12-4.言伝
眠るように目を閉じて、暗闇の中で仰向けになっていた。全身を取り巻く液体の縁を水面のように感じるけれど、それが水だという確信はなくて。
浮かんでいるのか横たわっているのか、私の身体は、そこにあるという真実だけが存在しているみたいだった。
『もう一度聞く。
お前にとって、オルランド・プランタナとは。』
"知らない人"と同義語ね。一度しか会っていないし。
『ベールを持っていたな?』
あれは貰ったの。私にくれたことすら、彼の記憶に残っているか怪しいけれど。
『うそぶくな。』
本当よ!オルランドに会ったのは、サウィーンの夜のことよ。
私とキャスはリアフェスに迷い込み、彼女はゴルゴーに石にされて、私だけが免れた。
その直後にオルランドに出会ったの。残された無知な小娘がどんな顛末を迎えるのか?あの時、想像もつかない何が彼の心を刺激した。ただそれだけ。あれは善意じゃない。
『なぜそう言い切れる。』
私に理由を聞くの?
長い時を生きた一部の妖精しか知らない存在なのに?その名を知っているあなたが、あの爺さんがどんな人物だか知らないなんてあり得ないでしょう?私に何を言わせたいの?
『善意ではないと言い切る根拠はなんだ。』
そんなの、あの日以来、一度も会っていないからよ。
あの魔法使いは、ハルよりもたくさんのことをもう知っている。石化の解呪だってできる。
なのに魔性が跋扈する夜に私をたった一人残して笑いながら消えたきり、一度だって目の前に姿を現したことがない。
つまりあの爺さんにとって、私が元の世界へ戻れるかどうかなんてどうでもいい事。
最初から、全っ然、これっぽっちも関心がなかったってことよ。
そして私はここで死ぬ。キャスをもとの姿に戻すこともできず、ハルの将来を最悪に落としめたまま、真っ黒い人影に身体を貪られて死ぬんだわ!
『お前の言うくそジジィは、エトラの顛末などどうでもよい、と。』
そうよ、それ以外にどんな答えがあるっていうの!あのくそ…ん?待って、私はそんな言葉使っていないけど?
『いや、お前は確かにあの老いぼれをクソジジィと先にのたまった。』
言ってない。そんなふうに呼ぶのはハルよ。私じゃない。私は、たとえ思っていても口にはしない。
『自分のついた悪態を他人に押し付けるのは感心しない。
だが、くそジジイという呼び名は気に入った。
お前の願いを叶えてやる。』
叶える…それは…それって、私をここから助けてくれるってこと?ねぇ、この声はフィアルーでしょう?それとも、、
『無論、石化の呪いを解いてやると言っているのだ。』
本当?本当にキャスの石化を解いてくれるの?フィアルー、あなたが?
『魔女に二言はない。
だがしかし、成さねばならない条件が一つある。』
なに?条件って…?交換条件があるってこと?私は何をすればいい?
『ときにお前は、私の本体がどこにあるか知っているか。』
本体…おかしな言い方。それならさっきまで、あなたは自分の部屋にいたけど。
『情けない…よく考えろ。
ここは魂の世界だと、お前は先に言ったばかりだぞ!』
なんで怒るのっ?
わかんないよ…確かにここは魂の世界だと言ったけれど、私は身体がちゃんとある。
リアフェスに出るには依代っていうの?器が必要だって、カリガリアンが教えてくれたのよ。
黒い影が私やギルを襲ってくるのは、身体を奪うためなんだって。
そうだわ、彼は今どこにいるの?あの時は、青い炎で黒い影を追い払ってくれた。
ううん、違う。あの時だけじゃない…意識はもうろうとしていたけれど、妖精の森で…彼は突然現れて、春風たちから私を救い出してくれた。
でも、妖精の森はリアフェスの外…彼はどうやってここを出たんだろう?妖精の領域は、リアフェスとは違う条件で繋がってるってこと?だとしても、私は彼の背に落ちた。だから彼には、実体があるってことよね?
"共に生きて戦って、フィアルーの死とともにリアフェスから姿を消した彼"は死んでいなかった?…だけどフィアルー、あなたはリアフェスの歴史上、一度死んだことになっている。
あなたの遺体は、生前の姿を保ったまま霊廟に眠っていると言われているけれど…書物に記されているだけで、実際に見た一般の人間はいなかったはず。それって、つまりあなたは。
『わが身はかの霊廟に安置された。
この目で見届けたのだから、まごうとなき事実。
となれば、私の言わんとすることが分かるな?』
え、、死んでいる自分の遺体を見届けた?
わ、わかる、かな??
