃないの!

 だってこの重要ミッション、要は『お使い』でしょ。ウィッスルにある、テンタシオンという店で、指定されたチョコを五箱買ってくるだけ!それなのに、リビエラはまるで娘を初めてのお使いに送り出す保護者みたいに右往左往した。


 駅までの道のり、列車の乗り方、店の場所までメモを残し、イラつくハルに首根っこを掴んで連れて行かれるまで、しゃべり続けた。


 歳は二つしか違わないのに、こんなに子ども扱いされるなんて、ちょっとうんざり。


「最後にもう一つ!霊廟には、絶対に近づくんじゃないよ!」


(あー…、はいはい。)


 シルキィとともに玄関口で見送る私に、リビエラはそう叫ぶと、ハルに連れられて風のように掻き消えた。

 それは二人の周りに突如風が起こり、渦巻きが絡めとるように持ち上げて飛んでいくハルの魔法だった。


 騒々しかった家内は嘘のように静まり、イーリーベルは再び穏やかな朝を続ける。

 シルキィは家事に勤しみ、私は食べかけの朝食をやっと終えることができた。


 外出の準備を整え、ウィッスルへといざ出発。

 ちょっと読みにくいリビエラのメモと、なんとなく御守り代わりのベールをかばんに詰め込み、シルキィに見送られて意気揚々と家を後にした。


 まずは最初の目的地、イーリーの駅を目指す。


 私が居候しているハルの家は、イーリーの外れにある。ここから町に続く道は一本しかないのだけれど、他に家がないので人とすれ違うことがない。


 今朝も歩いたひらけた林の砂利道を抜け、行き止まりに続く二又を右に曲がらず、少し大きめの道をまっすぐに行く。この世界に来てまだ二日目なのに、すっかり見慣れた景色になってしまった。

 あの夜は果てしなく感じたけれど、実際は数分の距離。


 二又の少し大きめの方は、初めて歩く道。ほどなく傾斜し始める下り坂の上から、裾が大きくそり上がった特徴的な屋根の町が見えた。


 イーリーの規模は、リビエラの言う通り「村に毛が生えた」程度。のんびりした時間の流れの中にそこそこの活気があって、山に寄り添うように作られた、細長い形状の町。

 白亜の壁、垣間見える木々の緑、陽の光を鈍く反射する色とりどりの屋根。

 ここは、リンゼイ・エドワーズ、つまりクレアモント卿ローレンス・エドワード・シャタックが作り上げた、リアフェス辺境の芸術と魔術の町。


 私は町の端にある駅に行き、リビエラの指示通り、ウィッスル行の列車に乗った。

 列車は、私たちの世界とよく似ている。でも、原動力は何かわからない。

 床は木製で、レトロな雰囲気が逆に新鮮。

 乗客は少なく、目的地までおよそ一時間四十分。二人がけの座席を独り占めできそうだ。


 イーリーは山沿いにある離れ小島のような町なので、ウィッスルまでずっと緑の風景が続く。

 私が列車内でのん気にウトウトしていた頃、ハルとリビエラはイーリーから南西に下った小さな村に到着していた。


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「いつまでそんな顔してる。」


 ハルは、隣に立っているリビエラに言った。さっきから、リビエラの不満タラタラの仏頂面がピクリともしない。


「君は、ララが心配じゃないの。」


 リビエラが微妙な言い返しでハルを責める。


「お前のその顔は、オレのせいなのか。」


 イーリーの南西にある、とある村の入り口で、二人はかれこれ十五分ほど待たされている。彼らの後にも、同じような二人組がちらほら集まっていた。


「彼女は何も知らないんだから、もう少し気にかけてあげなきゃだろ?」


 この世界に来たばかりの無防備な女の子(エトラ)を、一人で他の街に行かせるなんて。少なくとも自分はしたくなかった、とリビエラは心の中で愚痴を漏らした。


「なら、もう少し頭を使った交渉をしろよ。」


「はぁっ?」


 ハルの説教じみた言い方が、癪に障った。ザムとの交渉に一言も介入しなかったくせに、今さら文句をつけるとは、卑怯だ。


「そう思ってるなら、助けてくれれば良かったじゃないか。

 そのくらいの時間はあったろ?

