8-6.騒動
「本当に、こんな人込みで見つけられるのかな?」
少しの緊張と、気恥ずかしさと、手持ち無沙汰。
私の心は、不慣れな初仕事にソワソワしっぱなしだった。
ここは、東の水門レミトの近く。
街の中心部に比べると、人は断然少ない。とはいうものの、それなりに行き交う人の波。ゆったりと水路を進む沢山の船。
路地に並んだテーブルとイスは、色とりどりの衣装に身を固めた陽気な人々に占拠されている。
言葉の訛りを聞けば出身国が判別できると言われたけれど、私には観光客と地元民の区別すらつかない。
「ここを通るってボスが断言してるからねぇ。
しばらく様子見。」
リビエラは、むしろリラックスした様子でテーブルに頬杖をつき、周囲を眺めていた。
さっき鏡を壊したリビエラとは、別人のよう。
場慣れしているというか、度胸が据わっているというか、彼女が傍にいてくれることにホッとしている自分がいる。
「そんな固い表情していないで笑って、ララ。
美味しい飲み物でも注文しよう。
ウェイター!」
彼女はそう言うと、忙しく走り回るウェイターを威勢よく呼び止めた。
リビエラはまったく気にしていない様子だけれど、貴婦人の衣装をまとった彼女は女の私でも見惚れるほど麗しく…。
古風な服装と現代っぽいショートヘアが不思議なほど馴染んでいて、さっきから痛いほど周囲の視線を独り占めしている。
自分の美しさに気づかないなんて、罪よね…。
私は、声を弾ませるリビエラを前に、小さなため息をついた。
不自然にならないよう、視線をさりげなく巡らせる。
(ハルは、どこにいるんだろう?)
私は、無意識にハルの位置を確認しようとしていた。
彼の仮装は、魔術師。所々に赤い線が入った、こげ茶色の服を着ている。質素で地味な衣装は、派手な仮装に紛れて見つけるのが難しい。
ハルは絶対に私たちから目を離さないと言っていたけれど、私が座っている場所からは、彼がどこにいるのか全然わからない。
「ハルを探してるの?ララ。」
「え?うん、ちょっと気になって。
魔術師っぽい仮装が多いね?あちこちにいる。」
「そりゃあ、皆が憧れる職業の元祖だからね。
あの衣装は、軽くて動きやすいし。
当時も実用的なデザインが好まれていたけど、元来色や形に制限がある服じゃないから。」
「私の世界では、魔術師っていうと黒い衣装を着ていることが多いけれど。」
「ん?あの色は駄目だよ。
誰も選ばない。
もう何百年も前のことなのに。」
リビエラはそれだけ言うと、言葉を止めた。
ああ、そうだった。
何百年も昔、黒を至高の色と讃え好んだ魔法使いがいた。
リアフェスを混乱と混沌に陥れた彼の名は、メラース。その身は智略の魔女フィアルーによって跡形もなく消滅したというのに、今もこの世界の人々の心に影を残している。
リビエラが言いたかったのは、そういうことだと思う。
「やあ、美しいお嬢さんがた。
君たちはなんて幸運なんだ。」
気配に目線をやると、知らない男が取り巻きを引き連れて立っていた。
「は?」
リビエラが、無関心な眼差しを男たちに向ける。
気取ったリーダー格の男と、その背後に磯巾着みたいな子分が二人。
彼らは、私が子供の頃に読んだ三銃士の挿し絵みたいな格好をしていた。ちょっと違うのは、服がキラキラと反射する素材だったこと。
「世の女性を虜にして止まないこの私が、特別に街を案内してあげよう。
どうだい、今日の私は、いつにも増して輝かしいんだよ。」
下品で派手な衣装も鬱陶しいけれど、大袈裟な身振りと自己陶酔した話し方は、見事にしゃくに障る。
(ナニ、こいつ?)
