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5-1.有為

 

「ほらよっと。」


 ドサリ


 リンゴを山盛りに詰めたカゴを、ザムが勢い良く置いた。


 早朝のイーリーベル。

 珍しく朝靄のかかった庭で、私はザムが収穫してきてくれた籠いっぱいのリンゴを受け取った。


(ん~ん、極上!)


 食べ頃に色づいた赤や青の果実が、ふわりと甘い香りを醸す。


「ありがとう、ザム。」


「まったく、世話がやけるな。」


 ザムは両手を腰にあて、あきれ顔で私を見上げた。


「自分の屋敷に入れんとは。」


 彼のいう屋敷とはもちろん、クレアモントホールのこと。


「はは…ホントね。」


 私は、ため息交じりに相づちを打った。


 ------------------------


 書物の試練から、今日で丸二日。


 全ての試練をやりとげたハルと私は、紙のドアの前で呪文を唱え、二日前に無事に戻ってきた。


 一日の始まりをこんなふうに平穏に迎えることができる幸せを、私はあらためて感じている。


 そして大事なことだからもう一度言うけれど、私は今、クレアモントホールに入れない。

 ハルの単独行動禁止令は、いまも発令中。

 加えて、一人じゃなくても屋敷に行かせてもらえない。


 不満はあるけれど、また同じ目に遭いたいのかと問われたら、それはもう懲り懲りなわけで。


 考えただけでもゾッとする『かもしれない』過去、つまり、水死体か、発狂か、原型すら留めていないかを回避できたのは、まぎれもなくハルのおかげ。

 今は彼の決定に逆らえない。


 許可がおりるまで、汚名挽回・信頼回復に努めているところ。


 --------------


「でもさ、リンゴを採ってきてくれて本当に助かった。」


 私は、ザムに言った。


「パイを作るならザムのじゃなきゃって、シルキィが譲らないんだもん。」


「ふぬう…。

 あの娘も、まともなところがあるんぢゃな。」


 ザムは渋い顔で唸りつつも、まんざらでもない表情を見せた。


 彼は好き嫌いがハッキリしていて現金なところもあるけれど、悪い精霊じゃあない。


 昨日も今日も、クレアモントホールにある果樹園のリンゴを採ってきてくれた。


 クレアモントホールとイーリーベルは、人間の範疇にある北の国ノウルドと西の国コルマクにある。

 列車で国境を超え、数時間の距離。


 ところが地下世界に棲むノームの精霊にとって、ここからクレアモントホールの果樹園に行くのは隣の庭に行くように雑作もないこと。

 なぜかというと、ノームには、彼らだけが知っている不思議な地下の道があるから。


 私たち人間がそれを見つけるのは容易じゃないけれど、この庭のどこかにも、二つの場所を繋げる出入口がある。


 ザムは、私の部屋のクレアモントホールの絵を使わなくても簡単に果樹園に行ける。

 そんな事情もあって、彼にお願いした。


 最初は渋っていたザムの首を縦に振らせるのは、意外とちょろかった。

 今回の交渉は、ホールのパイ二枚で成立。

 ザムの好物は、テンタシオンのウイスキーボンボンだけじゃない。彼は、甘い物全般に目がないのだ。


「それで、今日のパイの出来はどうだ?」


 ザムが、ソワソワしながら黒いビー玉みたいな瞳を輝かせた。


「今日の焼き上がりも、最高よ。」


「ソウカソウカ。

 早くしてくれ。

 パイ二枚だぞ、忘れてないだろうな?」


 彼は待ちきれない様子で、無意識にお尻をフリフリと動かしていた。

 ザムは喜怒哀楽がすぐに顔や態度に表れて、中年じみた老け顔なのに、それすらも可愛いいと思えるほど仕草に愛嬌がある。


「もちろん、忘れてないわよ。

 はい、どうぞ。」


 私は、昨日のうちに作り置きをしておいた、今朝の焼きたてを二枚差し出した。


「よしよし!

