9-6.罪
オーロラが揺れる真夜中。
女王は、最後の一人に近づいた。
彼女は今、すこぶる警戒している。
凍りついた姿に攻撃的なオーラはないものの、ハルの気配は異質だからだ。
その心は堅固なバリケードのように隙がなく、入り込むことも触れることも許さない。つまり、感情が全くわからないのである。感情を探れない人間に遭遇したことなど、これまで一度もない。
女王は、ウィザードを観察した。
少し癖のある、ダークブロンドの髪。柔らかさと精悍さを併せ持つ、品格のある顔立ち。そして、強い意志を放つ切れ長の…。
『瞳。』
女王は、彼を正面から見据えた。
ヴァイオレットの瞳は、潜む赤い陰が本来の色に重なっている。
『真紅…。』
燃えるような赤色に、美しい眉が反応する。
彼女は、自身が感じた異質の正体を確信した。
『あの女の怒りに触れたのだな。』
意味深に独りごちながら、目の前のウィザードに興味をそそられる。
宙を見つめるハルに向かって淡々と、しかし好奇心はハルの内にあるはずの物語にはやらせていた。
『そら、わらわが紐解いてやろう。』
彼女は幼子をあやすようにハルに話しかけると、雪のように白く透き通る手を伸ばし、ハルの心の隙間を慎重に探りはじめた。
指先でなぞる冷たい身体の輪郭は、至極心地良い。
ところが。ハルの首筋に触れたとき、指先に水が濡れた。
ポタリ
ダークブロンドの髪の毛から、水滴が落ちる。
『馬鹿な。』
予想もしない現象が起きようとしていた。
ハルの内側から、沸々と魔力がわきあがる。
ポタリ
強い力を感じ取った女王は、ハルの耳元に触れた途端、顔を歪めた。
『おのれ、人間!』
女王の叫び声と同時に、ハルの身体から氷の結晶が勢いよく弾け飛んだ。
『うっ!』
女王は怯み、身構えた。
床に張り付いていた氷塊が「バリン」という破壊音を響かせる。ハルを捕らえていた氷は跡形もなく飛び消え、女王は、目の前の出来事に指先一つ反応することができなかった。
「悪趣味はそこまでだ。」
気がつくと、手に炎を纏ったハルがヴァイオレットの瞳をギラつかせている。
「もう一度、オレを閉じ込めてみろ。
破壊してやる。
何度でも。」
『口を慎め、盗人め。』
女王が後ずさる。
「それは自分のことか?他人の記憶を侵して涙を奪う行為は、盗人と変わらないよな。」
同じ距離をハルが詰め寄る。
『だ、黙れ!我らの領域を侵す無作法な輩め。
善からぬ火種を持ち込むのは、いつもお前たちであろう!
それが人間の手に渡ることなど、許されぬぞ。』
女王は怒りをあらわに、あたかもハルを盗人のように非難した。
「言っている意味がわからないな。
図星をつかれて血迷ったのか。」
『わらわを愚弄するか、ウィザード。
その装飾は、我らに属するべき代物。
お前は踏み込んではならぬ領域を荒したのだ。
その見返りが何であるか、承知しているのだろうな?』
「装飾?」
女王の様子に、ハルは炎を収めた。彼女が指しているのは、妖精界の耳飾りのことだろう。その表情には、慄きと屈辱と怒りが入り混じっている。
『侮っておると、身を滅ぼすことになるぞ。』
「あいにく、その程度の脅しは聞き慣れている。
人間が妖精の装飾を身につけることがそんなに腹立たしいか?これはオレの…。」
(オレの…?)
