3-4.灯-ともしび-
日没の空に、対岸の灯り。川向こうの喧騒と湿り気のある街の匂い。
ギルと私は、ウィッスルに戻ってきた。
ここは、フィアルー・ディ・モントーリ公園の入り口にある、アイアンワークの門の外。
「閉園時間か。
追い出されたね。」
ギルが背後にある黒い門を見上げて言った。
この公園は、閉園時間になると強制的に園外へ出されるらしい。行きはずぶ濡れだったけれど、おかげで帰りは水浸しにならなくて済んだ。
「ララ、これからどうする?」
「イーリーへ戻らなきゃ。」
戻って来たことに安心したとたん、今度は帰りやキャスのことが心配になってきた。
「それなら送るよ、イーリーまで。」
「えっ?いいよ、大丈夫。
列車で二時間近くかかるところだよ。」
「知ってる。
でも箒なら、その三分の一の時間だけど?」
三分の一時間、つまり三十分と少し。魅力的だ。
「さらに言うと、俺のドライビングテクニックなら三十分切るね。
ここから駅まで移動しても、イーリーへの列車がすぐにあるとは限らない。」
「じゃ、お願いしようかな…?イーリーの駅まで。」
私は、ギルの言葉に甘えることにした。
「それじゃ乗って。」
彼はそう言うと、どこからともなく箒を出した。
夜のウィッスルに箒がフワリと浮かび、公園からアッパーにかかる橋を離れた。
(あ…。)
眼下に、黒い犬の石像が見える。
赤い眼をしたあれは、智略の魔女フィアルーの連れ犬カリガリアン。
刻の水底で出会った黒妖犬と同じ名前。
(まさか…ね。)
一瞬あり得ないことを考えてしまった自分を笑いながら、私はウィッスルの街を後にした。
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「今日はありがとう。」
イーリーの駅につくと、私はギルからチョコレートの箱を受け取った。
彼の宣言通り、ここには二十分ほどで到着。飛行中、箒全体が見えない膜のようなものに覆われていたおかげで、風にさらされることなく快適だった。この季節の夜風はもう冷たい。
「礼を言わなきゃならないのは俺のほう。
ララは命の恩人だしね。」
ギルがニコリと笑い、つられて私も笑い返した。
私のしたことは、最初はキャスをもとに戻すための打算的なものだったけれど、お互い様だ。
「ララ!」
聞き覚えのある声に、私は振り返った。
「リビエラ?」
「お帰り!」
リビエラが、声を弾ませて駆け寄ってきた。
「た、ただいま。」
「良かった。
最終に乗っていなかったら、ハル引っ張ってウィッスルに行くところだったよ。」
「…ハルは?」
「来てるよ。僕は走って来たから。」
リビエラの背後から足音が響いて、ハルが姿をみせる。ウィザードとエトラの関係を思い出して、私は少し緊張した。
「あの…、ただいま。
遅くなってごめん。」
ハルは応えなかった。そして沈黙の後、こう言った。
「…その服は?」
「コレ?えっと…買った。
川に落ちて濡れちゃって。
あはは…。」
とっさに、嘘が口をついた。
「いくらで?」
「えっ?と…。」
困った。この国の通貨って何だったっけ。確か…アリス。
ん?なんか違うな。店のおばさんは、なんて言ってたっけ。
アリ…いや、アルス。通貨の正式名称アリストテレスは長すぎるから省略して、アルス。
有名店のウィスキーボンボン一箱二十八アルス。六箱買って残りの手持ちは十八アルスだった。
「じゅっ十二アルス!
フリマで十二アルスだったの!
