8-4.水都
午後の光を取り込んだ廊下は、書斎へと続く。
驚いたり不満げだったり、コロコロと変わるリビエラの声色。
意外にも私は、最後の言葉に心を揺さぶられた。
『もしかしてこの仕事、カノジョの依頼?』
すぐに浮かんだのは、ハルが嫌いな素材屋の女主人、ヘカテ。
リビエラにとっては、気心の知れた古い友達。だけど、あんなよそよそしい三人称をリビエラはヘカテに使わない。
だから、「カノジョ」はハルとリビエラが知っている共通の、私の知らない人。
新たな登場人物。
「カノジョって、誰?」
私は、二人に向かって直球の質問を投げた。
半歩前を歩くハルと、隣を歩くリビエラを交互に見る。
不自然な沈黙が流れる中、先に痺れを切らしたのはリビエラだった。
「一緒に仕事をするんだ、ララは知る権利があるよ?ハル。」
「知らなくとも、オレは支障ないと思うが。」
「私は知りたい。
目の前で二人しか知らない会話をされるのは、不愉快よ。
私には、この仕事を断る権利もあるよね?」
私は、不満をあらわにした。
疎外感を感じたのは、言葉通り本当に本当。だけど心のどこかで、カノジョを隠そうとするハルの態度が気に喰わなかった。
自分の内側に湧き起こるモヤモヤが、尖ったナイフの刃先のように心にチクチクと突き刺さる。
自分でも、なんでこんな気持ちになるのかわからない。
「ララが欠けるのは困る。」
ハルが、小さなため息の後に言った。
「口外しないと約束できるか?」
「できるよ。」
私が即答すると、ハルは私の意思を確かめるように軽く振り返り、続けてこう言った。
「…今回の仕事は、上王から請け負った。」
「じょ、じょうおう?!」
私は、目をまん丸にして立ち止まった。
「叫ぶな、ララ。」
イヤイヤイヤイヤ、これは予想のちょっと上どころじゃないじゃない?誰だって叫ぶ。
「今、リアフェスの女王って言った?」
「違うよララ、女王じゃなくて上王。」
「どうして?リビエラ。
彼女は、女の人だよね?女王と呼ばないの?」
「呼べないよ。
リアフェスの四つの国を統べるミースの王は、王の中の王。
性別に関係なく、常に上王と呼ばれるんだ。
下位にある四つの国なら、女王もいるけどね。
上王は、リアフェスの頂点に君臨する人物への敬称だよ。」
「ふうん…って、どうしてそんな雲の上の殿上人から依頼が来るわけ??」
早く歩けというハルの視線に続いて、リビエラが私の背中を優しく押した。
「ララはまだ知らなかったかな、ハルと上王は、同じ魔法科の出身なんだ。」
「えっ!同級生?上王もウィザードなの?」
「上王は、オレより三つ上だ。
先代の王が急逝して、ウィザードの試験を受ける前に即位した。」
「若い上王…ハルがニ十一だから…二十四?…だけど、なんだってその先輩から仕事の依頼がくるの?たくさん人がいるでしょう?上王の周りなら…ハルじゃなくてもよくない?」
「僕も同感さ、ララ!だけどこいつは、超がつくほど優秀。
リアフェス最高峰といわれるミース王立高等学院に飛び級で入学、魔法科を首席で卒業した強者。
上王でなくとも、喉から手が出るほどの逸材だよ。
結局、口説く口実はなんだって良いんだ。」
リビエラはそう言うと、自分のことのように誇らしげにウィンクした。
「オレの卒業と依頼は関係ない。」
書斎の前に来たハルが、ドアノブに手をかける。
「そうは言っても、カノジョがハルを気に入ってるのは間違いないよ。
この一年あまり、あのお方はずっとハルを手元に置きたがってた。
そりゃあもう、うんざりするほどのラブレターが届いたんだから。
ああハル、装置は右側の部屋ね。」
「それほど力があるなら、鶴の一声で部下にできちゃいそうだけど…。」
私は書斎を通り抜けながら、独り言のように言った。後ろのリビエラが、続いて右側の部屋に入る。
「そうだね、命令すれば拒めない。
だけど、それをしないんだ、カノジョは。
上王らしくない、風変わりなお方だという噂もあるし。」
リビエラはそこまで言うと、ハルに聞こえないように小声になった。
「変わり者といえば、あいつも相当だよね。
ハルはずっと断り続けてたんだよ、上王の誘いを。
あの頭脳と才能を埋もれさせておくなんて、本当に惜しいことさ。」
