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10-6.悲話

 時間の感覚を忘れて、ハルのそばに座りこんでいた。


「離れて、ララ…。」


 コルクットは最初こそ穏やかに催促していたけれど、私が無視し続ける(したくてしたわけじゃない)ので、最後は強引に私を引っ張った。


 すべての気力が消えた。茫然自失。戦う気になれない。戦う?戦う?一体何と戦ってた…?


 私は顔をあげた。


 コルクットの口から、興味深い言葉が聞こえた気がしたからだった。


「共鳴音は消えてるから…死なないんだ、見て。」


 コルクットが柔らかな草をかき分けると、内側から、眠るように安らかなハルの顔が現れた。その顔色は、最後に私が見た時とは別人のように健康的だ。


「血色もいいし、いい夢を見てるみたいでしょ?抵抗するのをやめたからだよ。

 やめたっていっても、力が尽きたからだろうけど…今は装飾の力と一つになってる。

 だから、こうしていてもこの人は死なない。

 でもね、ララは装飾の影響を受けないから、取り込まれたら普通に衰弱するよ。」


 淡々としたコルクットの言葉は、私の心に冷静な感情を滑り込ませた。

 見えない声に諭されるように、この森に足を踏み入れた時点で詰んでいたのだと()()()()()

 花輪を手放せばキャスを失い、持ち帰ればハルを失う。動揺してた私の頭はその二択でいっぱいだったけれど、結局彼は、私がどちらを選んでもこの森を蘇らせることができる。

 妖精たちはハルごと、装飾を取り戻した。

 善意の裏側にあった奸計は、まんまと成功した。今頃氷の国の女王は、顎を上げて高笑いしているんだろう。


「大嫌い…あんた達はいつも…。」


 わだかまっていた不満が漏れた。

 ザムは私のブリシュカを勝手に飲んだくせに、悪びれもしなかった。氷の国の女王は、自分の都合で平然とハルとリビエラを凍らせた。そしてコルクットは、私たちから花輪を騙し取った。


「最低で、自分勝手な奴ばっかり…。」


「ごめんなさい…。」


 コルクットは両手で上着の裾を掴み、小さく震えていた。顔はぐっとしかめて、あれは多分涙を堪えている。何か言いたげに時々小さな仕草をするけれど、怖気づいて諦める。

 そんな少年の様子に、私はますます冷静になる。彼に八つ当たりしても、何も変えることはできないのだと。


「ハルを返して。」


 私は視線をそらしつつ、コルクットに花輪を差し出した。


「信じて、くれるの…?」


 彼の潤んだ目は、奇跡を見つけたように花輪を見つめ、次に私を見た。そこに浮かんだキレイなものが、偽物であるとは思いたくない。妖精は嫌いだけど。


「信じるほかない。

 今の私には、それしかハルを取り返す方法がわからないから。

 それに…キャスならこう言うに決まってる、目の前の人を助ける勇気もないのに、どうして私のことが助けられると思うの?ってね。」


 もちろんこの場合は、誰かと戦ったり高いところから飛び降りたりする類じゃない。自分を騙した相手を信じる勇気。そして、決断のその先を受け入れる覚悟。


「あぁ、君のその、キャスに、祝福を!ありがとうララ!」


 そう言って、コルクットは私に抱きついた。

 妖精ってのは本当に、自分本位で無遠慮だ。



 ------



「僕、間違ってた。」


 無邪気な妖精は、その顔を私の服に埋めるなり言った。


「最初は、なんだってする覚悟だったんだ。

 だけど馬鹿だ…そんなこと、僕には無理だったのに。」


「森が生き返ったって喜んでたじゃない。」


「あの時は、ほんの一瞬…。

 ごめんね、ララ、僕はララを見て、自分が恐ろしいことをしたって気がついた。

 僕は…僕の悲しみをララに肩代わりさせただけだった。

 そんな酷いこと、なんでできると思ったんだろう…?」


 私はコルクットの懺悔にため息で応えると、彼の両肩に手を添えた。


「ハリオデス様は、どこにいるの?」


「…あそこ。」


 彼は顔をあげると、一方を指さした。その先には、私が良くできた彫刻のようだと感心したあの岩があった。


 なるほど、あれは”みたい”じゃなく本物だったのか。

 私の知らないその昔、呼吸して誰かと言葉をかわし、誰かを見つめた生身の本物。

 でも不思議だ。なんであんな干上がった川床よりの、おかしな場所にあの集団は突っ立ってるんだろう?遠目に見える表情は、まるでイエスの受難を嘆く取り巻きのようにも見える。