どう?いいでしょっ!」
「そうか。」
「う、うん。」
ハルは、それ以上詮索しなかった。つかみどころのない反応が、とっても居心地悪い。
「あ、そうだ。
ここまで送ってくれた人がいるの…。」
「どこに?」
リビエラが不思議そうに言った。
「どこって、ほら…。」
私が振り返った時、そこにギルの姿はなかった。それはまるで自分が夢を見ていたかのように、静かな駅のホームにすっかり陽の落ちた空が続いているだけだった。
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「くしゅんっ。」
イーリーベルへの帰り道。
肌寒くてくしゃみが出た。
リビエラはもう遅いからと両親の家に戻り、私は暗い夜道をハルと歩いている。
ハルが立ち止まり、自分のコートを肩にかけてくれた。
「ありがとう。」
フワリと、ハルの匂いがする。リビエラの柔らかいのとは違って、なんだか頭が良くなりそうな凛とした香り。
「コートが要るな。
シルキィに作らせよう。」
ハルは前を向いたままそう言うと、再び歩き出した。
私は彼の背中を見て、ずっと心に引っかかっていたことを聞いてみようと思った。今聞いておかないと、モヤモヤした気持ちのまま過ごしてしまいそうだ。
「ねぇ、ハル?」
私は彼の肩に向かって話しかけた。
「なに。」
「私がエトラだって知ってる、よね。」
「ああ。」
「今日、ウィッスルで聞いたんだけど…。
その…、エトラは、オークションで高値で取引されるって、ホント?」
「…ああ、本当だ。」
少し間があったけれど、ハルが肯定したのはちょっとショックだった。
「そ、そっか…。」
「闇オークションだけどな。」
「うん…。
どうして…かな?
そんなに珍しい?
私たちは。」
ハルが、振り向いた。
「お前、何を聞いてきた?」
「えっ?
あ、えっと、いろいろ…。
あの、オークションのこととか、コレクションにする人もいるとか。
…ウィザードは、…その、エトラを魔術のざ、材料にする…とか。」
言葉にした先から、声が萎んでいく。
ハルは今、どんな目で私を見ているだろう。私は視線をどこに持って行けばいいのかわからなくなって、うつむいた。言い終わった後のほんの数秒の沈黙が、おそろしく長い。
「オレは、ララをオークションにかけたり魔術の材料にしたりしない。
心配しているのはそこだな?」
私はハルを見上げた。
ギルの話は、嘘じゃなかった。オークションのことも、コレクションのことも、エトラが魔術の材料になることも、全部本当。
ギルのやんちゃな冗談であってほしいと心のどこかで願っていたけれど、全部本当。全て真実なのだと、ヴァイオレットの真っすぐな瞳は語っていた。
それでも嬉しかったのは、彼が躊躇いもなく私が望んでいた言葉をくれたことだ。まるで氷が溶けるみたいに、ほっとして緊張が緩んだ。
「ん…。」
「おい、泣くなよ?」
「まだ泣いてない。」
「オレがいじめているみたいだ。」
「いじめてないから、大丈夫。」
「いや、そうじゃなくて…。」
私たちは、再び歩きだした。
「石化解呪は、手伝ってやる。」
私の隣で、ハルが言った。
「うん。」
「それまで、家に居てもいい。」
「うん。」
「その代わり…、」
「うん、なに?」
「オレに嘘をつくな。」
ハルの声の調子が、変わった。その時に私は、彼は私が嘘をついているのを知っているのだと感じた。
私を責めないけれど、彼は初めから気づいている。しらを切り通してみても、かないっこない。私は、できる限り話そうと思った。
「本当はこの服、名前も知らない人に貰ったの。」
「買ったというのは?」
「あれはウソ…。
でも水に落ちて服が濡れちゃったのは本当で、そこでのこと誰にも言っちゃダメって言われてたから、貰ったとか言えなくて…。
まぁ、名前知らないからどっちにしろ言えないんだけど。
嘘ついてごめん。」
「わかった。
貰ったならそれでいい。」
「うん。
あの、ハル。もう怒ってない?」
こんな状態で怒っているという人なんていないだろうけど。わかりにくいハルには、つい確認したくなる。
「怒ってない。」
「えっと、まだ聞きたいことがあるなら話すよ。
その、話せるところまで、だけど…。」
「いい。」
それからしばらくの間、私たちはお互いに黙ったまま帰り道を歩いた。
リビエラやギルとは別次元の雰囲気を漂わせるハルと、私はどんな話をすればいいのか全然わからない。
…何か聞こえる。
辺りで数人がヒソヒソ囁いているような気配。
場所はちょうど、ひらけた林のようなあの道。今朝リビエラが教えてくれた、ピクシーたちの林だった。これは、彼らの声?