えっと…あなたがいう本体とは遺体のことで、それはあの霊廟の中にある…ってこと?
『その先だろうが、肝心なのは!』
その先?!あー、もう!なんで怒るの?
『お前の脳みそが想像以上に察しが悪いからだ。』
ひどっ!私が鈍いってわかってるなら、さっさと察して答えを言ってくれたらいいじゃない。
あなた本当にフィアルーなの?どこかの傲慢な上王と話している気分になってくるのはなんで?
『お前と会話を続けていたら、遅かれ早かれ誰であろうとこうなる。
全く、先が思いやられるな。』
イーだ!そうじゃない人だって、私の周りにはたくさんいます!
だからこういうことね、あなたの身体は霊廟にあって、魂だけがここ、刻の水底にある。
魔女がここを出るには、新しい身体が要る!
『ようやく理解してきたか。』
ちょうどいいじゃない、私に出来ることはもう何もない。この身体が真っ黒い影に貪られるくらいなら、あなたに明け渡す方がよっぽどまし。
親友の石化が解けて、彼女が元の世界に戻ることができれば、ハルの未来だって変えられる。全部、丸く収まる。
あなたが最後まで見届けてくれると約束してくれたら、これはハッピーエンドといっても過言じゃない。私は満足だわ。
『興味深い、お前はいつも親友とやらの身を案じるな?その者は、お前の世界に於いてよほど高貴な身分だというのか。』
は?全っ然普通の民間人よ?重要なのは、彼女がどんな身分の人間かってところじゃないの。
私は彼女を巻き込んでしまった。そのことをずっと申し訳なく思ってる。
リアフェスに迷い込んだあの場所、あの村…最初は一人で行くつもりだった。
私一人なら、お城を訪ねて終わりだったはず。
夜に塚に行くことも、塚の隙間を覗いたり、中に入ろうなんて勇気もなかった。
こっちに来て以来、あれは変えられる運命だったんじゃないかって思いが、どんどん強くなる。
私には、後悔という言葉だけでは片付けられない。
『感傷に浸るのを止めはしないが、泣くのはやめろ。』
失礼ね、泣いてないけど?
『泣いた後に言っても遅いだろうが。
お前の懺悔はしかと聞いた。
石化は解いてやる、だが見届けはしない。』
だからっ!なんでそう?
『託すのではなく、己の目で見届けろということだ。』
それができないからお願いしてるんじゃない!
『一体誰ができないと言った。』
はぁっ…。もう、混乱して何がなんだか解んなくなってきた…。もっと簡単に話してくれない?
『だから私は、お前は自分で何を言っているのかすら理解してないと言ったのだ。』
…一つ教えて、フィアルー。
『なんだ。』
あなたは私を殺すつもりでいるの?それとも生かすつもりでいるの?
『まさにそこが肝要なのだ。
お前が生きる意思を持たなければ、上手くはいかない、エトラよ。
…もう一度よく考えてみろ。
本来、刻の水底は封印されていて、リアフェスからは誰も入ることはできない。
お前はそう言ったが、それもそのはず、封印を命じたのはこの私。
そして実行したのは私の部下。
この千年余、あの入り口を使って侵入したリアフェスの者は一人といない。
だがなぜ、お前はこの短期間に二度も難なく侵入しおおせた?』
それは、私がエトラだから…。
わかったわ。あなた、私を異界渡りの素材として食べるつもりなのね?
『お前を食らう?私に食人の趣味はないぞ。
だいたい、魂がどうやって実体を食らうというのだ。
阿呆な思いつきを口走るのも大概にしろ。』
思いつきじゃないわ。リアフェスには、エトラを身体に取り込む、つまり「食べる」と異界渡りの能力が得られるという古い伝承がある。忘れた?
『初耳だ。』
へ…?じゃぁ、千年未満の古さってことなのかな?
『たわけ、なぜその解釈になる。
信じ難いほど能天気な頭だな。
くだらん。』
じゃあ聞くけど、その伝承を馬鹿にする根拠は何?
『能力が得られることは事実。
だが獲得の方法は嘘っぱちだ。
どこで何を違えたか、偽の伝承がまかり通るなど、リアフェスも随分な世に落ちぶれたことよ。』
食べても意味がないの?能力を得る方法はエトラを身体に取り込むこと、じゃない?
