12-5.帰還
夕暮れのウィッスルに、街明かりが灯り始めていた。
「もう夕方か…懐かしいな。」
フィアルー・ディ・モントーリ公園の結界から弾き出された私は、ごく自然にそう口にした。
箒も使わず、黒妖犬の背も借りず、自力で上空から街を眺めているこの状況を、なぜかすんなりと受け入れている。
吹き上げてくる風は、川の水を含んで少し湿っぽい。初めてウィッスルを訪れたあの夜と、同じ匂いがする。今夜はそこに、街全体を流れるエネルギーの気配までも加わっていて…。
言葉にするなら、透明で、柔らかく、繊細で、弾力があるソレ。巨大なシャボン玉があちこちで揺れているような、自然のうねり。
今まで生きてきた中の、どの経験にも当てはまらない新しい感覚。これが、魔力?
昨日までとは違う自分になったことを認めざるを得ない。そう思った。
静かな帳に、風に乗る街の喧騒。ふと、良くも悪くも変貌した故郷を目の当たりにしたような、懷かしさと哀悼がじんわりと込み上げてきた。
なぜだろう…?自分の胸にそっと手をあてる。
失われた時間と、それでも変わらない豊潤な川の流れ。人々の営み…。
心臓までほんのりと熱くする、万感の思い。
私、そんなにウィッスルに思い入れがあったっけ?
確かに湧き上がってくる感情なのに、他人の心を覗いているみたいだ。
(フィアルー…?)
これはあなたなの?
心の中で呼びかけても、返事はない。
「複雑な気分だ。」
ため息混じりに聞こえた声の主は、隣りにいたギルだった。
嫌気がさしたような意味深な物言いに、やっぱり今日の夜景は何か違うのだろうかと疑う。
「とうしたの…?」
「今のララを守れるのは、俺しかいないと思っていたのにさ。
首なしの騎士と生首を安々と蹴散らすほどとは。」
「え?」
「丸太を片手でへし折るみたいにあっという間だったな。
この夜景が嫌いになりそうだ。」
「えっと、なんでこの夜景と関係があるの。」
「その先、俺に言わせる?」
少し首をかしげ、私に視線を送るギル。その瞳は、戯けているようにも少し寂しそうにも見えた。
私は視線を落とし、かぶりを振る。
「いや、ううん…。」
確かに、記憶を遡ればそうだったかもしれないと思ったのだ。
前回リアフェスに戻るとき、私たちは苦戦した。
ギルは私を助けようとして騎士に首を締めあげられ、私は無我夢中で生首の頭を騎士の馬に叩きつけたんだっけ。まさに危機一髪、危うく二人もろとも命を落とすところだった。
でも今回は、フィアルーのお陰であっという間に相手を蹴散らした。私の身体はしなやかなアスリートのように立ち回り、気がつくと首なしの騎士と生首が遠くへ吹っ飛んでいた。
森の木々に潜んでいた黒い影は、青い炎に怯えて私たちの様子を伺うしかないという有り様。
初めて味わう圧倒的勝利だったけれど、その余韻もつかの間、自分の実力じゃないってことにすぐ気づいた。だから私にとっては、些末なこと。
「別に大したことじゃ…。」
「酷いな、俺の自尊心は結構傷ついているんだけど。」
「ごめ…、そんなつもりじゃ。」
言い方を間違えた…そんなことを思いながら、慌てて訂正した。
「私が言いたいのは、大切なのはどっちが助けたかってところじゃなくて。
ギルが守ってくれてるって感じるから、私も守りたい、何かしなきゃって勇気がわく。
私としては、少しでも皆のお荷物じゃなくなったことが嬉しいくらいで。」
「立場が逆転したのは寂しいけどね。」
「だから、何も変わってない!」
「そうかな?」
「そうよ!私は私。
見た目が変わっても、私の魂は変わってない。
もう一人、凄い味方ができただけだから!つまりね、」
と、私は刻の水底で私に何が起きていたのか、詳しくギルに説明したのだった。
--------
「ね?これこそ百聞は一見に如かず、だよ?髪の長さや色が変わっただけなら半信半疑だっただろうけど、首なしの騎士を返り討ちにできたのは、さすがに説明がつかないでしょ?」
私の説明に耳を傾け、軽く頷くギル。そして彼は口を開き、こう言った。
「あの時、君を騙して売り飛ばさなくて良かった。
今は心からそう思うよ。」
「は?そこに感心するの?」
斜め上をいく彼の反応に、肩透かしを喰らう。
「ララの中にフィアルーの魂があるのはともかく、伝承が境界渡りを得る方法を誤って伝えていたとは、少なからず衝撃だね。」
どうやら彼の関心は、一部のウィザードたちがエトラを求めて熱狂する特別な能力の方だった。
