5-3.瞳
ララがオーブンに向かってため息を連発している頃、ハルは一人、東の国ランスターに向かっていた。
ランスターは、リアフェスの東に位置する国。
首都国家ミースを挟んで、西の国コルマクと対極にある。
国土の東側で多くの鉱石やレアメタルが産出されるため、鉱石系魔法の使い手が多いのが特徴だ。
中心都市である都の名はラジン。
赤レンガの建物が並ぶ、美しい街。
あらゆる鉱石、合金が手に入る場所でもある。
ハルがこの街を訪れるのは、久し振りのことだった。
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「いらっしゃい。
ようこそ我がオフィスへ、フォンウェール殿。」
ランスターの腕利き女ウィザード、アジェラ・バルトラーがハルを出迎えた。
彼女は慣れた仕草で姿勢のいい背からすっと腕を伸ばすと、柔らかに微笑んだ。
差し出された手には季節感のあるネイル。
手首に揺れるのは貴石をあしらった上品なブレスレット。
どちらも、美しい褐色の肌に映える。
羽振りの良さがうかがえるなと、ハルは思った。
「こんにちは。
突然のお願いにもかかわらず応じてくださり、感謝します。」
ハルもアジェラに手を差し出し、二人は握手を交わした。
「さぁどうぞ、座って。」
「ありがとうございます。」
小さなノック音が響き、ドアの向こうからヴァニラが現れた。手にしたトレイに、飲み物をのせている。
「こんにちは、ハル。」
ヴァニラが、少しソワソワした様子で声をかけた。
「やぁ、ヴァニラ。
今日は一人なんだ、すまない。」
「えっ?いやだ、私は別にリビエラのことなんて別に…。」
ヴァニラはハッとなり、顔を真っ赤にして口もとに手を当てた。
心のうちが、すっかり読み取られている。
ハルと視線が合う。
クリーバ村で見惚れたヴァイオレットの瞳が、あの時と同じようにそこにあった。
「しっ、失礼しました!」
ヴァニラは恥ずかしくなって、小走りに部屋を出た。
「あら、かわいい弟子をいじめないでくださる?」
アジェラが長い黒髪を揺らし、クスリと笑いながら言った。
ヴァニラが昨日からソワソワしていたことを、師匠は知っているのだ。
ハルは、品よく笑うアジェラを見た。
今日の彼女は、クリーバ村でハルを諌めた時とは別人のように朗らかで気さくだ。
これが本来のミス・バルトラーなのだとハルは理解する。
「フォンウェール殿。」
視線が合い、アジェラが少し真顔で切り出した。
「よろしければ、ハルと呼んでください。
ミス・バルトラー。」
「そう?ではハル、私のことはアジェラと。」
ハルは、わずかに微笑んだ。
社交儀礼は、ミースの国家機関である広域捜査局で身についた。
必要な場に来ると、反射的に行動できるようになっている。
久し振りの対外的な笑顔は錆び付いているきらいもあるが、できないよりはましだ。
「私、まずは先日のことについてあなたに謝らなきゃならないわ。
クリーバ村では、皆の前で厳しいことを言いすぎてしまって、ごめんなさい。」
「いえ、こちらの不注意であったことに変わりはありません。
どうか、お気になさらず。
今日は、謝罪を求めに来たわけではないのです。」
「ん…、そうだったわね。
上質のオリハルコンよね。
…でも…。」
アジェラは浮かない表情で自分の左頬に手を当てた。
「あのときは本当に、自分でも冷静さが飛んでいくのがわかるくらいだったわ。
何か不思議な力が働いているのかと思うほど感情的になって…。」
彼女は、ハルにというよりはもう一人の自分に呟くように言った。相当に、納得がいかないようである。
彼女が抱く腑に落ちない違和感は、間違いというわけではなかった。
ハルは、その原因が自分にあることを知っている。
あの時は確かに不思議な力が働いており、それを制御できなかったのは、ほかでもないハル自身。
しかし彼は、釈明しようとさえしない。
「せっかく水に流してくださろうとしているのに、言い訳がましくてごめんなさい。
…お尋ねの件ね。」
アジェラは気持ちを切り替え、ラジン中心部の地図を広げた。
「ラジンには来たことがあって?」
「ええ。
久し振りですが、馴染みの街です。」
「そう、それなら街の説明は必要ないわね。
私がおすすめする店は、三軒。
ここと、ここと、それからここ。」
アジェラは言いながら、ペンで印をつけた。
「ここから一番近いのは、グリモール。
価格は少し割高。
接客とアフターサービスが丁寧よ。
そして…少し遠くなるけど、私がよく使う店、サイファ。
個人のお店で歴史が長いの。
確かな仕入れルートを持ってるわ。
最後は…、問屋街近くの裏路地にあるお店、ジーニ。
他で見つからないとき、ここに行くと見つかることがあるの。
値段が良心的な反面、仕入れは不定期。
上質のオリハルコンがあるかどうかは、行ってみないとわからないわ。
どうする?三軒全て回るという方法もあるけれど。」
アジェラが、ハルを見た。
「そうしたいところですが、今日は急ぐのでサイファの店に。」
「そう?では、紹介状を書いてあげるわ。
