仕事ばかりせずのんびり過ごすのも、時には必要なことなのです
上機嫌の妹に手をひかれるまま、魔獣に乗ってもいいんじゃないかな、と思われる距離を横断し、たどり着いたのは〈野いちご館〉だ。
魔王大祭で子供専用の祝宴会場として以降、妹がマストレーナやケ…………友人とのお茶会によく利用している、乙女チックな内装の屋敷である。
パステルカラーに彩られた苺の実と花の装飾をあちこちに施したのがその通称のはじまりだが、一時のつもりであったのが今ではすっかり定着した。
正直、少女趣味が苦手な俺にとっては居心地の悪さを感じさせる場所だが、妹はいたく気に入っているようだ。
しかし、今日、わざわざ〈野いちご館〉に移動するってことは、本番の明日ももちろんそこを利用するつもりなのだろう。もしやネネネセだけではなく、マストレーナ全員を招くとか?
たとえそうだとしても、今日、わざわざ本番さながらに、移動する必要はあるのだろうか。
「試食ぐらい、あのまま離れですませればよかったのに。それとも、明日は大規模なお茶会でも開くのか?」
「ふふふ――」
妹は両開きの正面玄関の前で手を離し、俺の問いかけに対していたずらっ子のような目つきで応じてきた。
「お兄さまはちょっとここで待っていてくださいな! 私とアレスディアが先に入るから、十秒待って入ってらしてね!」
妹は片方の扉を薄く開き、先に菓子置きを抱えたアレスディアを入館させる。
「絶対、絶対、帰っちゃ嫌ですわよ! ちゃんと待ってから入ってきてね!」
続いて、自分も顔だけ出しながら念押しするようにそう言うと、屋内に姿を消した。
……わけがわからない。俺だけ入っちゃ駄目って、どういうこと?
ここまで来て、一体何がしたいというのだろう。
〈野いちご館〉に、何か俺に見せたいものでもあるだとか?
待てよ。マーミルの、ここまでの一連の行動…………もしかして!
これからは本棟ではなく、〈野いちご館〉でお兄さまと離れて一人で暮らしたい、とか、そういうことじゃないだろうな?
俺と普段の生活区域を分けることで、一人暮らしでもしている気になれるとか、そんな風に思いこんで、「ほら、もう住めるようにしちゃった」と、住居として整えた〈野いちご館〉の内見会をさせられる、とかじゃないよね?
さっきのお菓子作りも「ほら、私も一人でお料理くらいできるようになりましたわ」ということで、自立の証明になるとでも考えて?
実際には万一、俺と生活の場を分けたところで、たくさんの侍女や侍従にお世話になるのだし、食事だって料理人に作ってもらうことになるだろうに!
はっ、まさか……俺が近くにいないほうが、ケルヴィスを部屋に呼びやすいとか、そういう……いやいやいや。妹はまだ、そんなことを考える年じゃないはずだ! いくら初恋を覚えたとはいえ、まだまだ子供なんだから!
しかし、自立心旺盛な年頃であることには違いない。
俺だって同じくらいの頃、家の近くの森で秘密基地を作ってみたりしたじゃないか。……結局、自分一人っきりなのはどこでも一緒だから、すぐに放棄したけどな。
むしろ、父親に見つかってうざかった。……うん、そんなことはどうでもいいんだけど。
それともあれか。俺はごっこ遊びに付き合わされているのだろうか?
マーミルは〈野いちご館〉の女城主、俺はそこへ訪問してきた同盟相手、とかいう設定の。
そうかもしれないよね! それが一番ありそうかな!
