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12-1.契約

 東の空が、白み始めていた。

 光とともに明ける、真新しい一日。

 サイクルは、時の無常を私たちに知らしめる。

 全ての出来事は時間に押し流され、決して後戻りすることはないのだと。


 わかっている。

 そんなことは、わかっている。だけど、割り切れない。


 “なぜじっとしていられないんだ?”


 最後に聞いたハルの声が、私を責め続ける。

 もしも時間を巻き戻すことができるなら、次は雛に近づかない。絶対に、あの場所を動かない。


「旦那さま…?」


「ん…。あ、ごめん、涙が、」


 頬を伝う雫が、私の胸元にいる時雨にポタリと落ちていた。


「いいえ、お構いなく。

 ハル様はきっとご無事ですよ、大丈夫ですとも。」


「うん…。」


 私は今、アルバに背負われて空を飛んでいる。

 上王の使者が履く黄金のブーツは風のような速さで空をかけ、リビエラとギルがハルを運んだ、スクレピアダイの病院へと向かう。


 いつも私たちから距離を取り、遠巻きに沈黙するアルバ。こんな時でも、相変わらず必要最低限のコミュニケーションしかとらない。

 リビエラたちが私のコンパクトで移動すると、残された私に自分の背に乗るよう身振りで合図してくれた。


 私を軽々と担いで空を飛ぶ、小さな巨人。上王の命でリアフェス中を飛び回る身体は、伊達じゃないと思う。

 一刻も早く、ハルのもとへ行きたい。募る思い。押し寄せる後悔。様々な思いにからまれて、私は彼の無事を祈りながら、二つの川を従えるウィッスルの街並みを確認しようと前を見続けていた。


 -------



 ロウワー・レインの新市街にある、スクレピアダイ附属病院。私達は、その正面玄関に降り立った。

 アルバに別れを告げ、広い院内を迷いながら急ぎ病室へと向かう。


「ララ、ここだよ!」


「リビエラ!」


 私たちはお互いを抱きしめ、ほんの数時間ぶりとは思えないほどの再会を噛みしめた。


「よく来たね。」


「ハルは?!」


「大丈夫、命に別状はない。

 まだ麻酔が効いていて、その部屋で眠っている。」


「そう…良かった…。

 私のせ」


「ん、ん。」


 リビエラの指先が、私の唇に触れる。


「その先を言ってはいけない。

 これは誰のせいでもないのだから。」


「でも…!」


「例えば僕たちがもっと早くフラリンガスを仕留めていたら?」


 リビエラは、憂いを帯びた瞳で私を見た。責任を感じているのは、私だけじゃなかったのだ。


「ね、そういうことだよ。」


「ごめんなさい。」


「ハルの顔を見に行くかい?」


「いいの?」


「あいつの寝顔なんて、そうそう拝めるもんじゃないからな、いい機会だ。」


 彼女はそう言って、いたずらっぽく笑う。そしてふと、思い出したように洋服のポケットに手を入れた。


「忘れないうちに返しておくよ。」


 私の手のひらに、そっと手渡されたコンパクト。


「それがなかったら、ハルは危険だった。

 出血の量が半端なかったからね。」


「役に立って良かった。

 一度に移動できる人数が限られてるのが難点だけど。」


「十分さ、君がクレアモントの主で良かった。」


 リビエラの言葉に、ハッとなる。

 そうだ。この魔術道具は、クレアモント卿から継承したもの。

 現在(いま)の主である私の言葉でなければ反応しない、特殊なものだった。

 少しは、意味のある使い方ができた…そう思ってもいいのかな…。

 私は、とても勇気づけられたのだった。


「さぁ、入ろう。」


「うん。」


 リビエラが病室のドアを引き、中に入るように促す。私は軽い緊張を覚えながら、足を踏み入れた。

 すごくドキドキする。ハルの寝顔を見られるから?


 とその時、廊下から勢いのある、一連の足音が響いた。

 その数は、数人。早足で、不吉なものが迫ってくるような物々しさと緊迫感がある。


「何事かな?」


 私たちが顔を見合わせ、リビエラが廊下を確認しようとドアに手を伸ばしたその時、一団の動きは私たちの部屋の前で止まった。


 ガラリッ


 勢いよくドアが開き、そこに厳しい目つきの女性が立っていた。

 髪はブロンドでおかっぱ。そして瞳は、キャスの美しい青にも劣らないサファイア色。


 あれ?この人どこかで…?


 不思議な既視感が、私を襲う。


「ララ・ミドリカワ!」


「はいっ?!」


 勢いよく名前を呼ばれて、反射的に返事をする。


「害獣はお前か。」


 サファイアの瞳が、心の底から蔑むように私を睨んだ。

 あまりに突然のこと過ぎて、こっちは返す言葉もない。この人今、私のことをガイジュウって言った?


