9-7.使者
果報は寝て待て
そんな言葉がなかったっけ。
目を覚まして最初に映った琥珀色の瞳。リビエラを見たとき、そう思った。
本来の意味?まぁ、細かいことは気にしないで。
冬のある朝、雪解けの大地から黄色い早春の花を見つけた時みたいに、私は心の中で叫んでいた。
女王が言った雪解けは、覚悟していたよりもずっと早くやってきたのだと。
「おはよう、リビエラ!目を覚ましたのね!」
私はベッドから起き上がるなり、彼女をぎゅっと抱きしめた。匂い、温もり、肌触り。かみしめる感触のすべてが、間違いなくリビエラ。
「え?っと、それは君を起こしに来た僕のセリフじゃないかな?」
「うんうん、女王は悪い人じゃなかった!あぁよかった、解けて!」
不思議そうに答えるリビエラとは対照的に、私は寝起きとは思えないテンションで喜びを発散した。
「とける?何のこと。」
リビエラが、不安そうに私を見る。
「覚えていない?」
「覚えていない、というか、妙なところで記憶が途切れてるんだ。
皆で玉座の間にいたところまではあるんだけど、気が付くとハルにたたき起こされてた。
僕は、一晩中眠っていたらしい。
ララは?」
「そうか、そうだよね。
ハルも無事?」
「無事?うん、変わりなかったけどな。」
「良かった。
あのねリビエラ、実はこんなことがあったの。」
私はほっとすると同時に、言葉を選びながら玉座の間で起きたことをかいつまんで話した。
ハルとリビエラが女王に凍らされたこと。二人の氷が解けるまで、私は女王の話し相手としてこの城に留まる約束をしたこと。それから、二人のそばで眠りたいと言ったら、氷の兵隊に力づくで運ばれたこと、などなど。
リビエラは私が発する一つ一つの事実に反応し、そして言った。
「つまり僕は、凍っていた間の記憶がないわけだ。
僕たちの氷が解けたのは、女王がララと話をして満足したってことだろうね?」
「それはわからないけど、満足したのなら、会話っていうより涙かな。
人間の涙を味わうのが趣味らしいから。」
「聞けば聞くほど悪趣味だな。
そのおかげで僕らは助かった、ともいえるけど。」
リビエラは、考え事をするようにポツリと言った。
「どうしたの?」
「凍らされている間だったのか…眠っている間、夢を見ていた気がするんだ。
それが思い出せそうで、いつも直前で掻き消えていくっていうか。
なんだろな…。」
「あるよね、そういうこと。
私は今回爆睡してたなぁ。
夢を見たかどうかも覚えてない。
思い出してすっきりできるといいね。」
「うん、そうだね。
そうだララ、ハルのところに戻ろうか。
君を起こして来いって頼まれてたんだ。」
「わかった。
彼女の気が変わる前に、絶対にここを出なきゃ。
振り回されるのはもうごめんよ。」
私はベッドから飛び降りた。
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「わっ!?」
私たちが部屋を出ると、そこに大きな氷のヘラジカが二頭。そしてソリの座席に、ハルがいた。
背もたれにもたれている彼は、思わぬ待ちぼうけを食らったような、機嫌の悪そうな顔をしている。
「ど、どこに行くの?ハル?」
「玉座の間だ。」
「玉座の間?でもここ、お城の中だよね?城内をソリが走る?」
寝室から玉座の間に行くためにソリが必要だなんて、昨日見たお城の外観と大きさの印象がかけ離れてる。なんか変じゃない?