「考えてごらん、もしも君が闇オークションの競売にかけられていたとしたら、十中八九、今頃ララはこの世には居ない。
無駄死にしただけじゃなく、間違った伝承がこの先もずっと続いていた。」
「そうね…つまりギルは私の命だけでなく、この先犠牲になるかもしれなかった沢山のエトラの命を救ったことにもなる、のね。」
「まぁ、そうとも言えるね。
もちろん、俺は君を売り飛ばそうだなんて考えは微塵もなかったが、状況次第ではどうなっていたかわからない。
偶然の出会いがその後の運命を変える典型だな…。」
ギルは何か思うところがあるのか、私の知らない遠い心の風景を見つめているようだった。
彼は時々、ほんの一瞬、特別な記憶や想いに心を寄り添わせるような表情をする。
どんな時間を過ごしてきたのか、その過去はわからないけれど、あの日の彼、もとい彼を支える信念と良心が選び取った小さな選択が、この先の運命をどれほど大きく変える分岐点だったのか、私たちはずっと後になって振り返るのだった。
「さぁ、そんなことはともかく、これからどう動こうか。
俺なら、」
「病院!ハルとリビエラの無事を確かめに!」
「オーケー、そう言うと思った。」
ためらいもなく行き先を告げた私に、ギルはいつもの軽快なウィンクをした。
-------
刻々と夜が迫るウィッスルの空。
ギルの箒は一路、スクレピアダイ病院へと矛先を向け続ける。
彼の透明魔法の威力は、長い間上王の捜索をすり抜けてきた事実を証明するものだと思う。自分と自分が触れたものを他者から見えなくしてしまうというのは本当に便利だし、使う人間の品位が試される。
そして"消える"といえば、一緒に首なしの騎士と対峙したカリガリアンもまた、刻の水底を抜けたと同時にその姿を消していた。
一体どこに消えてしまったのか、それは謎。でも彼は、いつも近くにいる。ただ、そう感じる。不思議な現象だけれど、こればかりはうまく説明できない。
姿を消した理由をフィアルーに聞いても、『お前には理解できまい。』と上から目線の口調で押し返される。ぐうの音も出ない。
ギルには、考えても仕方がない類のことだと言われた。今重要なのは、一刻も早くハルとリビエラのもとへ行くことなのだから。
「病院の明かりだ。」
少し小高い場所に立つ、連立した箱型の建造物。そこに行儀よく配列した窓と明かり。ギルが示した見覚えのある閑静な景色に、箒はどんどん近づいて行く。
心臓の鼓動が早まるのを感じながら、上王が残したかもしれない近衛隊の気配を探る。
「全然警戒されてる感じがなくない?公園の方がここよりずっと厳重だったよね。
私たちが戻ってくるとは予想してなかったってこと?」
「どうだか…。
最悪、二人はもうここにいないかもしれないな…。」
「ちょっ?!縁起でもない!」
ギルの低い呟きに、私は反射的に声を荒らげた。
自分でも、わかっている。彼は、冷静に最悪の可能性を口にしただけ。深手を負ったハルと、並外れて頑丈とはいえ一般人のリビエラが上王の近衛隊に敵うはずもない。
理解していても、言葉にするとそれが一層、向き合いたくない現実を呼び寄せてくる。
私のせいで二人が苦しむようなことは、もう絶対に嫌だ。
「病室に近づいてみる…七階だったよな。」
「お願い、急いで!!」
箒を握る両手に、ギュッと力が入った。
ギルは院内の構造を完璧に覚えていて、迷うことなくハルがいた病棟に箒を飛ばす。
目指す階は七階。私は廊下までしか行けなかったから、正確な場所は分からない。焦る気持ちを抑えながら、視界に飛び込む窓を一つ一つ確認した。
真っ暗な部屋、明かりが灯っている部屋、カーテンが閉じられている部屋、カーテンが半開きの部屋…。
「どの部屋だろ?ギル、覚えてる?」
「確か、この辺り…。」
並ぶ四角い窓枠を前に目を凝らしたその時、斜め前方の窓に動く人影が見えた。カーテンは開けられたまま、明かりもついていない。でも私は直感した。あの人影はハルだと。
「あっ!」「フォンウェール!」
私とギルは、同時に叫んでいた。
その時、自分の目に映ったものは、とても感覚的だった。一連の出来事がスローモーションのようにも見え、一瞬のことのようにも感じた。
窓に近づくハル。その直後、背後に小さな人影が突然飛び跳ねるように現れ、何かがきらりと光った。
「まずい、アルバだ!」
(ハルを狙ってる!)
