2-5.籠鳥
求めよ さらば与えられん
真っ暗闇の中で、言葉が響いた。
求めよ さらば与えられん
この一節、良く知っている。ああこれは、この続きは何だっけ。
確か…確か…。んー…。あれ、なんだっけ?
パチリ
目を開けると、きらびやかな金色の円形天井があった。教会のドーム型の丸天井と、形がよく似ている。
(ここは天国?…いやいや、それにしては装飾もないし愛想がない。これが天国なら、ちょっと拍子抜けだわ。)
私は妙に冷静に思考しつつ、次に、金色の丸天井から延びた同色の線をツツツと下方にたどった。それらは三百六十度、ぐるりと放射状に下に伸びている。
ここはがらんとした、格子に囲まれた部屋。その向こうにいくつか色やモノが見えるけれど、それらが何なのかよくわからない。天国というより、殺風景な金色の牢獄。
(ここは、どこなんだろう?)
ベッドの中にいた私は、自分の身体を確認した。五体満足、怪我はない。たぶんまだ、死んでいない。自分の名前も、ちゃんと覚えている。
そしてゆっくり起き上がると、床に足をおろした。
(まったく、目を覚ますたびに違う場所にいるという設定は勘弁してほしいわ。)
ほんの数日前まで、目の前で起こることにあれほど動揺していたのに、今じゃこの程度ではびくともしない。我ながら、自分の適応能力の高さに感心する。
(ギルは…どこだろう…。)
私は、格子まで歩いた。白い床は、裸足で歩くとヒタヒタ冷たい音がする。
格子を掴み、顔をグッと近づけて外界を眺める。目に映るものには、違和感しかない。
ここがどこなのか見当もつかないけれど、天国でも地獄でもないなら、どうやら命拾いしたらしい。
火口の渦に巻き込まれてギルと離れ離れになった時、私は絶対にもう終わりだと思ったのに。
(そうだ!ザムのウィスキーボンボン!)
ふいに、一番重要なことを思い出した。キャスを粉砕から守るための大切な貢ぎ物。ウィスキーボンボン五箱と私のお土産。あれは、ギルの帽子の中にある。勿論、私はギルがいなきゃこのへんてこりんな世界から抜け出す方法すらわからないけれど、チョコを持って帰らなきゃウィッスルに来た意味がない。
「どうしよう。ギルを見つけないきゃ…。」
(でも、どうやって?)
掴んだ金色の格子は、当たり前だけどびくともしなかった。
(だよね…。)
どうしてこうなるんだろう。チョコを買いに来ただけなのに、おかしな世界に入り込んで、怖いものに追いかけられて、挙句に金色の牢屋に閉じ込められてしまった。
(もう、無理かも。キャス、ごめんね。)
そうよ、別にそれでいいのよ。私が死んでキャスが元に戻れないままでも、世界は淡々と続いていく。
私は、宙を見つめた。
何が、人の生死や命運を分けるんだろう?って思うことがある。
宿命、時の悪戯、神様の気まぐれ。
『貴方にはまだやるべきことがると神様がおっしゃっているからよ。』なんて言う人もいるけれど、それは人間側から見た肯定的な結果論。あるいは、神様に終了宣言された暁には自分の意思とは無関係に全てが終わるということ。
神様がいるかどうかなんて知ったこっちゃないけど、これは詰んでる。
「気分はどう?」
「きゃっ。」
絶賛落ち込み中の私の背後から、声がした。私は情けない声をあげ、その拍子に尻もちをついた。
こういう不意打ちには、まだまだ適応不足。
振り向くと、格子の向こうにこちらを覗き込む大きな目が見えた。いいや、目だけじゃない。声の主は巨人のように大きく、私は手乗りインコみたいに小さくなっていた。
「開けてあげよう。
出ておいで。」
澄んだ、邪気のない声だった。もしも天使とか妖精がいたなら、こんな感じじゃないだろうかと思えるくらい。
カシャリ
目の前で、格子の小窓が静かに開く。
「さぁ、おいで。」
(外に出られる!)
