5-4.魔法
時は午後。
昼食も終え、昼寝が最高に心地いい時間帯。
私は、グリンザムの小屋にいる。
もちろん、昼寝をするわけじゃない。
キャスの隣に陣取り、透き通る布越しにいつもよりたくさん話し込む。
時雨や屋敷のこと、ピクシーのこと、ハルに教えられた石化解呪のこと。
話したからって何かが解決するわけじゃないけれど、取りとめもなく話しているうちに頭の中が整理されていくのは、私にとっては必要な過程だった。
気持ちが落ち着けば落ち着くほど、昨日の自分を反省する私がいる。
ハルに謝りたいという気持ちと、許してもらえないかもしれないという不安が寄せては返す波のように心にせまる。
(もう、手伝ってくれないかもな。)
こんなときは決まって、弱気なララが支配する。
自分の心は整理されたけれど、相手が許してくれるかどうかはまた別の話。
今日という一日が、昨日泣いて無駄にした時間を継ぎ足したのかと思うほどに長い。
トン トン トン
小屋の階段を上る足音が聞こえた。
続いて、ドアが開く。
「おいララ。」
黒い人影が見える。
「ザム?」
「戻ったみたいだぞ、若旦那。」
彼は、ドアを開けるなり言った。
「えっ?」
「言いたいことがあるんだろが?早く行ってこい。」
彼は私に背を向け、小屋に置いてある木箱をガサゴソと漁り始めた。
「あ…うん。」
なんで、わかるんだろう?
不思議に思いながらも、私はザムの言葉に背中を押された。
モタモタしていると、また謝るタイミングを逃してしまう。ここは、勢いも大切。
私は小屋を飛び出し、階段を段飛びし、ザムの完璧な庭を走り抜けた。
「うわっっとと…。」
急ぎすぎて、庭の敷石に躓いて転びそうになる。何とかバランスをとり、キッチンダイニングに駆け込んだ。
戸口の向こうに、コートを脱ぐハルが見える。
「ハルっ、お帰り!」
「ああ。」
静かなハルの瞳が、私を見た。
普段と変わらない様子。
さぁ、謝るなら今よ、ララ!
「あ、あのっ…」
「ベールを持って書斎へ来い。」
ハルは私の言葉を遮り、(というか聞こえていたのか?)一言そういうと書斎に消えた。
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「持ってきたよ、ハル?」
私はオルランドに貰った白いベールを手に、書斎へ入った。
初めてここに来たサウィーンの夜以来、久し振りに入る。
「ああ、少し待っていてくれないか。」
ハルは机に向かったまま、言った。
いくら私でも、昨日のことを切り出すのが今じゃないことぐらいは分かる。
「う、うん。」
心を落ち着つかせて、改めて部屋を観察する。
壁際に、色々な種類の棚がある。
本が並ぶ棚、薬品の棚、何に使うのがわからない器具の棚に、数字や略字が取り付けられた引き出しの棚、等々。
書斎のような実験室のような、相反するものが繊細な配分で奇妙に収まっている感じがするのは、多分窓のせい。
室内に置いてあるものは理科学的なのに、取り付けられた木枠の窓は、シンプルで計算し尽くされた文学的な香りが漂うデザイン。
私は、窓はクレアモント卿の趣味だったのだろうと思った。
この部屋は、今も先代の面影が息づいている。まるで、過去と現在の主が交差する時空を越えた空間。
「待たせたな、すまない。」
ハルが立ち上がり、私の前にやって来た。
手に、透明な小瓶を持っている。その中身は、キラキラした粉末状のもの。
「ララ、魔術と魔法の違いを覚えているか?」
「違い?うん、覚えてるよ。
魔術は、術式を使うんだよね。
魔力がなくても行使できる。
そして魔法は、魔力に言霊をのせて発動させる。
だから、魔力がないものには使えない。」
私はハルを見た。
「その通り。
そしてオレは、これからそのベールに魔法をかける。」
「うん??なんで?」
「ジジィがどこまで説明したかはわからないが、それはアイツが作った小道具だ。
どうやって渡されたか覚えているか?」
「どうやって…?っと、こんな風に…。」
私はオルランドがしたように、頭にベールをかけた。
あの晩のことは、今でもはっきりと覚えている。
「それからこうやって、両手で私の頭を包むようにしてくれた。
この世界の言語を与えたって言ってたわ。」
「つまり、ララはアイツの魔法でこの世界の言語を得た。」
「そうね、オルランドのおかげ。」
「そしてもう一つ、魔法がかけられている。」
「え?」
私の知らない間に、もう一つ?
