10-7.目覚
森は、輝きを取り戻しつつあった。
木々の葉はそよぎ、ひび割れた大地が雨水を受けて勢いよく渇きをいやすように、草木は大地からみなぎる…もっと正確に言えば、ハルを通して供給される底なしの不思議なエネルギーを吸い上げていた。
石に変えられたハリオデスが、この活き活きとした森にはまるで場違いの遺物と錯覚するほどに。
私は彼女たちに手を伸ばし、すんでのところで触れるのをためらった。
妖精は身勝手。人間の存在を認めながら、私たちを範疇の外のモノとみなす。
ハーフである私が常に一方の世界から同族とみなされないのと同じように、妖精も人間を受け入れない。
この心に刻まれた嫌厭も、たぶん簡単には消えない。
望めるのは、お互いの利害が一致する共闘だけ。そこに血の通った関係なんてない。
けれど、目の前の彼女たちを見ていると心がざわつく。
世の中に風変わりと呼ばれる人間がいるように、この世界にも、例えば人間を守るために抗い、恒久の罰を受けた妖精がいた。
私は石像の中に美しいものを見つけて、自分を彼女たちに触れるには相応しくない人間のように感じてしまった。
コルクットが、私に向かって花輪を差し出した。
「お願い、僕は背が届かないから。」
ふと彼を振り向いた私に、少年は情けなさそうな顔で言った。
「うん…。」
一度は手放した花輪が、再びこの手に戻った。
(このまま、持って逃げたら…?)
できもしない想像が、心をよぎる。これを、魔が差すっていうんだろうか。
ふとハルの姿が浮かんで、邪念を取り消すように心の中でかぶりをふった。
私は視線を上げた。ハリオデスは、背が高い。
腕を上げて思い切り背伸びをすると、キャスの頭上にかしずくはずだった、きらきらと静かに光る花輪を、一番近いハリオデスの頭上に置いた。
すると灰色の砂が、崩れるようにサラサラと溶け墜ちた。
「わぉ…。」
若草色の森によく似合う、黄金色の髪が現れた。続いて淡い桜貝色の、美しい肌。巨匠が残した名画のような七人の女性は、私の前で息を吹き返した。
これが、キャスだったら!
心の中で思わずそう叫んでしまった私は、感嘆と後悔の入り混じった複雑な気持ちで、三大妖精イブニスの術が解けていくのを見守った。
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『あなたが、解いてくださったの?』
本来の姿を取り戻したハリオデスが、私を見た。
生身の彼女たちは、神秘的な森が具現化したかのようないでたちをしていた。
素朴さの中に何とも言えない気品があって、いい匂いがする。
本当にどう表現すればいいのかわからないけれど、時にそれは森の朝露の香り。かと思えば百花の香り。またある時は、星夜を抱く夏の大地の香りを思い起こさせる。
まるで彼女たちの感情が、森を彩るあらゆる香りと連動しているみたいだった。
「はい…。」
私は控えめに答えた。
『まぁ、でもあなたは…いったい…。』
明らかに妖精ではない私を見つめて、彼女は私と同じことを考えているように見えた。
この森になぜ人間がいるのか、と。そして私の隣に立つコルクットに気が付くと、全てを悟ったかのような眼差しで身をかがめた。
『あなたがここにいるということは…。』
「はい、お初にお目にかかります、姉さん。」
コルクットは声を震わせ、感極まった様子で言った。
『よく無事で…あれからどれほどの歳月が…?』
「20年。
僕はあの直後に生まれました。」
『人の子の歳月なら十分だわ。』『あの子たちは…無事…?』
ハリオデスは口々にコルクットを質問攻めにした。
そして私は、茫然と七人と一人を見つめながら彼らに埋もれていた。
少年が彼女たちを「姉さん」と呼んだことにも驚いていたし、一斉にしゃべりだ七人を見事にさばいている彼の状況に、目が回りそうになった。
最後にハリオデスは、感極まった様子でそれぞれがコルクットを抱きしめ、祝福のキスをした。
少年の満たされた表情を見ていると、それも少しは慰みになる。私は、正しいことをしたのだと。
『この子から話は聞きました、ララ。』
一人のハリオデスが、私に言った。
『私たちを救ってくださったことに、心より感謝します。
そして、さぁ、あなたのご友人の解放と、もうお一方の手当てに参りましょう。』
そう言ってお辞儀をすると、花のような微笑を浮かべた。
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彼女たちの復活は、森の完全な復活を意味していた。
気が付けば鳥のさえずりが聞こえ、蝶が舞っている。小さな草食動物は茂みや木立から顔をのぞかせて、興味深げに私を見ていた。
ハリオデスは、大地に倒れているリビエラに近づくと、彼女の傷をいやし、活力を与えてくれた。
目覚めた彼女に事の成り行きを説明するのは少し大変だったけれど、リビエラはいつもの強烈な力で私を抱きしめた。
「何よりも大切なのは、君が無事だということだよ」と言って。
次にハリオデスはハルに近づくと、等間隔で彼の周りを取り囲み、お互いに手を繋いで小さく唱えた。すると、ハルを覆って棺のようになっていた青草が、忠実な下僕のようにその懐を開いた。
『まぁ、ウェール!』
彼女たちが一斉に叫び、彼を覗き込む。
「えっ?!どういうこと?」
私は心臓が止まるような思いで、彼女らをかき分けた。蓋をあけたら別人だったなんて、そんな狐につままれたような話があっていいわけがない。そんなの、絶対に許さない!