「おあいにくさま。」と、私より先に口を開いたのは、リビエラだった。
「あんたのありがたい案内に付き合えるほど、あたし達は暇じゃないの。」
その口調は、ヘカテにそっくり。姉御肌で気の強いしゃべり方に、本人が憑依したんじゃないかと疑ってしまったほど。
リビエラは、まるでヘカテがそうするように、相手にもならないといった風情で男の誘いを跳ね返した。
私は、ハルが教えてくれたアーリッドの特徴―中肉中背の優男風。目の色は明るい茶色。そして左目の下に泣き黒子がある―を思い出しながら、早速、目の前の男たちをスキャン。やるべきことは、やらなきゃ。
取り巻きの男は、二人とも小柄。一人は痩身で、もう一人は小太り。どっちもアウト。
ところが目の前のよく喋る男は、中肉中背の優男風。目の色は…明るい茶色。ここまでクリア。そして左目の泣き黒子は、アイマスクで隠れていて見えなかった。
このとき私の脳裏をよぎったのは、彼がアーリッドかもしれないという大きすぎる期待と不確かな可能性。これはちょっと、話がうまくいきすぎている?けれど、もしもマスクの下にほくろがあったならと、嫌でも期待してしまう。確かめる方法があるといいんだけれど。
「でも、そうねぇ、別の遊びなら付き合ってあげてもいいわよ。」
「?!」
男は満足げに顎を突き出し、私は驚いてリビエラを見た。
彼女が私に見せた余裕のウィンクは、嫌な予感しかない。
「ほほぅ、別の遊び?レディの趣向に合わせるのも紳士のたしなみ。
お相手しようじゃないか。
何をお望みかな?」
男は、彼女の反応に気分を良くしたようだった。
そこでリビエラは、まるでヘカテがそうするように、運ばれてきたビールのジョッキを挑発的に指差した。
「ええっ?だっ、ダメよっ、お酒はナシっ!」
イヤな予感は、いつだって的中する。
私は慌てて立ち上がり、リビエラの耳元に顔を寄せた。
この貴婦人の唯一の欠点は、お酒が好きすぎるところ。お祭り騒ぎの中で飲み始めたら、常識外れに際限がなくなるに決まってる。陽気な酔っ払いを抱えて人探しができるほど、私は有能でも寛大でもない。
『今は人探しが先じゃない?彼を見逃したらどうするの?』
声を殺して、抗議する。
『ねぇ、あのアイマスクの下、確かめたくない?』
リビエラが、私の心を見透かしたように言った。
『う…。』
『ほら♪』
『ほっ、他にもやり方はあるはずよ?お酒の勝負なんてしなくても…コルセットのせいで胃も締め付けられてるのに。』
『あんなもの、とっくに外してる。
他に、どんなやり方がある?』
『それは、』
『大丈夫、あいつは一瞬で落ちるよ。
僕の方が絶対に酒に強いし。』
『いや、だからその自信はどこから?
相手がリビエラの上をいく酒豪だったらどうする?』
『その時は…ふふ。
心配無用だよ、ララ。
僕は酒の勝負で負けたことがない。
それに、ここで賑やかして目立てば、見物人が寄ってくる。
こっちから探す手間が省けるんだから、一石二鳥さ。
ララは周りを見てて?人込みでボンヤリ座ってるよりマシじゃない?』
余裕綽々のリビエラは、勝つ気満々。だけど私には分かる。これは、酒好きが退屈しのぎに仕掛けた思いつき。
ここはもっと抵抗すべき。だけれど…アイマスクの下を確かめてやるという彼女の甘い誘惑に、私は抗えなかった。
『あなたに任せる、リビエラ。』
諦めの早い私は、あっけなく腰をおろした。
「ほほぅ、よほどの自信がおありのようだね。
君のように美しくか弱い女性が酒で男の私に勝負を挑もうとは、面白い。」
「か弱い?一体どの節穴から見てるのやら?」
「おやおや、気の強いお方だ。
君もすぐに、私の眼差しの虜になるよ。
ビールでは生ぬるいようだから、スピリッツで勝負するとしようか。」
男は眉を動かして笑みを浮かべると、ウェイターにショットを運んでくるように言いつけた。
ショットというのは、アルコール同数が高いお酒を入れた小さなグラス。
これから始まるのは、どちらかが白旗を上げるまでそれらを飲み続けるゲーム。
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五分後。
リビエラが言った通り、私たちの周りには人だかりができていた。
貴婦人の衣装をまとった美女と、この一帯ではそれなりに知名度のある放蕩人が勢いよくショットを飲み続けるのは、お祭りを盛り上げる格好の構図かもしれない。
空のグラスを交互にテーブルに打ちつける、リズミカルな音が続く。どちらかが倒れるまでの一本勝負は、積み上がっていくドミノのように私たちをハラハラさせる。
周囲のどよめきや歓声に惹かれて、見物人が次から次へと集まってくる。二人はお互いに相手を挑発したりして、この酒比べはすっかり余興みたいになっていた。
私はリビエラの様子に気をもみながらも、アーリッドを求めて一人一人を観察した。
けれど、思うような成果はなく…。
そして、十五分後。
男の顔はほんのりと赤みをおび、目は据わっていた。リビエラは、顔色一つ変えずに酒を浴びている。やらなくてもいいのに、余裕の表情を見せつけて相手を挑発する。そのたびに男の焦りと苛立ちが増強していくのが、目に見えてわかる。
そしてとうとう、男は立ち上がってこう叫んだ。
「このイカサマ女が!私は…騙されないぞ!」