連絡もいれておくから、待たされることもないはずよ。」
「助かります。」
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「アジェラ先生、」
ハルを見送ってすぐ、ヴァニラがアジェラにたずねた。
彼女にとって、今日ハルが訪ねて来たことは思いがけないことであり、同時に嬉しいことでもあった。
『オレは君の師匠を嫌いになっていない。』
クリーバ村で西日に照らされたハルがそう答えてくれたことが、嘘ではなかったとヴァニラには思えたからだ。
「なに?」
「オリハルコンは取れ高が少なくて、すごく高価ですよね。」
レアメタルの筆頭、オリハルコン。
それも純度の高い上質のものを求めてわざわざランスターにやって来たハルのことが、ヴァニラは少しだけ気になる。
「そうね。
純度の高い物となると、さらに跳ね上がるわ。
グラムでざっと、このオフィスの家賃ひと月分。」
「えぇぇっ!そんなに?」
ヴァニラは驚きのあまり、つま先に力を込めて踵をはねあげた。
師匠のオフィスがあるこの界隈は、成功の証といわれる場所。
ステイタスと集客という付加価値もあり、家賃は近隣の区画と比べても群を抜いて高い。
これだけの額なら半年は余裕で生きていけると、ヴァニラは常々思っていた。
上質のオリハルコン一グラムが自分の半年分の生活に値するとは…。世の中、何か間違ってる。
彼女は、頭がおかしくなりそうだった。
「の十分の一くらい。」
「は…。せんせ…?」
「ふふ。驚いた?」
アジェラは悪戯っぽい瞳でヴァニラを見た。
彼女は、弟子の初々しさが可愛くて仕方がない。
それはかつての自分を見ているようであり、また、自分にはないヴァニラの透明さに光るものを感じているからでもある。
「ショック死するかと…。」
ヴァニラはコパー色の髪を揺らしながら、胸に手をあてた。とはいえ、オリハルコンが高額なことには変わりない。
「ハルは…彼は何に使うんでしょう。」
ヴァニラにとっては、素朴な疑問だった。
本当は本人に直接聞きたかったが、立ち入ったことを聞くようではばかられた。
(まだそこまで、仲良しにはなれていないわ…。)
「さぁ、何に使うんでしょうね。
必要量は少量だと言っていたから、加工するなら装飾品が妥当だけど。
急いでいたようだし、贈り物かしら。」
「贈り物?」
「ええ、恋人に…とか。」
「こっ恋人?」
「だって、高価なものよ?大切な人にしか贈らないでしょう?普通は。」
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ハルは、アジェラが紹介してくれた店サイファの店内にいた。
店舗は同じような店が並ぶ商業地区の一角にあり、長い歴史を感じさせる威厳のある看板を掲げていた。
比較的新しい建物に囲まれながらも、外観は通りの街並みにしっくりと溶け込んでいる。
店内は少し暗め、木の床に独特の香りが漂い、木枠で囲った大理石のカウンターの後ろには、様々な種類の鉱石や加工物が並んでいた。
ふと、店内に飾られた鏡に自分の姿が映る。
そこにあるのは、忌々しいヴァイオレットの目。
彼は顔をそむけた。
ハルの瞳は、禍の目。
彼の目を見た人間は、自分の意思とは無関係に彼に対して攻撃的になる。
ハルはこの力を制御するために常に気を張り、集中力を維持していなければならなかった。
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「お待ちしておりました、フォンウェール様。
どうぞこちらへ。」
小ぎれいな身なりの男がハルに声をかけた。丸メガネを鼻に乗せ、ハルを見上げている。
「お探しの品は、こちらにご用意しております。」
カウンターの黒いマットの上に、輝く小ぶりの鉱石が並べられる。
僅かに七色を反射させる、透き通る金色の鉱石オリハルコン。純度の高いものは、なかなかお目にかかれない。
「粉末状をお探しと伺いましたが…。」
「ええ、粉末を二グラム。」
「それでしたらこちらに、少し純度は下がりますが、二・一グラムの粉末がございます。
純度は下がると言いましても、七色を発光させるエクトルが0・0一弱い程度。」
男は言いながら、粉末のオリハルコンが入った小瓶を出した。
「その程度なら、配合しても硬度に影響はないな。」
ハルは小瓶を手に取り、明かりに透かして確認しながら言った。
「ええ、もちろん影響はございません。」
「私は、二グラムでいいのですが。」
「そちらの商品でよろしければ、二グラムの価格と同額でご提供できます。」
ハルは、少し考えた。
粉末の純度は十分だ。それに、オリハルコンの量は多いにこしたことはない。しかし、肝心のララに扱えるかどうかが心配だった。
昨日の泣きじゃくるララが、頭を過る。
(意志の弱い彼女に、扱えるだろうか。)
オリハルコンよりも、扱う人間の方に不安要素が残る。
「お値段はこちらでいかがでしょう。」
