6-2.招待
【親愛なるクレアモントホールの主人】
我が友リンゼイの意思を継承したる新たな友人殿。
歓迎と親睦の意を込めて貴公を宴に招待する。
出席の如何を返事されたし。
【ウルザン・ド・オルガンディア】
(いい香り…)
冷たい空気で乾燥した鼻に、紙にしみ込んだ香しいジャコウの香りが触れる。
私は、最後に記された品の良い国王のサインを見つめた。
「…ねぇ時雨、コレいつ届いたの?」
「はわわ…。
そ、そちらの招待状はその、先月旦那さまがお屋敷を去られてから数日後に届いたものでございます。」
時雨が、申し訳なさそうに答える。
「えっ、あの後?」
私は、衛兵長がピクリと視線を動かすほどの声を出して聞き返した。
私が前回クレアモントホールに来たのは、ざっくり数えて数週間前。つまり、お咎めを受けてもおかしくないくらい十分な期間、『国王』なる人物からの招待状を放置していたことになる。
「どうしてもっと早く教えてくれなかったの?」
「はわわ…私めもそのつもりだったのですが、旦那さまは何日もお見えにならず…、お待ちするしかなかったのでございます。
ですのに今朝は、招待状をあやうく見失うという失態。
そのうちに旦那さまはご出発なさってしまいまして。」
私は、頭に手をあてた。
今朝、出発の間際に時雨は何かを言いかけて袖の中を漁っていたっけ。アレか。
「うーん…どうしよう、こんなに遅れてしまって。
返事をするにしても、国王陛下はお怒りかな。」
「お気に召されるな、ララ殿。
我らが国王陛下は寛大なお方。
その程度のことで御怒りにはなるまい。
私からも事情を申し伝えておく。
宴にはご出席いただけるという返事でよろしいだろうか?」
衛兵長の言葉に、私は自然とハルを見た。彼は、スッと小さく肩をすくめる。その目は、断るという選択肢は存在しないのだと言っているように見えた。
クレアモントホールの主人として、屋敷に関わることを無視するわけにはいかない。
私だって、そのくらいの責任感はある。それに、国王に会えば、彼らが何者なのか確認することもできる。
私は衛兵長に向き直った。
「それでは国王に伝えて、衛兵長。
謹んで招待をお受けします。
陛下のご厚意と寛大なお心に感謝します、と。
追って、書面で正式に返事するわ。
ね、時雨?」
「かしこまりました、旦那さま。」
---------
談話室に、パチパチと薪が弾ける音がする。
外気の刺すような冷たさから一転、ここは包み込むような温もりの空気が、部屋中を取り巻いている。
北国の暖炉は想像以上に暖かく、冷えきった身体はすっかり温まっていた。
「それで、問題は誰と行くか、なんだけど。」
私はくつろぎながら言った。長椅子に腰かけ、全身で伸びをする。
「もちろん、私めがお供いたします!
お屋敷に仕える身としては、これは当然の務めかと!いかがでしょう、旦那さま。」
時雨がお茶を入れていた手を止め、期待と気合を込めた口調で言った。
「いや、うん…いいけどね。」
そう言いおいて、私は軽く喉を鳴らす。
「私はね、数週間も返事が遅れたってことを問題にしてるの。
国王を何日も待たせるなんて、畏れ多いことよね?本来なら、もっと早く行けたわけでしょう?私がこの屋敷に入ることさえできていれば。
ねぇ、ハル?」
私は、別の椅子のそばに立っているハルを見た。
時雨は、遠回しにほのめかす私と沈黙するハルを不思議そうな表情で交互に見返している。
冷めたヴァイオレットの瞳は私をとらえると、こう言った。
「…オレが手伝うと言ったのは石化解呪だ。
屋敷のことに関わるつもりはない。」
(そう言うと思った!)
