1-5.遺産
「うわっ。」
リビエラが声をあげた。
ドサリ
音を立てて、ララと共に床に崩れ落ちる。意識を取り戻しかけたララが、リビエラの背中で体を動かしたからだ。
別々だったララの身体と意識は、一つになっていた。
何が彼女の心を捕らえたのか。
ハルは釈然としなかったが、実力行使をせずに済んだのは幸いだった。
バイオレットの瞳でララの様子をチラリと確認すると、卿に話しかけた。
「イーリーベルに暮らしていたリンゼイ・エドワーズは、あなたですね?
クレアモント卿。」
「ああ、そうだ。
貴殿なのだな…。」
卿は意味深な台詞をはくと、一つ深いため息をついた。
三十年間待ち続けた喜ばしい瞬間であるはずなのに、クレアモント卿は固い表情でハルを見る。
「執務机の引き出しを、開けてくれないだろうか。」
卿の言葉に、ハルが怪訝な顔をした。
「そう構えるな。
私に敵意はない。」
そう言われて、他人を易々と信じるハルではない。彼は警戒しながら、執務机の引き出しを開けた。
「これは…。」
引き出しの中で輝くその美しさに、一瞬言葉を失う。
「『シルフの風』だよ。」
それは、流れる風のような造形美の銀細工に抱かれた、巨大なエメラルドのブローチ。
数多の野心家が探し続けた秘宝は、こんなところに三十年間眠っていた。
「美しいだろう?私の蒐集品は、知識と技術の結晶、その粋を集めた物だ。
後世に残すべき遺産…。
そう信じていた。」
だからこそ、価値もわからず金の算段しかしない輩の手に渡すことだけは、絶対に避けなければならなかったのだ。
クレアモント卿は、語る。
彼は生前、気がかりなことがあった。それは、自分の死後に処理されるであろう蒐集品の行方だ。
「私には、一人娘がいる…。
気立ては良いが、魔術道具には微塵も興味がない。
彼女が爵位を継げば、体裁上カシリーズへの支援は続けるだろうが、いずれ我が蒐集品を狙う者にその金銭的価値を吹き込まれるのは、目に見えていた。
歴史的価値も芸術的価値も理解できない種類の人間にとって、我が蒐集品は金儲けの対象でしかない。」
「しかし、あなたほどのお方なら、蒐集品を組織的に管理することもできたのでは?」
「ああ、できたとも。
だがね、歴史的・芸術的価値も無論だが、道具は使われてこそ、だろう?
ショウケースにしまい込むには早すぎるものが、沢山あったのだ。
寄贈したものもあるが、飾りものにはしたくなかった。」
「シルキィなら、それらを守ってくれると?」
(家屋精霊と契約など、できるはずないが…。)
精霊には種類がある。その個性も存在のし方も多様だが、家屋精霊は家に執着する。
自分だけの家を求めて彷徨い、気に入った場所を見つけるとそこに棲みつき、世話をする。
世話をするのは家だけでなく、そこに暮らす家人にも同様に尽くすのだ。
しかし、家屋精霊が執着するのはあくまで家であり、そこに暮らす住人は付属品に過ぎない。いなくなった人間のために、何かを守ることはない。
「あの子はただ、あの家をとても気に入っていただけだ。」
そう言って、卿は懐かしそうに、しわの刻まれた顔から穏やかな表情を覗かせた。
彼は、シルキィの存在に気が付いていた。精霊は心を許した相手にしか姿を見せないから、彼女は彼に心を許していたということだ。
クレアモント卿は自分の蒐集品を誰にも渡したかったのではなく、誰かを待っていたのかもしれない、とハルは思った。
部屋にあった風景画は、イーリーベルとクレアモントホールを繋ぐ魔道具。
しかし、ここに来るためには、シルキィが憑りついているあの家に入らなけらばならない。
彼女は気まぐれなところがあるから認められるには運も必要だが、誰でも入れるというわけではないのだ。
