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6-4.晩餐

 

 翌朝、私は陽の光を感じて自然に目を覚ました。


 大きく伸びをして、早速ベッドから抜け出す。

 近くの窓を開けると、清々しい空気がやさしく舞い込んできた。

 空は、見事な晴天。


 静かで、穏やかな朝…。

 いや、静かすぎる、と私は思った。


 窓の外は、灰色の城壁に灰色の塔。

 鳥のさえずりも葉音ひとつも聞こえない、静まり返った朝のお城。

 まるで、全ての音が灰色の石に吸い込まれているみたいだ。


 私が知っている世界と、何かが違うー。

 肌はそう訴えているけれど、それが何なのか、自分でもわからなかった。


 とらえどころのない違和感。

 強いていうなら、この静けさ?


 窓の外の見慣れない眺望を、私はしばらく眺めていた。


 ---------


 朝食の時間に、仮面の男が迎えに来た。


 食事のための広い部屋には、ハルと私のたった二人が使うには大きすぎるテーブル。そこに、豪勢な朝食が運ばれた。


 クレアモントホールも十分すぎるほど豪奢だけれど、やっぱり私は、この城が醸すどこか冷たい雰囲気に馴染めないでいる。


 それが私の感覚を狂わせて、テーブルの向かいにいるいつもと変わらないはずのハルが、知らない人のように見えた。


「どうした、元気がないな。」


 ハルが、言った。


「え?そんなことないよ。」


 私は顔をあげ、姿勢よく食事するハルを見た。

 彼は、どこにいても常に凛としている。

 格式高い高貴な空間の中にいても、私と違ってのまれたりしない。


「あ、朝から豪華な食事に面食らっただけ。」


「そうか。」


「うん…。」


 私は、食事の手を動かした。

 口にするものはどれも美味しいけれど、シルキィがいるダイニングキッチンのほうがずっと心地いい。


 リアフェスに来て一月以上。ホームシックと無縁だったのは、これまでの日々が怒涛の連続だったから、というだけじゃない。今なら、それがわかる。


 ---------


 食後は、仮面の男に城の色々なところを案内してもらった。

 そのうち一番高いところは、長いらせん階段が続く塔。

 吸い込まれるようにエンドレスな渦巻きの階段を登りきると、城の外が遠くまでよく見えた。


 城は大きな濠に囲まれていて、その先は作物を刈り取った後の農耕地が続いている。

 素朴で穏やかな風景は、絵画で見たことがある世界みたいだった。

 どこかに落穂拾いをしている人でもいるんじゃないかと思えてくる。


 そして一番低いところは、地下にあるワインセラー。

 酒の芳香がただよう長い通路は、歩いているだけで頭がぼんやりした。どうやら私は、アルコールには耐性がないみたい。


 それから、迫力があって印象的だったのは、鎧の兵士の朝の行進。

 大柄な彼らは、常に銀色の鎧に身を包んで剣を携帯している。

 クレアモントホールの衛兵よりも大柄で、近寄りがたい緊張感があった。


 こんな風に広い城内をあちこち巡っていると、時間はあっという間にすぎる。

 私たちは朝と同じ部屋で昼食を取り、午後は少し体を休めた。

 今私は、夕刻からの晩餐会に向けて身支度にとりかかっている。


 国王陛下と面会する正式な場だから、さすがに「いつもの服」というわけにはいかない。

 シルキィが仕立ててくれた淡いピンク系のドレスに袖を通し(彼女は本当に何でもできる!)、胸元には時雨が用意してくれたネックレスをつけ(これはクレアモントホールのとある部屋から持ち出したらしい)、そして肌身離さず持ち歩かなきゃならない例のリボンは、色味や質感を変えて髪に編み込んでもらった。


「とってもお似合いです、旦那さま。」


 時雨は、鏡越しに満足そうな表情で言った。


「そう?普段こんな格好しないから、ぎこちない。」


 私は、鏡の中の時雨に向かって肩をすくめて見せた。

 王様に会うっていうのは、いちいち段取りが多くて手間がかかるものだと痛感する。


「最初は、誰でもそのように感じるものでございます。

 旦那さまも、そのうちに慣れます。」


 可愛らしいお人形の外見に反して、時雨は年よりじみた仕草でしみじみと何度も頷いた。


(そんなに簡単に、そのうち慣れるモノなのかな?)