私は、間髪入れず心の中でそう叫んでいた。
「でもさ、私が被った迷惑を考えてみれば、ハルは拒否するわけがないと思うんだけど。
だって、私が何日も屋敷に入れなかった理由って、そもそも、」
「おい、そもそも論を持ち出すなら、お前が軽率な行動をとったことがそもそもの始まりだ、忘れるなよ。
招待状の返事が遅れたのは、オレのせいじゃない。」
「ちょっと、自分のことを棚にあげて私のせいにするつもり?ヘカテが怖くてずっと店に行かなかったのは、ハルでしょっ。」
「その言い方は語弊があるな。
オレはあの女が怖いんじゃない、面倒くさいだけだ。」
「はわわ…、お二人ともお止めください。」
時雨が私たちの間に入り、ハルは腕組みをしたままツンとそっぽを向いた。私も口をつぐむ。
これ以上口論を続けると、藪蛇になりそうな嫌な予感がしないでもない。
私は時雨だけでなく、ハルにも一緒に来て欲しかった。
国王はクレアモント卿を友人と呼んでいるけれど、かの国の人々は謎に包まれている。
優秀なウィザードは、想定外のことが起きた時の保険としても必須。書物の二の舞のようなことが、起こらないとも限らない。だって、どこにあるのかもわからないような国に出向くんだから!
…アレ?そういえば私、勢いで返事しちゃったけれど、どこにあるかわからない場所にどうやって行けばいいんだろう?
リアフェスは人間の世界。
鎧の衛兵が本当に人間じゃないのだとしたら、ウルザン国王の国ってどこにあるの?
この瞬間、私の中に妙にムズムズした感情がわき起こった。
「ねぇ時雨、私たちが行く国ってどこにあるの?」
私は言いながら、手にした緑茶をすすった。
「ウルザン国王の国でございますか?」
ハルに飲み物を運び終えた時雨が、振り返る。
「それでしたら確か…、私めの記憶によりますと、外界でございます。
先代の頃は確かそうでした、はい。」
彼女はお盆を手に、記憶を探るように頭を少し傾げた。
「ガイカイ?ってつまり…。」
リアフェスの外?!
「はい、この世界の外側でございますね。」
「ねぇそれなら…、リアフェスの外にある国なら、彼らは妖精なの?」
私は身体を起こし、興奮気味に時雨を見た。誰も知らない妖精の領域に、私たちは一歩近づけたかもしれない。そんな期待を込めて。
「いいえ、旦那さま。
ウルザン国王陛下は妖精ではなく、えぇと、あの頃とお変わりでなければ、はわわ…なんでしたか、確か…。」
時雨はお盆を持った手をもじもじとさせ始めた。
「大丈夫よ、時雨。
彼らが妖精じゃないにしても、これは願ってもないチャンスなんだわ。
リアフェスの外に堂々と行けるなんて、ねぇ、ハル?」
一人考え込む時雨をそのままに、今度は私が期待と気合のこもった声をハルに向けた。
「ん…?ああ。」
肩透かしなぼんやりした返事が、ハルから返ってくる。彼も何か、考え事をしている。これは、一気に畳みかけてイエスと言わせるチャンス。
私は、緑茶を片手に長椅子から立ち上がった。
「私の言い分は、こうよ。
今日はジュールログを手に入れたし、ザムが春にブリシュカを持ち帰ってくれれば、石化解呪は解決したも同然。
怖いくらい問題ない。
だけど、油断は禁物だと思う。
ブリシュカから作るノームの緑火だって、どこにどんな落とし穴があるかわからないもん。
今できることは、やっておくべきよね。
つまり、私達はいつ妖精の領域に行かなきゃならなくなるかわからないってこと。
外界にあるウルザン国王の国に行けば、妖精の領域に入る手がかりが掴めるかもしれない。
これは石化解呪に関わる重要な調査よ、ハル。
だから、あなたも行かなきゃね?」
「ああ、そうだな。」
「は?」
ハルの素っ気なくも肯定的な返事に、私は意表を突かれてお茶を落としそうになった。
「何をしている。」
「あ、いや、なんでもない。
一緒に来てくれるのね。」
(よかった…。)
さっきまで空中を見つめていた彼は、今度はいつもと変わらないヴァイオレットの瞳で私を見ている。
驚くほどあっさりと得られた同行の意思の裏で、この時ハルが何を考えていたのか、私には知るよしもなかった。