キャスなら歓声を上げて、もっと堂々と出るところだろうけれど、残念なことに私は、そういう無邪気な感性を持ち合わせていない。
あたりの様子を伺いながら、ゆっくりと顔を出し、差し出された色白の綺麗な掌に足を踏み出した。
足を乗せたとたんにギュッと握りつぶされたらどうしようかと内心びくびくしていたのだけれど、神々しくなめらかな手は、とても優しかった。
そして私は見る間に、その巨人と同じ大きさになって床に立っていた。
背後には吊り下げられた金色の鳥籠。中には小さなベッドがある。
「うーん…。思った通り。
よく似合うねぇ。」
美しいその人は、ソファに腰かけて満足そうに微笑んでいた。
胸元が開いた、ゆったりとした上質の衣をまとい、輝く絹のような長い髪が肩を流れている。
女性とも男性とも見える中性的な身体から延びた腕。顎もとにあてた形のいい手。創造神と美の神に祝福されたその姿は、この世のもとは思えないほど麗しく、醸し出される色香に頭がぼんやりした。
彼の仕草に合わせて、床に届きそうなほど長く連なった耳飾りがシャラと軽く鳴り、私は我に返って、自分が真新しい服を着ていることに気がついた。
下は細身のパンツとブーツ、上は腰がすっかり隠れる丈のチュニック。前身ごろは裾にむけて、重なったチューリップの花びら見たいなカットになっている。縁から立ち上るように縦にきれいな模様があって、色は私好み。
「見てごらんよ、フィー。
やはり私の見立てに間違いはないよ。
ねぇ、フィー?」
彼は、背後にある別のソファに向かって、甘えるように何度も話しかけた。
「うるさい。」
抑揚のない声と何かが勢いよく飛んできた。
ベシッ
麗しのお方がヒョイと避けたその何かは、私のおでこに命中。
「いっ…たぁ。」
床にコロコロと可愛らしく転がり落ちたのは、毒々しいほど濃いピンク色をした小さなスナック菓子。
「ねぇ。趣味の悪い覗き見は、もうやめたらどうだい。」
「邪魔をするな、居候。」
例の菓子が、今度は豆まきの豆みたいに勢いよく、飛んできた。
次は、私もうまく避ける。二度もくらうなんて、どんくさいことはしない。こう見えて、運動神経には自信がある。飛んでくるピンクをリズムよくかわしながら、声の主が見たくてソファに近づいた。
そして立派なソファの向こうに見えたのは、少女の頭。彼女はそこに埋もれるように座っていて、ホログラムを前にピンク色の菓子を食べていた。
「ん?…えっ!ギル?」
思わずソファの縁を掴み、私は前のめりになって叫んだ。
ブワシッ
「わっ。」
大量のスナックが、顔面に命中。
「耳元で叫ぶな。全くお前たちは…。」
「ご、ごめんなさい。」
相手は小さな女の子なのに、まるで大人に怒られているみたい。
麗しのお方がクスクスと笑う。
「あ、あのう。どうして私はここに?」
私は、毒々しいお菓子を飛ばさない方にたずねた。
見てごらん。
そう言わんとして、彼は私の視線をホログラムへと促す。
汚れた服に、体中にできた擦り傷、滲んだ血。弱々しい足取りで懸命に立つ、満身創痍のギルがいた。
「刻の水鏡だよ。」
それは『かつて生きた者』の記憶に会える場所。私を道連れに無理やり火口に飛び込んだギルは、どうやらたどり着いていたらしい。
鏡のような、水面のような、あるいは氷の表面のようにも見えるまばゆく反射するものが、広い岩の洞窟の中のあちこちに見える。ギルはその空間のほぼ真ん中にいて、私には見えない何かを凝視していた。
「あの衝撃の後で二本足で立っていられるというのは、なかなか悪運が強い。
腕に自信があるのか愚かなのか、彼の行動は、少々乱暴なところがあるねぇ。」
穏やかな口調。だけど冷たい声。麗しのお方はギルに対して怒っているのだと感じた。
「あんな強引な降り方をするからだ。
先達の遺したものをないがしろにしている証拠だな。ふんっ。」
