4-6.迷宮(2)
結界・封印・強化・顕現・消滅。
魔術は、特別な記号と文字を組み合わせた術式を使う。
ハルの説明によると、主な使い方はこの五つ。
だけど、この頃はどんどん複雑化しているらしい。
魔術なのか魔法なのか、判別しにくいものが増えている。
そして術式には、形がある。
羅針盤のような円形、地図のような四角形。
古いものなら、直線に並べただけのものまで。
最初に現れた試練、つまり水の陣は円形だった。
そして二番目に現れたのは、壁の文字列。
これは、黒くて太い線で作り込まれたちょっと呪いっぽい印象の術式で、ハルが指を鳴らすと静かに光った。
最初は弱い光。次にそれが閃光に変わると、私を取り巻いていた空気がグラリと揺れた。
「きゃっ!」
バランスを崩して倒れそうになる寸前、ハルが私の腕を掴む。
離れ離れにならないよう、私も彼につかまる。
光がおさまると、私たちは初めて見る景色の中にいた。
「わぉ、綺麗!」
これが、私の第一声。
そこは、キラキラと耀く銀水晶の世界だった。
結晶の大きさは、人差し指のサイズから私の身長を越えるものまで様々。
広大な地底世界に、いくつかのまとまった塊が至るところに群生していて、頭上はさながら天然のシャンデリア。
迷宮のトラップだからもっと恐ろしいところに飛ばされると思ったのに、すごく意外だった。
ここが本の中だなんて信じられない。
魔術バンザイ。私はちょっと浮かれた。
「銀水晶の森だな。」
あたりを観察しながら、ハルが言った。
ここは術式が作り出した疑似世界だから、当然本物じゃない。
だけど彼によると、フィアルーは少なくとも一度は、本物の『銀水晶の森』と呼ばれる場所に来ているらしい。
もちろん、物語の中にそんなことが書かれていたなんて、私は全く記憶にないけれども。
「進もう。」
ハルが、森の奥へと歩き始める。
「ねぇ、フィアルーは銀水晶の森に何をしに来たの?」
私は、小走りにハルを追いかけながら聞いた。
「…忘れた。」
速攻で素っ気ない返事が返ってくる。
「ふうん…。」
本当は知っているけれど、話すのはめんどくさい。ハルの横顔は、そう語っているように見えた。
たぶん彼は今、別のことを考えている。
「もしかして、赤の玉を探しに来たのかな?」
「赤の…?いや、あれは…。」
ハルが突然立ち止まり、話すのをやめた。そして私を見た。
「ララ、この先は銀水晶を絶対に見るな。
オレが前を歩くから、オレの背中だけを見るんだ。
いいな?」
厳しい口調に強い眼差し。
この先に何か良くないことがある、ということだけはわかる。
だけど、周囲は銀水晶だらけ。見ようとしなくても勝手に視界に入ってくるわけで…。
「が、がんばる…。」
私は、精一杯の返事をした。
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私は、ハルの背中だけを見て歩いていた。
見てもいい場所がそこしかないので、仕方なく彼の後ろ姿を観察してみる。
広い肩に長い腕。
おかげで、前方が全く見えない。
背が高くて細身な印象があるけれど、骨格は意外とがっしりしている。
クセのある柔らかな髪のおかげで、後ろ姿だけは優しい印象だ。
(ハルって、歳は私とそんなに変わらないよね…。)
私は、ふと思った。
彼は隠居するような歳でもないのに、どうしてイーリーベルみたいな人が寄り付かない所に住んでいるんだろう?
リビエラは、ハルのことを優秀なウィザードだと言っていたけれど、優秀ならもっと大きな街に行けば、実力を発揮できる良い仕事が沢山あるんじゃないだろうか。
それとも、ウィザードっていうのは山奥に暮らすものなのかな。
聞いてみたいけれど、これはハルの気分を害してしまう無神経な質問かもしれない。
書庫で両親のことを尋ねたときは、席を立ってしまったし。
こんなことを聞いても大丈夫なのか?ハルは答えてくれるのか?
私は、彼の背後でそんなどうでもいいことに唸り、悶々とした。
(ん?)
ほんの一瞬だけど、鏡のようにピカピカの銀水晶に影が走ったような気がした。
気になるけれど、よそ見できないので我慢する。
サッ
(んんっ?)
やっぱり…何かいる?今度は、銀水晶の前を誰かが走り抜けたような感触。
思わず反応しそうになったところで、あわてて顔を固定する。
(背中だけ見ていろって言われたんだから、見ちゃダメよ!)