 ん~む。上出来ぢゃないか。

 じゃあな、ララ。」


 ザムは黄金色の焼き色がついたそれを見つめ、匂いを嗅ぎ、満足そうな表情のまま私をチラリとも見ないで庭に消えた。

 どうやら、パイを受け取った時点で私は用済み、視界にも入らないらしい。


 私は彼のご機嫌な後ろ姿を確認し、微笑ましく思いながらキッチンへと戻った。


 今日も、パイを焼かなきゃならない。

 ピクシーと仲良くなるために。


 書庫の本によると、ピクシーは甘い果実やシロップを好む。

 好物は『白すみれの朝露』、『ソーンの甘露』、『エイベリーの実』。

 どれも手に入れるのが難しい。


 無一文の私が準備できる果物といえば、果樹園のリンゴくらい?


 ハルが、ソーンの甘露は代用品が作れると教えてくれたので、ソーンの甘露風味リンゴパイを作ることに決めた。

 そしてパイ生地はシルキィが、ソーンの甘露の代用品は、ハルが準備してくれた。


 おかげでパイもフィリングも、焼き上がりは上々。

 昨日は、ドキドキしながらピクシーの林に行った。


 ------------------------


 時は、遡ること一日前。


 静かな朝の林道。


 何かの気配を感じるような感じないような、ちょっと不気味な雰囲気の中、私はシルキィが仕立ててくれたケープを羽織り、先日ピクシーたちに石を投げられた辺りに向かった。


 空はやや曇りぎみ。さい先の悪そうな、不穏な空。

 風もなく冷たい空気に、林の草葉は時を止められたようにヒラリともしなかった。


 リビエラは、ピクシーとどんな話をしたんだろう。


 今朝家を出るとき、私はハルに引き止められなかった。

 それは『話がうまくまとまった』ことを意味しているんだと思うんだけど、期待しすぎだろうか。

 彼らは、許してくれるだろうか。


 私は、不安をかき消すように大きく息を吸った。

 お腹にためて、声とともに吐き出す。


「おはよう、ピクシーさんたち!」


 シ…ン…


 林中に、私の声が寂しく響く。

 予想してたことだけど、反応はゼロ。


「この前の晩は、皆を嫌な気持ちにさせてごめんなさい。

 今朝は、皆とお友達になりたいと思ってここに来ました。」


 シ…ン…


「ええと…。」


 私は言葉につまり、水を打ったような静けさに心が折れそうになる…ところをグッと踏ん張った。


「ええと、それで、お詫びのしるしにパイを焼いてきました!」


 シ…ン…


(どうしたらいいかな…。)


 私は周囲を観察し、道端に飛び出している小振りの岩を見つけると、そこにパイを置いた。

 私がパイを持っていると、彼らは食べたくても近づきにくいかもしれない。


 岩から少し離れたところにしゃがみ、静かに待つ。

 林の中に、焼き菓子の香ばしい香りと、ソーンの甘露に似たほのかな香りが広がる。


 時計がないのでどのくらいそこに居たのかわからないけれど、ピクシーは音沙汰もなくパイも放置されたままが続いた。


(仕方がない。また明日来よう。)


 私は、諦めて帰ることにした。

 ここはイーリーベルの敷地内だけど、あまり長い時間家から離れていると、またハルに小言をくらう。


 ここに座っていても石を投げつけられないだけ、事態は一つ好転しているのかもしれない。と、都合良く受け取ることにした。


 私は立ち上がり、服についた砂ぼこりを払い、最後に大きめの声で言った。


「皆が許してくれるまで、毎日来ます!また明日!」


 シ…ン…


 小岩に近寄る。

 パイを持ち帰ろうと腰を屈めて器に触れたときだった。


(ん?)