少女の口調は、麗しのお方よりももっとあからさまで、手厳しい。
「私が助けてあげなかったら、君は岩に激突してバラバラの肉塊となっていたよ。
その服、気に入った?ララ。」
極限まで薄く削られた金属のような、美しい連なりの耳飾りがシャラと鳴る。優しくて、とても心地いい。
「あ、はい。かわいい。」
可愛いだけじゃなく、肌触りも心地良くて、おまけに驚くほど軽い。
「だよねぇ。」
そう言うと、彼はホログラムに背を向けた。侵入者の姿を高見から見物するなど、趣味が悪すぎると言う。
だけど、少女はそんな意見に耳をかさない。まずそうなスナックを口に運びつつ、鑑賞している。
たしかに、趣味が良いとは言えないと私も思う。
「なかなか骨のある男だ。だが…。」
少女は、まんざらでもない様子でギルを評価した。
途切れた言葉のその先が、気になる。
「だが?」
「あヤツが求めるものは得られん。」
「なぜ?」
「なぜ…。」
少女は私を見上げた。
神秘的なアースカラーの瞳。知性の深さを語る、深淵な眼差し。
「死んでいないからだよ。
あヤツの求める人間が。」
淡々と菓子を口に放り込む。
「それは、滑稽だねぇ。」
麗しのお方は背を向けたまま、愉快そうに口をはさんだ。
「それはつまり、ギルが死んでいると思っていた人物は、まだ生きているということ?」
「刻の水鏡は、死んでいない者の記憶を見ることはできないからな。」
「ギル…。」
私は、ホログラムの中のギルに同情した。
危険を冒してやって来た場所に、求めていた答えがなかったなんて。どんなにか落胆しているだろう。私を騙してこんなへんてこな世界に連れてきたのは許しがたいけれど、どうしても行きたいところがあると言った彼の、大きな決意を秘めた悲しそうな横顔は忘れられない。
「さて。」
少女はホログラムを消した。
「お前の処遇を考えねばな。」
身長は百五十センチ足らず。年は十二、三歳の頃の少女に正面切って言われると、あらためて少女とは思えない貫禄と言葉遣いに驚かされる。
「リアフェスに送り帰してあげよう。
そういう意味だよねぇ?フィー。」
麗しのお方が優しく口添えする。私にはこの二人の関係が、いまいちよくわからない。
「えっと…それよりもギルは?」
「あの男にここまで戻る力は残っていない。
放っておけば風化する。
問題ない。」
(昇華できない魂は、黒い影になるだけだ。別に珍しいことではない。)
「問題ない?ってそんな!
ギルはまだ死んでない。
一緒に帰らなきゃ。お願い。」
助けて。
情けない話だけれど、空を飛んでギルのもとに駆け付けることもできない。傷を癒すこともできない無力な私は、私を助けてくれたこの二人に訴えることしかできなかった。
「一つ、教えてやろう。」
彼女の厳しい眼差しが、冷たく光った。
立場を理解できない者には、はっきりと言葉で示さなければならない。そう語る、強い瞳。
「私の許可なくこの世界に入ったものを侵入者と呼ぶ。
私は侵入者には手を貸さない。
お前も侵入者であるが、この居候が勝手に拾ってきた。
無駄に長生きしたのは同情する。
しかし、お前をどうこうするつもりはない。
ここから出ていけ。」
「ひどい…。
まだ息があるのに見捨てるなんて。」
自分のことよりも、ギルに対しての血も涙もない言いぐさが耐えられなかった。
無駄に正義感と反抗心が沸き上がって、感情が高ぶる。
「男の心配より自分の心配をしたらどうだ、小娘。」
幼い容姿と無慈悲な言葉が、恐ろしいほどにアンバランスだった。何か言って抵抗しなければと思うのに、彼女の内側から放たれる威圧感に圧倒される。
現実は、彼女の言う通り。私は文句を言うだけで何もできない。
唇をかみしめていると、麗しのお方が声をかけた。
「さあ、行こう。ララ。」
「行くってどこへ?
