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12-2.懸想

 眼下に揺れる、レインの水面。街の雑踏に路面電車。

 いつだったかの夕刻も、こうしてギルの箒に乗っていたっけ…。

 あのときは、自分が半年後に追われる身になるとは思いもしなかった。


「誰も来ない。」


 彼は、後ろを振り返って確認した。

 箒の速度を緩め、飛行を変速する。

 私たちは今、彼の魔法で誰からも見えなくなっている、はず。


「良かった…。」


 怒濤の脱出劇を切り抜けて、緩やかな箒の滑りに少しだけホッとする。ハルとリビエラは、大丈夫だろうか。


「なかなかいい跳躍だったよ、ララ。」


 と、明るいギルの声。

 まさかのテンションに、動揺する。

 怪鳥と戦ったり、高いところから飛び降りたり、そんな荒事とは無縁の十数年間を過ごしてきた身としては、無邪気に喜んでる場合じゃないんだけど。


「…あれは、ホントに、死んじゃうって…。」


「ははっ、見えないほうからしたらスリルあるよね。」


「そうじゃなくて。」


 ギルの軽快な返しに、つい真顔で反論してしまう。これが彼の気遣いだってことは、分かっているのに。


「声だけじゃ、不安になるじゃない…?」


「俺の言うことを信じて大丈夫だったでしょ、ちゃんとララをキャッチした。

 愛の逃避行みたいで面白かったな。」


「あっ、愛の逃避行??」


「あらら、気に障った?」


「ううん、っていうかその…、なんでそんなに前向きでいられるの…。

 ギルは巻き込まれたって、気づいてる?」


 つい、感じの悪い言い方をしてしまった。

 彼に不満があったんじゃなく、不甲斐ない自分への裏返しだ。


「とんでもない、俺は自ら飛び込んだんだよ。」


「また、そんな言い方…。」


「ははっ。」


 口をとがらせる私に、余裕の笑み。

 ギルは、飄々とした振る舞いの中に本心を隠しこむところがある。

 こういう時、彼の微笑をどこまで真に受けていいのか、よくわからない。ただ、謝りたい気持ちはあった。


「私は皆に迷惑をかけてばっかり。

 今回のことも、本当にごめん。」


 私は頭を下げた。


「うーん、違うな。

 迷惑だと思っていたら、俺は君に近づきやしない。」


 ギルの声は、迷いがない。

 見かけは軟派な優男なのに、肝心な部分はちゃんと芯がある。私がウィッスルの街で路頭に迷ったときも、この人はこんな風だった。


「俺は、絶対に見失いたくない正義ってのがあるんだよね。」


 彼は遠い誰かを思い描いているかのように、前を見つめていた。


「ララは、何も悪いことはしていない。

 エトラというだけで囚われるのは筋違いだってこと。

 だから今、ここにいる。

 己の信条に従って行動したんだ、ララのせいじゃないだろ?」


 不意に、彼の視線は私に向けられた。


「ギル…。」


「自分を追い込むのはやめるんだ。

 いいね?…いい子だ。」


 私が素直に頷くと、彼はとても満足そうに笑った。

 一人っ子の私には想像もできない、兄弟という存在。それは、両親とも友達とも違う。

 もしも、こんな優しい兄がいてくれたら…私が見る景色は、少しは違っていたかもしれない。

 そんなことを思った。


「ねぇ、ギル?」


「なに?」


「上王は…その、私を、、」


 口ごもるその先は、私にとって残酷な現実。自分から発するには、まだ少し勇気が足りない。


「あの様子だと、君を素材にするつもりだよ。」


 単刀直入に言葉を続ける彼に感謝しつつ、私は不安をぶつけた。


「やっぱり、そう思う?」


「ああ、思ったね。」


「だよね…よくわからないけど、凄く怒ってるみたいだった。

 なんで私がエトラだって知ってたんだろう。」


 なんとなしに、目線がギルに定まる。


「おっと、俺じゃないよ?」


「え?ううん、そうじゃなくて…誰がいたかなって。」


「君がエトラだと知っている人物?何人いるの?」


「…四人、かな。

 あなたと、リビエラ、ハル。

 それから、ハルの師匠。

 私、あなた達三人が上王に知らせただなんて絶対に思わない。」


「三人ねぇ、、全員じゃないんだ?」


「ハルの師匠…。

 あの爺さんは、本当に油断ならなくて。

 心の底から他人の不幸を笑うような人だから。」


 疑いたくはないけれど、例のごとく、なんだろうこのモヤモヤは…。

 ニヤリと薄ら笑いを浮かべたオルランドの顔が、陽炎みたいにチラつく。


「そんな人間がフォンウェールの師匠なのか?

