10-5.誤算
スイッチを入れるとロボットが作動するみたいに、たぶん私は何の前触れもなく目を覚ました。それが、彼を驚かせたのだと思う。
目が合った。そう思った瞬間、コルクットが小さく叫んだ。
「ひっ…!!」
彼はのけぞって、ストンと尻もちをついた。
「あ、あぁ、びっくりした!き、急に眼を開けるから!ぼっ、僕の心臓は、こう見えて愛らしいんだよ?全くもうっ!急に目を開けるとか!おっ、起きるときは、一呼吸欲しいな!」
「ごめん…。」
なんで私が謝っているのか、自分でもよく分からなかった。けれど、動揺を隠せない不憫な少年を前に言わずにはいられなかった。
コルクットは全部言い終わると落ち着きを取り戻し、何事もなかったようにさっと立ち上がって服をはたいた。
「ん、、わかってくれたらそれでいいんだ!まずは無事で良かったよ、ララ。
ケガはない?」
「うん、大丈夫…かな。」
私はどこも痛みはないか確認しながら、身体を起こした。とりあえず、問題はなさそう。
周囲はさっきまでの騒々しさが嘘のように、水の音も春風の奇声も聞こえない。ずいぶん離れたところに運ばれたみたいだ。
「私、長い時間寝てた?」
意識ははっきりしているけれど、頭は夢でも見ていたかのようにどこかふわふわしている。
ぼんやりとした記憶の中で、何かに助けられたのだということを思い出した。そして手元には、戦利品がある。
丁寧に編み込まれた花輪はきらきらと神秘的なオーラを放っていて、幻想の欠片みたいに儚げに見えた。
手に入れた実感と喜びが、ふつふつと時差を抱えて湧き上がってくる。
「…で、…なの、聞いてる?ララ!」
「えっ?あ、ごめん、何?」
「もう!本当に大丈夫?急いで二人と合流しなきゃいけないんだよ。
あいつらは追いかけてこないけど、このことが他の妖精に知られたら大騒ぎになる。
皆が人間に好意的ってわけじゃないんだ。
早くこの森を出なきゃ。」
「そうだった。
ハルとリビエラは?」
「この小っちゃい谷の向こうにいる。
僕が駆け付けた時、リビエラは意識がなかったんだ。
もう目を覚ましてるといいんだけど…。
春風の誘惑から逃れたってだけでも、信じられない幸運だよ。
やっぱり正しかったんだな、女王様は。」
繁みを下りながら、コルクットが言った。
「ねぇララ、僕、ララが黒い獣みたいなのに助けられたのを見たんだ。
あ、そこの蔓、気を付けて。」
「うん、…。」
私は足を引っかけないよう、用心しながら進んだ。
「あれは、魔法なの?」
「魔法?」
彼の意外な反応に、思わず同じ言葉を繰り返す。あれは…。
「…背の高い、あの人がそう言ったんだよ。」
興味津々だったコルクットに、ハルは「あの黒い獣は魔法だ」と言ったのだという。その言い分を聞きながら、私は探るようにそっと髪の結び目に触れた。そこには、当たり前のようにリボンがおさまっている。私がどこにいようと、必ず戻ってくるこの白いリボン。これは私の意のままに箒になって、ベールになって、それから、黒妖犬になった…?