「この人はハルよ!」
私は最後に見た時と何ら変わらないハルを見つめて、七人に訴えた。
けれど彼女たちは、一斉に首を振る。
『いいえ、ウェールだわ。』『そうね、髪の色も顔だちもそっくりそのまま。』『私たちのウェール。』『ほら、あの装飾を着けているわ。』『それが確かな証拠ではなくて?』『これほど瓜二つの別人がいて?』
「そんなわけない、彼は…!ねぇ、リビエラ、あなたも何か言って!」
「ふむ、面白い現象だね…。
彼女たちが僕らをからかってるとは思えないし。」
彼女は顎に親指を当て、真顔で言った。
「そうじゃなくて!こんな時にふざけないで!」
「失礼な、僕は真剣だよ。」
『では、あの子はなぜここに?』
最後の一人が、コルクットを指して尋ねた。
『もっともだわ。』『それもそうね。』『いったい、どういうことかしら。』
「説明してくれる?コルクット。」
全員の視線を一身に集めた少年は、少し間をおいて沈黙を破った。
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「僕の名は、ルース。
この森で生まれた、ハリオスの森の末の弟。
だから彼は、ウェールじゃない。」
彼の言葉に、ハリオデスがざわついた。そしてリビエラと私は彼の言わんとしていることが理解できず、お互いに目を見合わせた。
「ごめん、よくわからないな。」とリビエラが言った。
「君がハリオスの森のルースであることと、僕の親愛なる友がウェールなる人物ではないことの証明に、どんな繋がりがあるの?」
『それは私がご説明しましょう。』
ハリオデスが一歩進み出る。
『私どもの理は、こういうことなのです。
森の妖精はその精神は違えど、人間と変わらない肉体を持ちます。
この身体は森の結晶ともいうべき特殊な力によって生成されるため、私どもがこのような姿で存在できる数は限られているのです。
つまり、一個体が消滅すると、森はその結晶を糧に新たな個体を生成する。
よって私どもの弟は、常に一人しか存在しえないのです。
ルースはあの出来事の直後に、ハリオスの森に生まれ出でました。
おそらくは、ウェールの身が消滅したからでしょう。
彼は愛しいルディアのために、最悪をも恐れぬ覚悟でしたから。』
「つまりルース、君は」とリビエラは続けた。
「ウェールの結晶を受け継いだ新たな妖精。
君の存在はウェールの消滅を意味するから、わが友はウェールではあり得ない、と。」
「その通り、リビエラ。」
「わけが分かんないわ…とにかくハルがハルだってことの証明をしたのよね?コル…ルース?」
「うん、そうだよ。
だけど僕が証明できるのは、僕のことだけ。
姉さんのおっしゃる通りにその人がウェールと瓜二つなのだとしたら…その理由は他にあるんじゃないかな。
姉さんならわかるよ、その人の目を見れば。」
「ハルの、目…?」
ルースの言葉は意味深で、何故か私を不安にさせた。
『わかりました、全ては彼の瞳の中に。』
ハリオデスはそう言うと、閉じられたハルの瞼にそっと触れた。
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美しい、それも全く同じ七つの顔が自分を一斉に見つめていたとしたら、それは逆に恐ろしい光景なのでは?と思う。実際ハルは瞼を開くなり、ほんの一瞬、目を見開いた。
私だったら絶叫しているところだけど、彼は警戒の眼差しで静かに辺りを見回し、七人以外にも見慣れた顔があることを確認した。
そして私に目を留めるなり、立ち上がって言った。
「ここで何をしている、ララ?」
「は?何ってどうゆう…。」
「なぜこんなところで油を売っている。」
「な…、!」
「オレに構うなと言ったはずだが、」
目覚めたとたんに説教?!