「お兄さま?」
あれこれ考えているうち、とっくに十秒たったらしい。妹が気遣わしげな顔を覗かせてきた。
「もう、びっくりした! あんまり入ってこないから、帰っちゃったのかと心配しましたわ」
マーミルはホッとしたように大きく息を吐きながら、館外に飛び出してきたが、その時でも扉は最小限にしか開かない。どうあっても、俺に中は見せたくないらしい。
「どうしましたの、ボーッとして」
「ああ、いや……ちょっと、考え事を……で、俺はノックして『ごきげんよう』とでも言いながら、入ればいいのか?」
「んー。もう、いいわ。一緒に入りましょう!」
ここで逃したら本当に帰ってしまう、とでも思われているのか、妹は満面の笑みで俺の左腕を取り、正面玄関に誘う。
「お兄さまはそっちをお願いしますわ。『せーの』で一緒に開けてね! せーの!」
俺は妹と同時に扉を開けた。すると――
パンパンパンと、鼓膜を刺激する乾いた破裂音とともに、熱さと焦げた臭いを感じる距離で色とりどりの火花が散る。マーミルの前振りがなければ、敵襲かと反撃に転じたところだ。
もっとも、賑わいの少し奥にある風景を瞬時に把握すれば、その手も止まっただろうが。
なにせ吹き抜けの広い玄関ホールには、エンディオンやセルク、侍女頭を初めとした多数の勤め人の姿があったのだから。
彼らは「おめでとうございます」と口々に言い、拍手で迎えてくれた。
それに腕を放した妹まで参加しているということは、俺一人に対する祝い事のようだ。
「さあ、お嬢様」
侍女頭から花束を受け取った妹が、俺に向かって進み出る。
「お兄さま……いいえ、ジャーイル大公閣下」
マーミルが俺を『大公閣下』呼ばわり!?
「我々家人一同、閣下の大公位就任四周年をお慶び申し上げます」
妹はそういうと、いつもに比べてずいぶん大人びた微笑を浮かべ、花束を渡してきた。
「あ……あぁ、それか!」
びっくりした。ほんとにびっくりした。何事かと思ったじゃないか。
そうか……丸四年ね!
「今後、数百年、数千年と、旦那様にこの〈断末魔轟き怨嗟満つる城〉の主をお勤めいただけますことを、我ら一同、心より願っております」
「あぁ、うん。ありがとう。できるだけ長くつとめれるよう、がんばるよ」
数百年はともかく、数千年はさすがに無理だと思うんだけども。マーミルを援護するようなセルクの言葉に内心で突っ込み、花束を受け取った。
そのとたん、嗅いだことのない馥郁とした芳香が鼻腔をくすぐる。
「お兄さま、こっちにいらして! みんながきれいに飾り付けてくれたのよ!」
いつもの調子に戻ったマーミルが、ぐいぐいと腕をひいてくる。
〈野いちご館〉には魔王大祭の折、子供たちがダンスに興じていた広大な広間もあったが、マーミルに案内されたのはそこではなく、普段、妹が友達とのお茶会を楽しんでいる中程度の食堂だった。
果たして、相変わらず苺が主とはいえ、エンディオンやセルクが心を砕いてくれたおかげか、食堂の装飾はずいぶん落ち着いたものになっている。
おかげで『甘味を食べてもいないのに甘ったるい』、という気分は味わわずにすんだのだ。
華美すぎないよう、勢いも抑えてまとめられた花籠が二つ、飾られた間に、アレスディアが最前運んできてくれた菓子置きが置かれている。
集まった全員に飲み物が配られたところで、今度はエンディオンが家臣たちの間から、一歩、進み出た。
「お嬢様を差し置き、大変僭越ではございますが、旦那様の大公位四周年をお祝いし、私が乾杯の音頭を取らせていただきます」
我が最良の家令が、高々と杯を掲げる。
「〈断末魔轟き怨嗟満つる城〉の主たるジャーイル閣下の大公位四周年を祝し、乾杯!」
「乾杯! おめでとうございます!」
俺以外の唱和がそれに続いた。
「ありがとう、みんな」
俺が酒をあおってはじめて、他の者も杯を傾ける。
「ぷ、はー!」
「おい、マーミル。お前のはジュースだろうが、そんなおっさん臭い態度はやめなさい」
口ではそう言いながらも、さっきの大人っぽい態度にドキッとさせられた俺は、妹のらしい態度に、内心ではホッとしていたりする。
「それにしても、ついこの間、四年目に突入したところだと思っていたのに、それからもう丸一年経ったのか。まさかそうとは思ってもいなかったから、何の祝い事かと驚いたよ」
毎年のことだが、自分が大公に就いた日など、俺自身は覚えてもいない。いつもマーミルが自身の顔が印刷された物品を贈ってくるから、そうと知れるだけだ。
だがそれは、俺がことさら淡泊だからではない。
通常、爵位を得たその時には祝うことくらいあるかもしれないが、就任年数をこと細かに数える習慣など、魔族にはないのだ。