集中すれば、作れないことはない。だけどあの時、そんなことを願うほど自分の心に余裕があったかといえば、甚だ疑問。
「ララ?どうしたの?」
黙る私に、コルクットが振り返る。その表情はまるで、私の顔に質問の答えが書いてあって、それを読み取ろうとしているみたいだった。
「うん?そうだね、あれは魔法。」
「やっぱりそうなのか!すごいな、青い炎が出て、春風はどれも近づけなかった!そんな凄い魔法が使えるなら、もっと早く教えてくれても良かったのにさ。
ほんと、酷いよ。」
あれが私の魔法だなんて、腑に落ちない。青い焔まで私の力で作り出せるわけがない。
「彼」の背に落ちたとき、私の意識は朦朧としてたっていうのに。
私はコルクットの興奮した言葉に無言で耳を傾けながら、自分の中の答え合わせを完了させていた。
「百発百中じゃないからね。」
「ふん、まだ未熟なんだね。」
「そういうこと。」
こんなふうに少年をはぐらかしておいて、後々このことがちょっとした問題に発展するなんて、誰も思わない。
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コルクットの案内で小さな谷を抜けると、リビエラに付き添うハルが待っていた。
「ハル。」
私の声に、彼はほんの少しだけ視線を上げた。
その瞳には孤独な王のような憂いがあって、私が見たこともないハルの表情だった。
「無事か。」
「うん…。」
短い言葉以上に、重く冷たい空気が彼の心そのものだった。一瞥は一瞬のうちに全てをスキャンして、ヴァイオレットの瞳はそれ以上私を見ない。リビエラを心配しているだろうし、私がとった行動に怒っているに違いなかった。
「リビエラは…?」
「消耗して眠っている。
早急にここを出るぞ。」
ハルは、リビエラを引き上げて運ぼうとした。
「そう…無事で良かっ…ハルっ…あの、…助けてくれてありがとう。
それから、勝手な行動してごめん…私、どうしてもコレが欲しくて、あの時を逃したらもうチャンスはないんじゃないかって思って無我夢中で。」
「それでいい。
お前が望むものを手に入れたのなら。」
「ほんと?」
「ああ。」
「でも…、怒ってるよね?…なんで、こっちを見て言ってくれないの?」
彼はずっと、私に背を向けていた。
「今は悠長にしてはいられない。
案内をたのむ、コルクット。」
「うん。」
ハルは「行くぞ」と静かに言うと私を先に歩かせ、後ろを陣取った。
ハルの一切の会話を拒否するような態度は、もう一度話しかけようとか後ろを振り返ろうとか、彼に対して何か試みようという私の譲歩を全て叩き潰した。
コルクットは、無言のまま早足で私たちを先導する。この気まずい空気に、遠慮しているみたいだ。
私は、もやもやした気持ちを一人で抱えることしか許されなかった。
ハルは、私の勝手な行動に「それでいい」と応えた。なのに「怒っていない」と言わないのは、怒ってるからなのだと思う。
回りくどい態度を取られるよりも堂々と「怒っている」と言われたほうがずっとすっきりするのに、目も合わせずに会話も拒否された。
前から思っていたけれど、ハルはすましてるくせに子どもみたいなところがある。
私がリアフェスに来た頃は、イーリーへ行くこともクレアモントの屋敷へ行くことも許してくれなかった。ヘカテのお店の手伝いをするときも、機嫌が悪かった。
リビエラはハルのことを心配性だなんて言うけれど、控えめに言ってもちょっと心が狭い。
私が花輪を手に入れても喜んでくれないのは、そういうことだ。苦労してここまで来たのに、必要なものを手に入れたのに、「よくやった」と褒めてくれない。
結果を見てよ、花輪を手に入れたんだから!優しい一言くらいあってもいいじゃない?
私があの時取りに行かなかったら、今頃は手ぶらでここを歩いていたはず。また振出しに戻って、不可能に近いミッションに泣く以外になかった。先のことも考えず、一人で怒るなんて!
(ムカつく…。)
考えれば考えるほど悔しい。哀しい。虚しくなって、後ろを振り返るものかと意固地になる。
私は込み上げる負の感情を抑えることができず、そのせいで、森の異様な様子やハルの異変に気付かなかった。
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悪態をつくことに疲れてくると、やっと周囲に目を配る余裕ができる。
「寒っ。」
私たちは、薄暗いところを歩いていた。
日暮れでも深い森の中でもないのに、雑木林は色を失ったみたいに何かが欠けていた。そして恐ろしいほどに静か。例えるなら、訪れる人のいない寂れた墓地みたいだった。
沈んだ空気はひんやりとして、何年も動いていなかった淀みを私たちがかき乱している。「寒い」と思わず口にしたのは、気温じゃない。あたりに重くのしかかる雰囲気が物悲しく、寒々しかったから。
少し先に目をやると、かつて水が流れていたような川床の名残があって、そばに不思議な形の岩があった。
「あの岩、面白い。
人みたいな形してる。」
「そう?」
コルクットの返事はそっけなかったけれど、私は沈黙が破られたことが嬉しかった。
「うん、何人か人の塊に見える。
一番前の人が手を伸ばしてて、その次は後ろを振り返ってるとか…女の人ね。
近づけば近づくほどリアルだわ…美術館に展示してある彫刻みたい。
