幕間の物語 哀川・妹編
とある日曜日。
哀川圭の妹、哀川真澄はキッチンで昼食の準備をしていた。リビングでは息子と姉である圭がマリオンカートというレーシングゲームで戦っている。
「お昼ご飯できたよ! はい、ゲームはおしまい!」
真澄はテーブルにカレーを並べながら、ハキハキとした声で二人に告げた。真澄が画面を見ると、丁度ゲームが終わった所のようである。息子の操作する1P側の画面に、金色の1位という文字が輝いていた。
「お姉……別に子供相手だからって、手加減する必要はないのよ?」
真澄は勝負事において、相手が例え6歳の息子だろうと手を抜いた事はなかった。強い方が勝つ……弱い方は勝てない。そういう教育理念を持っている。
だが声を掛けられた姉、圭は微動だにしない。
「……お姉?」
不審に思った真澄は回り込み、その顔を覗く。
「あ、ああごめんなさい。今そっちに行くわ」
「お姉まさか……」
「い、言わないで……」
酷く青ざめた圭の顔を見て、妹・真澄は確信する。
(まさか、一切手加減しなかったのに、6歳児に負けた!?)
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「それにしても、流石真澄の子供よね。ゲームが鬼のように強かったわ」
昼食後。遊び疲れたのか、息子が昼寝を始めたので、姉妹二人でコーヒーを飲みながら、のんびりと雑談をしていた。6歳児にまさかの敗北を喫した圭は落ち着きを取り戻している。
「昔から上手だったわよね? ろくよんのマリオンカートでも貴方に勝った記憶がないわ」
「ま、私天才だったからね」
昔から不器用な圭に比べ、真澄は恐ろしい程に出来のよい娘だった。圭は妹に何かで勝ったという記憶が殆ど無かった。
「羨ましいわ。私ももう少しゲームが上手だったら、みんなの役に立てるんだけど」
「それって今やってるGOOの話?」
「ええ。とっても楽しいんだけど、ほら、私ゲーム下手っぴじゃない? だからみんなに内心呆れられてないか、不安なのよね」
実際は内心恐れられている。
「ま、お姉のゲーム下手は筋金入りだからねぇ」
真澄は姉が下手すぎて他のプレイヤー達に引かれている様を想像する。実際は強すぎて引かれている時がある。
「でも、新しい友達が出来たんでしょ?」
「ええ。真澄より年下だけど、尊敬できる良い子達なの」
「なら、良かった。上手い下手より、そっちの方が大事だって」
そう言うと、姉である圭は嬉しそうにコーヒーをすすった。その様子が本当に楽しそうで……真澄は思わず口を開いた。
「あーあ。私もVRMMOやりたいなー」
「やってみれば? 機材はあるんでしょ?」
真澄は以前、旦那と二人で一緒に始めようと計画していた事があった。だが子供がいる以上、どっちかがついていなくてはならず……。結局、旅行系のソフト以外には手を出していなかった。
「やりたいけど、この子がねぇ。まだまだ目離せないし」
「お願いすれば、旦那さんが見ててくれるでしょ?」
「まぁ、アイツは見ててくれるよ? でもアイツに面倒見させて、私だけ遊ぶってのもねぇ?」
「確かに気が引けるわね」
「交互にやるってのも違うじゃない? 絶対一緒にやった方が楽しいし」
もうちょっと息子が大きくなってからだねーとソファーに倒れる真澄。
「楽しみね。貴方に似てゲーム上手だから、きっとすぐ一番になれるわ。無敵よ」
「無敵ねぇ。無敵って私はどうかと思うんだよ」
「え、どういうこと?」
「私はね、子供には適度に負ける経験ってのが必要だと思ってる」
「そうかしら?」
「そうよ。ほら、この子四月生まれじゃない?」
「ええ。それがどうかした?」
「四月生まれって、同じ学年の中でも、一番長く生きてるの。四月入学の日本において、四月生まれってのは、人生でかなり有利な訳」
例えばプロサッカー選手は、4月生まれの選手が一番多く、逆に三月生まれの選手が一番少ない。誕生日が早くなれば早くなるほど、同学年内での体の成長は早くなる。その身体的アドバンテージは絶大で、幼少の頃より運動で活躍することが出来る。
小さい頃からの成功体験は大きな自信につながり、後の人生をより良くしていけるというものである。その他のスポーツにおいても、やはりプロの誕生日は4~6月が多い傾向にある。
「誕生日か……考えた事もなかったわ」
ちなみに圭の誕生日は3月である。今では長身の圭だが、背の順は小学校の上級生になるまで、ずっと前の方だった。
「結構重要なのよ? 例に漏れず、幼稚園じゃ背の順は一番後ろ。かけっこも負け無し」
「良いことじゃない……自慢の甥っ子だわ」
息子を褒められ、真澄も悪い気はしないが、それでも話を続ける。
「けどね。4月生まれが必ず人生で成功しているってデータはないの。思い出してお姉。私たち陸上やってたでしょ?」
「ええ」
圭も体を鍛える目的で高校まで陸上の短距離をやっていた。中学くらいまではそれなりの結果を出していたが、高校に入ってからは勉強に重きを置いた為、ほぼ趣味と化していた。
「なんで勉強に重きを置いたの? 進学の為だった? 違うんじゃない?」
妹に言われ、圭は思い出した。
「ああ、そういえば。高校に入ってから初めての大会で、レベルの高さに圧倒されて……」
やる気がなくなったのだ。つまり、心が折れた。三年間死ぬ気でやっても勝てない……そう思ったから、勉強に力を入れ始めた……それを思い出した。
「お姉はそうやって切り替えて、いい大学行ったからいいんだけど。その冷淡なくらいの切り替えの早さがお姉の強さだと思うけど」
「れ、冷淡……!?」
「けど、それで心が折れて、立ち直れない子だって大勢いる訳でしょ? 小学校、中学校、高校、大学。人生のステージが進む度、世界が広がる度、信じられないくらいスゴイ奴が沢山現れる。倒しても倒しても強い敵が現れる少年漫画みたいにね。人生は挫折の連続。避けられないわ。そんなときにね、また立ち上がれる強さを持った子に、なって欲しい訳よ」
「それが真澄の教育論なのね」
「どちらかというと精神論かな」
圭はそれでも負け無しの人生の方がいいのでは? と思っているが、甥っ子の母親は妹なので、そう深くは口出ししない。要は妹・真澄も、自分の息子がかなり出来る奴だと思っているのだろう。だからこそ、天狗にならず、上には上が居る……それを理解し、自分を高める努力を忘れないで欲しいと思っているのだ。
「だからこそお姉には、ゲームでくらい、軽く息子をひねり潰して欲しかったな~」
「あ、あれは違うのよ……アイテム運が……」
「むにゃむにゃ……ああ圭ちゃんまだ居た! 続きやろう!」
「あら、起きたのね! 水飲む?」
「いらなーい。ほら、早く早く」
「わかったわ。次は負けないわよ」
「よしっ、それじゃあ息子よ。今度は母も参戦するぞ」
「げぇ……」
「げぇ……」
「息子はわかるけどお姉まで嫌な顔しなくても……」
そしてこの後、圭は妹親子にずっとボコボコにされまくった。