 服の裾になにかがクイと引っ掛かったような違和感があった。

 とっさに手をあて、目で確認する。そして視線を再びパイに戻したとき、私はビクリと震えて声をあげてしまった。


「きゃっ!」


 パイの器の縁に、脚を組んで腰かけているヒト型の不思議な生き物がいた。


 頭のかたちに沿うように流れる、ペタンコのストレートの髪。真っ黒のビー玉みたいな瞳は、ノームの精霊ザムにそっくり。

 肌は上質の白磁のように白く、腕を胸の前で組んでいる。

 ベビーピンクのワンピースはフレンチスリーブで丈が短く、鱗粉をかけたようにキラキラしていた。


「化け物を見たような反応しないでよ。

 ほんっとに、不躾な娘ね。」


 可憐で小さな生き物は、とっても口が悪かった。


 私は悪態をつく彼女を暫し見つめた。

 彼女は、ピクシーだ。そうに違いない。

 けれども私の第一声は、


「えぇっと…ダレ?」


 という間抜けなものだった。

 虚をつかれて、思考と言語機能が全くちぐはぐになっている。我ながら、なんとポンコツ。


「ダレ?」


 私の反応に、彼女の表情が険しくなった。

 私は、地雷を踏んでしまったらしい。


「ちょいとあなた、私がわからないの?わからないのに、ここに来たの?つくづく失礼な娘ね!」


 キンキンと高い声で、彼女が憤慨した。


「えぇっ?あ…えと…、ごめんなさい!そういう意味じゃなくて、つい…。」


「つい、何よ?下手くそないいわけをしてごらんなさい。

 笑ってあげるから。

 ふんっ!」


「だから、少し頭が混乱してしてしまって。

 あの、あなた、ピクシーでしょ?この林に棲んでる。

 はじめまして、私、ララと言います。」


「知ってるわ、あなたの名前くらい。」


「そうなの?」


「で、どうしてこのパイを持ってきたわけ?妖精の服を着た、生意気な小娘。」


 チビで弱くて口が悪い。傲慢なピクシー族。

 私はザムの言葉を思い出した。

 彼の表現は、まんざら嘘ではない気がした。


「どうしてって…あなた達の気分を害したことを謝りたくて。お詫びの気持ちと…。」


「と?」


「あ、うん…。あと、もし良かったら、お、お友達になれたらなぁっ…て。」


 言いながら、私は自分で自分が恥ずかしくなった。

 こういうセリフは、生まれてこのかた言ったことがないかもしれない。

 初めての相手が人間じゃないなんて。


「はぁ?人間の友達なんて、お断りよ。」


(え。)


