2-7.胎動
「戻ろう、俺たちも。」
別れの余韻も早々に、ギルが箒を取り出して言った。
「うん。」
私は、気合を入れて大きく息を吸った。次にやるべきは、ここから出ること。
向かうのは、私たちが最初に通り抜けて来た『刻の水底』。
「あなた、ウィザードだったのね。」
私は、箒の後ろからギルに話しかけた。
「いいや。」
「え?」
「俺は、あいつらが大嫌いだ。
こんなダサい乗り物、乗っていいと言われたって乗りたくないね。
もう猫被る必要がないから言うけど、今はララを運ぶために使っているだけ。」
ギルの声には、とげがあった。言葉の端々に、ウィザードへの壮大な嫌悪を感じる。
「でも、魔法はすごかったわ。」
「おや、それはどうも。
その辺の奴らには負けない自信はあるよ。」
そう言って薄い笑みを浮かべるギルの表情は、自信に満ちていた。
彼は軽口で人あたり良さそうに見えて、実は自分のことをあまり語らない。
これまでのことは謝罪してくれたけれど、本当の理由には触れないし、刻の水鏡で起きたことも何も話してくれない。教養と育ちの良さを感じさせる言動の一方で、彼の心の奥深いところに、暗く歪んだものが見え隠れする。
「能力といえば、ララの力も大したものだよ。
黒妖犬と意思の疎通ができるんだから。」
「え?あ、そう?」
私はギルに褒められて、少し焦った。本当は違うと言いたかったけれど、彼に正直に話すことが正しいことなのか、判断できなかった。どこまで信用していいのか測れないから、言葉を濁す。
ギルが褒めてくれた能力は、どちらも私に最初から備わっていたものじゃない。言葉がわかるのは自称偉大な魔法使いオルランドのおかげだし、黒妖犬と意思の疎通ができたのは、湖の水を飲んだから。
何気ない発言のせいでエトラだとバレてしまった時のように、余計なことを言って墓穴を掘りたくなかった。
だから私たちは、まるで不可侵領域のようにお互いの核心には触れなかった。
それでもギルは私をここに引き込んだことを申し訳なく感じているらしく、絶対に私を連れて帰ると息巻いている。その言葉に、嘘はないと信じたい。
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薄雲がかかった空色の、この無限に続くかのように錯覚する世界を箒は飛行する。そしてどこに刻の水底があるかというと、あまり神経質になる必要はないとカリガリアンは言っていた。つまり、付近まで行くと、相手の方から出迎えてくれる。
相手というのは、番人と呼ばれるあの首なしの騎士。
背の低い半円の塔の壁から勢いよく水を吐き出す浮島、刻の水底。その水を受けるように半円に沿って作られた、人工の白亜の水場。
水場の正面は土の広場になっていて、茂みのような森の入り口へと続く。
その真上に、馬にまたがってこちらを見定めている首なしの騎士がいた。
「ぬがはははっ。
戻って来たか!
待ちくたびれたぞ!」
首なし騎士のそばで、どす黒い緑の生首が叫んだ。
彼らは、二つで一人。騎士は剣を振り回して私たちを荒々しく歓迎し(全然嬉しくないけど)、生首は興奮して甲高い笑い声を発する。
待ちに待った、狩りの時間だ!と首がときの声をあげた。
彼らは、ここを通る者の首を狩ること、つまりは自分と同じような姿にしてしまうことを何よりの娯楽にしていた。
「いざ、参るっ!」
騎士は馬を蹴り、向かってきた。そして容赦なくギルを狙い撃ちする。ギルは硬化させたステッキで応戦し、金属の打ち合う音が響いた。私を庇いながら戦うから、ギルの方が圧倒的に分が悪い。
「きゃっ。」
生首が勢いよくぶつかって来て、私はバランスを崩した。
衝撃で手が離れ、箒から身体が滑り落ちる。
世界が一瞬、コマ送りのようにゆっくりと動き、次の瞬間私は真っ逆さまに島に落下した。
ああ、やっぱり私はここで終わりだ。
ごめん、キャス。
ごめん、リビエラ。
私は潔く諦めた。ギルの足手まといになるくらいなら、ここで落ちたほうがいい。
空を切る音が耳をかすめ、重力に引き寄せられる。
「ララ!」
ギルの叫びと生首の奇声が聞こえた。
ピタリ。
ガクンと体が揺れ、地面すれすれ地上五センチのところで停止。
「飛び込め!」
ギルの声に、固く閉じていた目を開けた。高い空が見える。まだ生きてる。
応戦しながら、彼が何か叫んでいた。
「急げ!ララ!」
「ギィーッ!」
悔しそうに叫ぶ生首の声は、壊れたドアみたいな不快な音だった。私は立ち上がって数メートル先に見える水場をとらえた。
あそこまで行けば、リアフェスに帰れる。
「刻の水底!」
水面に向かってそう叫ぶと、一部がグニャリと歪み始めた。ここに飛び込めば、ウィッスルのフィアルーの霊廟に戻れる。心に、希望の光が差し込んだ気がした。
「ギル!早く!」
私はギルに向かって叫んだ。
「俺のことは、いいからっ!」
ギルが上空から叫ぶ。彼は、すぐに来られそうな様子ではなかった。
早く飛び込みたい気持ちと、ギルを待ちたい気持ちがはやり、私の視線は歪む水面とギルを何度も往復した。
そして小さな疑問が浮かぶ。
ここで彼の言葉通り飛び込んで、境界が消えてしまったらどうなるんだろう。
ここまで来て、自分だけが助かるなんて後味の悪いことが、小心者の私にできるはずがなかった。
ウィスキーボンボンを持って帰らなきゃ。キャスの命だってかかってる。こたえは、一つしかない。
私は、上空でわめいている気色悪い生首を見た。
騎士のそばを浮遊し、ギルにまとわりつきながら苛立っているのがわかる。そしてふと、なぜ私を襲って来ないのか気になった。
(来ないんじゃなくて、来られない?)