 疑問は甚だしく残るけれど、私は何も言わないでおいた。


 コンコン


 ドアをノックする音が響く。


「準備はできたか?ララ。」


 続き部屋のドアから、声がした。


 ---------


「わお。」


 開かれたドアの向こうに、私が初めて見るハルの姿があった。


「素敵!それが、ウィザードの正装なのね?」


 私は、彼の全身をまじまじと見つめた。


 その出で立ちは、ウィザードの正装。

 つまり、彼は黒錆色のロングジャケットを纏っていた。

 袖や身ごろには金や銀などの護符色が使われた特別な模様が、見事なグラデーションで描かれている。

 首元はスタンドカラー。腰の位置に二連のベルト。

 袖口はシルエットを崩さない程度に広がりを持たせてあって、裾を銀色のビスが縁取っていた。

 そして、左胸にはウィザードの階位第四位を表す徽章と、階位色「青」の象徴サファイアが深い輝きを放っている。


「そのステッキも、綺麗。

 なんか、ものすごい魔法が出てきそうね…。」


 私は、ハルの腰に取り付けられたわき差しのようなウィザードのステッキに目をとめた。

 持ち手や柄先に、綺麗な装飾が施されている。


「これは、正装用だ。

 あまり実用的ではないな。

 それより、もう準備はいいか?」


「ちょうど終わったところ。

 どう?」


 私は、ハルの前でくるりと回って見せた。


「さすがシルキィ、寸法は完璧だな。」


「ちょっと、褒めるのはそこじゃな…。」


「危ない!」「わっ!」「旦那さまっ。」


 私は振り向きざまにバランスを失い、よろめいて転びそうになった。

 ハルの腕が伸びて、私を抱きとめる。


 間一髪転倒を免れ、気がつくとヴァイオレットの瞳がこれまでにないほど近くにあった。


 ハルの香りがフワリと私の鼻に触れ、彼のダークブロンドの前髪が微かに揺れた。

 長いまつ毛とその向こうの視線が、艶っぽく私の目に飛び込んでくる。

 一瞬の出来事なのに、時間が少し止まったような気がした。


「ご、ごめんっ!」


 私は、我に返って慌てて身体を離した。

 ハルに触れられていた部分が、まるで刻印されたみたいに熱い。


「まったく…、部屋を出ないうちから転びかけるとは!」


 彼は信じられないというような仕草をしながら、私から一歩距離をおいた。


「ごめんね、あはは…。」


 胸に響く心臓の音。鼓動が速くなる。

 急に転びそうになったから、気が動転して身体が驚いてる。

 私は乾いた声で笑い、動揺を隠した。


「さあ、行くぞ。」


 ハルは背を向け、廊下へと続くドアへ向かった。

 昼間に色々なところを案内してくれた仮面の男は、もう迎えには来ない。


「行ってらっしゃいませ、旦那さま、ハルさま。」


 時雨が、深々とお辞儀をする。


「うん。

 行ってくるね、時雨。」


 私は時雨に近づくと、彼女の小さな体をぎゅっと抱きしめた。


「旦那…さま?」


「えへへ、おまじない。」


 私はそう言うと、ドレスを掴んでハルを追いかけた。


「待って、ハル!」


「おい、走るな。

 また転ぶぞ。」


「失礼ね、そう何度も転んだりしないよ。」


 私たちは廊下を並んで歩き、対面の部屋へと向かった。


 ---------


「お待ちしておりました。

 我らが国王陛下は中でお待ちです。」


 対面の部屋の扉の前に、仮面の男が立っていた。


 彼は微笑みながら軽く会釈すると、私たちを招き入れるような仕草で「さあ、どうぞ。」と言った。


 続いて、静かに扉が開く。


 緊張していないといえば、嘘になる。

 ゴクリとならした喉の奥は、すっかり乾いていた。けれど、怖くはない。


 身体の重心を前に部屋へ足を踏み入れると、窓のそばに立っている、一人の男性の背中が視界に飛び込んできた。


