10-2.森
時は遡り、夜明け前。
履きなれないブーツと防寒具に身をつつんだコルクットは、氷の国の女王の面前にいた。
「あの、女王様、人間が春風の花輪を取りに行くっていうのは、本当ですか。」
コートの裾を掴んだり、無駄に指を動かしたり、彼の仕草は落ち着かない。
『ああ本当だとも。』
氷の女王がゆったりと答えた。
「それじゃあその人間たちは今どこにいるんです?ここにいないってことはもしかして…もう出発してしまったとか?」
彼らを逃しては、ここに来た意味がなくなってしまう。コルクットは、見る間に不安になった。
『じきに来る。』
「じきに?!じきにっていうのは、はっきりとあとどれくらいです?のんびりしてると春風の時期が終わってしまいます…。
…あの、女王様、それで僕を呼んだ理由は、人間が僕らのために花輪を取って来てくれるって約束したとか、そういうことでしょう?」
『なにゆえ、そのように思うのだ?』
「違うんですか?他に考えられないんだけど…。
あ、そうか!それじゃ、何か交換条件があるんですね!人間はどんな条件を言ってきたんです?ねぇ早く教えてください、女王様。
僕は、花輪のためならなんだってする覚悟で来たんです。」
『良き心がけであるな。
安心しろ、交換条件はない。』
「交換条件がない?本当に?人間にはいい人間と厄介なのとがいるって聞いたけど…これはどっちだ?あぁ、難しい。
悪い夢を見てるみたいだ。」
少年は両手で頭を抱え込み、考えた。
「えっと、それじゃあ無条件で花輪を取ってきてくれるってこと?いや、そうとも限らないかな?だって、ほとんどの人間は欲深くて約束を守らないって聞いたし。
とすると…あれれ、こんがらがったぞ、女王様はなんで僕をお呼びになったんですか?僕は彼らが花輪を取って来てくれるんだと思って…だから、夜も明けてないのに目ん玉こじ開けてすっ飛んで来たんですよ!」
『まぁ、落ち着け。
確かにあやつらは花輪を取りに行く。
そなたは案内と、わずかの知恵を貸してやればよい。』
「は?はぁ、案内と知恵…それで、彼らは花輪を取ってきてくれるん…ですよね?」
『寝ぼけたことを…相手は人間であるぞ。
そなたはわらわの与えた役目を全うするのみ。
それで構わぬ。』
「え?っで、…でも、花輪は…。」
コルクットは混乱して口ごもった。
『奴らは花輪を必要としておる。
手に入れさせるのだ。
理解したか?』
「りかい?」
コルクットはぽかんと女王を見た。
「もしかして、僕を呼んだのは人間の手伝いをさせるため…ですか?」
『いかにも。』
「酷い…。
それはあんまりですよ、女王様。
僕らだって、あれが欲しくて欲しくて…どんな思いでいるか…女王様も知らないはずはないでしょう?」
『むろんである。
ハリオデスが石の塊と成り果てて幾ばくか。
かの森の現状を知らぬほど、浮世離れしてはおらぬ。
自ら禍を引き入れた過失に弁明の余地はない…とはいえ、主をも失ったそなたらの森は、今や生きた屍と化しておる。
嘆かわしいことだ。』
「ルディア様を悪く言うのはやめてください。
森の仲間は、誰もあのお方を禍だとは思ってないんですから。」
『ふん、人間を見たこともない小童が生意気な軽口を叩くことよ。
周りの輩に洗脳されておって。』
「ちっ、違います!