ハルは言いかけて止めた。
考えてみれば、この装飾の真の所有者は不明だ。オルランドからは、息絶えた母親(らしい人物)とともに発見された、と教えられただけで、正確な所有者はわからない。
オルガンド王国では流れ込む妖精の力に耐えきれず、空中で意識を失いかけたこともある。
女王の脅しが大袈裟だとしても、あのときは間一髪のところでシルフに助けられた。
『そらみたことか、早速言い淀んでおるではないか。』
女王は腕組みをし、勝ち誇ったように言った。
『盗人ではないという主張はなにゆえか。
真実を申してみよ。』
「この装飾は、行き倒れて亡くなった女性のそばに残されていた。
オレが知っているのはそれだけだ。」
『では、盗人はその女か。』
「マウントを取ることしか眼中にない頭は、単純だな。
そばに残されていたからといって盗人扱いするような短絡的な思考は、オレにはない。
装飾は彼女を埋葬した別人の手に渡り、成り行きでオレが身につけているだけだ。
真の所有者がいるのなら、謹んで返還する。直接な。」
『装飾が真の所有者に還るべきは言うまでもないこと。
だがわらわとて、今ここで力尽くで奪うことはできぬ。
それがそなたを食い潰すか、そなた自身が自滅するか、しばしの愉しみとすることとしよう。』
女王は意地の悪い笑みを見せ、ハルは何も答えなかった。
『して、そなたの主張であるが、女が盗人ではないという証明もまたできぬというわけだ。
とはいえ導き出される結論は、自明。
所有に値しない人間のかたわらに残されておったのであろう?ならば、その女が盗み出し、返り討ちにあったと考えるのが自然。
女は命を以て罪に対する相応の…。』
女王はハッとして、一瞬、ときが止まったように言葉を止めた。
『…ときにウィザードよ、そなたはその女に会ったことはあるのか。』
「記憶にはない。
オレはその場にいたが、赤ん坊だったと聞いている。」
白肌を彩る柳眉が、微かに反応した。
『ほぅ…つまりそなたは、何一つ知らぬというわけだな?』
「?」
『禍の目…あの女も、露ほども知らぬというわけだ。』
女王はハルを見ながら、ニヤリと口角を上げた。
「あの女?誰の話だ。」
ハルがいぶかしむ。
『知りたいか?罪深きウィザードよ。』
「いや、結構だ。」
ハルは、にべもなく即答した。
女王の勿体ぶったいやらしい表情と言い草がどうにもオルランドを彷彿とさせ、気分が悪い。
彼は心の中で師匠に悪態をつくと、女王に向き直った。
「オレの望みは一つ。
リビエラとララを返してくれ。
二人の涙は堪能したのだから、十分だろう。」
『全て見聞いておったのだな。
つくづく小生意気なガキよ。』
女王は、そっけないハルの反応に心底つまらなさそうに答えた。
『まぁ良い。
今のそなたからは、わらわの望むものは得られぬ。』
「今どころか今後もない。」
『さて、それはどうであろうな?』
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ペシッ
「おい、起きろ、リビエラ。」
聞き慣れた声が、降ってくる。
「んん、、な、に…?」
ペシペシッ
「ちょっ…。」
ペシペシペシッ
「痛ったいなぁ、ハル!やめてくれよ!」
柔らかいベッドの上で、リビエラは文字通り叩き起こされた。
「あ、れ…ここは?」
身体を起こし、見覚えのない部屋を見渡す。
頬に残る刺激は現実的だが、直前の記憶と現状が符合しない。自分はさっきまで、氷の女王を目の前にしてララ達と大広間にいたはずなのだが。
リビエラは、ベッド脇に立つハルに真顔でたずねた。
「教えてくれ、僕はまだ夢の中にいるのか?」
「現実だ。
何なら、一発と言わず殴ってやろうか。」
「いや、熱いコーヒーの方がいい。」
「わかった。」
ハルはそう言うと、魔法でカップに注がれたコーヒーを出した。
「お、サンキュう…っぁあ熱っつっ!」
リビエラは大声をあげ、反射的に器を放り投げた。
「!」
慌ててカップを掴もうとするが、間に合うはずがない。器から飛び出た焦げ茶色の液体は宙を舞い、まるでスローモーションのようにベッドに着弾する。その直前、コーヒーは吸い込まれるようにどこかへ消え入った。
「くぅああっ!おいっ!熱いにも限度があるだろ!無駄な魔力使うなよ!」
「目が覚めたか。」
「最初から飲ませる気がなかったな!