 細身の身体に、少しウェーブのある肩までの黒髪。

 首もとにフリルのついた、袖に膨らみのある白いシャツ。

 金糸の縁取りや宝石をちりばめた、上質の豪華な赤いベスト。

 窓の外を眺めていた背中が、ゆっくりとこちらに向き直る。


 体型に見合った細身の逆三角形の顔に、細く整った眉。細い口ひげ。

 歳は、クレアモント卿よりもずっと若く見える。

 口ひげの下の、薄い唇が動いた。


「やあ、新しきクレアモントの主人よ。

 我が友の後継者よ。」


 私は数歩歩みよると、ハルに教えられた通り膝を軽く曲げ、丁寧にお辞儀した。


「お初にお目にかかります、国王陛下。

 クレアモントホールの主人、ララ・ミドリカワと申します。

 この度のご招待、感謝申し上げます。」


「うん、君がララだね。」


 国王はそう言って私とハルを交互に見ながら、そばにある立派な椅子の縁に手を掛けた。

 彼専用の椅子かと思いきや、そこにはちゃっかり先客が腰を下ろしてくつろいでいる。

 それは、昨日の夜、階段の柱の上にいたあの白猫。


 今日だって、私は何度もあの猫を見かけた。

 城の一番高いところに上ったときは、塔の上で日向ぼっこをしていたし、地下を歩いていたときは、樽の上を楽しそうにジャンプしていた。

 兵士の行進を見ているときは、立派な生け垣の上でのんびり毛繕いという始末。


 我が物顔で城内を歩き回る、神出鬼没の自由気ままな猫。誰も無理に追いやったりからかったりしない。

 国王の猫は、最強。


「私はオルガンド王国国王、ウルザン。

 遥々よく来てくれたね。

 して、君の後ろに控えているウィザードは何者かね?」


「彼の名は、ハートルード・フォンウェール。

 私の後見人です、国王陛下。」


「ほぅ。」


 国王は、ウィザードの作法で敬意を表したハルに、意味深な相づちで応えた。その傍らで、椅子の白猫は呑気にあくびをしている。


「なかなか、込み入った話になりそうだな。

 まったく、リンゼイがいなくなって実に三十年も経っているのだからね。」


 国王はおもむろに白猫を抱き抱えると、再び私たちを見た。


「さあ、立ち話はきりあげて晩餐としよう。

 ついて来たまえ。」


 国王は、歩き出した。


「ララ。」


 気がつくと、隣にハルがいた。彼は肘を曲げ、私の方に差し出している。


「あ、うん。

 ありがとう。」


 私は、ハルの腕に手を預けた。

 すっかり忘れていたけれど、これは晩餐に向かうときの作法。一方が、他方をエスコートしなきゃならないらしい。


「ハルは、こういうの慣れてるのね。」


 彼のあまりの自然な身のこなしに、私は小声で言った。

 国王に続いて、二人で大広間に入る。


「慣れてるわけじゃない。

 作法が頭に入っているだけだ。」


「こんなの、頭で覚えただけで自然にできることじゃないわ。」


「そうか?」


「そうよっ。」


 こともなげに返すハルに、私はムキになって言った。少なくとも、場慣れしていない私にはそんなに簡単にできることじゃない。


「ほら、もうすぐお前の席だ。

 手を離せ。」


 ハルに促され、私はあわてて手を離す。すると給仕がスッと現れて、私の椅子を引いてくれた。

 私はようやく席におさまり、自分のテリトリーを手に入れたようでほっと安堵の息をついた。


 ---------


 国王は堂々としていて、終始穏やかで威厳に満ちていた。

 私の想像よりもずっと人当たりがよく、紳士的。

 このお城から滲み出る冷たい雰囲気とは違って、私を和ませようと気遣ってくれているのが伝わる。


 私は、招待状の返事が遅くなってしまった詫びを入れた後、クレアモントホールの主人になった経緯、それから事情によりハルの家に世話になっているため、なかなか屋敷に滞在できないことなどを説明した。