ルディア様は真に妖精のようなお方だった。
ハリオデス様もウェール様も、ルディア様を心から慈しんでおられたって、みんなが言ってる。
僕たち森の妖精の記憶を馬鹿にするのですか?」
『そうは申しておらぬ。
しかし、そなたは娘を直接目にしたわけでも、言葉を交わしたわけでもなかろう?なにせ生まれる前の話だ。
所詮人間は人間、袂を分かつもの。
そなたは親鳥にすり込まれる雛の如く、語られた幻想を無垢な心に美しく刻み込んでしまっただけなのだ。
いかに人間の記憶を美化しようと、良いことなど何一つない。』
女王は、コルクットを諭すように見つめた。
「こんな時にお説教はよしてください。
何が楽しくて仲間を奈落に突き落とすような酷い真似をするんです?僕は、人間が花輪を持っていくのを指をくわえて見ているだけなんてまっぴらごめんです!全くもう…!失礼します!」
『何処へゆく。』
「森へ帰るんですよ!」
『それは心外だ。』
女王は目を丸くした。その表情は、心の底からそう感じているようだった。
『わらわが同じ妖精であるそなたらを奈落に突き落とすような酷い真似をいつしたというのだ?』
「まさに今ですよ!」
少年は感情的になって叫んだ。
『森の復活を望むならば、これを好機だとは捉えぬのか。
みすみす手放すとは、思慮深い森の妖精とは思えぬ軽率さであるな。
かの明媚なハリオスの森の行く末もこれまで。
いかにも、主を失うとはこういうことやもしれぬ。』
コルクットの足が、ピタリと動きを止めた。
「森を復活させる好機?今の女王様の話のどこに好機が?」
『解らぬか、わらわは人間を手伝うよう頼んだのだが。』
「はぁ、そうですね、確かにそうおっしゃいました。」
『指をくわえて見ておれと申してはおらぬ。』
「えっ?だからそれは…。」
『人間が手に入れた花輪を、森を抜ける前に奪うこともできよう?』
「奪うっ?女王様、なな、なんて物騒なことを!」
純粋なコルクットは目を丸くし、慌てた様子で周囲を窺った。うっかり人間が聞いていたとしたら、大きな誤解を与えかねない。
『…言葉のあやだ。
人間の手から取り返すという意味である。』
「取り返す?人間が手に入れたものを?」
コルクットの喉が、ゴクリと鳴った。
『いかにも、春風の生み出す花輪は、そもそもがわれら妖精のもの。
その領域に入り込み、ここから持ち出そうとする輩を引き留めたところで何の咎もあるまい。』
「でもさっきは手伝えって…。」
『ハリオデスの復活には、春風の花輪が不可欠である。
これは周知の事実、であるな?』
女王は、コルクットの呟きを無視した。
「は、はい。」
『春の始まりとともにかの滝で生まれ、その終わりとともに泡に帰す春風の棲家が目と鼻の先にありながら、そなたらは花輪を手に入れることもままならず、文字通り幾年も指をくわえて眺めておるばかりであった。
戒めといい仰せても、屈辱的な仕打ちには相違いない。』
「…お許しが出るまでは、仕方がないことです…。」
コルクットは悔しそうに顔を歪め、視線を落とした。
『許す?ふん、あの堅ぶつがそなたらを許す日などくるものか。
息を殺したままでは、何も変わらぬ。』
「でっ、でも、」
『そなたらにとって、花輪を手に入れることなど造作もない。
それができぬのは、あの女を…イブニスの制裁を恐れておるからではないか。』
女王の言葉に、コルクットはピクリと肩を震わせた。
「…イブニス様は、畏れ多くも三大精霊のお一人。
僕たちが花輪を取りに行ったことが知られちゃったら…次は、ハリオデス様が石にされたくらいじゃおさまらない。
今の僕たちの森は力を失っているから…消滅しちゃうかもしれないってみんな不安がってる。」
『まったく、よりによって王の側近、三大精霊の一人に見つかるとは、不運であったとしか言えぬ。
中でもあれは、群を抜いて融通がきかぬからな。
面白みも風情の欠片もないブス…。』
「ぶっブサイクだなんてそんな、イブニス様は美しい方ですよ。」
『はっはっ、誰がブサイクだと?