正確無比のアルバの矢は、必ず命中する。それなら、軌道を外すしかない。ハルの腕に巻かれた白いものを見つけた私は、咄嗟に左の方へグイと引くよう念じた。
不意を突かれたハルは、その場でバランスを崩す。矢が放たれると同時に、ギルは箒ごと病室の窓に突っ込んだ。
ガラスが勢いよく崩れ、透明なきらきら光るものと一緒に病室へとなだれ込む。
次の矢をつがえようとしたアルバにギルが飛び掛かり、私は立ち上がるハルに駆け寄った。
パシッ
「きゃっ!」
彼は勢いよく私の手を跳ねのけ、素早く後ろに下がった。鋭いヴァイオレットの瞳が、私を睨む。
「誰だ、お前は?」
触れなば切らん。ナイフの切っ先のように、今にも切りつけんばかりの敵意。
張られた見えない境界線は近づくなと警告し、私の両足は、金縛りにあったように動かなくなった。
ハルに、半歩も歩み寄ることができない。
(敵意むき出しだな?)
私の心の中で、フィアルーが軽く笑った。
(やめて、フィアルー。)
ハルの反応に、足がすくむ。
彼は魔法を使って私を遠ざけているんじゃない。拒絶されたショックが、私を動けなくしている。だからフィアルーは、鼻で笑っているのだ。
数か月前、この人が上王の命を受けてイーリーベルを後にした時と同じだ。無言の背中を、涙を堪えて見送ることしかできなかったあの夜の胸の痛み。ハルに拒絶された。ただそれだけの仕打ちが、こんなにも呆気なく、私を動けなくしてしまう。
二人の間に、緊張が走る。時が止まったのではないかと錯覚しそうなほどに。
(力づくで分からせるというのも手だが?)
(そんなことできるわけながい!からかってないで一緒に考えてよ!!)
「その子はララだ。
外見が変わったくらいで気づけないとは、口ほどにもない漢だな?」
アルバを捕まえたギルが、呆れ口調で不穏な沈黙を割砕た。
大人しくなった上王の使者を引き連れ、私の側に立つギル。ハルは、その彼に向かって言う。
「ララに魔力はない。
だがそいつからは、」
「まるで底なしだ。
魔力の塊だろ?」
「ああ…。」
冷静さを取り戻したハルが、攻撃的な口調を緩める。それでもヴァイオレットの瞳は、厳しい視線を解いたわけじゃなかった。
「ありがとう、ギル。」
私は庇護してくれたギルに安堵すると、再びハルに向き直った。
「ハル…あ、あのね、私は本当に本物のララだよ?かっ、髪も伸びて色も変わっちゃったけど、、そうなったのはちょっとした理由があって、その、だから信じてくれると嬉しいんだけど…。」
「突然魔力を手にしたお前を無条件に信じろと?」
その声は、警戒というより、怒りが含まれているように聞こえる。私は、ハルの言葉に控えめに頷いた。
「そのちょっとした理由をオレに話すつもりはあるのか。」
「はっ、話すよ!話す…でも、あの、信じてもらえるか自信ないけど…。」
「それはオレが決めることだ。」
「うん…。」
私は覚悟を決め、刻の水底に行ったこと、そしてそこで起きた出来事を話した。
-------
「…どう?信じてくれる?」
話をしながら、私はずっとハルの様子を伺っていた。
表情を崩さない彼が本当に聞いてくれているのか、時々不安になることもあった。全てを話し終えたら、彼は笑顔で受け入れてくれる。なんて、天地がひっくり返るような期待はしていない。
フィアルーを取り込んでも、たとえ見かけが変わっても、私は変わらず私のまま。ただそれだけを信じてくれたら。
「お前のものを返さないとな。」
ハルの最初の返事は、そんな言葉だった。彼は自分の右腕をすっと腰の高さに持ち上げ、私に差し出すような仕草をした。そこに巻かれているのは、私のリボン。本来はベールだけど、いつもリボンにして髪に結んでいる。
「ほら。」
彼に促され、それに触れようと一歩足を踏み出した。そして、立ち止まる。続く二歩目が出ない。
ハルは私が近づこうとすると、同じように移動して距離を保つのだ。
(お前を試しているのだよ、ララ。まったく、用心深い男だ。)
(試す?あのリボンを使って…。)
「そういうこと…?」
ハルは答えない。
「…わかった。」
私はむしろ自分に言い聞かせるように呟き、彼の要求に応えることにした。