『その逆だ。』
逆?え?やだ、エトラが食べる側?うえっっ。
『そこではない…。
エトラを身体に取り込むのではなく、覚醒したままのエトラに入り込む。
一方が強引に取り込んでも価値はなく、一つの器に同時に存在していなければならない。
通常、エトラには魔力がない。
故にお前の魂が強ければ魔力は発現せず、私が強いだけでは異界渡りの能力は発現しない。
成さねばならない条件を理解したか?』
うん…。一つの身体に、魂が同時に二人分存在すること。
『お前の身体を乗っ取り、ここから出るのは容易だ。
だが、お前の親友の顔を知らぬ。
加えて、再び刻の水底へ戻るすべをも絶つことになる。
ここは、私にとって戻らねばならぬ場所。』
そうよね…。千年も住んでいたら大切な場所になるね。
『ふん、感傷はいらん。』
それでフィアルー、私はこれから何をすればいいの?
『そこにじっとしていればよい。
これからお前の身体は、水に沈んでいくような感覚になるだろう。
だが呼吸をとめてはならない。
そうだな、数を数えろ。
1と2で息を吐き、3で吸う。
時が来るまで呼吸だけに集中し、繰り返すのだ。
いいな?呼吸を止めたら最後、お前は永久にそこから出られなくなるぞ。』
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脅し文句を言い捨てて、智略の魔女フィアルーの声は消えた。
真っ暗な意識の中は物音一つなく、耳鳴りのようなシーンという響きが静寂たらしめる。
水に沈むのに、呼吸しろってどういうことだろう?
考えても答えは出ない。程なく、身体を縁取る液体の水位に意識を持っていかれる。心の準備をする間もなく、私は早速沈み始めているらしい。耳が水没し、稜線の如くそれは頬を上って小鼻に触れた。
反射的に息を止めそうになる。
(だめよ、落ち着いて。呼吸するだけ。数を数えながら呼吸するだけ…)
キャスの笑顔とハルの未来。数を数え続けるだけで取り戻せるのなら、怖くない。
1,2,3,1,2,3,1,2,3,1,2,3,1,2,3…
吐いて吐いて、吸う。
3秒進んだ秒針が機械仕掛けで振り出しに戻るように、私の世界が3秒の中に永遠に繰り返されていくように、ただ数えた。
1,2,3,1,2,3,1,2,3…
繰り返す心の声が、何かに吸い寄せられていく。
1,2,3,1,2,3,1,2,3
パチン
指を鳴らす音と同時に、私は目を開けた。
そこは、誰もいないフィアルーの部屋。パチンと鳴った指は、私の右手だった。
「フィアルー…?」
誰もいない、静まり返った部屋。無機質なはずの家具や置物が、まるで生き物のように息を潜めているみたいだった。さっきの暗い場所とは、静けさの気配が違う。
「返事をして?どこにいるの?」
私の意志とは無関係に、ソファに置かれたスナックの入れ物に手が伸びる。
ポップコーンが入るようなバケツの中に盛られた、見るからに不味そうなショッキングピンクの毒々しい菓子。実際、それは一粒食べただけで喉が焼けるように痛いヤツ。私はあの衝撃を忘れてはいない。いや、一生忘れられない味だと思う。
だからなんでそんなものを小脇に抱え、もう一方の手を菓子の中に突っ込もうとしたのか自分でも不思議だった。
(いっ?!ちょっと待って、何してるの私??)
私は勝手に動く右手を制してスナックから遠ざけ、抱えていた容器を無理やり放り投げた。
『私の菓子だぞっ!なぜ投げる!!』
「手が勝手に食べようとするんだもん!」
『私が動かしたんだ、当たり前だろうが。』
「冗談じゃない!あんなもの食べたら速攻で気絶する。
…って、フィアルー!あなた私の中にいるの?」
『ああ、入り込めた。
居心地がいいとは言えないが、悪くはない。』
使い慣れない椅子の座り心地を探るかのように、彼女はぎこちなく答えた。
「すごい!これはすごい!これからいろんなことがうまく運ぶはずね!リアフェスに戻ったら、あんなお菓子よりもずっとおいしい食べ物がたくさんあるわ!早く帰らなくちゃ!!」
私の声は、自分でもわかるくらいに高揚していた。
魔力や魔法がまかり通る世界で、これ以上望むべくもない力を手に入れた私を勝者と呼ばずしてなんと呼ぶ!