追い討ちをかけるように、男がカウンターの上にすっと紙を滑らせた。紙面に値段が書かれている。わかっていたことだが、高い。
(ミースの一月分…)
ミースとは、四つの国を束ねる首都国家のこと。
リアフェスの政治及び文化の中心地である。
ハルはイーリーに来る前、ミースで暮らしていた。
「お客様、ご常連のバルトラー様よりのご紹介ですので、こちらからさらに五%お値引きさせていただきます。」
更なる攻勢が加わる。さすがは、ミス・バルトラー。
「いただきます。」
ハルは、即答した。
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(予算内でおさまったが、大した出費だ…。)
サイファを出たハルは一つため息をつくと、時計に目をやった。
陽は高く登り、時間はあと小一時間で正午。
目を閉じ、ララを追う黒い鳥レイブンの視覚を読み取る。
彼女はどうやら、ピクシーの森からイーリーベルへ戻る途中のようだ。何事もなく林を抜け、カラの器を抱えて玄関の戸口に手を掛ける。
そのままキッチンダイニングへと向かい、家屋精霊シルキィと何やら談笑。
昨日よりは、元気を取り戻しているようだ。
レイブンはよく見える木の枝に陣取り、彼女を静かに見守っている。
ハルは目を開いた。
ララが家に居るなら、問題はない。
クレアモントホールから戻って以来、彼女は指示をちゃんと守っている。
あの様子なら、自分がいない間に先走って屋敷へ入り込むことはないだろう。
少しは反省しているのだと思いたい。
彼女は、いつもハルが期待しない行動をする。
触るなと言ったものに触り、行くなと言った場所に行き、背中だけを見ていろと言えば別のものを見るし、止まっていろと言えば走るのだ。
思慮に欠けた浅はかな行動をするにもかかわらず、リアフェス屈指の魔法使いに保護され、値段もつけられないほどの一級小道具を与えられた。
彼女は三十年間誰も見つけられなかったクレアモントの遺産を相続し、名前も知らない人物から妖精界の衣服を譲り受けるというあり得ないことまでやってのけている。
これらは本当に偶然か?
出来すぎた展開に、疑問を感じずにはいられない。
(ジジィがララをオレのもとへ寄越した理由は、別にある。オレのためじゃない。)
彼は、自分の出自について言及したオルランドの話など、信じてはいなかった。
ハルにとって、オルランドとはそういう人物である。
(あれは、オレの興味を引くための甘言。それにララは…。)
ハルは考え込んだ。
彼は、ララが自分の禍の目の影響を受けないことが不思議だった。これは彼女がエトラだからなのか、それとも別の理由があるのか、他にエトラを知らないハルには検証のしようがない。
(二日目で泣かせたか。いや、フラグ達成か…。)
ハルは、リビエラと会話したほんの二日前のことを思い出す。
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『今日からしばらく来られないけど、ララを泣かすようなことをするんじゃないよ、ハル?』
ダイニングテーブルの向かいで、コーヒーを片手にリビエラが言った。
『心外だな。
なぜオレが泣かせるんだ?』
朝食のベーコンを切りながら、ハルが答える。
『その言い草からして、君はフラグ立てたね。
全然わかってないよ。』
『もう少し論理的に説明してくれないか。』
『だから、君の言葉に近づけて説明するとだね、人道的観点から考えてみろよ。
助けを求めている人に対して、無下なことはしないものだろ?』
『無論だ。』
『助けを求める方法は、人によって違うんだ。
わかりやすく助けてって叫ぶ人もいれば、何と訴えればいいのかわからない人もいる。
簡単にいうと、ララは後者。
君の基準で考えるんじゃなく、相手の基準に寄り添って手助けをするんだよ。』
『オレは手助けはするとララに約束した。
それで十分だろ?お前の説教を聞いていると食欲が失せるな。』
『だから、約束するだけじゃ駄目なんだよ。
わからずやめ。』
言いながら、リビエラはハルの皿のベーコンにフォークを突き立てた。
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ハルは最近、気がついたことがある。
リビエラもまた、禍の目の影響を受けないのである。
どうやら禍の目の発動には、何かしらのきっかけや規則があるようだ。
この瞳の謎も、解明しなければならない。
やらなければならないことは、山積している。
そしてここに、数日前に突然やって来たエトラの守りまで加わった。
(相手の基準…オレにはララの基準がよくわからない。)
ハルは、ララの涙の意味がよくわからないでいた。
それにララが怒ったのは、自分の瞳の作用ではなく、別の理由だ。
これがリビエラの言う相手の基準なのだとすると、照準合わせはなかなかに難しい。
まるで見えない敵と戦っているみたいだ。
書物の試練で少しはララの行動や性格を把握できたように感じたが、そうではなかった。
リビエラの言葉通り、ハルはララを泣かせた。早速二日目で。