あの不思議なベールは、単なる魔性除けじゃあない。どんなに離れた場所にあっても、必ず私のところに戻ってくるようにオルランドの魔法が付与されている。そこにハルの魔法が加えられ、私の精神力に大きく左右される一風変わった小道具になった。
つまり、誰にも操作できない私だけのもの。彼は暗に、それを証明してみせろと言っている。
私は軽く右腕を上げ、念じた。ハルの腕に巻かれたリボンがゆるりと外れ、白い小さな竜のように揺れながら立ち昇る。そして次に、踊るようにくるくると縦に旋回して白い小さな球体に変わった。
私はスピードを上げてハルの周囲を自在に巡らせ、天井高く打ち上げると、今度は弧を描くように降下させ、自分の右手に収めた。
指を開き、白い球体を掌上で数センチほど宙に浮かせる。最後にもう一度形を変えて、私の手首に巻き付く幅広のバングルにした。
「そっちに、行っても…?」
私は、たたずむハルに聞いた。
「いや、オレが行く。」
「やれやれ、手間のかかる男だぜ。」
ハルの歩みを横目に、私の後ろでギルが面倒くさそうに言った。
「ほざくな、ギリアム。
なぜララを刻の水底に連れて行った?何が狙いだ。」
ハルはやっぱり、怒っていた。それも私にではなく、ギルに対して。
詰め寄るハルに、ギルも引き下がる様子は更々ない。
「ふんっ、八つ当たりは惨めだな。
自分のふがいなさを俺のせいにするな。」
「ふがいないのはお前の護衛の仕方だ。」
「違う、お前だ。
ララを守れるのは自分しかいないとでも思ってるんだろう?だが実際は、俺が上王の追手をかわし、ララを守ってここに戻って来たんだ。
この俺が、お前がしたかったことをしてやった。
俺たちの帰還があと一歩遅かったら、アルバの手に落ちるところだったんだぞ。
こっちを責める前に、感謝の一言でも先に言うのが礼儀だろ。」
「契約には代償が伴う。
知らなかったとは言わせない。
なぜララを止めなかった?オレに感謝されるために戻って来たのなら、とんだ愚行だ。」
「愚行?この現状を俺のせいだと言う、今まさに目の前にいるお前が大バカ者なんだよ。
誰のせいでララが智略の魔女を取り込んだと思ってるんだ。」
「やめて、ギル、誰のせいでもない!」
私は、ギルを止めようと叫んだ。
「いいや、やめないね。
こいつはいつも自分が正しいと思っている勘違い野郎だ。
こういう大馬鹿者には、ハッキリ言うべきだ。
お前が上王と交わした契約を破棄させるために、ララは智略の魔女を取り込んだんだってな。
言っておくがフォンウェール、あれは一瞬なんてもんじゃなかった。
たとえお前が、いや誰があの場にいようと、ララを止めることはできなかったと俺は断言する。
お前が一生上王の下僕に成り下がるなんていうくだらない契約を交わさなければ、こんなことにはなっていなかったってことなんだよ!」
「契約?」
「ちっ、違う!これは私の意志よ。
キャスを元に戻すために、私が自分の意志で選んだこと!ハルはっ、関係ないっ。」
「下僕…まさか…。」
ハルが私を抑止する。彼は黙り込んで額に左手をやり、こめかみを押さえた。珍しく唇をかみ、腑に落ちた様子で肩を落とす。
「あれは彼女の戯言、言葉のあやだ。
オレはそんな契約は交わしていない。」
「えっ?契約、していない?ほっ、本当に?」
私はハルの腕を掴んだ。
「ああ、していない。」
彼は私の目の前で、はっきりと首を横に振る。
「おい、この期に及んで冗談はナシだぞ、上王は俺たちを騙したというのか?」
「どこまで本気だったのかはオレも測りかねるが…オレが依頼された仕事は、ギリアム、お前の父親を見つけ出すこと。
それにかかる報酬はいとわないと言われた。
だから、再生の花の雫を要求した、それだけだ。」
「報酬はいとわない…?すごく力強い言葉ね。
一つの国を賄えるほどの金銭的価値がある再生の花の雫をかけてまで、見つけ出さなければならない人ってこと?」
「は?笑わせるな。
それほど俺の父親が憎いのか?あの女は。」
「本気でそう思っているのか、ギリアム。」
「ムカつく野郎だな、言葉通りだ。」
ギルは腕を組み、ふてくされてそっぽを向いた。