 そうしてペラペラとしゃべり続けるうち、メイン料理を食べ終わる頃には、私の緊張はすっかりほぐれていた。


 ---------


「そうか…、あのリンゼイも、ヒトの子だったか。」


 国王は、食後酒のグラスを置きながらしみじみと言った。


 私たちは食事を終え、談話室のような部屋に移動してめいめいの椅子に座っている。

 勿論、白猫ちゃんも一緒だ。


「アイツがうかつにも人恋しさに目覚めてしまったせいで、君もとんだ迷惑を被ったものだ、ララ。」


「迷惑?いいえ、とんでもない。」


 私は、驚いてかぶりをふった。

 心の底から、クレアモント卿とのことをこれまでにたった一度でも迷惑だったと感じたことはない。


 ほんの束の間だったけれど、私は記憶を失い、トリシアとして過ごした。

 でもそれは、卿が私の望郷の思いをくみ取り、彼なりのやり方で私を幸せにしようとしてくれただけのこと。

 卿のエゴであっても、彼を責めるつもりなんて全くない。結局は解放してくれたのだし。


「だがね、幸か不幸か君は彼に出会ったせいでクレアモントホールの主人となり、館を守る責務を負わされた。

 君がそれをどこまで理解しているのか、私は図りかねるのだが。」


「館を守る責務…。

 もちろん、私は出来る限りのことをしてクレアモントホールと、卿が遺されたものを守るつもりです。」


「そうか。

 心意気と覚悟はあるのだね。

 では、家族のもとに戻りたいという君の願いが、はたして叶えられるのかということだ。」


「それは、どういう意味でしょうか?陛下。」


「クレアモントホールの主である限り、君はあの館から離れて生きていくことは許されない。

 そういう意味だよ。」


(え?)


「君は先程、友人の石化を解いて共に家族のもとへ戻ると言ったが、この事実を知っていたかね?知っていてなお、相続することを承知したのかね?」


 私の耳に、ウルザン国王の言葉が静かにこだました。

 嘘偽りなく言葉そのままに、その意味するところは私に届いている。


(だからそれはつまり、そういうことだ…。陛下の言っていることはつまり…。)


 顔から血の気が引いて、頭がぼうっとした。


「…ララ。…おい、…ララ!」


 ハルの声に、はっと我に返る。


「え、うん、ナニ…?」


 私は顔を上げ、焦点を探るようにハルを見つめた。


「陛下がおたずねだ。」


「あ…、申し訳ありません、陛下。」


「いや、いいんだ。

 その様子だと、リンゼイは重要なことを君に伝えていなかったとみえる。

 ララ、君は北の国ノウルドの出身かな?私の見たところ、そのようには見受けられないが…。」


 国王が、改めて私に尋ねた。


「私ですか…私は…。」


 私は言葉をつまらせた。


 ウルザン国王には、自分がエトラであることをまだ告げていない。

 でもそんなことよりも、私の心は元の世界に帰れないという衝撃の事実にすっかり打ちのめされていた。

 キャスの石化を解くことができても、私はクレアモントホールから離れることができない。それはつまり…。


「彼女は西の国コルマクの出身です、陛下。」


 口ごもる私に代わり、ハルが答える。


「ふむ、西の国コルマクか。

 それならば目と鼻の先、家族に顔を見せることくらいはできる。

 心配は無用なのだな。」


「はい、陛下…。」


 私は、サウィーンの夜にリアフェスに迷い込み、オルランドに出会った時以来の衝撃に一人立ち向かっていた。

 あの時はすぐに現実を受け入れられなくて、やり場のない怒りをオルランドにぶつけた。

 でもここには、そんなことができる相手がいない。

 こんな重要なことを教えてくれなかったクレアモント卿は消えてしまっているし、真実を教えてくれたウルザン国王を責めるわけにもいかない。


「それでは、次の確認事項に移ろう。」


「確認事項、ですか?」


「そうだ、確認事項。

 私が君の屋敷に派遣している衛兵のことだが。

 あれはリンゼイとの契約で、クレアモントホールが存在する限り未来永劫我らがその警護に当たるという約束事を交わしている。

 我らは今後もその契約を遵守するつもりでいるが、異存はないかな?」


「そんな契約が…。

 それがクレアモント卿の意思であったのなら、もちろん異存はありません。

 えっと…。」


 私はチラリとハルを見た。


「改めて、契約書を確認させていただけますか。」


 ハルが、口添えをする。


「ああ、構わないよ。

 これに関しては、ラグレールに処理させよう。

 あれは、君たちを案内した男だ。

 覚えているかね?」


(ラグレール…。あの仮面のヒトか。)


「もちろん覚えています、陛下。」


 私は精いっぱい胸を張り、できる限り気丈なふりをして答えた。


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