 あの集団が石にされた時、確実に何か良くないことが起きていたのだと思う。

 その瞬間は切り取られ、彼らは何年もあの場所に佇んでいる。キャスと同じように。もしかするとザムの小屋よりも環境の悪い、この死にかけの森の中で。


「あの中のどれが、ハリオデス様?」


 私とコルクットは手を繋いでいた。


「どれ?…どういう意味?うーん、あの方たち七人がハリオデス様だよ。」


「一人一人に名前はないの?」


「お一人お一人に要るの?」


「いや、要らない?!普通…。

 まぁ…要らないならそれで構わないけど…。」


 私は言葉尻を弱くしながら濁した。そういえば、と思い出していた。確か、宿命(ほし)の守護者ステラも、三人で一つの名前だったって。

 きっと、この世界ではそういうものなんだろう。深く考えても仕方がないし、さっさと切り替えないと、素朴な疑問をぶつけてくるコルクットに答えるのも厄介だ。


 私たちは岩に向かって歩き出した。


「あの人たちは、どうして石にされちゃったの。」


「僕が生まれる前の話だけど…。」


 そう言って、コルクットは静かに続けた。


「結論から言うと、人間を庇ったからだよ。」


「人間を?」


「うん…。

 今は干上がってるけど、昔あの向こうは浅い川瀬だったんだ。

 ほら、まだ名残があるでしょう?ここより少し低くなってて、石ころと…草がまばらに生えている。」


「わかるよ。」


 私は、軽く相槌をうった。


「ハリオデス様がいらっしゃった時分には、水の流れがあって。

 それである日、ここからもう少し上流の川べりに、女の人が倒れていたんだ。

 驚いたことに、その人は妖精じゃなくて人間だった。

 おかしいよね、僕ら(妖精)の領域に人間が流れ着いてくるなんて。

 おかしいけど、そういうことはごく稀に起こりうるんだって。

 それで、その人間の服はボロボロで、肌はすり傷だらけ、スカートの裾に焦げ跡があったから、火災かなにかに巻き込まれたんだと思う。

 見つけた皆は恐ろしくなって、急いでハリオデス様に知らせた。

 この森に死んだ人間の身体があるなんて、あってはならない不浄なことだったから。」


 そこでコルクットはハッとなって私を見た。


「ごめん、人間が不浄って意味じゃないんだ、その、死んだ身体が残ってるってことは…えっと…。」


「うん、いいよ、それからどうなったの?その女の人は生きてた?」


「う、うん、生きてた。

 幸運なことに、その人には辛うじて息があった!だからハリオデス様が手当をして、皆で看病したんだ。

 元気になったら、リアフェスに帰してあげようって。

 その人、回復したその人はルディア様って言うんだけど、本当に、妖精と見まごうほどに美しい人だった。

 もちろん、僕は見たことがないけど…皆が口を揃えてそう言うんだ。

 きっとリビエラみたいに、それはそれは美しい人だったんだよ。

 黙っていたら、誰も人間だなんて気付きゃしないってね。

 ルディア様はいつも穏やかで優しく微笑んでいるような方で、実際、口がきけなかった。」


 コルクットの手を握っていた私の手が、驚きのあまり思わずピクリと動いた。彼はそれを確認したとでも言うように私を見ると、続けた。


「多分何かのショックで、話せなくなったんだろうってハリオデス様は仰ってたらしいよ。

 きっと、リアフェスで嫌なことがあったんだよ。

 ルディア様が辛そうな顔をされるから、誰もそれ以上聞かなかったけど。」


「みんな、優しいじゃん…。」


「うん、みんな愛していたから、ルディア様のこと。

 リアフェスに帰るのが嫌なら、ずっとこの森に居ればいい。

 でも、人間が妖精の領域で暮らすことは許されないんだ。

 妖精王様は、一体どうして人間の王様とこんな取り決めをしたんだろうね?そんな決まりがなけりゃ、ルディア様は堂々とこの森で幸せに暮らせたのに。」


 コルクットは一瞬不服そうな声色になり、そして寂しそうに言った。


「ハリオデス様も森のみんなも、妖精の掟を守ることはルディア様のためでもあるって分かってたよ?だけど…愛らしいあの方を手放すことができなかった…特に、ウェール様がね。」