「でもさ、ギルのお父さんを探すだけのことで"人生を売ったも同然"とか"命と魔力を削って私に仕え続ける"とか、大げさすぎじゃない?」
私は、ハルの口から告げられた真実に心底安堵しながらも、上王の妄想ともいえる断言に改めて辟易した。あんなふうに言われたら、誰だって勘違いしかしない。
「先代の廷臣といわれたオーリズ・ランバールが失踪して約六年。
彼女には消息を探れと命じられたが、物理的にというよりは失踪の理由を明らかにしたがっているようにみえる。
だが、手掛かりが少なすぎていつ謎が解明されるかわからない。
明日かもしれないし、一生かかるかもしれない。」
「それを、あんなふうに表現したの?」
「当たらずとも遠からず。
言葉巧みに他者を遠ざけ翻弄する、昔からそういうお方だ。」
「要するにただのひねくれものなんだよ。
まったく、いちいち癪に障る女だ。」
「うん、でも…。」
私は言いながら、ふにゃりとその場に崩れそうになった。ハルが咄嗟に腕を出し、私を支える。
「大丈夫か。」
「うん、ホッとしすぎて力が抜けちゃった、はは…。
良かった、本当に…。」
涙腺まで緩んでしまったのか、私は滲む涙をうつむいて隠した。一つ、肩の荷が下りた。そう表現するのは違うかもしれないけれど、確かに心が少し晴れて、軽くなるのを感じていた。
ハルがここにいる。上王のために人生を棒に振ったりしない。それがわかっただけで、十分すぎる。
「ハル…?」
ふと、久しぶりに感じた彼の体温に違和感を感じた。私はその顔を見上げる。
ハルの額に滲む汗を見るのはとても珍しいことで、平静を装っているけれど息も少し早い。何かが変だ。
(こやつ、妖精の装飾を身に着けているのか。結構な深手だが、道理で。)
私が感じた違和感に呼応するように、フィアルーが言った。
「ハル、もしかして傷口が開いてる?背中を見せて。」
「問題ない、すぐに治る。」
「そんなわけない!フィアルーが傷を塞いであげるって言ってる。
ギル、手伝ってくれる?」
「おーけー、こいつを羽交い絞めにすればいいんだろ?」
ギルは、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべると、ハルに飛び掛かった。
「おい、よせっ、ギリアム!」
「問答無用!けが人を連れ歩くのは足手まといだ、大人しく施術を受けろ!」
「くぅっ、アルバ、お前まで!」
「ははっ!わかってるじゃないか、アルバ。
愛されてるな、フォンウェール!」
ギルは楽しそうな声を上げ、抵抗するハルはとうとう、二人にねじ伏せられた。
「オレは大丈夫だ。
無駄に魔力を使うな、ララ。」
「お願い、ハル。
私はあなたの役に立ちたい。
それにフィアルーも問題ないだろうって言ってる。」
「そんなはずがあるか…。」
「私もリビエラに聞いたことがあるの、治癒魔法は、いかに魔力の消耗を減らして傷や怪我を癒すかが重要だって。
とても高い技術が要求されるし、さもないと治癒者本人が魔力を消耗して死に至ることもあるって。」
「そのとおりだ、お前の場合…。」
「いいかげん黙れ、フォンウェール。
それはもともと戦場での話だろ。
今のララの魔力量なら、この程度の傷を治すくらい何の心配もいらない。
さっさとやってくれ、俺がこいつの説教臭い口を塞いでおくから。」
ギルはそう言って、躊躇いもなくハルの口を抑え込んだ。本当に、仲がいいのか悪いのかわからないほど思い切りがいい。
「ごめんね、ハル。」
力づくで床に押さえつけられてもなお、もがき続けるハル。悪意はないとはいえ、心がグラついた。抵抗する彼の姿に同情しそうになる。
(急げ、ララ。このままでは皆の体力が消耗されるばかりだ。)
(そ、そうよね。)
私はフィアルーに指示されるままハルの背中に回り、傷口に手をあてがった。
洋服越しに感じる彼の傷は、私が思っていたものよりもずっと深い。集中していると、吸い取られるように魔力が注がれていくのがわかる。
フィアルーの力が、対流のように私の全身を巡る。身体は、徐々に熱を帯びた。
「ふぅっ、終わっ…。」
(あれ?)
私はそこまで言いかけて、脱力するのを感じた。そして電池切れのようにプッツリと、突然意識を失ったのだった。




