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4-5.迷宮(1)

 

 一体どこの物好きが作ったか。

 そうたずねるのは、凄く馬鹿げたことだってわかってる。


 道の両側は、石で作られた背の高い壁。私の身長の、優に倍以上はある。

 足元は踏み固められた真砂土。

 上空は…相変わらずの薄茶けた古紙色。


 私は今、ハルと一本の通路を歩いている。


 壁に囲まれた路を、数メートル進むたびに右だ左だと曲がる。

 ただそれだけの、エンドレスな前進が続いている。


「誰がこんなもの作ったんだ?って顔してるな。」


 私の心を読み取ったかのように、ハルが言った。

 まぁ、読み取るも何も、私はあからさまにそんな表情をしていたかもしれないけれど。


「違う。

 なんでこんな本選んじゃったんだろう?って思ってたの。」


 認めるのが癪だったので、私は二番目に考えていたことを口にした。


 歩いても歩いても、現れるのは壁だけ。

 同じところをぐるぐる巡っているような錯覚に陥って、気分が悪い。

 空腹も手伝って、私は少しばかりイライラし始めていた。


「別の本を選んでも、ララは同じことを言うさ。」


「何それ…。」


 ハルの意味深な言い草に、モヤッとする。私は、右隣を歩く彼をチラリと見た。

 怒っているようなピリピリしたオーラは感じられないけれど、呆れているんだろうとは思う。


 寝ぼけてうっかり呪文を唱え、本の中に入り込んでしまった私。

 ハルは何も言わず追いかけてきてくれたけれど、書庫に戻る呪文は、紙のドアに破棄されてしまった。


 そして次にそのドアが指示したのは、『(あか)(ぎょく)』を見つけてゴールの台座にはめるという試練。


 試練?はぁ?試練って、なによ?


 ドアに浮き上がった文字を見たとき、私はそんな風に悪態をついた。


 書庫に戻るために試練が必要だなんて、どれだけ意地悪なんだと思ったけれど、どうやらこの本は、ウィザード見習いが学びの道具として使うものだということが後から判明した。


 要するに、『ちゃんと読んだよね?勉強したよね?だからわかるよね?』っていう試験。


 出題は、私が読んでいた智略の魔女フィアルーの章から。


 イヤイヤイヤイヤ…私、ほとんど寝てたから…。

 そんな本だって知ってたら、ちゃんと読んでたから!