 いや、あいつの歪んだ性格はそこ由来か…。」


 ギルは一瞬真顔になり、その後、腑に落ちたとでも言いたげに独り言ちた。


「それ、どういう意味?まぁでも、師匠と上王に接点があるとも思えないんだけど。」


「じゃぁ、本人の口から直視聞くしかないね。」


 彼は言葉を切り、私たちの間に、ひとときの沈黙が続く。


(本人の口から直接…。)


 どこかで、同じ科白を聞いた気がする。


『本人の口から、直接お聞きになるほうがいいわ。』


 ふと、澄んだ女性の声が脳裏によみがえる。

 あれは、ハリオデスの言葉だ。

 彼女たちは、オルランドを指して言ったんだっけ…。


 嫌な予感。じんわりと、核心をついてしまったような考えが湧き上がってくる。

 そう、やっぱり、なんだかんだ全ての元凶はオルランドなんじゃないかって。

 あの人が魔法を一振り、石化解呪の呪文を唱えてくれさえすれば、私たちがこんなに苦しむことはなかった。ハルが、上王とあんな不条理な契約を交わすことも…。

 どちらにも属さない流浪の旅人。だから、私を助けてくれないということ?

 人を翻弄する天才。ハルが怒りを募らせる理由が、わかる気がする。


「それで、これからどうする?一旦イーリーベルに戻るかい?」


 ギルが口を開いた。


「実は行きたいところがあって…。」


 私が行き先を伝えると、彼はすごく驚いた顔をした。


「まあ、逃避行するには格好の場所…かどうかわからないけど、オーケー!」


 彼は箒の矛先を変えた。



 -------



 棟の七階にある一室。

 ベッドに横たわるハルの両脇に、二人が座っていた。

 一方にメイヴ。そしてもう一方にリビエラ。

 メイヴはハルに背を向け、暮れつつある午後の遠い空を見ていた。


「陛下…なぜここに…?」


 ハルが目を覚まし、メイヴの背中を認めた。声量はまだ、普段の勢いがない。


「民を気遣って何が悪い、そろそろ目を覚ます頃だと聞いたのでな。」


「そうですか…。」


 ハルはそっけなく呟き、事態を把握しようとリビエラと視線を交わす。

 彼は周囲の様子から、ララが去ってかなりの時間が経過していることを悟った。


「なぜ、娘を逃がした?」


 窓から視線を移さぬまま、上王がたずねた。

 彼女は、一斉に割れた窓ガラスがハルの仕業であるということを承知している。


「なぜ…あのような嘘を?」


 目を閉じて返すハル。


「私の質問が先だ。」


「あなたは…報酬はいとわないと言った。

 だからオレは、再生の花の雫を要求した。」


「言葉とは甚だ難しいものだ。

 アレが、価値もわからぬ愚昧な娘の手に渡る…。

 考えただけでも虫唾が走る。」


「ララが雫の使用に値しない人間だとは、思いません。」


「あの娘は、エトラだ。」


「なぜ、その結論に…?」


「ふん、お前の誘導には引っかからんぞ。

 私とて、リアフェスの命運を背負っている。」


「リアフェスの命運とララは、何も関係がない。」


「残念ながら現状は、大いにある。

 エトラ一人とリアフェスを天秤にかけるなら、私が出す結論は明白だ。

 そしてお前は、私に従わなければならない。」


「あなたが迷信に振り回されるお方だとは。

 オレの目は、とんだ節穴…。」


「何をのたまう、検証しなければ真偽は立証されない。」


「…検証するまでもない過ちを犯すおつもりですか。」


「誤りであることが証明されることになんの過ちがある。

 良からぬことを考えるな、フォンウェール。」


 上王の言葉に、ハルは何も返さなかった。


「護衛を置いていく、養生していろ。」


 暫しの沈黙の後、メイヴはハルに背を向けたまま立ち上がった。

 リビエラも席を立ち、彼女を見送る。


「お前の名は?」


 上王は扉の前で立ち止まり、リビエラを見上げた。


「ユベール。

 リビエラ・ユベールと申します。」


「ユベール、お前はあの目を見ても、なんの影響も受けないのだな。」


「…はい。」


「羨ましい限りだ。」


 サファイアの瞳は、微かな笑みを浮かべた。彼女は、あの禍を知っているのである。


 ガラリッ


「帰るぞ。」


 廊下には、ストライドとアルバが待機していた。

 そして彼女はアルバに耳打ちすると、ストライドとともに場を立ち去った。


 -------



「エトラ、か…。

 本物だったとはな。」


 上王が、階段を降りながら呟く。

 興奮すると、メイヴは普段以上に早足だ。

 小柄な身体が生み出す力強いバネは、ストライドですら気が抜けない。


「とんだ拾いものでしたね。」


 ストライドが相槌を打った。

 響く足音に紛れ、二人の会話はリズム良く続く。


「お前は、良く気がついたな。」


「北の国ノウルドまで行った甲斐があったというものです。

 クレアモントの法定財産管理人が妙なことを口走らなければ、私も見逃していました。」


 ストライドの言う、クレアモントホールの法定財産管理人。

 覚えている方は、おいでだろうか?