「ウェール…あの装飾の持ち主ね。」


 私は、ハルの耳にあった飾りを思い出した。と同時に、ウェールという人物についてあまり良い印象は持てなかった。


「ウェール様は、ハリオデス様の弟。

 お二人は、恋に落ちてしまったんだ。

 そして誰も、あの二人の恋を割こうなんて考えることもできなかった。

 ここは妖精の領域の中でも、辺境に類する小さな森だから…。

 口のきけない妖精のような…人間が一人くらい紛れていても、静かに暮らしていれば誰も気づかない。

 皆が黙っていれば、秘密は守られる。

 そんな暗黙の了解があったんだ。」


「でも…?」


 私は辺りを観察しながら、そう呟いていた。


「そうだよ、そうはならなかった。

 お二人の間に赤ちゃんが生まれて、それからしばらくしたある日のことだった。

 いつもよく眠る静かなハルト様が…あ、赤ちゃんの名前だよ。」


 コルクットが、慌てて補足した。


「その日はなぜか、全然泣き止まなかったんだ。

 赤ちゃんの泣き声はよく通る、でしょ。

 おまけにいくら妖精の血が半分入ってるといっても、泣き声は人間の赤ちゃんとそっくりで…それをたまたま森を通りかかったイブニス様が聞いてしまったんだ。」


「イブニス様って?」


「そうだよね、ララだって知らないよね。」


 コルクットは同意を求めるような健気な目で私を見上げると、次に前を見た。


「イブニス様は、三大精霊のお一人だよ。

 僕たちの世界では知らない者はいないくらい、有名なお方。

 とても厳格な方でさ…普段ならこんなところにはやってこない、とても忙しい方だよ。

 だけどその日は、ちょっと、抜き差しならない用があって、春の妖精王のところに向かわれていた途中だったらしくて。

 それでハルト様の泣き声を聞きつけて、人間の赤ん坊の声がするっ!って僕たちの森にやってきたんだ。」


 言いながら、コルクットは歩みを止めた。


「さっきも話した通り、すごい剣幕のイブニス様を見て、皆はその方が誰なのかすぐにわかった。

 三大精霊に会ったときは、しなければならない挨拶というか、所作があるんだけどね、ルディア様は当たり前にそれを知る由もなく、静かになったハルト様を抱いたまま一人その場に立ってた。

 ハリオデス様が弁明しながら挨拶の所作をさせたけど、鋭いイブニス様は目をこーんなに釣り上げて、見逃さなかった。

 自分を知らない妖精がいるなんて、妖精王を知らないのと同じくらいありえないから。

 想像つくでしょ?」


 コルクットは、両の目を指で釣り上げて言った。


(本人がいたらビビりまくるくせに…。)


 私はそんなことを考えながら、彼に同意した。


「とても厳しい人だったのならね…。」


「それで、イブニス様はお尋ねになったんだ。」


 と、彼の話は続いた。




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『その手に抱いているのはお前の子か?』


 怒りに似た鈍い光をその瞳に宿して、イブニスはルディアを見下ろしていた。

 その対象は、怯えた目を大地に向けたまま、赤ん坊を宝物のように抱きしめて無言のまま頷いた。

 初めて感じる精霊の凄まじい威光は、ルディアに並々ならぬ畏怖を抱かせ、穏やかで幸福な日々を失いかねない恐怖に白い膝はガクガクと震えていた。


「おそれながらイブニス様、彼女が抱いているのは私の息子です。」


 騒動を聞きつけた若い男が、イブニスの前に進み出た。


『ハリオスの森のウェールか。

 あれはお前の息子であると?では質問を改めよう。

 娘、その子はウェールとお前の息子に相違ないか。』


 ほとばしる緊張の中で、ルディアは苦しそうにもう一度大きく頷いた。


『そうか…赤ん坊の声が…いや、私が取り乱していたせいだろう。』


 いいながら、イブニスはゆっくりと辺りを見回した。人間の匂いも気配も、ここには微塵も感じられない。

 人間の赤ん坊の声がした―それは気が立っていた自分の思い過ごしだったのだろう。自分に言い含めるような表情を見せて踵を返し、それでもふと、三大精霊の一人は何を思ったのかもう一度、目を固く閉じて祈るように震え固まるルディアをじっと見やった。