 悔し紛れに、心の中で絶叫する。

 たぶんこれも、イライラの原因。


「なんだか目が回って来たよ、ハル。

 さっきからずっと同じところを歩いているみたい。」


 不満げに呟く私。ハルは前方を見ていた。


「オレたちは確かに進んでいる。

 ここは迷宮(メイズ)の中だ、我慢しろ。」


「迷宮?そんなの、物語の中にあったかな?」


 私は、ほとんどない記憶を掘り返しながら言った。


「あったはずだ。

 迷宮は、第六十三代上王リオンの治世に初めて作られた。」


 私を追って物語の中に入ったハルは、この本に何が書かれていたか知らない。

 だけど彼はウィザードだから、知っていて当然の内容。


「そうなの?」


「智略の魔女が組織した『金の枝』を覚えているか。」


「うん。

 黒の魔法使いに対抗するために作られた、魔法使いの一団だよね。

 リアフェス中に広がったとか。」


「ああ、そうだ。

 金の枝が組織されたことで、魔法使いたちの交流はかつてないほど盛んになった。

 お互いの知識や情報量が飛躍的に増え、多くの発明が生まれたんだ。

 この迷宮も、その産物の一つだ。」


「ふうん…。

 でも、グネグネ歩くだけの通路が魔法や魔術の役に立つの?」


「そのうちわかる。」


 ザンッ ザンッ ザンッ


 そのうちも何も、ハルがそう言った直後にそれは起きた。


 目の前に大きな壁が現れ、私たちは前に進めなくなった。

 後ろを振り返ると、背後にも壁。頭上には天井がある。

 通路は、瞬く間に一部屋の密室に変わった。


「暗っ!」


 声をあげると同時に、地面全体が黄色く光った。続いて濃紺の文字群や記号が浮かび上がる。


「ん?ナニ?」


 ヒヤリと冷たい感触が走る。


「わっっ、水っ!」


 見ると、私は腰のあたりまで水に浸かっていた。

 突然現れた水面は、波打って壁に弾けながら勢いよく水位を上げている。


「ハ、ハル、これは…?」


 まるで、悪い魔法にかかったみたいだった。

 あまりの急展開に、何をどうすればいいのかわからない。

 状況は、私の思考を完全に飛び越えた早さで進んでいた。


 ハルは下を見つめたまま、返事がない。

 モタモタしている最中(さなか)、今度は水中で身体がフワリと浮いた。

 水は信じられないほどの速さで首のあたりまで到達し、大きく揺れるたびに底から足が離れる。


「どうしよう、もうこんなに!ハルっ?」


 周囲は背の高い壁、上には天井があって行き止まり。

 水が満ちれば窒息してしまう。

 私たちは溺れ死ぬ。

 頭に浮かぶのは、最悪の事態ばかり。


「ねぇ、聞こえてるのっ?」


 私は、ハルに向かって叫んだ。

 泳げないわけじゃないのに、上昇する水面と狭まっていく空間にあおられて、一人で浮いていることすら不安に駆られる。

 やっとの思いでハルの腕にしがみついた。


「暴れるな、文字が見えん。」


 ハルは私を一蹴する。


 焦る私のそばで、彼は水に揺れる底を見続けている。


「ここから出なきゃ、ねぇ!」


 何もしないハルを動かそうと、私は彼の服を掴んで訴えた。

 水は怒涛の勢いで上昇し、天井に到達するまで、あと三十センチ。


 水に押し上げられる圧迫感、次第に閉じ込められていく恐怖。

 私の心は、逃げ場を失った。


 頼りのハルは、微動だにしない。

 彼を見ている私のほうが錯乱しそうだった。慌てるという精神状態は、きっとハルの中には存在しないんだ。


 頭が天井にあたり、顔に激しく水がかかった。


「助けてっ!誰か!」


 私は天井を叩いて叫んだ。

 こんなときに限って、打った左肘がズキズキ痛む。

 無駄なあがきだとわかっていても、やっぱり私は、死にたくない、死ぬのが怖いと抗ってしまうんだ。


 呼吸できる場所はぐんぐん奪われ、時を止めることができたらどんなにいいかと願った。


「ララ。」


 ハルが私の腕をグイと引き寄せる。


「行くぞ。」


(は?行く?)


 彼が何を言っているのか、理解できなかった。


「一分、いや三十秒耐えろ。

 いいな?」


 ハルが、私を見る。

 ヴァイオレットの瞳と独断的な口調は、私にNOと言える隙を与えてくれない。


「二つ数えたら潜る。

 一、」


「えっ、今?」


「二。」


 ザブンッ


 私は心の準備もできないまま、ハルに引っ張られるように水底に向かった。


(うそっ?)


 水深はおよそ四メートル。

 こんなに深いところ、潜ったことがない。


 緊張と恐怖のあまり、心拍数が上がる。

 水の中で自分の鼓動が痛いくらいに聞こえて、思わずゴボリと息を吐いてしまった。

 苦しくなり、もう片方の手で、夢中でハルの手を振りほどいた。

 彼が私を振り返る。

 その瞳は、少し驚いた様子だった。


(私には無理だよ、ハル!)


 私は首を大きく横に振り、ありもしない水面に浮上しようとした。

 だって、耐えられない。怖くて苦しくて、底まで身体がもたない。


 ハルは顔をそむけると、私を残して水底に向かった。


(苦しい、息が…!)


 私は上に行き、夢中で天井をたたいた。ここを壊せば、外に出られるかもしれないと思った。

 だけど水中でたたく力はとても弱々しくて、私は息苦しさから水を飲み込み、意識が朦朧とし始める。


(だめだ…。本当に、もうイヤ…。なんでこの本を選んだ、私?なんでクレアモントホールに来た、私?なんで…なんでリアフェスに来た、私?ああ、キャス…。)