『ちょっと、見てごらんよ。』
『ほら、見てごらんよ。』
『あれ、あの子じゃない?』
『本当だ、またあの子。』
『一昨日の夜のあの子ね。』
『違うよ、今朝のあの子だよ。』
『あの子?妖精なの?』
『まさか!あんなブサイク、妖精のはずがないじゃない。』
ブサイク?それって私のこと?
姿は見えないのに、会話だけが聞こえてくる。そして明らかに、声の数が増えていく。
ザワザワと騒々しい。
『あんなブサイク、どう見たって人間じゃないか。』
『どうしてあんな子が着ているの?』
着ている?私が着ているこの服のこと?
『本当ね、どうしてかしら?』
『あんな子が着ているなんて。』
『許せないわね。』
『本当に、許せないわね。』
『剥ぎ取ってやろう。』
え?剥ぎ取る?私の服を?
『いいね、剥ぎ取ってやろう。』
「走るぞ、ララ。」
突然、ハルが叫んだ。
「えっ?なに?ちょっと待って!」
「いいから走れ!」
「えっ?痛っ!」
林の奥から小石が飛んできた。
「痛いっ!」
容赦なく、次々に飛んでくる。
私は突然のことにわけが分からず、とにかく走り出した。
『逃げるわよ!』
『引き留めろ!』
服の裾を、何かがグイと引っ張った。『刻の水底』で掴まれたあの感触と恐怖が甦り、全身に鳥肌が立つ。怖くて、目をやることもできない。
「林を抜けるまで止まるな!」
「わかった!」
『待ちなさいよ!』
『生意気な人間め!』
ピクシーたちは、怒りをあらわにして騒ぎ立てた。
(なんで?どうして怒るの?)
走りながら、心の中でそう叫んでいた。
ここは何度も通っているのに、なぜだろう。ピクシーたちは、今までになく怒っている。
今日は本当に、逃げたり走ったりしてばかりだ。
追われるって、絶対に精神的に良くない。体力に自信があっても、心のほうが折れそうになる。
「わっ!」
命からがら林を抜けた途端、身体が軽くなり、私は転びそうになった。
「ブサイクって。」
後ろを振り返りながら、私が最初に発したのはそれだった。
「私のこと、ブサイクって。」
息を切らしながら、繰り返す。
勿論そこに異論はないけれども…。
乙女心は傷つく。
「ピクシーにはピクシーなりの美意識があるからな…。」
「何それ…。」
否定も肯定もしないハルの微妙な言い回しに、とどめの一撃を受けた気がした。
「ピクシーたちの声が聞こえていたのか。」
「あの林は何度も通っているけど、さっき初めて聞いた。
皆、私にすごく怒ってた。なんで?」
「その服が、妖精界の素材で作られているからだ。」
「妖精界?この服、着ちゃ駄目なの?」
「駄目じゃない。」
「じゃ、なんで?」
「ピクシーは妖精じゃないが、分類としては妖精界に属するピクシー族。
精霊の一種だ。
彼らは妖精を愛し、人間を自分たちよりも下位の存在とみなしている。
妖精界の物を縁もゆかりもない普通の人間があからさまに身につけているのは、彼らにとってはゆゆしきこと。
誰が着ても良いというわけではないんだろうよ。」
「そうなの?