わらわが申しておるのは性根よ。
凝り固まったあれこそ、まさに巌のようではないか。
とかく、情にほだされ掟に背いたハリオデスを石に変えたのはあの女。
そなたらが花輪を以てかの者たちを復活させたとならば、面倒なイブニスのプライドを刺激する。
新たな制裁は免れまい。』
「掟に背いたのは事実。
罰を受けるのは当然のこと。
ずっと、そう言われてきました。
だから僕らには、何もできない。」
『もう十分に罰は受けておろう。
いかに三大精霊の一人といえど、あの女は加減というものを知らぬ。
そなたらが森を破壊してまで枷を負い続ける理由など、もはやないのだ。
そのように思うておるのは、果たしてわらわだけか。』
女王の言葉に、コルクットはハッと顔を上げた。
「女王様…。」
『そなたの望みは何だ?申してみよ。』
「僕は…僕は、昔の森を知らないけど、やわらかな緑に響く鳥のさえずり、光と踊る風、咲き誇る花々に甘い蜜、皆の歌声と笑い声…。
ハリオデス様がいらっしゃった頃の森は、どこよりも美しく生き生きとして、幸福に満ちてたって聞いています。
本当は僕も、そんな森の姿を見てみたい。
ハリオデス様とウェール様に会ってみたい。
叶うなら、ルディア様にも。」
『悲しいかな、時を戻すことはままならぬ。
すべてが元通り、とまではゆかぬやもしれぬ。
だがわらわには、イブニスを抑え込む策がある。
あとはそなたの少しの勇気をもってすれば、森は確実に咎めを受けることなく復活するのだ。
これを好機と呼ばずしてなんと呼ぶ?』
コルクットはじっと黙り込み、小さな頭の中に考えうる限りの選択肢を並べ、それらを一つずつ天秤にかけた。
そして天秤はいつも、怖いもの見たさのような期待と好奇心に揺さぶられる。彼にとって女王の言葉は魅力的で、他に道はないように思えた。
「花輪のためになんだってする覚悟で来たんだ、これで森が復活するなら、案内します。
だけど女王様、どうやって花輪を受け取るんですか?彼らだって、必要なんでしょう?そう簡単に渡してくれないと思うんだけど…。」
『案ずるな、手順と人選を間違わねば、花輪は既にそなたの手の内にあると言っても過言ではない。』
「ほ、本当に?どうすればいいんですか、女王様?早く教えてください。」
『知りたいか?良かろう。』
女王はそう言うと、氷のように美しい、妖しい笑みを見せた。
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花輪を求めて、三人の人間がやってくる。と女王は言った。
一人は青年のウィザード、もう一人は人間にしては極めて美しい娘、そして最後は妖精の衣を身に着けたごく普通の娘。
『なかなかに興味深い組み合わせであることよ。』
女王が呟いた。
「何がです?普通の娘が妖精の衣を着ているからですか?それとも美しい人間がいるから?僕らの境界はとても見分けがつきにくいのに、その三人はどうやってこっち側に来たんでしょうね?僕はそのほうが興味があります。」
『ふふ、過度な好奇心は命取りになるぞ。
まずはウィザード。
この男を追い込まねばならぬのだが、最も扱いづらい。
奴の瞳を見れば、そなたも理解するであろうが…。』
「瞳?」
『かのウィザードにはイブニスの術がかけられている。』
「ひぃっ。イ、イブニス様の?」
『そう怯えるな。
害はないが、あまりじろじろと見るようなことは避けよ。
そなたにとっては、決して気分の良いものではないゆえ。』
「わ、わかりました。
でも、なんで…。」
『好奇心は命取りになると申したばかりであろう。
余計な詮索はせぬのが身のためだ。』
「は、はい…。」
『さて、話が脱線してしもうた、わらわはどこまで話したか。』
「えっと、ウィザードが扱いづらいって。」