目の前の絶望は彼方に吹き飛び、希望の光に照らされた未来しか見えない。私の脳内は今、エルガーの威風堂々が盛大に鳴り響いている。
『能天気頭は早速食い物の話か!お前の味覚がお粗末なことがたった今証明されたというのに、何を期待しろと?』
「あら、食事は生きるために欠かせない大切な行為よ?より美味しいものを食べようと努めて何が悪いの?それからね、もうお前なんて呼ばないで。
私の名前はララよ、覚えてよね、フィアルー!」
『ふん、心の中で話せ、ララ。
リアフェスでの独りしゃべりは気がふれた娘にみえるぞ。』
「おっと!」
(そうね…、そうする。早くギルのところへ行こう…。)
『あやつを忘れていたな。
一瞬で行く、抜かるなよ。』
そう言って、フィアルーは指を鳴らした。
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パチンッ
軽快な破裂音とともに画面が、もとい場面が一瞬で切り替わったのだった。
「欺くのもお手の物…か。
確かに、智略の二文字は侮れないよな。」
「え?」
目の前に、腕組をして頷くギルがいた。
まるで私がずっとここにいたかのように、フィアルーの部屋に移動させられる直前、私の目に映っていた彼の姿が再生されている。もちろん本物だ。
ギルの視線は自然に私を求め、私がその瞳を捕えた瞬間、私たちはほぼ同時に声を上げた。
「うわっ!/わっ?!」
私は、反射的にギルの声に反応したのだけど、彼はのけ反って固まり、自分が見ているものが何なのか探ろうとしている真っ最中の表情だった。
「ギル…?」
「かっ、髪が!ララ!」
「どうしたの?」
「髪だよ、君の髪!」
「私の髪…?」
「色が明るくなってる!変わってるんだ!長さまで!」
「えっ?」
私は、肩越しに自分の髪に手を入れた。かき寄せて指の間をこぼれ落ちる、見慣れない色。
「栗色…じゃない。
こんなに伸びて、それも背中まで。」
「なぜ君が冷静なんだ、ララ?俺は一瞬目を離しただけだぞ?どういうことだ?!」
まるで無垢のメープル材みたいな明るい色の髪。心当たりなら十分にあるけれど、動揺するギルにどう説明すれば良いのかわからない。
「あ…うん、どうだろ?でもこの現象はたぶん…。」
途中まで言いかけた私は、顔を上げた。
「ギル、ここを…刻の水底を出てリアフェスに戻ろう。
もう、やるべきことは済んだの。」
「は?!俺たち、来たばかりだけど?」
「だから、来たばかりだけどそうでもないの。
えっと、実は来たばかりじゃないというか。」
「なんてこった、ララの頭がおかしくなった。
原因は何だ?首無の騎士か?黒い影か?」
「そうじゃなくて、もう智略の魔女に会ったってこと!」
「そりゃあ知ってるさ、さっきララが自分で言ったろ?」
「あ、それじゃなくてもっと近くの話で。
えーと、本当に直前のことなの、今の今、ギルと、この会話をする前に会ったの。」
私の語彙力では、どの方向から話しても支離滅裂になる。首を傾げたギルの、諭すような声が響いた。
「いいかい、ララ?俺たちは黒い影から逃げて、ここで休もうって言ったばかりだ。
ララが智略の魔女に会う時間なんてどこにあった?俺はずっと君と一緒だったのに。」
「だよね、だよね…そうなんだけど。
ギルと話してる最中に、いろいろあって、とにかくこの髪の色、何かがあったって証拠だよ?もちろん悪いことじゃない。
後で説明するから、お願い、今は私と一緒にリアフェスに戻って。」
「行くと言ったり戻ると言ったり、何一つ成し遂げていない。
俺をからかってるのか?…なわけないよな。」
一瞬険しい顔をしたギルは私を見つめ、即座に自分の言葉を否定する。
「ごめんね…でもここに来たいって私が言った時、理由を聞かなかったでしょう?お願い、後でちゃんと話すから…。」
「参ったな。」
頭の後ろに手を当てたギルの仕草に、彼が思いあぐねている様子が伝わった。
「ねぇ、見て?私、箒なしでも飛べる。
自分に何が起きたか分かってる、狂ってないよ?ちゃんと説明できる。
今の私なら、首なしの騎士も一撃。
それに、カリガリアンが一緒にいる。ほら?」
私は軽く手を伸ばし、凛々しい獣の柔らかな毛に触れた。艶のある黒檀色の毛並み、燃え盛る練炭のような赤い二つの眼。私のすぐ脇にいるのは、神秘的で唯一無二の存在感を放つ四つ足の黒い生き物。
「黒妖犬!いつの間に?」
「フィアルーの愛犬が私の側にいる。
察しがついた?」
「いいや、何が起きているのかサッパリだ。
サッパリ解らないが、君がベールの力もなしに黒妖犬を作り出すことは不可能だよな?それに、その変化した髪と魔力…。」
「感じる?」
「ああ。…今は君の望み通りに動くのが賢明なんだろう。」
「ありがとう!」
ギルは諦めたような微笑を浮かべると黙って箒を取り出し、私はカリガリアンの背に飛び乗ったのだった。