さながら、野外のオブジェね。」
芸術的な岩のすぐそばまで通りかかったときだった。
ドサッ
背後で、何かが落ちるような音がした。
「?」
振り返ると、リビエラを背負っていたハルがもろとも、少し遅れた場所で倒れている。
「どうしたの?!」
私は彼の元へ走った。ハルが倒れるなんて、どう考えても異常事態だ。うつ伏せの状態からうめき声が聞こえて、彼は片手でこめかみのあたりを押さえていた。
「なっ、なにこれ?!」
私が驚いたのは、その不思議な現象だった。ハルが突っ伏してる地面から、芽吹いたばかりの青色の芽が顔を出している。そして見える限りずっと向こうの彼が歩いてきた場所から、若い緑の筋道があった。
色褪せた造花のような雑木林の中で、ハルの足跡だけスポットライトを当てたみたいに生き生きと新しい力を放っている。
「本当だ、森が生き返ってる。」
コルクットが、声を震わせた。
「どういう意味?」
「女王様のいったとおりだよ、見て、森が生き返るんだ!」
「だからそれはどういう意味??ハルに何が起こってるの?コルクット!」
「あはは!すごいや!」
コルクットは目を輝かせ、体中で喜びを表した。
ハルの場所を中心に、新しい力が浸透するようにじわじわと広がる。
草葉は瑞々しい色を帯び、柔らかな萌芽をのぞかせる。繊維の寄せ集めみたいだった木の葉は目覚めるようにざわめき、力をみなぎらせた。
「な、なんなの…何が起こってるの?ハル、しっかりして!」
彼の身体から、不思議な音が聞こえる。それはちょうど、グラスの縁を濡れた指でなぞったときのような共鳴音に似ている。
ハルは苦しそうにうめきながら、彼の耳にある装飾に触れた。
「外しちゃだめだよ、死んじゃうよ。」
私の後ろで、コルクットが真顔で言った。
「死ぬっ?嘘言わないで。」
「嘘じゃないよ、女王様が言ったもん。」
「さっきから女王様女王様って言ってるけど、誰のこと?」
「氷の国の女王様だよ、他に誰がいるの?」
「妖精の国の女王様事情なんて、私が知るわけないじゃない!一体何を企んでるの?!」
「企んでなんかいない、なるべくしてなってるだけなんだ。
その耳飾りは僕ら妖精のもの。
もっとはっきり言うなら妖精の森のもの。
かつてここにいた、ウェール様のもの。
戻るべきものが戻るべき場所に戻っただけ。
その人は、耳飾りを本来の持ち主に謹んでお返しすると女王様に言ったんだからね!」
「い、言ってる意味がわからない。
耳飾りがあなた達のものだっていう証拠はどこにもない。
ハルが苦しんでるのは、この変な音のせいでしょ!」
「聞こえるの?」
「馬鹿にしてるの?!こんなに大きく鳴り響いてたら誰にだって聞こえるわよ。
外してやる!」
私は彼の耳にあるイヤーカフスみたいな飾りを外そうとした。
「ぐっ!ぐあぁ!」
ハルが悶えた。
「い、痛い…。」
私は両耳を押さえた。共鳴音が反発するように増幅して、鼓膜を突き破るような痛みが走る。
ハルは荒い息を繰り返しながら、口元は何か伝えようとして震えている。顔色は蒼白で、額には滝のように汗が滲んでいた。
「ほらね?誰にもどうすることもできない。
僕らの森が生き返ってる、それが僕たちのものだっていう証拠だよ。
春風のところであれだけ力を消耗したんだ、その人は装飾の力に抗えないし、コントロールすることもできない。」
「なに、その言い方?もしかしてわざとハルに力を使わせたの?」
コルクットは一瞬怯えた目をすると、何か言おうとして口をつぐんだ。それは、肯定したのと同じことだ。
「女王に力を消耗させろって言われたのね。
あなたの望みは何?この森を生き返らせること?それとも装飾を取り戻すこと?私にできることがあれば何でもする、だからハルを助けて!」
「本当?」
「うん、本当!」
「じゃあ…その花輪を僕にちょうだい。」
「え?」
「花輪をちょうだい。」
「でもこれは…!」
「そうすれば、その人は助かるよ。」
「だめだ…。」
ハルが、私の服を掴んだ。
「逃げろ…川…床へ…。」
「川床?…でも!」
「早く渡して、ララ!じゃないと…!」
「じゃないと?じゃないと何?そんな簡単には渡せないわよ。」
コルクットの目に焦りを見た私は、強気に出た。
彼の弱みが分かれば、この状況を打破できるかもしれない。
「うぅ…もう!」
耐え切れなくなったコルクットが、癇癪を起した。
「なんでさっき、急に目を覚ましたんだよ!あと少しで、花輪は僕のものだったのに!」
「なっ?私から盗むつもりだったの?」
「こんなことするよりずっと穏やかでしょ?!ララが僕に花輪を渡さなかったら、その人は森に取り込まれちゃうよ!いいの?」
「いいわけない。
教えてコルクット、どうして花輪が欲しいの?あなたに渡すだけでハルが助かる保証はない。
また騙すの?卑怯者の森の妖精!」
「卑怯者っていうな!僕は卑怯者じゃない!!」
ハルが苦しそうに唸った。
私は彼の頬に触れると、コルクットを見た。
「どうして花輪が欲しいの?教えてくれなきゃ渡さない。
ハルが助かる確証がなきゃ渡さない!」
「時間がないよ。
僕に渡せば全部解決する。」
「解決?あんたがこんなことしなきゃ全部うまくいってた。
私だって、遊びで花輪を取りに来たわけじゃないんだから!先にハルを助けてくれなきゃ渡さない!」
「それは無理だよ、その花輪がないと助けられないんだ!