『そうであった。
というのもこの男は、他人に心を読ませぬ術を会得しておるようなのだ。』
「ん!じゃあ、ちょうどいいじゃないですか。
春風は心を読み取るから、人間はすぐに惑わされちゃうんでしょ。
昔はそれで何人も戻って来られなくなったって、聞いたことがある。」
『馬鹿者め、心を読ませぬから都合が悪いのだ。
この男に行かせてはならぬ。
もっともらしい理由をつけて、娘に行かせよ。』
「は、はい。
あ、でも二人いる…どっちに行かせるんです?」
『春風は、そなたら森の妖精同様、美しいものに目がない。』
「じゃあ、行かせるなら妖精の衣を着た普通の娘がいいですね。
春風は普通の娘にはあんまり興味を持たないだろうから、花輪だって手に入れやすくなる…どうです?」
『…その逆だ。
美しいほうの娘に行かせよ。
かの娘は強い意志の持ち主ではあるが、その実ガラスのようにもろい部分がある。
春風がその隙間に入り込み、惑わすに十分な材料がな…。
娘が落ちるまで、時間はかかるまい。』
女王は淡々と、涼やかに言った。
「じょ、女王様…。
なんて冷酷な顔をなさるんですか。
その美しい人間が春風にさらわれても構わないって…そんなむごいこと、僕は見ていられない。」
『無礼な小童め、わらわの美しい顔と情の深さは別物だ。
よいか、これはあの娘にとっても良き試練。
あのウィザードならば、娘をやすやすと奪われることにはなるまい。
ここで肝要なのは、奴をどれだけ追い込めるか、ということなのだ。』
「はぁ~…。」
コルクットが、大きなため息とともにしゃがみこんだ。
『どうした。』
「嘘をついたり、良くないほうへ誘導したり…案内するだけじゃあないじゃないですか。
僕、こんな大それたことをやり切れる自信がありません。
女王様のように冷…頭のいい策士にはなれないんです。」
『まったく、早々に情けないことを言いおって。
先ほどまでの意気込みはどうした?』
「意気込みはあるけどっ、良くないことが起きるってわかってるのに見て見ぬふりをするなんて、僕には無理です…。
もしも花輪が、人間の命と引き換えに手に入れたものになってしまったら…そんなもの、ルディア様を慈しんでおられたハリオデス様が喜んでくれるはずがない。
ウィザードは力があるのかもしれないけど、所詮人間でしょ、いくら女王様が大丈夫だと言っても、春風たちを怒らせてしまったら敵いっこない。
僕は未熟だけど、それくらいはわかります。」
『わらわの言葉が信じられぬ、と?』
女王は、後ろ向きなコルクットに冷ややかな視線を送った。
「そうじゃなくて…でも、僕の言ってることも間違いじゃあないでしょう?女王様!」
コルクットは女王にすがりつき、女王は小さくため息をついた。
『やはりそなたも森の妖精。
その心根…性質はハリオデスと変わらぬのだな。』
「うぅ…ハリオデス様を悪く言わないでください。
あの方々は、僕みたいな気弱な妖精じゃありませんよ。
絶対に…。」
『いちいち否定的にとらえる奴じゃ。
貶めてなどおらぬ。
では、未熟なそなたに良いことを教えてやろう。』
美しい氷の女王は、静かに言った。
こんにちは。お読みくださり、ありがとうございます。
投稿が定期的に不定期になってすみません。十月は忙しくなってしまって、これを一本仕上げるのが限界でした。毎日心ゆくまで文章を書いて過ごしていられたらどんなに素晴らしいかと思うんですけど、人生なかなか思うようにいきませんねぇ…バタバタとあわただしく過ぎ去る日々にため息。
投稿の遅れを活動報告でお知らせしようかとも考えたのですが、読む人いないだろうな…との思いから、あとがきに加えることにしました。ここなら、届けたい人に確実に届くと思ったので。
今後も気長にお付き合いいただけると幸いです。 りく