 彼女はプイと横を向き、厳しい口調で言った。


 確かハルは、ピクシーは人間を自分達より下位の存在と見なしていると言ってたっけ。


 微妙に傷つくけれど、リビエラには心を開き、私はダメらしい。その違いが何なのか、分かるようなわからないような、わかりたくないような。


『彼らは恥ずかしがり屋なんだ。』そう言ったリビエラの言葉は、どこまでが本当なんだろう。


 ハッキリ拒絶されると、さすがにちょっとばかりへこむ。


「……。」


 私は何も言えず、彼女を見ていた。


「なによ?」


「あ、ううん。

 わかった、ごめんね。

 よかったら、パイ食べてみて?…じゃあね。」


 私は、ピクシーが姿を現してくれて、会話できただけでも良かったんだと思うことにした。

 私が想像した良好な関係とは違うけれど、この道を通るのは問題ないってことだと理解しよう。


 私は小さな彼女に挨拶すると、イーリーベルに足を向けた。


「ちょっと、お待ちなさいな。」


「?」


「コレ、あなたが作ったの?」


「うん。」


「なかなか、悪くないじゃないの?」


「ほんと?ありがとう。

 食べてもらえて良かった。」


「だから!」


 そう言うと、小さな彼女はふいと体を浮かせて、私の目の前まで飛んできた。

 なにやら居心地悪そうに、時々こちらの様子を見ながらもチロチロと視線を泳がせ、ぎこちなくボソボソと口を動かす。


「え、何?聴こえなかった。」


「だから、友達は要らないけど…。」


「うん、わかったよ。」


 結構傷つくから、そう何度も言わないでほしいんだけど。


「か、顔見知りくらいなら、なってあげても、いいわよ…。」


「え?」


「もー!ていうか、なんで皆私に言わせるのよ!!」


 彼女は急に、ムキになって『皆』に吠えた。


「皆?」


 私は辺りを見た。

 すると林のあちこちに、彼女と同じような姿の、だけど髪の色や髪型、それから服装が少しずつ異なるピクシーがいた。


 人懐こく私の周りを浮遊する者、葉の陰からこちらを覗くもの、高みの枝に腰かけて見ている者。

 実はこんなに沢山のピクシーが潜んでいたなんて、さっきまでの静寂が嘘のように賑々しい。


「わお。」


「あんた、リビエラの大切な友達なんだろ。」


「仕方ないから、顔見知りになってやるよ?」


「そうよ、リビエラに免じてね。」


 ピクシーたちが、口々に言った。


「あ、ありがとう!」


「だから、そういうことよ。」


 目の前の彼女が、口をとがらせた。


「ホントに察しが悪いんだから。

 これだから人間は、バラつきがあって困るわ。」


「バラつき?どういう意味?」


 私は、彼女にたずねた。


「デキの良し悪しのことさ。」


 側で楽しそうにくるくる回っていた別のピクシーが、頭を下にしたまま口をはさむ。


「人間は美しさも頭の中身も、優れている者とそうでない者のバラつきがありすぎる。

 例えば、リビエラとあなたみたいに。」


「そうそう、例えばフォンウェールとあなたみたいにね。」


 今度は、木の枝に腰掛けていたピクシーが足をプラプラと揺らしながら言った。


 イヤイヤイヤ。あの態度のどこをどう察しろと?無茶ぶりにもほどがある。

 私が凡人なのは認めるけれど、あの二人と比べるのはそもそもが間違ってない?

 逆に、そういう比べ方は良くないと思うわ。


 メラメラしたものが込み上げてきて、私は彼らの言い分に反論しようとした。


「まぁまぁ、そのくらいにしなよ、みんな。

 そこが人間の面白いところだって、あの御方も仰ってただろう?」


 指についたパイをなめながら、藍色の服を着たピクシーが言った。彼は背に、小さな羽が生えている。


「あ、オイ!抜け駆けするな!」


 とたんに、そこらじゅうにいたピクシー達が我先にとパイに群がる。


「君たちがボーとしてるのが悪いんだ。」


 藍色のピクシーはそう言うと、ひょいと身を浮かせて私の前に飛んできた。


「あの御方って、ダレ?」


 私はたずねた。


「君が知る必要のない御方だよ。」


 ピクシーが、私の目をじっと見る。


「リビエラといい、フォンウェールといい、君は()()()()()()なんだろう。

 あの二人に免じて、服のことは容赦してあげる。」


「あ、ありがとう。」


 私は藍色のピクシーの言っている意味がよくわからなかったけれど、良い関係を築くための最初の一歩なんだろうと思えた。


 そこへ、ベビーピンクのピクシーが藍色のピクシーを押しのけて来た。


「ただし!」


 彼女が叫ぶ。


「ただし?」


「このパイを今日から九日間、毎日持って来なさい!私たち全員が満足するくらいね!」


 ------------------------


 空っぽの器を見るのは、とても嬉しい。

 自分が作ったお菓子を、誰かが全部食べてくれる。

 これは、小さな幸せ。


 私は、一人ニヤニヤしながら林道を歩いた。

 顔が自然と緩み、無意識に鼻歌まで漏れる。

 緊張と不安が解けて、私の心は空を飛べそうなほど軽かった。


「ご機嫌だな。」


 不意に、声がした。


「わっ!ハル!」


 私は立ち止まり、思わず声をあげた。

 浮かれすぎて、木に寄り掛かっていた彼の姿が全く見えていなかった。

 こんなところで待ち伏せなんて、趣味が悪すぎる。


 そしてなぜ彼がここにいるかと考えるよりも先に、私の心に小さな不安がよぎった。


「また、遅くなっちゃった?」


 この前みたいに、少しのつもりが数時間も経っていた、なんてことになっていたら私たちの関係はまたもや振り出しだ。


「いや。」


 ハルは短く答えると、私に背を向けて歩き出した。

 怒ってはいないようだ。


「あのね、ピクシーたちと話ができたよ。」


 私は彼を追いかけた。ハルの隣に、肩を並べる。


「良かったな。」


「うん、ハルとシルキィのおかげ。皆、パイを気に入ってくれて、明日から九日間、パイを持っていくことになった。」


「そうか。」


「うん。

 それで、またアマンダンの蒸留水が要るんだけど、作ってもらえる?」


「…。」


「あ、なんなら私が自分で作るよ!作り方さえ教えて貰えれば…ハル?」


 ハルが立ち止まり、左腕で私の歩みを止めた。


 ビュンッ シャタッ


 空から何かが勢いよく飛んできて、すぐ横の木に突き刺さった。

 それは、まばゆい金色の矢。

 そこに、一通の手紙が挟んである。


 ハルが手紙を抜き取る。すると矢は、灰のようにパラパラと散った。


 これは、何か言及した方が良いんだろうか。それとも、何事もなかった振りをしてこのままパイの話を続ければ良いんだろうか?

 正解がわからない。


「ララ、話しておきたいことがある。」


 彼は手紙を懐におさめると、私を見た。


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