彼はショットグラスを手に腕を大きく振り上げ、中に入っていた酒が近くの見物客に飛び散り、グラスは勢いよく飛んで石畳に粉砕した。
「ぎゃーっ!あっあたしの衣装が!!」
叫んだのは、中年の女性だった。ドレスの前身ごろにお酒を浴び、濡れた個所は世界地図みたいに色が変わっている。
「おいっ、かーちゃんの衣装になにすんだ!」
隣にいた恰幅の良い旦那が、怒鳴って男に食らいつこうとした。
「わ、私ではない!この女のせいだ!」
三銃士の男は、よろめきながらリビエラを指差した。
「言い訳すんじゃねぇぞ、この軟派クズが。
前から気に喰わねぇ野郎だと思ってたんだ。」
野太い声はそう叫ぶと、再び男に飛びかかった。
「お前達!」
男は、とっさに取り巻きに応戦を求めた。すると、それが戦いの合図のように皆が便乗し、別の見物人がウォーっと叫んで取り巻きに飛びかかった。
近くにいた者はその隣の見物人にぶつかり、被害を被った者は見境なしに別の観光客に殴りかかり、瞬く間にテーブルのあちこちで喧嘩が勃発した。
正直私は、一瞬何が起きたのかわからなかった。
リビエラがどさくさ紛れに男のアイマスクのリボンをほどき、外れるのが見えた。
「ララ!」
彼女は、私に向かって手を伸ばした。
私はリビエラをこの目でしっかりと見たけれど、呼び声に反応することができなかった。
奇声を上げながら殴り合いに飛び込んでいくものと、驚いて逃げようとする人に押され、急流に弄ばれる木の葉のようにもみくちゃにされた。
衣装のせいで、胸が苦しくなってくる。
自分で立っているというよりは、周りに押されて支えられているような感じだった。
(どうしよう、早くここから離れなきゃ。)
焦ってはいるけれど、苦しさも相まって、思うように身動きが取れない。
流されていくなか、どこかでまた、リビエラが私を呼ぶ声が聞こえた。
「リビエラっ!」
今度こそ声を上げたその時、私は、誰かにグイと手首を掴まれた。
「ひゃっ。」
(ハル…?!)
私は、ハルが助けに来てくれたのだと思った。
「ハルっ?」
叫んでも、返事は帰ってこない。だけど、この手首を掴んでいるのはハルに違いない。だって彼は、絶対に私たちから目を離さないと言ったのだから。
私は確信して、手を動かした。彼の手首に、指先が触れる。私たちは、お互いの手首をしっかりと掴んだ。
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導かれるように、私は自力で彼について歩いた。姿は見えないけれど、この沢山の頭の向こうに、ハルがいる。少しずつ人の密度が薄れ、新鮮な空気にありつけたと思った時、私はタイミング悪く自分のドレスを踏んでしまった。
「わっ。」
「おっと。」
私の手首を掴んでいた手が離れ、次に両腕が私を受け止めた。
トスン…。
(あれ?)
なんだか、感触が違う。触れた感じも、香りも、緑色の服も、ハルが着ていた衣装じゃない。
(着替えた?…ううん、まさか。)
「だ、誰?」
力強く抱きしめられて、離れようにも身体が離れない。私は不安を隠せなかった。
「俺だよ。
久しぶり、ララ。」
聞き覚えのある声…。私は、顔を上げた。
爽やかに揺れる、もえぎ色の髪。柔らかな薄茶色の瞳。私の顔のすぐそばで、アイマスクをつけた彼はにっこりと笑った。
「ギルっ?」
彼を思い出すのに、時間はかからなかった。
ウィッスルで出会った、私の命の恩人。思ってもみなかった彼との再会に、私は心が躍った。
「ギルなのね?」
「正解。」
「ああ、すごすぎる偶然!カーニバルを見に来たの?」
「勿論さ、俺は楽しいことが大好きだからね。」
ギルがウィンクして、私たちはもう一度再会の抱擁を交わした。
「それにしてもララ、喧嘩騒動に巻き込まれるとは。
むやみに人だかりに入り込むもんじゃないよ?」
人通りの少ない壁のそばで、ギルは少しあきれた様子で言った。
「ううん、違うの。
あれは入り込んだわけじゃなくて。
友達が、その、お酒の勝負をしていて…途中で喧嘩騒ぎになっちゃって。
ほら、覚えてる?前に、スクレピアダイのキーホルダーを貸してくれた…。」
「ん、スクレピアダイの?ああ…。」
「ああそうだった、早くリビエラと合流しなきゃ。
きっと私のこと探してる。
私、仕事の途中で…。」
「仕事?」
(しまった!)
思わずこぼしてしまった一言に、私は息が止まった。
ギルは、観察眼に優れていてとても敏感な人だ。私の些細な言葉も、決して聞き逃さない。
ウィッスルでは私の曖昧な知識せいで、異界人だということをあっさり見抜かれてしまったことがある。アーリッド探しは、極秘任務。この人の前でこそ、私は注意を払わなければならなかったのに。
一瞬、気まずい空気が流れた気がして、私の背中にひやりとした戦慄が走った。
「え?あ、ちが…し、集合の途中で…。」
「へぇ。
迷子になったのなら、俺がまた連れて行ってあげようか?ウィッスルの時みたいに。」
「大丈夫!今日は一人じゃないし!会えてうれしかったよ、ギル。
私、もう行くね。」
「そっか、残念。
ところでララ、例の友達だけど、その子の髪は何色?」
「髪?どうして?」
「向こうを見て。」
「?」
私は、ギルが見つめる空中に視線を上げた。