ギルを助けてくれる?」
私は、麗しのお方にすがった。袖振り合うも多生の縁。私に親切にしてくれた人を、やっぱり簡単に諦めたくない。このままでは心がおさまらない。絶対にギルが夢に出てくる。
「あの考えなしの男は、君をだましてこの世界に引き入れたのだよ。
他者の命より、自分の欲望を優先させた。
目的のために手段を選ばない人間を、私は助けたくないなぁ。」
麗しのお方は穏やかだったけれど、その言葉には、自分の価値観にそぐわないと判断したものを断罪するような、乾いた響きがした。
「そんなことない!ウィッスルで私を助けてくれたし、さっきも溺れそうだった私を引き上げてくれた。
悪い人じゃない。
ギルを助けて。
きっと事情があるのよ。」
麗しのお方は、火口の渦に巻き込まれて危うく死ぬところだった私を助けてくれた。毒々しいピンクの菓子をほおばる少女は、察するにこの世界の支配者のような権限を持っている。つまり彼らは、この世界の人間を簡単に助けたり切り捨てたりできる、特別な力を持っている。
私には二人が悪い人だとは思えないけれど、他人を簡単に取捨選択するところは納得がいかない。私の中の奥深くにある、私を形作る何かが、それではいけないと訴えてくる。
使える力があるのなら、もっと有効に使いなさいよ。それが、持つ者の役割じゃないの?
「君をリアフェスに戻す。
私がしたいことは、それだけなんだけれどねぇ。」
「お願い。
私はギルと一緒に帰らなきゃ。
あの帽子の中には、ウィスキーボンボンが入っているんだから!」
「ウィスキーボンボ…なんだそれは?」
冷徹な少女の目が、点になっていた。
「チョ、チョコレートの中にお酒が入った美味しいお菓子よ。」
「菓子とな。」
「そう。
あれを今日中に届けないと、私の友だちが粉々にされちゃうの。」
実は、テンタシオンのウィスキーボンボンを買えたのは、私が最後の一人だった。もう一足手に取るのが遅かったら買いそびれていたという事実。
今日中にグリンザムに届けなければならないのだから、買いなおしもできない。
「お前は、男の命よりも菓子が大事だというのか。」
「ちっ、違う!
もちろん人の命。
だけど、ギルの帽子の中の物には私の友だちの命がかかってる。
今日中にそれを届けないと、石になった友だちが粉々にされてしまうの。」
「ウィスキーボンボンねぇ。
誰ぞが所望するほどの菓子。
さぞかし美味なのだろうねぇ。
フィーは、興味ないかい?」
麗しのお方が愉しそうに少女にささやいた。
「お願い、ギルを連れ戻して。
助けてくれたら、あなたに一箱あげる。」
「そうだねぇ。
あの男を助けることで君が助かるなら、そこまでの手助けはしてあげよう。
いいよねぇ、フィー?」
少女は目を伏せると、一呼吸の後に何も言わず指をパチンと鳴らした。
「その扉を出たところで待っていろ。
使いを送る。」
「ありがとう!この恩は絶対に忘れない!」
私はかばんを掴むと、急いでドアノブに手を掛けた。そうしないと、少女の気が変わってしまうんじゃないかと思った。
------------------------
「なぜ、あのムスメに肩入れする?」
消える扉を背に、少女がたずねた。彼女には、掴みどころのないこの男がただ菓子に興味を持っているだけとは思えなかった。
「んー…。
フィーは気がついたかい。
あの娘のカバンの中身。」
「ああ。」
「あれは、オルランドの小物。
なぜ、あの娘が持っているんだろうねぇ?」
オルランド・プランタナ。まだ生きていたか。
少女はそう考えたが口にはしなかった。
「ふふっ。気になるじゃあないか。
彼が目をかけた娘だよ。
フィーだって、そうだろう?」
麗しのお方は目を細め、静かに微笑んだ。その柔らかな表情は、まるでこれから起こるであろう何かを、密かに楽しんでいるようだった。
「名もなき男が息だえて風化しようが助かろうが、私には大したことではない。」
「そこじゃぁないよ。
フィーも、あの娘に何かしただろう?」
あえてちぐはぐな回答をする少女に、麗しのお方は軽くウィンクした。彼女が甘党でないことは、むろん知っている。
「結局、君は忠実で優しいんだよ。
だから、こんな世界で籠の中の鳥みたいな暮らしをしている。
本当に、困った子だ。」
麗しのお方はそう言うと、親愛の情をもって少女の頬に自分の頬を近づけた。
「お前も、似たようなものじゃないか。」
少女は、プイと顔をそむける。
「私は、人間じゃないからねぇ。」
「わかっているなら私に説教せず、さっさと自分の世界に戻れ。
居候が。」
「んー。
もう少し居ようかねぇ。
ここは居心地がいい。」
彼は長く連なる美しい耳飾りををシャラと鳴らしながら、愉しそうに微笑んだ。