「来い。」「きゃっ。」


 彼女は私の手首を掴むと、踵を返してものすごい勢いで引っ張った。


「待ってください、彼女が何をしたというんです!名前も名乗らずに失礼じゃありませんか!」


 私を行かせまいと、リビエラが私のもう片方の腕を掴む。


「名乗る必要があるのか?」


 女性は振り返ってリビエラを見上げると、自分のブロンドの髪をグイと掴んで放り投げた。

 はらりと現れる、ワイン色に似た赤。


「!」


 リビエラは一瞬驚いた表情を見せながらも姿勢を正し、私を掴んでいた手を静かに離した。

 私の知らない、暗黙の了解。いったい何が起きているのか、わからなかった。


「わっ、ちょっ、痛っ!リビエラっ?」


 またもや強引に引っ張られる。


「大丈夫、ついていくんだ。いいね?」


 リビエラは、連れていかれる私の頬に触れた。だけどその目は、嘘をつけない。これは絶対に、大丈夫なやつじゃない。


 後ろにいた男たちが、すっと道を開ける。その中の一人に、見慣れた顔があった。


 ギル!


 唇の前で人差し指を立て、何も言うなと合図するギル。彼がここにいるということは、この女性はまさか…?いや、まさか、よね?


 私は廊下の奥まで連れていかれ、彼女は文字通り私を床に向けて放り投げた。


 ザザッ


 立ち上がろうとする私の前に、コツコツと足音が近づく。

 顔を上げると、彼女は姿勢を低くして顔をグイと寄せてきた。その瞳には、明らかに怒りの色が宿っている。


「怯えた目だ。

 お前は誰だ、とでも言いたげだな。」


「だ、誰ですか…。」


「覚えはないか?」


「はい…。」


「ふん、私の顔と名を知らぬものなどいないと思っていたが、過信であった。

 まあいい、これが何か、お前にわかるか?」


 そう言って、彼女はあるものを私の前に差し出した。

 長い人差し指と親指の間に挟まれた、縦に延びたひし形を成す、紫色で、掌に収まるほどの透明の小瓶。中には、液体が入っている。


「いえ…。」


「再生の花の雫だ。」


「えっ?」


 私は、瞬く間に小瓶にくぎ付けになった。

 あの希少な雫が、私にとっては幻にも等しい代物が、今、目の前にある。


 キャスの石化を解く、魔法以外の四つの方法。

 再生の花の雫は、その一つ。

 必要なものは何だったっけ?

 火焔に咲く灰の花、青い薔薇、そして一年という歳月。


 その値段は、町が一つ買えるほどだとハルは言った。

 到底手に入れることはできないと、真っ先に諦めたヤツだ。


「お前は、これが欲しいのだろう?」


「え?なんで知って…?」


「くれてやる。」


 そう言って、彼女は躊躇うことなく小瓶をはじいた。


「あっ!割れっ…!」


 慌てて手を伸ばしたものの、間に合わない。

 容器は床を跳ね、私の手元のすぐそばで止まった。


 きらきらと光を反射する、揺れる液体。

 それはキャスの姿を元に戻し、全てを終わらせる夢のような魔法薬。

 もう、リビエラを巻き込むことも、ハルが私のせいで生死をさまようこともない。

 私の脳裏に、これまでの苦労と涙を呑んだ失敗が、走馬灯のように駆け抜けた。


 無邪気にたゆたうこの煌めきは、私たちの未来。

 喉から手が出そうなほどの、猛烈な誘惑に襲われる。

 欲しい。欲しい…。


「み、見ず知らずのお方から、このように高価なものを受け取ることはできません。」


 私は拳に力を込め、顔を上げた。


 ネイロン湖の藻草は、取り損ねた。

 状況は、随分と切羽詰まっている。でもまだもう少し、私の理性は残っているみたいだ。


「高価…これがどれほどに価値あるものか、お前は知っていると?」


「町が一つ買える値段…そう聞きました。」


「町ではない、国だ。」


「くに?」


「人体の欠損、瀕死の病人はもとよりあらゆるものを再生・復元する究極の雫。

 作り上げるには、お前には想像もつかぬほどの徒労、そして人命が賭されている。

 故にそのたった数ミリに、一国を賄うとも劣らぬ貨幣価値がついた。

 お前は、これを手に入れてどうするつもりだ?