「おい、何をコソコソしている、リビエラ。」
「別に~。」
リビエラはおどけた調子で言うと、何食わぬ顔で私を追い越した。
ふと、こちらを見るヴァイオレットの瞳と視線が重なる。
一瞬、ハルが何を考えているのか掴んだような気がしたけれど、淡い期待だった。
彼はそこに私などいなかったかのように視線を逸らすと、移動装置に向かって言った。
「この装置は、ララでないと動かせないらしい。」
「そうなの?時雨?」
私は、ハルの傍にいた時雨を見た。
彼女は、私が言い残した通りにこの部屋でちゃんと待ってくれていた。
「はい、旦那さま。
正確には、クレアモントホールの主による許可が必要なのでございます。
屋敷内にあるものは全て、旦那さまの所有物でございますから。」
「この魔道具は十分に使える。
お前が操作すればいい。」
「そうね、わかった。
半球に手を置くんだっけ?」
私は盤面に近づき、直径十センチほどのクリスタルの半球を探した。
手を乗せて目的の場所を唱えるだけなら、私にだってできる。
「ああ、旦那さま。
その前に、こちらのコンパクトをお持ちください。
これは、帰りの際に必要な移動装置でございます。
使い方は、ハルさまにお伝えしてございます。」
「うん。
ありがとう、時雨。」
私は、時雨から小さなコンパクトを受け取った。
それはちょうど私の掌に収まる大きさで、本体はクリーム色。上蓋に、白金の装飾がある。
「それで、行先は?ハル。」
私はハルを見た。
「東の国ランスターのネルフォーネ。
南の水門リューリー。」
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それは、ものすごく不思議な感覚だった。
周囲の景色がかすみ、時雨が消えたかと思うと、私たちは知らない街のただ中にいた。
蜂蜜色の壁に代わって現れたのは、石と鉄筋で作られた大きな水門。
行き交う雑踏は、突然現れた私たちに驚きもしない。
私は、仮想現実の世界に紛れ込んだような錯覚をどう受け入れていいのかわからず、ただ驚いていた。
一瞬のうちに景色や環境が変わってしまうという現象は、やっぱり脳内の解釈がすぐに追いつかない。
「さすがは卿の蒐集品。
古くても性能の良さは抜群だね。」
慣れた様子で辺りを観察するリビエラに、これは日常的なことなんだと気付かされる。
私は、白雲がかかった薄青色の空を見た。
春を運ぶ冷たい風、水門を流れる水の音、少し埃っぽい町の臭い。
狐につままれたような現実でも、これは本物なのだと五感が教えてくれる。
そういえば、ノルドの森のマーケットへ行った時、ウィザードが突然現われたり消えたりしても、誰も驚いていなかったっけ。
この世界の不思議は、まだ尽きそうにない。
「ほら、行くぞ。」
気がつくと、ハルが私の隣にいた。
「あ…うん。」
穏やかな風が、ハルの微かな香りを乗せて通り抜ける。
先を行く彼の背中は、確かに現実。
私たちは、ひとまず宿へと向かった。
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資料によると、ネルフォーネの街は中程度の大きさに分類される。
規模でいえば、リビエラの学校があるウィッスルと同じくらい。
街の基盤と殆どの建造物が同じ石材で作られているせいか、ウィッスルよりもずっと素朴な印象を受ける。
街の構造は、東西南北に水門。中央に、大きな広場と噴水がある。そして、広場から網目のように広がる路地は、数世紀前からほとんど変わっていないらしい。
水路を流れる水は澄んだ雪解け水のように清らかで、街全体が水に包まれているような雰囲気がある。
私が、心が洗われていくようだと言ったら、リビエラが、水の精霊ウーネの祝福が宿っているからだと教えてくれた。
水の精霊ウーネとは、妖精上王に仕える三大精霊の一人。
ネルフォーネには、水の精霊ウーネが現れてこの街を祝福したという言い伝えがある。
ティーネの月、つまり二月の最初の満月から一週間行われるカーニバルは、水の精霊ウーネに末永い祝福を請う祭祀であるとともに、冬の終わりを願い、春を迎える前の厄落としを祝う側面もある。…のだけれど、それは昔々の話で、現在ではただの陽気な馬鹿騒ぎになっているらしい。