卿は、これらの条件をクリアできる人物を三十年間待ち続けた。
一年前、あの部屋にあったものにまとめて封印をかけたのは確かに自分だが、(ハルはクレアモントの遺産に興味がなかった)あげく何も知らないララがその封印を解き、最初の人物になるとは皮肉な話だ。
「クレアモント卿…。」
ララが、リビエラに付き添われてきた。
血色は悪いが、土気色からはいくぶん回復している。
「ララ、君を私の我がままにつき合わせてしまって、悪いことをしたね。」
彼は憂いのある瞳で申し訳なさそうにララを見つめると、彼女の手を取った。
蒐集品を託すにふさわしい『誰か』を待ち続けていたクレアモント卿は、三十年間、独りだった。
誰一人訪れることのなかったこの空間は、気が付くと何者かによって封印されてしまっていた。
もう、探し求めてくる者などいない。そう諦めかけていた矢先に、何も知らない寂しそうな娘、ララが現れた。
孤独だった彼は、ララのためにここを彼女の家にしてやりたいと思った。しかしそれは、結局、自分のためだったのだ。
そんな後ろめたさが、ヴァイオレットの瞳を持つ青年が現れたとき、ララをここに引き留めることを躊躇わせた。
「お詫びに、これを君に譲ろう。」
ララに手渡されたのは、お詫びとして渡すにはあまりにも過ぎた品、エメラルドのブローチ『シルフの風』だった。
「きれい…。」
ララは、エメラルドグリーンの魅惑の輝きにうっとりしながら呟いた。こんなに美しい宝石は、見たことがない。
「クレアモント卿、貴方のご意思に意を唱えるつもりはありませんが、最初の志を違えていらっしゃいませんか?」
そう割って入ったのは、リビエラだった。
『シルフの風』を譲るということは、遺言通り爵位以外の全てを譲るということだ。
異界から来た何も知らない女の子に、魔術道具の価値がわかるとは思えないし、同時に責任も負わせることになる。
「ははっ。
そうだな、全て売り払ってしまうのもいいだろう。
魔術道具は、進化している。
私の蒐集品はもはや、二束三文にしかならないかもしれん。
だからララ、君の好きにするといいよ。」
卿の言葉はどこか投げやりで、あれほど行く末を案じていた蒐集品を二束三文と自嘲する。
しかし、歴史的価値を鑑みればそうとも言い切れない。さらに旧伯爵家の財産なら、魔術道具を除いても莫大であると予想される。
「えっと…。
話がよく見えないんだけど、ハル?」
ララの大きな瞳が、ハルを見上げた。
クレアモント卿は、理解していた。
自分が生涯をかけて蒐集した品々、継承されるべき知識と理念を託せるに相応しい人物は、確かに目の前にいると。
イーリーベルに憑りついた家屋精霊シルキィが迎えた、新たな主。
長身の、その若さには不釣り合いなほど達観した佇まいを見せる青年。
術者としての能力、知識、そして冷静な判断力。その全てにおいて、申し分のない優秀なウィザード。
三十年間、孤独に耐えた甲斐はあったのだ。
だが、卿はララに全てを委ねる決断を下す。
「なぜだろうね、私は貴殿がどうにも気に食わない。」
「お気になさらず。
よく言われますので。」
ハルは卿の断りに、丁寧にこたえる。
「しかし、貴殿が彼女のそばにいるなら、心配はいらない。」
ハルは、卿のこの問いかけに答えなかった。
このしばしの沈黙が何を意味するのか、お互いにしかわからない。
「ではララ、改めて君に『シルフの風』を譲ろう。
君は受け取るかい?」
ララは、ハルを見た。
「自分で決めろ。」
ハルの言葉は短く、少ない。
彼女は次に、リビエラを見た。
「僕は、君の味方だよ。」
リビエラが微笑む。
確かに、この未知の世界で生きていくためには無一文ではいられない。寝る場所だって必要だ。二人に相談しながらやっていけばいい。この時のララは、そんな軽い気持ちだった。