私は閉口して、ただ、恥ずかしさと驚きのままにハルを見た。
何かを期待していたわけじゃない。だけど、耳に届いた言葉があまりにも心外で。
「待て、ハル!」
リビエラが遮った。
「君が本当に言いたいのは、そういうことじゃないだろう?ララの気持ちを踏みにじりたいのか?」
「!」
ハルはハッとなり、私が慌ててふき取った光るものを見て押し黙った。
「すまない…。」
「はぁっ、やれやれ…!とにかく、まずは彼女たちに君の顔をよく見せてあげてよ、ハル。
そうしないと、僕たちがリアフェスに戻れる気配がないんだ。」
リビエラがかいつまんで事情を説明すると、ハルは愛想のない顔でハリオデスを見た。
『ウェールではないわ。』
一人が、残念そうに首を降った。
『そうね、私たちの弟ではないわ。』『彼は私たちにもルディアにも、あのような口の利き方はしないもの。』『いいえ、そうだとしてもあの子の口調はずっと思いやりがあるわ。』
「君には思いやりが足りないって!聞いたか?ハル!」
ハリオデスにしては辛辣ともいえる批評に、私たちは噴き出した。
正直そんな生温い批評では足りないと思ったけれど、ハルがあからさまに不機嫌な顔をしながらもリビエラの言いつけを守ってなされるがままになっていたから、私の心はほんの少しだけ晴れたのだった。
『でも不思議ね、なぜこうも…面影が…見れば見るほど似ているのよ。』『本当に、懐かしいわ。』『瞳よ、瞳を良く見せて。』
ハリオデスがハルに詰め寄ったところで、彼女たちの表情が一変した。
『ああ、なんということ!』
七人は一斉に驚きの声を上げると、突然大げさなほどに嘆き崩れた。
「なんだ…?オレの顔に…」
『ハルト!』『二十年の歳月、そうですわ、無事ならばこのくらいの青年になっているはず。』
『ああ、ですがハルト!お前が私たちの苦しみを背負わなければならないとは!』『あんまりでございます、イブニス様…。』『なぜこの子に…どれほどの憎むべきことがあるというのですか!』
「どういう…ことだ?誰か説明してくれないか、リビエラ?」
けれどリビエラも私も、彼と同じくらい何が起きているのか理解できなかった。
「落ち着いて、姉さん。
その人の目に、何を見たの?教えてくれませんか。」
ルースは優しく、ハリオデスに寄り添った。
きっとウェールも、こんなふうに優しい人だったんだろう。
「オレの目?」
ハルが突然、険しい顔つきになった。
「オレのこの目について、何か知っているのか。」
『知っているも何も…瞳に宿る真紅の影…それはまぎれもなくイブニス様の禍の焔。
その戒めを受けた者に、妖精が施しを行うことはありません。
そしてその瞳を見た人間は、あなたに憎悪と憎しみを抱き迫害するのです。
あの日イブニス様は、ルディアとハルト…あなたを追放しただけではおさまらなかったのですね。
ああ、愛するルディア!私たちのせいで、あなたはどれほど苦しんだのでしょう。』
「ルディア…聞き覚えがある。
もしやその人は、オレの…母親、なのか?」
『ええ、あの子以外に誰がおりましょう!
あなたのその髪の色と顔立ちは、ウェールに瓜二つ。
けれど目を開けば、その切れ長の瞳は、ルディアにそっくりよ。
ハルト、あなたは私たちの愛しいあの二人の息子に違いありません。
あなたには、ほかに心当たりがなくて?』
「ハルトという名は初耳だ。
オレの名はハートルード。
ハートルード・フォンウェール…。」
「フォン・ウェール。
名はそれを表しているね。
それに、ルディアの男性名はルードともいう。
ハルトルード、転じてハートルード。
君にその名をつけたのは誰だい?ハル。」
リビエラは、真剣な眼差しで彼を見た。
「オレの育ての親…ジジイだ。
くそっ…。」
ハルはなぜか、悔しそうに悪態をついた。
『本当に、外見は瓜二つなのに…。』『これほど性質が異なるものかしら。』『いいえ、赤ん坊の頃は、もっと穏やかだったわ。』『では、育った環境のせいだとでも?』
ハリオデスはため息混じりにハルを見つめ、彼の口の悪さを嘆いた。
『でも不思議ね、あなたの育ての親、そのお方は禍の焔の影響を受けなかったというのかしら。』『リアフェスに、イブニス様のお力に敵う方がいらっしゃるの?』『人間には難しいことだわ。』『あら、妖精だとしても危険を犯してることに変わりはなくてよ。』
「本当に、不思議なことだらけだよ。
これが事実なのだとしたらね。」
リビエラは口元を緩め、まるで新しいゲームを見つけたように愉しそうに言った。