そしてカーニバルの目玉は、仮装。
毎年決められた祭りのテーマがあって、人々はそれに沿った仮装をする。
地元の住民もリアフェス中からやってくる観光客も、まるで昔からの友達みたいに一緒になって飲めや歌えのパーティーイベントに参加する。
そして今年の仮装テーマは『夢と幻想の魔術師時代』。
ウィザードという職が確立する以前の、古き良き魔術師時代がテーマ。
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そして翌日、カーニバル初日。
私たちは、ハルに連れられて貸衣装屋へやって来た。
「ううっっ…くっ…。」
私は無我夢中で目の前の手すりを握りしめ、必死に踏ん張っていた。
「はっ…はぁっ。
ちょっ…こ、これ以上絞られると息ができないんですけどっ?」
訴える涙目もむなしく、着付け係のお姉さん方には、私の悲痛な叫びは聞こえないことになっているらしい。
「もう少し絞ります、堪えてくださいね!」
彼女たちは、私の三度の懇願も無視して嬉しそうに(私にはそう見えた)叫ぶと、二人がかりでこれでもかとコルセットのリボンを引っ張りあげた。
「えっ?まだ、ちょっ…くはぁっ…。」
私の呻き声が響く中、部屋の別の場所からは、さらに騒々しいリビエラの喚き声。
といっても、彼女の場合はどっちかっていうとハルに対する恨み節だったけれど、この部屋は今、たとえるなら阿鼻叫喚地獄。
「うっ!ちょい待ちっ…。
ああああぁ、僕は許さないぞ、ハル!笑ってないで出て来い!どうして僕たちがこんな苦しい衣装なんだ?一人だけ楽な服装を選びやがって、コノヤロウ!ウィザードがっ魔術師の衣装着たって仮装にならないだろ!ったく、お前も女装すべきだよ。
っ痛!ちょっと、締め付けすぎないでもらえます?これじゃ、走れない!」
リビエラは、こんな調子でずっと不満を爆発させていた。私だって、まさか時代遅れの悶絶衣装を着させられるとは思っていなかったから、彼女の言い分に同意する。ハルだけ楽そうな魔術師の衣装だなんて、ちょっと許せない。だけど…。
「リビエラ…本気でこの衣装で走るつもり?」
私は、彼女が真剣に走ろうとしていることに驚いていた。
「当然さ!必要とあらば。
それが、僕の仕事。
は?なにこれ?まだこんなに着るの?」
「はい!次はこのペチコートとドレスをお召しになってくださいね。」
満面の営業スマイルで、爽やかに、そつなく手順を踏んでいく店員たち。
私たちは、手渡されたドレスを広げると、辟易しながら袖を通した。
まったく、何の因果でこんなところまで来て中世後期のヨーロッパ貴婦人みたいな恰好をさせられているのか。いろんな意味で、胸焼けがする。
「おやまぁ、可愛らしく整いましたこと。
さぁ、お連れ様にお披露目いたしましょう。」
営業スマイルが、そう宣言した時だった。今度は、店員と言い争うリビエラの声がした。
「確認しなくてもいいです。
長い髪は好きじゃないので。」
声色からして、急上昇していくリビエラの不機嫌指数。
「はぁっ?だから、似合ってなくていいんだよ、僕は見たくないから。
…別に、恥ずかしがってるわけでは。
よせっ…僕に鏡を見せるな!」
「きゃっ。」
バンッ!ガシャン!
(?!)
小さな悲鳴の後、明らかに、何かが割れる音がした。
「リビエラっ?!」
私が駆け付けると、顔面蒼白で突っ立つ店員の足元に、散らばる鏡の破片があった。
同じく破裂音を聞きつけたハルが、隣の部屋から入ってくる。
「何が起きたんだ?」
顔をそむけたリビエラの表情は見えないけれど、いつもと様子が違うことは明白だった。
鏡を割ったのは、拳に赤い血をにじませたリビエラ。
「手に血が付いてる、怪我をしたんじゃないのか。」
「大したことないよ、僕が悪い。
鏡が…苦手なんだ。」
少し落ち着きを取り戻したリビエラは、目の前の女性に謝罪すると、頭を振って整えられていた髪を崩した。
古い時代の貴婦人の衣装にラフなヘアスタイルでも、十分に絵になるリビエラ。つけ毛をしてきれいに結った髪型のままだったら、ため息が出るほどの美女だったと思う。
「外の空気を吸ってくる。
先に出るよ。」
リビエラは低い声でそう言うと、静かに部屋を出た。