ふんっ!いいさ、シルキィのコーヒーの方が美味しいに決まってる…って、ここはどこだ、ハル?」
リビエラは改めて聞いた。
「城内の一室だ。」
「城内?氷の国の?」
「ああ。」
「僕は、眠らされたのか?よく覚えていないんだけど。」
「そんなところだ。
…どうした?」
「ん、いや、すごく昔の夢を見ていた気がして。
なにか…。」
言いながら、リビエラは自分の胸ぐらをギュッと掴んだ。
「そうか。」
「うん、そうなんだ、僕は、。
そうだ、ララは?ララはどこ?」
ぼんやりとする夢の記憶をたどっていたリビエラは、我に返ってハルを見た。
「向かいの部屋で眠っている。
お前が起こしてやってくれないか。」
「僕が?」
「オレよりお前が起こす方がいいだろ。」
「は?関係ないでしょ、君は前にも眠ってるララの部屋にズガズカと入り込んだことがあるじゃない。」
リビエラは、何食わぬ顔でベッドから出た。
彼女が言っているのは、ララの意識がクレアモントホールに連れ去られ、残された身体がイーリーベルの部屋で眠りについていた時のことだ。あれは、ララがこの世界に来た最初の朝のこと。
「あのときは、返事も待たずに押し入ってたけどね?」
「緊急時は別だ。」
「今だって、ある意味緊急事態だよ。
大広間にいたと思ったら、別の場所で突然ハルに叩き起こされたんだから。
記憶の欠落が酷すぎて、気味が悪いったらない。
本当に、何事もなかったの?」
「気になるなら尚更、行ってやれ。
お前の顔を見れば、ララも安心する。」
「ララも安心ねぇ。」
リビエラはにやけた声を出した。
「なんだ。」
「ララの寝顔が可愛すぎて、襲いたくなったら困るもんね。」
「バカな。
同性に起こされる方が、気まずくならないと思っただけだ。」
「いや、僕は女だけどね、こう見えても。」
リビエラがニヤリとハルを見る。彼女は、ハルの言葉に見え隠れする動揺が面白くて仕方がない。
「わかったから、早く起こしに行ってくれないか。
じきに夜が明ける。」
「わかったよ。
にしても、一晩中眠ってたのか…歓迎されているのかいないのか、よくわからない待遇だな。」
リビエラは不思議そうに呟くと、ララが眠る部屋へと向かった。
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リビエラが部屋を出ると、残ったハルは小さく息をついた。
それは疲れからくる無意識、そしてリビエラの無事を確認できた安堵でもある。
ハルは、無防備な二人を連れて妖精の領域に乗り込むことがどれほど危険であるか、痛感した。
彼はかつて、オルランドに連れられて様々な場所を旅した経験がある。そこはリアフェスだけでなく、どうやって渡ったのかわからない外界もあった。今思えば、幼い自分を連れての旅は常に危険と不自由さをはらんでいたはずだ。しかし、オルランドはそのような素振りを見せたことが一度もない。
今の自分は、彼のように二人を守ることができるだろうか。
氷の床に倒れ、もがきながら姉の名を呼んでいたリビエラ。あのようなことは、二度と繰り返したくない。ハルは自問する。
リビエラの姉マリエラは、十年以上前に亡くなった。ハルはそれしか知らない。
お互いに家族の話をする間柄ではないが、人懐こい性格のリビエラが、自分の前で愛しい姉の名を一度も口にしたことがないのは不自然としか言いようがない。つまりマリエラの死は、リビエラにとって未だ受け入れることができない過去なのだろう。
「全く悪趣味なことをするババァだ。」
他人の記憶に土足で入り込む女王の「嗜み」は、ハルの神経を激しく逆なでする。彼は苦々しい表情で憤りを吐き出すと、近くの椅子にドサリと腰かけた。
空を見つめ、今度はふと、女王の言葉を思い出す。
(あの女、とは誰だ?)
女王が放ったいくつかの言葉が、ハルの脳裏をよぎる。あの女、禍の目、自滅、何一つ知らぬ…。そしてこの左耳に飾られた装飾が、ただの装飾ではないことをハルは女王の態度から理解した。
彼は、真の所有者に会ってみたいと思った。そうすれば、行き倒れていた例の女性が何者なのか、オルランドの言う通り本当に自分の母親なのか、明らかになるかもしれないのだ。
(母親…。)
ハルは、これまで意識したことがなかった母親という存在に、初めて心動かされた。