 腕の力が抜けた。彼女の笑顔が脳裏をよぎる。

 こんなところで、あえなく溺死。


 そう覚悟した瞬間、私は全身に重力を感じて地上に引き寄せられた。つまり、落下。


「わっ。」


 大きく息を吸い込む。


 ドサリ


 そして、ハルの腕の中に落ちた。


「…れ?水は?」


「消した。」


 淡々と注がれる視線。

 彼は私を抱えたまま、彼の手を振りほどいた愚かな私をじっと見ていた。


 まるで夢を見ていたみたいに、水は跡形もなく消えた。服も髪も、濡れた形跡がどこにもない。

 この感覚は、刻の水底で幻覚に襲われた時と同じだ。

 あの時も知らずに大暴れして、カリガリアンに助けられた。


「また、幻…?」


「また?」


 ハルは、私を下ろしながら言った。


「えっ?また?ん?…と、違う違う!」


 慌てて言葉を濁す。

 うっかり、心の声が漏れてしまった。


 霊廟に行っただけでもひんしゅくを買っているに違いないのに、境界を抜けて刻の水底に行ったなんてことが知れたら、ハルにどんなに軽蔑されるか。

 考えただけでも恐ろしい。


 ああそれよりも、私は言わなきゃならないことがある。


「さっきはっ、手を振り払ってごめん。

 ハルのこと信じてなかったわけじゃなくて、ただ、その、苦しくて怖くなって…。」


 私は、怒られるのを覚悟で謝った。

 助けようとしてくれた手を振りほどいたんだもん、いい気分ではないと思う。

 それに、私に顔をそむけたときのハルの目。あれは相手に何の期待もかけていない、突き放すように冷たい目だった。


「いや…。

 オレも、お前が異世界の人間だということを忘れていた。

 驚かせたな。」


 少しの沈黙の後、ハルが単調な声で言った。

 てっきり怒られると思ったら、意外にも優しい。予想外の優しさは、逆にむず痒いものなのだと知る。


「そんなこと…。

 驚いたけど…とにかく、ごめん。」


 私は恥ずかしくなって、ハルの目を見ることができなかった。


「…先へ進もう。」


 彼はそれだけ言うと、歩き始めた。


 私たちを閉じ込めた密室は、蜃気楼のようにかき消え、目の前には再び通路が続いている。



 ------------------------



「迷宮は元々、個人の娯楽として作られたんだ。」


 ハルが、なんとなくギクシャクしていた(と、多分私だけが思っていた)沈黙を破った。


「え、遊びなの?あれが?」


 娯楽という言葉に、思わず反応する。

 私にとっては生きるか死ぬかの瀬戸際だった水攻めが、ウィザードにとっては娯楽だなんて。


「本来は、魔法や魔術の知識を使ってトラップを解き、ゴールにたどり着くという単純な遊びだ。

 発案者は、南の国レンスターのとある魔法使い。

 それが瞬く間にリアフェス全土に広まり、フィアルーが金の枝の訓練に取り込んだ。

 現在でも、伝統競技として残っている。」


「伝統競技?」


「ああ。

 入り口は二つ、ゴールは一つ。

 どちらが先にトラップを解いてゴールするか、時間を競うんだ。」


「そうか。

 じゃ、さっきの水はトラップ?」


「そうだ。」


「なかなか、過激ね。」


 私は身震いした。


「訓練だからな。

 あれは序の口だ。」


「え…そうなの?

 私、絶対にウィザードになるのは無理だわ。」


 というか、もはやなりたくない。毎回あんなにひどい目に合うのなら、身も心も保てない。

 世の中にはああいうギリギリのゲームを楽しめる人がいるけれど、私は無理だ。


「問題ないさ。

 ララは、天地がひっくり返ってもウィザードにはなれない。」


「は?どういう意味?」


 自分でウィザードになれないと言うのはともかく、他人に言われるとちょっと腹が立つ。

 私は、思わず喧嘩口調で聞き返してしまった。


「エトラには魔力がない。

 魔力がないものは魔法が使えない。

 だから、ウィザードにはなれない。」


 ハルの返答は、いとも単純で明快だった。


「私、魔力がないの?」


「ないな、皆無だ。」


「かいむ…。」


 なんだか、ドーンと突き放された気分だ。もっと他に言い方はないんだろうか…。

 ギルは、簡単な魔法ならすぐに覚えられるって言ってくれたのに。

 ああ、でもあの時はエトラだと正直に言っていなかったから、優しく慰めてくれたのかな。

 紳士だな、ギルは。いま、どこで何をしてるだろう。

 私はギルを思い出して、懐かしくなった。


 ウィザードにはなれなくても、リビエラのように少しくらい魔法を使えたら、なんて思ってた自分が恥ずかしい。


 …あれ?でもちょっと待って。私はどうして呪文を唱えてこの本の中に入れたんだろう?あれは魔法じゃないの?