 正式な名称は、ノウルド所属法定財産管理人第四千四百六十九号。

 ララがクレアモントホールの遺産を相続する際、真黒な制服に金縁の眼鏡をかけて現れた、フクロウ形の執行人である。


 法定財産管理人第四千四百六十九号の仕事は、決められた手順に沿って手続きを行うこと。

 クレアモント卿ローレンス・エドワード・シャタックの遺産を、ララ・ミドリカワに譲渡する際の見届人となること。ただそれだけである。

 ソレ以上もソレ以下も、彼の範疇ではない。


 そんなフクロウ執行人の元に、ある日偉そうなミースの官吏がやって来た。


 ここ以外、どこにも記載がないララ・ミドリカワという名についてストライドが執拗な詰問をした際、執行人はうんざりして嫌味の一発をお見舞いしたのである。


『ギョゲー!ララ・ミドリカワが何者だろうと知ったことですか!たとえ異界人であっても相続人になってはならないという法はございません!』


 フクロウからすればとんだとばっちり。彼だって、まさかララ・ミドリカワが本当にエトラだとは微塵も思っていなかったはずだが、、感の鋭いストライドは、取りこぼさなかったのである。

 彼の立てた仮説は、今日、ララの動揺ぶりと周囲の反応によって確かな手ごたえを得た。


「ギリアムの行方は?」


 待機していた馬車に乗り込んだメイヴは、ストライドにたずねた。


「依然、不明です。」


 部下の報告が聞こえていないのか、彼女は黙り込む。


(フォンウェールが逃げ道を作り、ギリアムが連れ出した…どんな利害が一致したんだ…?)