これは女王の気まぐれ暇つぶし行動が発動して、氷の国から出られないようにおかしな場所へ連れて行かれるんじゃないだろうか。そんな考えが頭をよぎった。
女王は悪い人じゃない。肌ではそう感じていても、警戒してしまう。
「ここはお前が考えているような普通の城とは違う。
乗らないと、次こそ出られなくなるぞ。」
「だってさ、ララ。
さぁ乗ろう、ハルを信じて。」
リビエラが私の肩に触れ、囁いた。
彼女はいつも、不思議なほどハルの言葉や行動に疑いを抱かない。そして彼女に優しく促されると、私は抵抗できなくなる。
「う、うん…。」
小心者のうずく心臓をドキドキと鳴らしながら、私は二人の間に座った。こわばる私の隣で、リビエラは相変わらず余裕の表情。そしてハルは、明後日の方を見つめて考え事をしているように見えた。少し疲れているような、言葉をかけづらい雰囲気。だけど、元気そうだ。
(無事でよかった…。)
ダークブロンドの髪がかかる横顔をチラリと確認しつつ、私は心の中で呟いた。
すぐにソリが動き始め、青白い氷の上を加速する。
「うっわ!何だ?ここ!」
突然景色が変わり、リビエラが楽しそうに叫んだ。
そこは、まるで氷の細胞の中にでも入り込んだかのような、無限に続く空間だった。
「ほんとだ、普通のお城じゃない!」
私も、思わず叫んだ。
上も下も果ての知れない、織りなす氷のスロープの数々。そこを上ったり下ったりしながら、ソリは心得たように走る。そしてあっという間に昨日の大広間に到着。私の不安を払拭するように、優雅に動きを止めた。
『来たか。』
優美な氷の女王が、立っていた。
私はソリから降りると、膝を曲げてお辞儀をした。
「おはようございます、女王陛下。
あの、ありがとうございました。」
『なにがだ。』
「え?っと、二人を開放してくださったことです。」
『ふむ…。』
女王は一瞬ハルに視線を送ると、私に言った。
『そなたとの対話は、有意義なひと時であった。
素直に感謝を述べる姿勢は、立場をわきまえた良い心がけである。
ところで…おい、何をしておる、早く出てこぬか。』
女王は突然、近くの柱に向かって言った。
「は、はい…女王様。」
かわいらしい男の子が、おずおずと柱の後ろから現れる。
まずは頭だけ。次に体の半分と片足。そこで止まって、少年はじっとこっちを見た。
『恐れるな、こやつらは無害である。』
「は、はい…。」
彼はもう一度小さく返事をすると、今度は小走りに女王のそばにやってきた。
帽子、チュニック、手袋、ズボン、そして温かそうなブーツ。服装の色味は、素朴で美しいグリーンやアースカラーのグラデーション。全くと言っていいほど、氷の国にそぐわない。それでいて、どこか懐かしさを感じさせる。
「や、やぁ…。」
少年は緊張しているのか、恥ずかしそうに上目遣いに私を見た。
「はじめまして、わたしはララよ。」
私は姿勢を低くし、彼と目線を合わせた。
「あ、うん、はじめまして。
僕は、あっ…。」
彼は咄嗟に両手で口をおさえ、女王を見た。
『構わぬ。』
女王は少年の頭に優しく手を置くと、私に言った。
『これは人間を見るのが初めてなのだ。
多少の粗相は許してやってほしい。
さて、ララよ、そなたは春風のもとへ行きたいと申しておったな。』
「はい。」
『これに案内させよう。』
「え?」
予想もしていなかった驚きの提案。嬉しい話だけれど、気になるのは昨日とは真逆の女王の態度。この展開を素直に喜んでいいのかわからず、私は淡々と受け止めた。
「本当に…?」
『二言はない。
ただし、一つ条件がある。』
「なんでしょうか?」
『何人もこの者の名を尋ねてはならぬ。
守れるか?』
「その子の名前を?わかりました。
でも、話しかけるときに少し不便かも。
何か別の名前で呼ぶのは構いませんか?」
『では、コルクットと呼ぶがよい。
我らの言葉で「使いの者」を意味する。』
「はい。
えっと、じゃあ…改めましてよろしく、コルクット。
私はララ、こっちはリビエラ。」
私は、すぐそばにいるリビエラを指した。
「リビエラ…。」
コルクットはリビエラの名を繰り返すと、ほんのり頬を赤らめた。
「やぁ、案内よろしく、コルクット。」
「うん。」
「そしてこっちが、ハル。」
私は、後ろにいたハルを指した。
「ひっ…。」
コルクットはハルと目があった瞬間、勢いよく視線をそらした。その表情は、私もちょっと引いてしまったほど。
そしてハルはといえば、少年相手に笑顔の一つも見せようという意志がない。
背が高いから、どうしても彼方から見下ろす構図になっちゃうけれど、もう少し歩み寄ってあげようとか思わないものかしら。少年にとっては、十二分に圧がある。
「ふはは、まずは予想通りだね。
大丈夫だよ、コルクット。
ハルは君を取って食べたりしない。」
「当たり前だ。」
リビエラの慰めに、ハルが即答する。
「う、はい。」
コルクットは床に視線を落としたままペコリとお辞儀し、私は女王に向き直った。
「一つお聞きしてもいいですか、女王陛下。」
『何だ。』
「あの、どうして私達のためにこのような手はずを整えてくださったのですか。
昨日はあんなに…。」
『勘違いするでない。』
女王が私の言葉を遮る。
『わらわは案内をさせると言ったが、花輪を手に入れられるかはそなたら次第。
偶然にも手札が揃っただけのこと、特段の理由はない。』
(手札?)