どうしよう、私、ピクシーたちを怒らせた…。」
ここは町へと繋がる一本道。ピクシーの怒りを買ってしまっては、明日からどこにも行けない。
「ピクシーはあの林からは出ない。
心配するな。
彼らのことは明日リビエラに何とかさせる。」
「リビエラに?」
ハルの言葉に、私はモヤッとした感情が生まれたのを感じた。
「ああ。」
私はこの世界に来てから、リビエラに迷惑をかけ通しだ。
(私ってば、どこに行っても同じ…。)
学校でもそうだった。
慣れない寮生活と環境とはいえ、入学当初からキャスに助けられてばかりいた。
以来、たいていの場合面倒ごとを作るのは自分で、笑顔で後始末するのはキャス。
そしてここでは、リビエラ。
私は、まったく成長していない。
『あんな面倒な子、オークションにかけて売っちゃえば?』
うんざりしたリビエラの声が聞こえた気がした。
「行くぞ。」
素っ気ないハルの声が耳を通り抜ける。
木々の向こうに見えるイーリーベルの灯りに向かうハルの背中が、なぜか離れていく。
私は前に進むどころか、ジリジリと後退りしていた。
「あの、私、やっぱり話してくる!先に帰ってて!」
私は叫ぶと、林に向かった。
いいかげん、自分で何とかしなくちゃ。
リビエラは、ピクシーは恥ずかしがり屋だと言っていた。いつか声が聞こえるようになって、姿を見せてくれるようになるって。だからちゃんと話せば、彼らはきっとわかってくれる。
「やめろ、ララ!」
地面を蹴っていた足が空を蹴り、身体がフワリと浮いた。
「えっ?ちょっ、なにっ?」
宙に浮いたまま、真逆の方向に引き戻される。ハルの魔法だ。
「降ろして!ハル!」
私は地上に降りようと、手足をばたつかせた。
「駄目だ。」
「ピクシーたちにちゃんと説明したいの!」
私は自分の意思とは無関係に、あっという間にハルのもとに引き寄せられた。
同じ高さに、目線が合う。
「彼らは、ララの言葉に耳をかさない。」
「そんなこと、やってみなきゃわからない。」
「やらなくてもわかる。
臆病なピクシーと対話するには、信頼関係が重要だ。
昨日今日やって来た人間に、彼らは心を開かない。」
「リビエラに、これ以上迷惑を掛けたくないの。」
「あいつへの気遣いは無用だ。
お前のためなら喜んでピクシーを説得する。
そのためにも、これ以上話をこじらせるのは良くない。」
「でもっ!」
「でも、なに?
オレを納得させられるような、具体的な策でもあるのか?」
ハルの目力に、圧倒される。
「でも、でも今日は違うかもしれない…!」
私は、駄々をこねる子どものような下手な言い訳しか返せなかった。
「今お前にできることは何もない。
大人しく家に戻れ。」
ハルの口調は、緩むことなく厳しい。
また、彼を怒らせた気がする。
「…わかった。
林にはいかない。
降ろして。」
私は、抵抗するのを諦めた。
足がゆっくりと地上につく。
「帰るぞ。オレは寒い。」
イーリーベルに灯された玄関の灯りが、すぐそこに見えた。
今日は逃げて走って迷い込んで、何もわからないままいろんな人に助けられた。そうしてまた、この場所に立っている。
私はこの世界において、赤ん坊並みに無知で無力だ。
わかったことは、この世界のことを何も知らないということだけ。
『無知とは残酷』とはこのことかと、今さらながらオルランドの言葉が胸に刺さる。
今お前にできることは何もない―。
ハルが言ったことは、今に始まったことじゃない。
これまではいつもそばに手を引いてくれる人がいて、私はそれに甘えてきた。
もしも人間の種類を『できる』者と『できない』者に分けるとするなら、私はいつも後者。
でも、変わりたい。
ギルと一緒にリアフェスに帰りたいと心の底から感情が湧いてきたあの時みたいに。
何かを変えたい。自分の力で、できるようになりたい。
私はコートの胸元をギュッと掴むと、ハルの背を追った。
シルキィが玄関口で私たちを待っていた。