『娘よ、お前は人間か?』


 その言葉に、そこにいた全員が一斉にギクリと凍り付いた。

 森の空気が、その葉先に触れる先端まで、薄い氷の膜に変化(へんげ)したかのようだった。

 小さな妖精は明らかに狼狽え、そうでない者でも無意識にお互いの身を寄せたりして身体をこわばらせた。その有様は、娘が答えるまでもなく全てを物語っていた。


 ルディアは恐怖に慄いた瞳で相手を見上げ、三大精霊に何かを訴えようとして震える唇を必死に動かした。そして、その瞳でウェールを捉えようとした。

 ウェールの瞳は「何も答えるな」と言っているように見えた。しかし彼女は、迫られる告白の重圧にどう立ち向かえばいいのか分からなかった。

 その場にいたイブニス以外の全員が、ルディアが嘘をつく娘ではないことを知っていた。


『ここに、お前の場所はない。

 その子を連れて我ら(妖精)の領域から出てゆけ。』


 下等なものを見るような目つきで、イブニスは忌々しい空気を振り払うように大きく腕を振り、川瀬の向こうを指し示した。


 沈黙と有無を言わせぬ力強い空気の中で、ルディアは赤ん坊を抱いたまま、ゆっくりと向きを変えた。涙を流しながら数歩進み、彼女はそのまま水に足を入れた。


「ルディア…!行かないでくれ…、お願いだ!」


 ウェールが懇願するように叫び、ハリオデスともどもその場にいた全員がすすり泣き始めた。

 妖精の森が、人間の娘との別れを惜しんでいる。その情景は少なからずイブニスを苛立たせ、彼女は小さく歯ぎしりした。


 《被害者ぶるな!掟破りどもが!》


 彼らの目に宿る無言の叱責と怨嗟は、彼女に耐え難いほどの侮辱を与え、そしてその怒りの矛先は、当然のことながら元凶である人間の娘へと向けられた。


 バシャン!


 ルディアが水中で足を滑らせ、極めて不自然にその手から赤ん坊が離れた。


「ルディア!」


 ウェールは風のような速さで駆け寄り、流される赤ん坊とルディアを水から救い上げた。と同時に、ハリオデスが嘆きの声を上げてイブニスにすがりついた。


「ああ、尊く気高い火の精霊イブニス、なぜそのようなご無体なことを!ルディアは口もきけぬ心優しい子です、どなたにもご迷惑はおかけいたしません、どうかウェールとあの子らを引き離すことだけは、御容赦ください!」


『引き離す?掟を破ったお前たちがこの私を責めるとは!』


「いいえ、いいえ、イブニス様を責めるなどとんでもないことでございます!掟を破らせたのは私どもですとも、罰は受けます、ですからあの子らには、ご寛大な処遇をと乞うているのです。」


 要約すればこのような内容を、七人のハリオデスは口々に懇願した。しかし彼女たちが願えば願うほど、イブニスのたぎる心に油を注ぐ結果となった。


『娘と子の追放が寛大でないとは、なんという思い上がり!毒されおって!』


 彼女は激昂し、ハリオデスをその場で永遠の石に変えてしまった。

 石に変えられた主を見た森の妖精たちは、叫んだり泣き崩れたりと、この世の終焉を見たかのように大混乱した。そこに乗じて、ウェールはルディアと赤ん坊を向こう岸に渡した。

 が、妖精王の側近、三大精霊の一人、火の精霊イブニスは見過ごしてはいなかった。


『ハリオスの森のウェールよ!もはやお前に弁明の余地はない、その行いが何を意味するのか、承知しているのだな!』


 彼女は手から火の粉を放ち、岸の三人を地の果てまで追いかけよと命じた。



 ---------------------



 その後、三人にどんな運命が待ち受けていたのか、それは未だ以て誰も知らない。

 残された妖精たちによると、対岸の森の木々はウェールとの契約により、母と子を森の外へ導いたと話している。しかしそこに、父であり夫であるウェールの姿はなかった。

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