魔王ですら三百年目にやっと祝われることを考えれば、我らがいかに在位年数など興味がないか、知れるというものではないか。
「いつもは私が記念品をあげていただけだったでしょう? で、今年は何にしようって悩んだんで、エンディオンに相談してみたんですの。そうしたら、おうちのみんなもお祝いに参加したいって」
「ただ、さすがに使用人全員が仕事を離れて参加するわけにはいきませんので、こちらにお邪魔しているのは代表者だけなのです。しかし、この場にいない者も、もちろん思いは同じです。そうはいえ、内々の、簡単なお祝いで申し訳ありません。本当なら、せめてもっといろいろ、ご用意したかったのですが……」
食卓に乗っているのが花と揚げ菓子だけであることを気にした風に、セルクが口ごもる。
「いいや、簡単だなんてとんでもない。この場を整えてくれたというだけで、十分だよ。俺に気づかれないよう、用意をするのは大変だったろう」
「そこは、マーミル様が旦那様の気を引いてくださいましたので」
「つまりこの揚げ菓子も、ネネネセのために練習したんじゃなく、俺にこの準備を悟らせないための工作だったってわけだ」
「あら! それもあるけど、今年のプレゼントそのものでもありますのよ!」
マーミルが心外だ、とでも言うよう、大きな目を見開き、両手を腰に当てて無い胸をはった。
「え? じゃあ、あのお菓子が?」
ぶっすりと穴のあいた、とは、さすがに口にしない。
「お兄さま、理解ってませんわね。お菓子作りの一番の目的は、『お兄さまに私との思い出をあげる』ってことですわ! 今年は物じゃなくて、『楽しい思い出』をプレゼントすることにしたんですのよ!」
なに、そのしたり顔。
「それに、今回作り方がわかったことだし、二人には作ってあげるのじゃなく、三人で一緒にたくさん、たーくさん作って、みんなにご馳走しますわよ!」
なるほど。今度はネネネセとの思い出を、ってわけだ。
「そのときは、なるべく魔術を使わずに、注意してな……」
どうせ誰かについててはもらうだろうから、心配無用だろうが。
それにいつも一緒のネネネセが相手では、いっそ多少のトラブルがあった方が印象に残るのかもしれない。
「あと、そのお花! お兄さまが手にもってらっしゃる花束、それも私がみんなと、昨日、〈黒陰岳〉という所まで行って摘んできた、そこでしか咲かない特別な花ですのよ! きれいでしょ? 寝室に飾ってくださいね!」
「ああ、確かにきれいだ。ありがとう」
その黒い花は一見したところ、百合に似ていた。ただ、なんというか……ちょっと不思議な感じがしたんだ。ボンヤリ発光しているように見える、というか……。実際には、そんなことは無いんだろうけども。
それにしても、祝われるにあたり、妹の顔が刻まれた物品の日常使いを強制されず、きれいな思い出だけが残るこのやり方は、俺にとっても最上の方法であることは間違いない。
今後も祝ってくれるなら、妹にはこの形式にしてほしいと思ったが、口に出すとだんだん規模が大きくなっていきそうなので、やめておこうと思う。
「さあ、お兄さま! 二人の愛の成果をじっくり味わって!」
愛の成果……そういえば、さっきの揚げ菓子には『愛がこもってる』のだっけ。
「いただくよ。ただ、さすがにお兄さま一人で全部食べるのは無理だから、みんなにも手伝ってもらっていいかな?」
言っておくが、揚げ物が胃にもたれるお年頃であるとか、そういうことは決してない。
「ええ、もちろんよ! 兄妹愛の結晶ですもの、みんなにも食べてもらいましょう。でも、全員に行き渡る数はないから……」
マーミルは首を傾げて自身の作った焼き菓子を見つめる。それから思い切ったように、大きく一つ、頷いた。
「形にこだわって可愛く作ったから、ちゃんとそこに注目してから、全員に行き渡るよう割ってね!」
「あら、ほんとに。可愛らしくできてますこと」
侍女たちが、きゃあきゃあ言いながら褒めてくれたので、妹もご満悦だ。
「これが犬で、こっちが猫で、こっちは熊!」などと、得意顔で説明している。
そうして今度は配られた焼き菓子を手に、なぜか片手を腰に当て、菓子を持った手を高々と上げた妹の音頭による「乾杯」が行われた。杯ではないのだから、「乾杯」ではないと思うのだが、そこはどうだろう……。
誰もがそう思ったろうが、優しく微笑む大人たちから、突っ込みが入ることはなかった。
本当に……妹も俺も、いい家臣に恵まれたものだ。
今回のことで、改めてそう思わずにはいられなかった。
とにかく実際に、この日、穏やかかつささやかに祝われた記憶は、結局その方式が最初で最後となっただけに、俺にとって忘れられない思い出となったのだった。
了