首なしの騎士と生首は一定の距離を離れられない。だからギルは、彼らを地上に降ろさないようにしている。そう考えれば、つじつまが合う。
「一人では帰らない!」
私はギルに向かって叫んだ。
たとえそれが、彼の善意に仇なすことだとしても、絶対に、一人では帰れない。
こっちを見たギルが、私に向けてステッキから何かを放った。
私は、反射的に腕で顔を庇う。
「ぎゃっ。」
すぐそばで、鈍い悲鳴がした。
それは、最初にここに来た時に私たちを襲ってきた、人型の黒い影だった。森の中から、低い位置を漂いながら次々と出てくる。
上にいるギルからは、よく見えていた。
「あっ。」
油断した隙に足首をグイと掴まれ、私はバランスを崩して地面に倒れた。続いて何本もの手が私の足を掴み、体温のないその感触にゾッとした。
ズズッ、ズズズッ…
森に向かって、少しずつ引きずられる。あそこに引き込まれたら終わりだと、本能が感じる。
漂ってくる黒い死の気配に、肌がピリピリした。
何とかしなければと頭ではわかっているものの、地面にできる指跡が伸びていくばかり。恐怖と焦りで、どうしていいのかわからない。
”うまく使え。”
突然、カリガリアンの声が聞こえた。
(そうだ、ベール…。)
私は、斜め掛けにしていたカバンを手繰り寄せ、中から自称偉大な魔法使いオルランドに貰ったベールを取り出した。
リアフェスに初めて来た晩、サウィーンの夜に彼が頭にかけてくれた純白のベール。魔性を遠ざけるという、不思議なベール。
「えいっ。」
私は、足元の黒い影に向かってベールを力いっぱい振り回した。
驚いたことに、影たちはベールの気配におののいて掴んでいた手を一斉に離した。火の粉を散らすように、ブワッと距離を取る。
「わぉ。すっごい威力?」
「生意気め。」
だみ声が背後に聞こえて、殺気が背中を撫でた。
振り返ると、真後ろで生首が口を大きく開けていた。私は、とっさに身構える。首や顔を噛まれるくらいなら、腕のほうがいい。
「ガガッ。」
生首が変な声を出して転がった。
確かに、腕に触れた感触はあったのだけれど、傷みがない。
何が起きたのか、わからなかった。
「…。」
「お前…。」
転がる生首が辛うじて声を絞り出した時、カシャンとステッキが落ちる音がした。
地上で、ギルが首なしの騎士に首を締めあげられていた。
(ああ、思い出した。あの続き。あれは、聖書の一節。)
『求めよ さらば与えられん』
私の身体は、勝手に動いていた。何をするべきか、潜在意識は理解している。
『尋ねよ さらば見出さん』
私はベールで生首を包み、持ち上げた。人の頭部は五キロくらいあるらしい。腕にズシリとかかる重さに、自分がまだ生きていることを実感した。
『門を叩け さらば開かれん』
私は馬に向かって走ると、生首を砲丸投げのように振り回して馬の腹に打ち付けた。馬に罪はないけれど、それが確実だと思った。
『全て求るものには与えられ 尋ねる者は見出し 門をたたく者は開かれる』
馬がいななき、騎士はバランスを崩した。
ギルがむせながら地面に着地する。
人の生死や命運を分けるものってなんだろう。
宿命、時の悪戯、神様の気まぐれ。きっとどれもあるに違いない。どうしたって抗えない、人智を超えた超自然的な力というのは存在すると思うから。
だけどもっと身近で、本能に即した原始的なものが、何かを変えることもある。それは、生きようとする強い意志。助けたい、守りたいと願う強い欲望。
「願い」じゃなくて「欲望」だと思う。
私を連れて帰ると言ってくれたギルの言葉に、嘘はなかった。
そして私は、身を挺して私を守ってくれた彼と一緒にリアフェスに戻りたいのだと心から欲した。
私は、咳き込んでうずくまるギルの腕を掴んだ。
そして水場に向かって共に一心に走り、飛び込んだ。