私は、心の中で自分に言い聞かせた。
ササッ
だけど再び、何かよくわからない、だけど動くものがかすめる。
うう…。一体、なに?
サッ ササッ
あからさまに、そして大胆になりながらそれは私に近づいてくる。
気配は感じるのに見てはいけないなんて、犯罪者が後ろにいるのに振り向いちゃいけないって言われているみたいですごく怖い。
「ね、ねぇ…ハル?」
私はこらえきれなくなって、うつむいたままハルに声をかけた。
「なに。」
「あのさ…、あのっ…。」
車輪のように規則正しく動くハルの足が見える。
地面を蹴る単調な音が耳に響く。
私とハルの間にある空間の隙間を埋めるように、突然、泥炭色の泥人形みたいな生き物が下から割り込んで私を見上げた。
大きくてつぶらな瞳と、ばっちり視線が合う。
「ぎゃっ!なんかいるっっ!」
「ぎゃっ!なんかいるっっ!」
私は怖くなって、ハルの服を掴もうとした。
「わ、ハル?」
「わ、ハル?」
「わ、ハル?」
手は空を掴み、あえなく空振り。
驚いたことに彼は、一瞬の間に私から距離を取っていた。
ずっと私から離れないでいてくれたのに、いつの間にか私の手が届かない場所に立ち、黙ってこっちを見ている。
「なんで逃げるの?」「なんで逃げるの?」
「なんで逃げるの?」「なんで逃げるの?」
一度にたくさんの私の声がした。
「え、なに?どうなってるの??」「え、なに?どうなってるの??」「え、なに?どうなってるの??」「え、なに?どうなってるの??」「え、なに?どうなってるの??」「え、なに?どうなってるの??」「え、なに?どうなってるの??」
私は、自分の声が響き渡る森を見回して驚愕した。
私の周りに、たくさんの私がいた。
私と同じ顔、同じ姿の生き物が、同じような動きをしている。
「ララ、モルグを見たな?」
「モルグ?もしかして泥人形みたいな生き物?」「モルグ?もしかして泥人形みたいな生き物?」「モルグ?もしかして泥人形みたいな生き物?」「モルグ?もしかして泥人形みたいな生き物?」「モルグ?もしかして泥人形みたいな生き物?」
「ああ、そうだ。
うるさいから、頷くだけでいい。」
ハルは、少しイラッとした様子で言った。
「わかった!」「わかった!」「わかった!」「わかった!」「わかった!」「わかった!」
(しまった!)
「あ、ごめんっ。」「あ、ごめんっ。」「あ、ごめんっ。」「あ、ごめんっ。」「あ、ごめんっ。」「あ、ごめんっ。」
私は、慌てて口をふさいだ。
「お前が見たのは銀水晶の守り人、モルグだ。」
彼が説明する。
「彼らは、森に侵入する者の姿を真似る。
中でも一番真似やすい、心に隙があるやつを狙うんだ。」
つまり、私ね?
私は黙って自分を指差した。
「そういうことになるな。
オレには、どれが本物のララか見分けがつかない。
だから、お前をここに置いていく。」
(はぁっ?なに?その、諦めの早い結論は!)
こんなときに冗談はやめて!
私は拳に力を込め、目を吊り上げて怒りをあらわにしてみた。
「仕方ないだろ。
こんなに大勢のララは連れて帰れない。
じゃあな。」
(仕方なくない!少しは助けようと頑張ってみてよ?)
ハルはお手上げの身振りとともに、いとも冷たい瞳でそう言うと、くるりと向きを変えて進み始めた。
「待って!私がララよ!私も一緒に!」「待って!私がララよ!私も一緒に!」「待って!私がララよ!私も一緒に!」「待って!私がララよ!私も一緒に!」「待って!私がララよ!私も一緒に!」「待って!私がララよ!私も一緒に!」
大勢の私が、同時にハルを追いかけた。
「ちょっと、なんでついて来るの?私が本物よ!」「ちょっと、なんでついて来るの?私が本物よ!」
「ちょっと、なんでついて来るの?私が本物よ!」「ちょっと、なんでついて来るの?私が本物よ!」
「あぁ、もうやめて!」「あぁ、もうやめて!」「あぁ、もうやめて!」「あぁ、もうやめて!」「あぁ、もうやめて!」「あぁ、もうやめて!」
私は、頭を抱えて叫んだ。大勢の私も、同じように頭を抱えて叫んだ。
皆は私を真似てるんじゃない。心がシンクロしているから、どの私も同じように考えて同じように行動してる。
私が、私を見ている。私も、私を見ている。
私は自分に埋もれて、自分が何者か分からなくなってきた。
本物は私のはずなのに、本当は本物じゃないんじゃないかと、弱気になる。
もしかするとこの中に、別の本物の自分がいるのかもしれない。
私は、あっけなく去って行くハルの後姿を見た。
そういえば昨日の夜も、同じように歩いていく彼の背中を見た。
『できる』者と『できない』者。『できない』私を変えたいと思ったのに。
ここに取り残されるなんてイヤだ。
強い思いが込み上げてきて、もう一度ハルを追いかける。
「来るなと言ったはずだ!」
振り向きざま、ハルが厳しい口調で私を牽制した。
魔法で私の前に火を放つ。
みるまに、横たわる龍のような炎が私と彼の間に広がった。
(熱っつ!)