 メイヴにとって、あの二人、つまりハルとギルが結託するほどの仲になっていたというのは、大きな誤算だった。


「陛下…?」


「…ああ、わかった。

 派手な捜索は控えろ、雲隠れをしても長続きはしない。」


「御意。

 ところで、私はフォンウェールがあのまま大人しく寝ているとは思えないのですが。

 泳がせるおつもりですか。」


 ストライドは眉間を寄せ、納得がいかないという表情だった。


「むしろ…お前はあの娘を見てどう思った、スタン?」


 メイヴは何か言いかけ、次の瞬間思い直してストライドに質問した。


「どう、とおっしゃいますと?」


「あれは必ず戻ってくるぞ、フォンウェールを取り戻しに。」


「そこまで気概のありそうな印象は受けませんでしたが。

 魔力もない、一介のエトラが…ですか。」


「だが、唯一無二の能力を秘めている。」


 メイヴは片手で頬杖をつき、窓から眼下の街を眺めた。

 穏やかに流れる二本の大きな川。東西に広がる新市街。伝統ある旧市街の街並みと、鎮座する偉大な魔女の霊廟。

 この平穏な光景を、彼女には守り抜く義務がある。


「あの力があれば、リアフェスの安寧は保たれる。

 余計な隙を見せた娘が悪い。」


「それで、あのようなことを。」


 ストライドは、上王の意図を掴んだようだった。


「フォンウェールは、明日にでも我が城へ移そう。」


「承知しました。」



 -------



 同じ頃、病室にてー。



「どうした…?」


 ハルが、戻って来たリビエラに声を掛けた。


「ん、あのさ。」


 言いながら、彼女は少し晴れやかな表情でハルを見る。


「彼女が知ってたってことにも驚いたけどさ。」


 と、真紅の影をあらわにしたハルの瞳に視線を注ぐ。

 そこに宿る禍の焔を見た者は、ハルに対して攻撃的になるという、お世辞にも縁起がいいとは言えない代物。火の精霊イヴニスの呪い。


「僕がその瞳を見ても何ともないことが羨ましいって。

 別れ際にそう言われたよ。

 口で言うほど、悪意のある人じゃないのかなって思ってさ。」


「ああ…。」


 ハルはそう言って、忌々しい瞳を再び閉じた。実は彼自身も、なぜリビエラが平気なのかわからない。


「なんだよ、もったいぶって閉じなくてもいいじゃないか。」


「別に、この方が楽なんだ。」


 彼は目を閉じたまま言った。

 普段は、無意識の境地に達した精神力で禍の焔を抑えている。

 しかし今は、怪我のせいで集中力が持続しない。

 無防備になった瞳に、かえって違和感を感じてしまうのだった。


「大事に至らなかったのは、お前の応急処置が適切だったからだと聞いた。」


 ハルは話題を変えた。


「君は本当に、持ってる男だよ、ハル。」


 リビエラは自分の椅子に座り、話を続ける。


「背中の傷は、フラリンガスの雛の爪だ。

 急所は外れていたけど、もしも成鳥の爪だったら…その程度では済まなかったと思う。

 ギルの魔法、僕の知識、それから、ララの魔道具…あの時は、必要なものが全て揃っていた。

 …ララ…無事かな。」


 リビエラは顔を曇らせた。


「ギリアムがついている。

 …時間稼ぎ程度にしかならないが。」


「あの男…ずっといけ好かない奴だと思っていたけど、案外と悪いやつじゃなかった。」


「すでに死んだかのような言い草だな。」


「現実にならないことを祈るよ。

 まがりなりにも騎士団員だろ。

 僕は君たちの読唇術が理解できなかったけど。」


「あいつは、自分からララを連れて逃げると言ったんだ。

 今日一日、逃げ切れば…あとは何とかする。」


「は?…何を言って」


「お前がララなら、どこに逃げる。」


「はぐらかすな、ハル。

 君はまだ休んでなきゃだめだ。」


「ギリアムの魔力にも限界がある。」


「僕の話を」


彼女(上王)の落ちつきぶりを見てもわかるだろう、捕まるのは」


「君の言いたいことは重々承知なんだよ!」


 リビエラは、珍しく声を荒らげた。

 殺風景な病室に彼女の声が響き、シンとした空気が重くのしかかる。リビエラは息を吸い込み、努めて冷静さを取り戻そうとした。


「いくらハルの回復力が高くても、限界はあるんだ。

 さっき無理して歩いたせいで傷口がまた開いている、一日どころか数日は安静にしてなきゃだめだ。

 ララのことはギルに任せたんだろう?時雨もついてるし、君が思うほど、彼らは頼りなくなんかないよ。

 それでも行くっていうなら、僕には、君を確実に動けなくする方法があるからね。」


 ハルは、凄む相手をじっと見ていた。


「そんな目で僕を見るな。」


 リビエラは、憂鬱な表情で視線をそらす。


「僕だって、ララのことが心配なんだ。」


 そして再び、真摯な瞳はハルを見る。


「同じように君のこともだ、ハル。

 その傷では、ララを守ることはできない。」


 彼女の言葉は、医師としての自覚に目覚めつつある極めて現実的な判断だった。


「わかった。」


 ハルはそう言うと、静かにリビエラから視線を外した。

 予想外に素直なハルの反応に、リビエラの直感が釈然としなかったと言えば噓になる。しかし彼女は、深掘りするのをやめた。


 ハルがふと、自分の右前腕の違和感に気づく。

 ゆっくりと腕を上げると、そこに巻いてあるのは、見慣れた白いリボン。


 なぜ持ち主のもとに戻らないのか…。彼の目は、そう言いたげだった。


「病院のスタッフが不思議がってたよ、何度解いても君の右腕に巻きつくって。」


 琥珀色の瞳が、せつなさを滲ませて言った。

 いつもララの髪に結ばれていたあの真白なリボンは、今、ハルの腕にある。


「馬鹿なことを。」


 ハルは腕を下げ、天井を見た。


「もう少し言葉を選べないのか…他に言い方があるだろ…。」


 リビエラが諌める。


「無防備なまま戦場へ飛び出してどうする。

 オレが魔法をかけてやった意味がない。」


「なにを言う、ララは君のことが心配なんだよ。

 あの娘がどれほど君を想っているか…あれ…?…君は…感じ…ないって…うの…かい…。」


 リビエラはベッドに伏し、吸い寄せられるように眠りに落ちた。

 ハルの魔法に、彼女は深い寝息をたてている。


 ハルは、ベッドから出た。

 背中の傷は痛むが、耐えられないことはない。

 彼は端から、一晩たりともこの部屋で過ごす気はなかったのである。


 窓に近づき、上王が残していった護衛がいないことを確認する。

 そして彼が移動しようとしたその時、部屋のパーテーションの影から、何かが天井に向かって高く飛んだ。

 窓ガラスにその人影が映る。


「くっ!」


 相手をかわそうとした刹那、身体がぐらついた。


 ヒュンッ トスッ


「アル…バっ!」


 使者の放った黄金の矢が飛び、ハルは両膝をついてその場に崩れた。

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