「ま、いいんじゃない?ララ。
道筋がわかっただけでも、僕たちにとっては全然悪い話じゃないよ。」
確かに、リビエラの言うとおりだった。
氷の国を出られたとしても、私たちには未だ春風の妖精の居場所がわからない。だからこれは、願ってもない好機。
「うん、そうだね。
女王陛下、ご厚意に感謝します。」
『そうとならば、夜が明け切る前に出立せよ。
わらわも人間を手引したことが知れると、面倒なことになるのでな。
少々手荒な行程になるが、そこはこれの指示をよく聞き、首尾よくやるのだ。』
「わかりました。」
女王の言葉に、私は改めて自分たちが招かれざる客なのだということを感じた。
再びソリに乗り込み、コルクットは御者の座に陣取る。
出発の直前、女王がハルを呼び止めた。
『ウィザード、我らの力は我らに還る。
忘れてはおらぬな?』
「勿論だ。」
二人は意味深に言葉を交わし、次に女王はリビエラに言った。
『美しい娘よ、そなたの心に平穏が訪れんことを。』
「ぼく…?」
『さぁ行け!』
女王は大きく叫び、手綱を操る少年は二頭のヘラジカを動かした。
ソリが、再び不思議な空間に入る。
無限に続く、たくさんの青白い坂。気がつけばあっちの坂を下り、また気がつけばそっちの坂を上る。不思議な氷の迷宮に慣れてきた頃、前を見ていた私は無意識にハルの袖を掴んだ。
「景色が…!」
次第にあたりが変化する。上に夜空のような空間が広がり、ソリは一つの大きな坂をグングンと上った。わざわざ下を確認するのも恐ろしいほど、高さが顕著になる。坂っていうのは上ったら下るものだけど、いつまでも下りが見えないのはなんで?嫌な予感がして背筋に悪寒が走ったところで、コルクットが叫んだ。
「五つ数えたら、皆でソリから飛び降りるよ!」
「はぁっ!?」
「オッケー!」
軽快なリビエラの声が、私の声に重なった。
「五!」
「ちょっと、リビエラ?!何だってあなたはそんなにっ!」
「ん?」
リビエラが無邪気に私を見る。
「四!手を繋いで輪になるよ!」
コルクットが御者の座から飛び込んできた。ソリは勢いよく坂を走り続ける。
「ちょっと待って!下、真っ暗じゃない!!絶対に無理!」
「三!」
「大丈夫だよ、ララ。
僕たちがいる。」
リビエラの温かい手が私に触れ、握った。
「おっと!」「きゃっ!」
ソリがフワリと揺れて、リビエラが立ち上がる。
「行くぞ。」
座席に張り付く私に、ヴァイオレットの瞳が言った。
彼の袖を掴んでいた私の手は、いつの間にかその手に握られている。
私は、藁にもすがるような気持ちで頭を横に振った。だって、こんなカウントダウン聞いてない!
「二っ!こっちだよ!」
「む、無理!駄目!怖い!嫌よ!!あ、足が動かないもん!」
ああ、せめて深呼吸させて!心の準備が全然追いつかない!
「一!」
コルクットの足が離れ、ソリが少し傾いた。
「それっ!」
声を弾ませ、リビエラが走る。ハルが私の手をグイと引き込み、私は腰が座席から離れるのを感じた。
怖くて、前を見ることができなかった。両目を固く閉じた瞬間、身体が完全に浮いた。
「いっ!やめっ…きゃぁぁっ!待って、ハル!」
叫んだのもつかの間、私は落下の恐怖に押しつぶされそうになった。
暗闇に落とされるって、得体が知れない。時雨を助けようと崖から飛び降りたときとは、全然違う。あの時は自分から夢中で飛び込んだのだけれど、いまだに人生の七不思議。ああ、なんであの時は、あんなことができたんだろう?落下しながら、そんなことを考えた。
「身体の力を抜いて、ララ。
前を見てごらん。」
(リビエラ…。)
目を閉じていた私は、リビエラの声にふと二人の手の温もりを感じた。
真っ暗な私の世界に、温かな色が灯る。
(あれ?)
不思議と、恐怖心が消えていく。
「落ち着いて、身体が垂直に浮いてる。
怖くないよ。」
目を開けると、彼女の言ったとおり、私は足を下にしてゆっくりと下降していた。
「ほら、大丈夫しょ?」
リビエラがニッコリと笑った。
私たちはお互いに手を繋ぎ、一つの輪になっていた。
「うん…。」
「みんな、ちょっと待ってね。」
コルクットはそう言うと、大きく息を吸込み、口から種のようなものを吹き出した。
ポイッ!ポンッ
植物の芽が勢いよく芽吹いたときのような、新鮮な音がする。
私たちの真ん中に、緑色の小さな葉っぱが現れた。見ているとそれはたちまち風呂敷みたいに大きく広がり、空気をはらんで四人を一気に包み込んだ。
「きゃっ。」
「ふぅっ、成功!これでもう大丈夫!」
大きな葉っぱの小部屋の中で、コルクットが嬉しそうに言った。