反射的にオルランドのニタリ顔が浮かび、私は眉を寄せた。
「そんなに怪訝そうな顔をするな。
このベールは魔性を遠ざける効果があるんだが、今はそれだけじゃない。
簡単にいうと、そうだな…ララはこのベールと契約を交わしたような状態になっている。」
「ケイヤク?どんな?」
私は、ハルの言葉に注意深く耳を傾けた。
彼が考えながら説明してくれているのが伝わる。
「それがララのものである限り、どんなに離れた場所にいようと必ずララの手元に戻る。」
「いいじゃない!」
「しかし持ち主がウィザードなら、更に価値ある使い方ができる。」
「でも私、ウィザードにはなれないよ?」
エトラは魔力が皆無。
前に、ハルにそう言われた。私は、願ってもウィザードにはなれない。(なりたくはないけど。)
「だから、ウィザードと同じように使いこなせるよう、手を加える。
オレの魔法で。
…理解、できたか?」
一瞬表情を止めた私に、ハルがたずねた。
「たぶん…?」
「説明するより、実際にやる方がはやい。
両手を出して。」
そう言って、ハルは私に両の掌を出させた。私の頭からベールを取り、そのまま手にかける。
「じっとしていろよ。」
「うん。」
私の目の前で、ハルが小瓶の蓋を開けた。
透明なのに、沢山の色が混ざったような不可思議な粉がキラキラと揺れる。
彼はその粉を、手元を高く掲げたところからベールにまんべんなく降り注いだ。
それはまるで、パティシエが粉砂糖をお菓子に振り掛けるかのごとく。天からあまねく大地に雪が舞い落ちるかのごとく。
「わぉ…。」
キラキラと舞う光の粉に見惚れて、私は吐息を吐くように声をこぼした。
小さなオーロラのように幻想的で、ずっと眺めていたくなる。
「もういいぞ。」
え?
ハルの声に、突然夢からたたき起こされた心地がした。
「終わり?魔法の呪文は?唱えなくていいの?」
「唱えた。」
唱えた?でも、
「きこえなかったよ?」
「当たり前だ。」
当たり前?私にとっての当たり前は、呪文を唱える方なんだけど?
私が豆鉄砲を食らったような顔をしていると、ハルが言葉を付け足した。
「声に出すのは、聞かれても支障がない基礎魔法だけ。
もしくは、経験の少ないウィザードくらいだ。」
「へぇ…。」
お伽話のような、いかにもな呪文を期待していたのに、肩透かしを食らった感じ。
夢もファンタジーの欠片もない儀式は、拍子抜けするほどあっさりと終了。
私は、自分の手にかけられた白いベールを見つめた。
粉を降りかけた後も、何も変わったところはない。
テロンとした薄い生地が、揺れているだけ。
そういえば、オルランドの時も同じだった。
頭に電流が流れたわけでも、急に世界が変わったわけでもなく、彼が私の頭を優しく包み込んだだけで、自然にこの世界の言葉を理解していた。
この世界の魔法って、地味よね。
「これを見て。」
ハルが言った。
彼と私の間に、テニスボールくらいの大きさの銀色の球体がフワフワと浮いている。
私が見ていると、それは音もたてずにあっという間に天井近くまで移動した。
まるで生きているみたいに、あちこちに飛び回る。
「これは、オレの意のままに動く。」
「ハルが動かしてるの?」
「ああ。」
飛び回る銀色の物体が、私のそばにやって来た。
手を伸ばすと私の掌でコロコロ転がり、勢いよく離れて分裂した。
分裂した球体はじゃれあうように空中で絡み合い、また一つになる。
そして最後に、長い棒状に変化した。
「これに見覚えは?」
ハルの問いかけに、私は何処かで見たことがあると、確かに思った。
「あっ!ヌシの口に刺さってた…!これだったの?」
「ああ。」
この両端が刃物のように鋭い物体は、書物の試練で現れた南の国ウルスターの伝説級リザード『ヌシ』の口に、つっかえ棒のように突き刺さっていたものだった。
あの時の私は、ヌシの舌に捕獲されて何が起きていたのか全然わからなかった。
今思えば、ハルは私が食べられそうになった瞬間を狙って、ヌシの口にこの長刀みたいなのを突き刺した。ううん、ハルが刺したというよりは、これが飛び込んで刺さったのね。
私が感慨深げに見つめていると、銀色の棒は目の前で球体に変形し、ハルの右手に飛び込んで吸い込まれるように消えた。
「わぉ、消えた!」
まるで、マジシャンの技を見ているみたいだ。
「ララも、そのベールで同じことができる。」
「私も?…コレで?」
「球体をイメージして。」
「うん…。」
私はハルに言われた通り、拳くらいの大きさの球体をイメージしてみた。
すると、ベールが白い球に変わった。
「順調だな。
次は、その球を浮かせる。
意識を集中させて、念じるんだ。」
「うん。」
(浮け。)
私は念じた。すると、白い球がフワリと掌から離れた。
「浮いたっ!」
初めて自転車に乗れたときのような、爽快な気分だった。
私は嬉しくなって、球をどんどん高く上げた。
「もっと動かしてもいい?」
天井近くに浮く球を見上げながら、私はハルにたずねた。
「ああ、あまり調子に乗るなよ。」
「大丈夫!」
私は、ハルがしたみたいに踊るように球を室内に巡らせた。
右に左に思いのままに動く様子は、自在に空を飛んでいるかのような快感を与えてくれる。
白い球は分裂し、じゃれ合うように絡み合い、一つになる。
私の気持ちが高まるにつれて、球の飛ぶスピードが増してくる。
スピードは増して、増して、増して…あれ?