そして、クレアモント卿の目をまっすぐに見て答える。
「はい、受け取ります。
ありがとうございます。」
「よろしい。」
卿はそう言うと、大きな声で叫んだ。
「見届けたかね?執行人?」
「確かに、見届けましました!」
どこからともなく、室内に高い声が響いた。
そして空中に、真黒な制服を着て金縁の眼鏡をかけた、フクロウが姿を現した。
彼は羽を広げて左翼を胸に当て、恭しく一礼。そして言った。
「これはこれは皆々様お揃いで、三十年目にしてやっとのお呼び出し。
あー、私めノウルド所属法定財産管理人第四千四百六十九号、嬉しみの極みにございます。
あー、本日はお日柄もよく、」
「前置きはいいから、早く始めてくれ。」
かしこまる執行人に、クレアモント卿が切り込んだ。
「あー、さようですか?かしこまりましました。
コホン、あー、失礼ですがお嬢さん、お名前は?」
「ララです。ミドリカワ ララ。」
フクロウはララの名前をペンで書類めいたものに記すと(ララはこの時、彼が一体どうやって翼でペンを持ち、書類に記載しているのか不思議でならなかった。)咳ばらいをまた一つ。
「コホン。
あー、クレアモント卿ローレンス・エドワード・シャタックによる『シルフの風及び爵位を除く全財産の譲渡』に関する遺言がここに正しく執行されたことを証明するものであります。
本日よりクレアモント卿ローレンス・エドワード・シャタック所有のシルフの風及び爵位を除く全ての財産はミドリカワララに譲渡されたことを宣言いたします。
ノウルド所属法定財産管理人第四千四百六十九号!ギョゲー!」
フクロウの執行人はそう高らかに宣言すると、灰色の煙を大量に撒き散らして消えた。
「うっ。」
「うわっ!」
「ゲホッ。コホンッ。」
三人が三様に、煙にむせた。
そして派手に撒かれた煙がはれたあと、そこにクレアモント卿の姿はなかった。
「まったく、キザな消え方をするね。」
呆れているのか怒っているのか、リビエラが少々不服気味に言った。
「消えたっ…て、どこに?」
「さぁ、どこだろうな。」
ララの素朴な疑問に、ハルがぼんやりとした返事を返す。
実際、彼が成仏したのか、この屋敷に留まっているのか、それは誰にもわからないことなのだ。
「とにかく、今は一度帰ろう。」
ハルは、二人を家路へと促した。
「そうだね、帰ろう帰ろう。
こんな広い部屋、僕には窮屈だ。
歩ける?ララ。」
リビエラがララを気遣い、優しく腰に手を添えた。
「う、うん…。」
名前も知らないこの人物との、まるで旧知の中のようなやり取りに、ララはなぜか懐かしさを感じた。
(きれいな人…。)
そんなことを考えながら、チラリと顔を盗み見る。明るい琥珀色の瞳がこちらを見て、優しくほほ笑んだ。
(あれ?この雰囲気…。)
誰かに似ている、とララは思った。
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ララがリビエラに付き添われて壁に消えた後、ハルは、立ち去り際にしんと静まり返った室内を振り返った。
誰もいない屋敷の不気味な静けさの中に、揺らめく密やかな気配を感じた。
(ここは、このままでは終わらない…だろうな。)
イーリーベルにあるクレアモントホールの風景画は自分の物だ。しかし、この屋敷が正式にララの所有物になってしまった以上、あの絵に再び封印をかけるのはあまり意味がない。
余計な物に触るなと念を押したのに触る女だ、遠ざけるにも限界がある。
そして何より、空間の封印は異界人には効かない。
(このことは、まだあいつに教えない方がいいな。)
ハルはそう決めて、クレアモントホールを後にした。