揺れる火が、私の顔をかすめた。
炎の勢いに押され、私は後退りする。怖くて、強引に追いかけることができない。
「なんてことするの?ここは本の中だよっ?」「なんてことするの?ここは本の中だよっ?」「なんてことするの?ここは本の中だよっ?」「なんてことするの?ここは本の中だよっ?」「なんてことするの?ここは本の中だよっ?」「なんてことするの?ここは本の中だよっ?」
「問題ない。」
ハルの声は、本気の本気だった。あのセリフは冗談なんかじゃない。
だけど私だって、この現実を受け入れるわけにはいかない。
私には、ここを出てやらなきゃいけないことがある。
それに、たくさんの私と一緒に私しかいない世界に取り残されるなんて、考えただけで気が狂いそう。ホント、笑えないよ。
「証明する!私が本物だって証明するから、チャンスをちょうだい!」「証明する!私が本物だって証明するから、チャンスをちょうだい!」「証明する!私が本物だって証明するから、チャンスをちょうだい!」「証明する!私が本物だって証明するから、チャンスをちょうだい!」「証明する!私が本物だって証明するから、チャンスをちょうだい!」
私は、焔の向こうのハルに向かって、出せるかぎりの声で叫んだ。
「証明?」
ハルが立ち止まり、振り向いた。
「意外としつこいんだな。」
言葉を吐き捨てる彼の目は、私を残して水底へ向かった時と同じだった。
相手に期待しない、突き放すように冷たい目。
私は、その表情にゾクリとした。
「では、一度だけチャンスをやる。」
私は、首を大きく縦にふって見せる。
たった一度のチャンスでも、このまま置き去りにされるよりはずっといい。
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「さっきお前は、水中でオレの手を振り払ったな。」
ハルが言った。
私は、黙って頷く。やっぱり、根に持ってたのか。
「だが、オレを『信用していないわけじゃなかった。』と言った。
あれは本心か?それとも詭弁か?」
「もちろん、本心よ。」「もちろん、本心よ。」「もちろん、本心よ。」「もちろん、本心よ。」「もちろん、本心よ。」「もちろん、本心よ。」
私はハルを見つめ、両の手に力を込めた。
「そうか。
それなら、お前がオレを信じているということを証明して見せろ。」
「いいわ。どうやって?」「いいわ。どうやって?」「いいわ。どうやって?」「いいわ。どうやって?」「いいわ。どうやって?」「いいわ。どうやって?」
「その燃え盛る炎を突き抜けて、ここまで来い。」
「えっ?」「えっ?」「えっ?」「えっ?」「えっ?」「えっ?」
「オレを信じているんだろ?」
「信じてるけど…それと火の中に飛び込むことは別じゃない?」「信じてるけど…それと火の中に飛び込むことは別じゃない?」「信じてるけど…それと火の中に飛び込むことは別じゃない?」「信じてるけど…それと火の中に飛び込むことは別じゃない?」「信じてるけど…それと火の中に飛び込むことは別じゃない?」
「それ以外の条件はない。」
「でもさ、すっごく熱いんだよ!下手したら焼け死ぬよ!これは私に死ねって言ってるのと同じでしょ?」「でもさ、すっごく熱いんだよ!下手したら焼け死ぬよ!これは私に死ねって言ってるのと同じでしょ?」
「五秒やる。
五秒間のうちに来い。」
「五秒っ?みじかっ!」「五秒っ?みじかっ!」「五秒っ?みじかっ!」「五秒っ?みじかっ!」「五秒っ?みじかっ!」「五秒っ?みじかっ!」
「一。
さっきより三秒も増やしてやった。」
確かに、水の陣の時は二秒だった。
「二。」
(ちょっと待って!乙女は心の準備に時間がかかるって知らないのっ??)