お願い、意地悪しないで僕にちょうだい。」
「自分勝手なこと言わないで!私たちのこと騙してたくせに!今更あなたのこと信じられると思ってるの?」
「わかった!話すから!…僕たちは、石に変えられたハリオデス様を元に戻すために花輪が必要なんだ…それが理由だよ。
だからお願い、僕にちょうだい、ララ!」
コルクットは、ポロポロと涙を流した。
「泣くなんて卑怯よ…。
私だって、キャスのために要るんだから!こんな卑怯な真似をしなくても、花輪はすぐそばにあるじゃない!」
「僕たちは、自分たちで花輪を手に入れることが許されないんだ。
何年も何年も、ずっと耐え続けて、やっとララたちが来てくれた。
君たちが花輪を必要としてるのは分かってたけど、こうする以外に方法がなかった。
僕だって本当はこんなことしたくないんだよ!ねぇ、ハリオデス様が目覚めたら森は蘇る。
そうすれば装飾の力は必要ない。
今この森は死んだも同然だから、ウェール様の装飾に共鳴して力を吸い取ってるだけなんだ。
ララが僕に花輪を渡してくれないと、森はその人を取り込んで力を吸い取り続けるんだよ!」
ひざ元に、伸びた植物が這っていた。私の服を掴んでいたハルの手が、緑に包まれていく。
勢いをつけた草がうねりながら、繭を作るようにハルの全身を取り込もうとしていた。私はそれを見て、悲鳴を上げた。
「構わず逃げろ」ハルは消えそうな声でそう言った。
「いやだ、いやだ!」
よくわからない声を上げながら、私は伸びる草を夢中で引きちぎった。
コルクットの言葉は信じられなかったし、ハルを置いていくのも嫌だった。ここで離れたら、もう永遠に彼に会えなくなる気がした。
「いけない、君まで取り込まれるよ、ララ!」
コルクットが、私を掴んで引っ張り出そうとした。
「いやだ、いやだいやだ!ハル!」
「花輪をちょうだい、ララ!」
「ハルを助けて!」
バチバチバチッ!
「きゃっ!」「うわっ!」
ハルの体から電光のような光が飛び散って、コルクットと私は弾き飛ばされた。
見ると地面が焦げて、ハルを包んでいた草が粉々になっている。
「信じられない…なんでこんな力が?」
少年が呟いた。
私は恐る恐る近づいて、ハルを仰向けにした。土色の肌に、ダークブロンドの髪が張り付いていた。胸に顔を押し当て、呼吸を確認する。
「良かった…死んじゃったかと…。」
「お前の…望みは、なんだ…。」
ハルは目を閉じたまま、時々苦痛を堪えながら言った。
「わ、私は…。」
即答できなかった。
先に続ける言葉が出ない。
キャスを救いたい気持ちと、ハルを失いたくない気持ち。ここで花輪を手放したら、私は親友を元に戻す手立てを失ってしまう。それが分かっているから、彼の言葉は重すぎる。ハルの望む選択を、私は選ぶことができない。どんな言葉を紡いでも、自分を責め殺すことになる。
ハルの周囲から、再び新芽が伸びてくる。それらは定められたように規則正しく彼を覆い始めた。
「女王様が言ったんだ。」
コルクットが、ポツリと言った。
「ララはその人を助けるために絶対に花輪を手放すって。
でも、そうじゃないね…女王様は見誤った。
その人が、ララのために全部手放したんだ。」
「うぅ…ごめん…ハル。」