「ねぇ、ハル?」


「なに。」


「私は魔力がなくて魔法が使えないのに、どうしてこの本の中に入れたの?」


「魔法と魔術は別物だ。

 魔法は、魔力に言霊をのせて発動させる。

 そしてこの本は魔道具。

 つまり、魔術の術式が組み込まれた魔術道具だ。

 魔術は、魔力がなくても行使できる。

 さっき、地面に文字や記号が現れただろ?」


「うん。」


「あれが術式。

 結界や封印は、この類だ。」


「魔力がない私でも、魔術道具は使えるってこと?」


「ああ、使える。

 本の中に入る時に唱えた呪文は、鍵のようなものだ。」


「さっきのトラップは?」


「あれは、水を出現させる陣。

 陣の中の必要な個所に必要な文字式と記号を加えると、水が消える。

 あの時代によく使われた。」


 ああ、だから地面をずっと見てたのか。ハルは、術式を解読していたんだ。

 私はそばで暴れて、邪魔してたのね…。


「はぁ…。」


「なぜため息をつく?」


「なんでもな…きゃっ!」


 突然、ハルに腕を掴まれた。


「ちょっと、な…わっ!」


 目の前に再び、私たちの前進を阻む壁が現れていた。

 ハルが引き止めてくれなかったら、私は堂々とぶつかっていたところだ。


「二つ目のトラップだ。」


 ------------------------


「二つ目のトラップ?もしかして、また急に何かが出てくる?」


 私は、警戒して辺りを見回した。


「いや、もう現れている。

 よく見て。」


 ハルは、私たちの前に立ちはだかる木製の壁を見ていた。

 高さは両脇の壁より低く、私が手を伸ばせば一番上まで届くかもしれないけれど、幅は道いっぱいに広がっているから、隙間をぬって先へ進むことは多分許されない。


「ええと、これは…?」


 壁には、すごく不規則でバラバラの黒い直線や曲線がぎっしり書かれている。

 頭の中で考えを巡らしたものの、答えは出てこなかった。

 そこで私は、もう少し壁全体を見ようと、数歩後ろに下がった。


「あれ?あそこだけ空欄になってる。」


 壁の表面は一枚一枚がパネルのような正方形をしていて、左端の方の一か所に一枚分の空欄があった。


「そうだな、ララ。

 その空欄の下のパネルを、上にスライドさせて。」


「スライド?」


 ガガガ…


 私はハルの指示通り、木のパネルを動かした。意外と重い。


「こうかな?どう?」


「じゃあ、次は…。」


 ハルは、続けて私にパネルを動かすよう指示した。時々考え、時々壁全体を見つめ、時々私に休む暇も与えず連続で。

 壁の表面は次第に黒い線が繋がり、何か意味のあるものに変わり始めていた。

 小さな予感は、確信になりつつある。


「ねぇハル、これってもしかして。」


「術式だ。」


「だよね?一体何の?」


「さぁ、なんだろうな。

 多分これが完成すると、オレたちは別の場所へ飛ばされる。

 近くにいろよ。」


「わかった。」


 私は緊張気味に答えた。ハルのすぐ隣に立つ。

 ここで離れ離れになったら、私は生きて書庫に戻れる気がしない。


 動かすパネルは、あと一枚。


 ハルが、右手を胸の前あたりに掲げる。手のひらを壁に向け、微かに小さな動きをした。


 スッ


 残りの一枚が、音もたてずにスライドする。


「今のは?」


 私は、隣に立つハルを見上げた。


「魔法だ。」


 ハルはこともなげに答える。


「だよね。」


(ハルの意地悪…。)


 魔法で動かせるなら、いちいち私にスライドさせなくても良かったんじゃないの。


 パチン


 ハルが指を鳴らした。

 すると、壁の術式が静かに光った。


読んでくださった方、評価してくださった方、ありがとうございます。

忙しくなると更新の間隔があいてしまい、自分の力不足を痛感しています。

絶対に完結させるつもりで書いていますので、気長にお付き合いいただけると幸いです。


2021年5月

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