私は盛る火を見た。炎に包まれると、酸欠状態になるって聞いたことがある。
周りの炎に酸素を奪われ、気道が焼け、呼吸困難に陥いるらしい。
心は勇んでいるのに、身体が動かない。
「三。」
(もう三秒!)
私は、炎の向こうのハルを見た。
意志のある、心を突き刺すようなヴァイオレットの眼差し。
私に自殺行為を強要しておいて、その瞳にためらいの影は微塵もない。
証明できなければ置き去り、証明できても私は焼ける。どっちにしたって詰んでる。
彼の口元が動き、カウントする。
「四。」
残り一秒。
私は、これまでのハルの行動を考えた。
サウィーンの夜も、クレアモントの館でも、彼は私を助けてくれた。
ハルは、私を見殺しにするような人じゃない。
だから動け、私の身体!
私は目を固くつむると、鉛のような手足を無理やり動かした。
走りの構えを取り、一気に地面を蹴る。
ハルのバカ!ここで焼け死んだら、呪ってやる!
私は大きくジャンプし、思わず目を開けた。
(わっ!)
目の前に、炎のカーテンがあった。もう引き返せない。
(熱!!)
「五。」
ブワッ
炎を突き破ると、正面にハルがいた。
私はそのまま彼のもとに飛び込み、ハルは両手で引き寄せるように私を抱きとめた。
ドサッ
「来れた…。」
(焼け死ななくて、良かった。)
私は気が抜けて、そのままハルにしがみついた。
まだ、身体が少し震えている。
「よくやった。」
彼は、静かにそう言った。
「ん?…よくやった?どういう意味?」
我に返った私は、ハルを突き放して勢いよく離れた。
私がハルを信じているか試そうとして、自殺行為を強要しておいて、「よくやった」ってどういう意味?
「火の向こうを見てみろ。」
ハルが私の視線を促し、私は後ろを振り返った。
「モルグ!」
炎の向こうに、ぞろぞろと散開する銀水晶の守り人、モルグたちがいた。
泥炭で作った泥人形のような、人型の小さな生き物。
真の姿は坊主頭で性別もなく、髪の毛や洋服をつけてもらう前の人形のよう。
私と同じ姿をしているものは、もう一人もいない。
「モルグは火が苦手なんだ。
本物のララを見分けるには、こうするしかなかった。」
なんですって?それじゃあ、あれは全部ハルのお芝居?
背筋がゾクリとするほどの冷たい目も、動じないあの表情も、本当にお芝居?
私はホッとしたような腹立たしいような、複雑な気分だった。
「先に、説明してくれればよかったのに。」
少しだけ、不満を露にしてみる。
「それでは、意味がない。
行くぞ。」
「…うん。」
(意味がない?どういう意味?)
私はハルをチラリと見たけれど、彼は視線を合わせなかった。
私たちは、モルグたちとは反対の方向に向かった。
「でも、五秒はナイわ。
あれは短すぎる。」
ハルの隣を歩きながら、私は改めて不満を漏らした。
二秒よりはましだけれど、充分だとはいえない。ハルのレベルにあわせてカウントされるって結構大変だ。
もう少し、凡人レベルにあわせて欲しい。
「あまり時間をかけると、モルグに同化して自分を見失っていくんだ。
本来の目的を忘れ、放心状態に陥る。
モルグ自体は無害な生き物なんだが、心の隙間に入り込まれると厄介だ。」
「ああ、それで…。」
自分の中に埋もれて自分を失う感覚は、確かにあった。あれはモルグの影響だったのかと、私はまたしても身震いした。
モルグは、銀水晶の守り人。
彼らはああやって、銀水晶を奪おうとするものたちから森を守っているのだ。
辺りは結晶の塊がほとんどなくなっていて、森の出口はすぐそこだと知らせてくれているようだった。
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しばらくいくと、道の向こうに出口らしい白っぽく光る所がみえだ。
「これで、このトラップは終わりかな?」
「多分な。」
「ねぇハル、赤の玉は一体どこにあるんだろ?あれを見つけないと戻れないんだよね?」
私はハルを見た。
「ララは、知らない方がいい。」
「じゃあ、ハルは知ってるの?」
「ああ。
フィアルーの物語の中でも、有名なエピソードの一つだ。」
「あ…。」
私は前を見た。
にわかに、暖かい空気が流れてくるのを感じた。
森の向こうの強い光は、どうやら陽の光。
外は、暑そうな気配を帯びている。
「そろそろ、赤の玉だな。」
ハルが出口を見つめながら言った。
私たちが向かうのは、三つ目の試練。っていうか、試練はあと幾つあるの?
私はこの時、妙に嫌な予感がした。