「そういえば時雨、さっき言ってた『あの頃』ってどういう意味?」
私は、思い出したように時雨を見た。
「はわわ…、あの頃と申しますのは、先代の頃という意味でございます。
先代の記憶は消えておりますが、それ以外の事はぼんやりですが残っておりますので。」
「そうなの?それじゃ、かの国について他に思い出せたことがあれば教えてくれない?」
言いながら、長椅子に座り直す。
「かしこまりました。」
時雨は小さく咳払いすると、長椅子の背もたれの上に場所を落ち着け、記憶を思い起こしながら摩訶不思議な過去の断片を話し始めた。
北の国ノウルドでララとして過ごした最初の一日は、こんな風に穏やかに暮れていった。
------
衛兵との騒動から数日後、全ての準備は俊敏に、かつ抜かりなく整えられた。
王国からの宴の詳細は、なんと時雨が書面で返答した翌日に届き、そこには三日後に迎えの馬車が到着するということも記されていた。
これは、時雨の話の通り。
ウルザン国王は、クレアモント卿が存命中の頃もよく迎えを寄越していたらしい。
出発は、静かな三日月の夜。
冷たく澄んだ北国の空に、たくさんの星が輝いている。
屋敷の正面に、大きくて立派な馬車がとまっていた。
ファサードの白い階段に敷かれた赤色のカーペットが、吸い込まれるように馬車に向かって伸びている。
その車体は、夜空に馴染む気品ある黒色。
縁取りの模様は艶をおさえた金色と深い緑色で施され、屋根の四隅には、角のような形の金具に灯りが取り付けられていた。
「お初にお目にかかります、クレアモントホールの御主人及び御付きの皆様。」
馬車のドアの側に立っていた従者が、恭しくお辞儀した。
黒のケープに身をつつみ、両手には真白な手袋、顔には派手な羽根飾りのついた仮面をつけている。まるで、これから仮面舞踏会にでも出席するような出で立ち。
その姿はどう見ても、人間以外には見えない。
「我らが国王陛下の命により、お迎えに参りました。
さあ、お乗りください。」
彼は無駄のない身のこなしで馬車のドアを開けると、私達を中へ促した。
北国の夜空に煌めく星々が、私達を静かに見守っていた。
------
蹄の音は軽やかにリズムよく。漆黒の豪奢な馬車は進む。窓にはカーテンが引かれ、外を見ることができない。
「なんで外を見ちゃダメなんだろうね。」
生まれて初めて乗る馬車の中で、私は言った。
私達は出発の間際、仮面の御者に決して窓の外を見てはならないと忠告された。
駄目だと言われると天邪鬼なことをしたくなるのは、大なり小なり人間の性。それにすら無頓着に、まるで気にも留めない素振りの人間は、例えば私のすぐ目の前にいる。
「シェルシエラの森を抜けるからでございますよ。」
ハルの代わりに私の素朴な疑問に丁寧に答えてくれたのは、隣に座っている時雨だった。
「シェルシエラの森?どんな森なの?」
「別名『嵐の森』と呼ばれております。
暴風と稲光と雷雨に支配された森です。
私めも、実際に見たことはございませんが。」
「嵐の森か。
聞いたことがあるな。」
ハルが、思い出したように口を挟んだ。
「天気が悪いだけなら、わざわざカーテンを閉じなくてもいいじゃない?雨が入ってくるわけでもないのに。」
「ただの悪天候じゃないんだ。」
「さようでございます。
この森に踏み入ったものは、風雨の最中に視覚と聴覚を奪われるといいます。
それがどういう意味なのか、私めにはよくわかりませんが。」
「その点は古い伝承だが、迷い込んだ者が生きて帰ってきたという話は聞かない。
普通の森じゃないってことは、わかるだろ。
間違っても除き見ようなどと考えるなよ。」
「失礼ね、言われなくてもそんなことしない。
私はハルが考えてるほど非常識じゃないわよ。」
「そうか、それなら安心して眠れる。
着いたら起こしてくれ、時雨。」
ハルはそう言うと、自分の長椅子に両足を投げ出して目を閉じた。
「かしこまりました、ハル様。」
『もうっ!なんでいつも一言多いわけ?』
私は声を押し殺して不満をぶちまけると、横たわるハルに向かって怒りを込めてイーッと歯を見せた。