気がつくと、球は室内を物凄い勢いでぐるぐる回り始めていた。
(なんでこんなに速い?)
勢いを増していく球に恐怖を感じたほんの一瞬、突然球がこっちに向きを変えて飛んできた。
(わっ!)
「危ない!」
驚いて動けなくなった私にハルが覆いかぶさった。
肩越しに、急速U字転換した球がクレアモント卿のガラス窓に向かうのが見える。
(窓が!)
私は頭の中が真っ白になり、ハルの腕の中で何もできずにギュッと目を閉じた。
(ん…?)
ガラスの割れる音がしない。
「だから調子に乗るなと…。」
ハルの身体が離れ、私は窓を見た。
ギリギリのところで、白い球ではなく銀色の球が停止している。私のが、ない。
動揺する私の目の前で、銀色の球から白い球がポンッと弾きだされた。
「ほら。」
ハルが、それを私の手に乗せる。
「球が向かってきたとき、何を考えた?」
「何って…。」
言いながら、私はハッとなった。
「私、止まれって念じるべきだったんだ…。ごめんなさい。」
ハルの質問の意味に気がつき、自分の失敗に反省する。
球が向かってきたあの瞬間、私は怖くなって冷静な判断ができなくなっていたのだ。
「こいつは使役者の心一つで、身を守る盾にも他者を傷つける刃にもなる。
忘れるな。」
「他者を傷つける?まさか!私、そんなことに使ったりしない。」
私は、至って真顔で答えた。誰に強要されたってお断りだ。
「意気込みは尊重するが、迷いが生まれると思いがけず暴走することもある、今みたいに。
それを忘れるなと言っているんだ。」
ハルが、真剣な表情で念を押す。
「わ、わかった…。」
私は彼を見つめ返し、小さく答えた。
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ハルによると、小瓶の中に入っていたキラキラは、三種類の鉱石を配合したものらしい。
その粉末とベールと私自身は、ハルの唱えた魔法によって、今や一心同体ともいうべき状態になった。
だからベールは私の意のままに動くだけじゃなく、私の精神状態からも強い影響を受ける。
さっきの現象を説明すると、球は私が楽しいと感じたことでスピードを増し、怖いと感じたことで行き場を失い、私の元に飛んできた。
最後に急転回して別の方向に向かったのは、私が『来ないで』と無意識に念じた結果だ。
魔法って、繊細。
集中力と、冷静さが要求される。
私は、ハルを見た。
いつも冷静なハルは、この期に及んでもまだ私の失敗を怒らない。
昨日のことだって、何も言わない。
感情のままに怒った私を責めることもなく、泣きじゃくって一日中ふてくされていた私に、怒りを露にすることもない。
私が子供なのか、彼が大人なのか…。
「ハル、どうしてこれを私に?」
もやりとした複雑な気分を抱えたまま、私はたずねた。
「素材集めは危険を伴う。
自分で自分の身を守るのは、必要なことだ。
オレが常にそばにいられるとは限らないしな。」
「そっか。」
ハルの言葉に、私は心がジンと温かくなるのを感じた。
いつの間にか、目頭までが熱くなる。
「…おいっ?」
ハルが悲鳴に似た声をあげ、私は滲む涙を拭った。
「良かった…。
もう手伝ってもらえないかと思ってた。
ありがとう、ハル。」
「だから、なぜ泣く?」
「嬉しくて。」
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世の中には、ままならないことがある。
オルランドは、石化解呪を「至難の業」と言った。実際、意地悪でも大袈裟でもなく、現状は限りなく不可能に近い。
それでも諦めるという選択肢を必要としないハルが、オルランドに会うことだけは叶わないと宣言した。それが、今私が得られる答えの全て。
「あの…ハル、昨日は一人で怒ったり泣いたりしてごめんなさい。
私、諦めずに頑張る。
自分の身を自分で守れるようにもする。
だから、もう少し練習に付き合ってくれる?」
いつもと変わらないヴァイオレットの瞳が、そこにある。
これまでより少し、ハルが近くなった気がした。
「…わかった。
室内は狭い。
外に行こう。」
ハルはそう言って、指をパチンと鳴らした。