 その身に不相応なものをなぜ望む?」


「望んでなんか…私には絶対に無理だって、」


「手に入れられるものならば手に入れたい、これを目にしたお前は今、喉から手が出るほどにそう望んでいる。

 否定してみろ。」


 私はゾッとした。

 この人は、人の心の繊細な部分を丸裸にする。

 それも、土足で踏み込むような、とんでもなく荒々しいやり方で。


「だから、くれてやる。

 遅かれ早かれ、それはいずれお前の手に入るのだ。」


 彼女はすわった眼で、私を軽蔑するように言った。その支配的で冷たい声色に、不思議と氷の国の女王が重なる。


「どういう、意味ですか…?」


「私の後ろを見ろ。

 他者に肩を借り、瀕死の状態で立っているあの情けない男が、私とそういう契約を交わしたからだ。」


「なっ!」


 私は立ち上がり、彼女のずっと向こうにいるその人を見つけた。


「ハル…!」


 廊下の壁に手をつき、リビエラに肩を借りてかろうじて立っているハル。

 彼が、そんな理由でこの人の仕事を請け負ったなんて、私は信じられなかった。

 ハルの声が聞きたい。本当のことを、聞かなきゃ。


「一国を賄えるほどの金額だ。」


 彼女は駆け寄ろうとする私を阻み、指で押し戻した。


「一介のウィザードが稼ぐには、どれほどの時間が必要だと思う。

 むろん数年で終わるはずもない。

 再生の花の雫と引き換えに、自分の人生を売ったも同然だ。

 命と魔力を削り、私に仕え続ける。

 愚かな娘のために。」


 彼女は最後の一文を、最も怒りを込めて言い放った。


「雫を手に入れて、さぞ満足だろう?小娘。

 したたかとはこのことだな。」


「嘘…。」


「私が嘘を言ってどうなる?反論する者もいないようだが?」


「私が…嘘だって知ってる。

 私はこんなものいらない、こんなものがハルの人生を奪うなんて…誰が望むもんですか!」


 大きく足を引きずる音がした。頭はうなだれたまま、ハルがゆっくりと前進する。それを、リビエラが支えていた。


「まだ余力があるとみえる。」


 彼女はそう言うと、今度は到底私にしか聞こえない声で悪魔のようにささやいた。


「お前はいったいどんな手を使った?茂みに隠れて怯えるふりをするのが、それほど上手いのか。」


「違うっ!」


 ドンッ


 私は彼女を突き飛ばした。それはいくら()()でも、嫌悪感を抑えきれないほどの怒りの衝動だった。


 ズズッ


 ゆっくりと進むハルの足。

 私は唇を噛み、目の前の彼女に向き直った。この人は、私が想像していた通りの自分勝手で傲慢な人間だ。ハルが否定しなくても、私が否定してやる。


「私は、再生の花の雫は受け取りません。

 だからハルを解放してください、上王陛下。」


「ほう、私のことを知らぬのではなかったか?それとも醜い本性を現したか。」


 サファイアの瞳が、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。


「これまでのお話から、あなたがリアフェスの上王であるとしか考えられないと思っただけです。

 それに…私は、ハルを虐げるあなたの手なんか借りない。」


「しいたげ…あれは私の大切な部下だ!私利私欲にかまけて男をたぶらかす素性の知れぬお前とこの私を同じ目線で語るな!」


「たっ、たぶらかしてなんか!」


「黙れ、不埓者!リアフェスに於いてお前の名が記されているのはただ一か所、クレアモントホールの相続人としてのみ。

 さてお前は、どこで生まれ、どこからやって来た?」


 厳しいサファイアの瞳は私を捕らえたまま、こう続けた。


「小娘、お前は異界人(エトラ)か?」


「!」


 瞬く間に、その場の空気が凍りついた。

 なんで、この人は知ってる…?


 リビエラが、訴えるような目で首を小さく横に振った。

 それはどういう意味?私に嘘をつけと?それとも何も言うなと?


 頭の中が、ぐるぐる回る。血の気が引いて、立っているのがやっとだった。

 ここで認めれば、私は捕まって、それから…。それから…!


「うぁ…。」


「どうした、はっきりと答えろ。

 この目がお前の真偽を見抜いてやる。」


「わ、私、」


 甲高い破壊音とともに、廊下側のガラスが一斉に砕けた。


「何事だっ!」


 上王が身をかがめ、黒髪の男がとっさに上王を抱え込む。

 事態を把握できずに立ちすくんでいると、耳元でギルの声がした。


 “逃げるぞ、ララ!”


「えっ?逃げ?」


 “いいから早く!”


「でもハルが…!」


 私は姿の見えないギルに引っ張られ、廊下の突き当りに向かって走った。

 そこに取り付けられていたはずの窓は、さっきの衝撃で粉々に割れている。

 私は窓枠を超え、七階から飛び降りた。

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