 なんでそんなに無関心でいられるの。

 君はね、女の子に対する気配りが足りな…。」


 横目で自分を見るハルと、視線が合った。言い過ぎてしまったと反省する。


「ごめん。」


 ハルは気が利かないわけじゃない。それは、わかっている。気配りの仕方が、自分とは違うだけだ。


「これはヘカテの依頼だ。

 前から決まっていたことだろ。」


「わかってる。」


 それだけ言って、リビエラは口をつぐんだ。今日のこの仕事は、自分が持ってきた。放棄すれば、ハルに迷惑がかかることがわからないわけじゃない。むしろ、それがわかっているから、どうにもできないことにふてくされていたのだ。


(結局は、僕に非があると言いたいわけだね。もう少しましな交渉をしろ、と。怒っているのは僕じゃなくて、ハルのほうじゃないか。)


 今日は何を言ってもやり込められそうだ。リビエラは、ララのウィッスル行に関してこれ以上ハルと言い争わないことにした。


「ララにはレイヴンをつけておいた。あまり心配するな。」


「ああ、そう。」


 レイヴンとは、ハルの指示のままに動く黒い鳥で、彼が見た物をハルも術を使って確認することができる。レイヴンがララを見失わない限り、ハルはララの所在を把握できるというわけだ。


(あんな見てるだけの黒鳥に、何ができる。)


「見ているだけでも、今のお前よりは役に立つ。」


「!」


 時々、心を読んでいるのかと疑いたくなるほど、ハルは言うことがタイミングいい。

 悔し紛れに何か言い返そうとした矢先、「大変お待たせいたしました。お次の方、どうぞ。」と声がかかった。

 呼んだのは、村の入り口に立っている確認係の男性だった。


「よくお越しくださいました。

 招待状を確認させていただきます。」


 ハルが差し出した封筒を確認すると、係の男は笑顔でハルを見た。


「フォンウェール様でいらっしゃいますね。

 徽章を拝見できますか。…ほぅ。」


 男はハルの顔と胸元の徽章をひととおり見て、小さく感嘆の声をあげた。そこに煌めくのは、ウィザードの階位第四位『セド』の証。徽章自体は何度か目にしたことはあるが、これほど若いウィザードがつけているのは、初めてだった。


「ヘカテ殿は、優秀な代理人を見つけられたようですね。

 お隣は助手の方でいらっしゃいますか。」


「はい。」


「かしこまりました。

 では、こちらへどうぞ。」


 男性はそう言うと、笑顔で二人を村内に設けられた会場へ案内した。

 そこには、ハルたちと同じように助手と二人一組のウィザードが何組か待機していた。

 今日はここで、ある催しが行われる。ハルは依頼人ヘカテの代理として、参加することになっていた。


「おいおい、あのフォンウェールか?」


 あとから案内された人物が、背後からハルに声をかけてきた。振り返ると、痩身の男が、縁起の悪いものを見つけてしまったかのように眉間にしわを寄せてハルを見ている。彼はチラリと、ハルの徽章を確認した。


「元広域捜査局所属、フォンウェール。」


 リアフェス広しといえども、この若さでセドのウィザードはハルくらいだ。面識はなくとも、情報収集を怠らない同業者なら容易に察しがつく。


「あるいは、仲間を見捨てた卑怯者。」


 厳しい目つきでそう発する男を、ハルは感情を映さない切れ長の瞳で見返した。


「何も答えないところをみると、本当なんだな。

 ウーシュの生き残り。」


「おいっ!いい加減なことを吹聴するなよっ。」


 リビエラが男に向かって憤った。


「いいかげん?俺は局にいる従弟から聞いたんだ。

 何も知らずにそんな奴にくっついていたら、お前も見殺しにされるぞ。」


 男はリビエラに忠告すると、ハルの横を通り抜けた。


「気にするなよ。」


 リビエラは、何も言わないハルに声をかけつつ、去っていく男の背中を目に焼き付けた。


(次に何か言ってきたら、ハルが許しても僕が許さない。)


 出会って日は浅いが、ハルが『卑怯者』と蔑まれるような人間でないことは知っているつもりだ。こんな時、「気にするな」という言葉がはたして最適だったか、自信はない。それでも、大切な友人を守りたいという気概はふつふつとある。


「気にしてない。」


 いつもと変わらない声の調子で、ハルは静かに言った。

 

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