蘇る悪魔
短編集。
途中から読んでも支障はありません。
今までの作品を見てくださってる方へ。
今回は他の倍近い文章量となっておりますので悪しからず。適当に流し読みしてください。
原翔也警部は身体の不調を訴え、都内にある病院を訪れていた。
若い時分はそれでも無理して働いていたものだが、40過ぎの身体では無理が通らなくなってきた。
仮に身体の無理が通ったとしても組織が無理を通さない。
世間では『ブラック何々』という言葉が横行し、過度な働き方を見直す改革する運動が起きている。
警察とて例外ではない。いや、皆の模範となるべき存在であるからこそ無理を許さぬ意識が強くなっていると言えた。
最早、無理して働くことは美徳ではない。悪なのだ。
「原翔也さん……ふぅ〜ん……39度ですか。いつ頃からですか?」
佐藤医師がカルテを見ながら神妙そうな声で質問をする。
マスクで顔が隠れているため詳しくは分からないが、年齢は原翔也と同い年くらいと思われる。
「3.4日前からですね。最初はただの風邪だろうと思ったんですが治るどころか悪化するばかりで……頭痛も腹痛も、吐き気も酷い。その上発疹まで出てくるし……」
原翔也は気怠そうに右腕をまくり上げ、発疹を見せる。
「あ、本当だ……白い丘疹が出来てますね……」
「きゅうしん?」
「あぁ……膨れ上がった発疹のことをそう言うんです。原さん、何かアレルギーとかお持ちじゃないですか?」
「さぁ?調べたことないんでわかりませんけど、どうしてですか?」
「丘疹はノミアレルギーによって引き起こされる場合が多いんですよ」
「あー……そうなんですか」
[ノミ]という言葉を聞いても、原翔也は否定することなく、ただただ苦笑いをする。
心当たりが大アリなのだ。
なにせ原翔也の家はゴミだらけで不潔。ノミの温床になっている……というわけではないのだが、刑事という職業柄、証拠集めのためにどぶさらいをすることなど日常茶飯事。いつどこで刺されていてもおかしくはなかった。
「でも、今までこんなことなかったんですよ?」
「急にアレルギーにかかってしまうことはあります。確認のため、今からアレルギー検査をしましょう」
医師が原因と思われるアレルギー物質を原の右腕に垂らし、針で軽くつつく。
もしこれがアレルギーの原因となるものであるなら、15分ほどして腕が赤く腫れあがるのだという。
「では、もう一度待合室でお待ちください。15分経てばまたお呼びしますので」
「わかりました」
2時間も診断待ちをした後、そこからさらに15分の結果待ちをしなければならないとは。
終わりだと思って安堵していた分、精神的に堪える。
原翔也は、まるでフルマラソンを走り終わった後に「それじゃあと2km走って」と言われたのと同じような気分になった……彼がフルマラソンを走ったことなど一度もないのだが。
「原さん、原翔也さん、診察室へお入りください」
佐藤医師はアレルギーの反応待ちをしている合間に他の人の診察も行っていたのだが、前の人の診察が長引き、結局25分もの間待たされる羽目になった。
原は肉体的、そして精神的にも重くなった足でふらふらと診察室へと入って行った。
「お待たせしました。では、早速確認しましょう」
言うが早いか医師は原の右手を手に取った。
「……っかしいな……反応がない」
医師が眉をひそめる。
その様子を見ていた原の顔は険しくなる。数日間高熱に悩まされ、2時間半も病院で待たされた挙句の結果が『わかりません』では洒落にならない。
「『反応がない』って、それじゃあ一体何だって言うんですか!」
「それはまだなんとも……血液検査をし、後日結果をお伝えします」
別の検査を行うからとまた新たに時間を、そして血液をくわれるのは釈然としなかったが、これだけ待って何も原因がわからないままの方がより釈然としない。
原は黙ったまま医師の指示に従うことにした。
「はい、ありがとうございました。原さん、結果が出るまで安静にしていてくださいね」
「……はぁ」
安静にしてくださいも何も、安静にしないという気力はもう残されてはいない。
タクシーを呼び、自宅へ戻るとそのままソファにへたり込んだ。
そのまま眠り落ちそうになったが、今夜知人と飲みに行く約束をしていたことを思い出した。
忘れないうちに断りの電話をいれておかなくては……
─ここは都内にある病院の研究室。
佐藤医師は頭を抱えていた。午前中に診察した原という患者。
高熱、頭痛、腹痛、吐き気、丘疹……異常がないわけないのに、アレルギー検査も、血液検査も陰性を示していた。
[第六感]と言えば聞こえは悪いが、患者のあまりの顔色の悪さから何か良からぬものを感じた佐藤医師は採取した血液を顕微鏡で詳しく検査することに決めた。原因となるものの培養も済ませてないので、血液のどこに潜んでいるかわからない。それどころか、本当に原因となるものがこの中にいるのかさえ分からない。時間も効率も悪いが、それ以外に方法がなかった。
だが、佐藤医師はやってのけた。奇跡的に原因と思われるウイルスの発見に成功した、のだが……
「……う先生」
「佐藤先生!?」
看護師に名前を連呼され、やっと我に返った。
「あぁ……すいません。どうしました?」
「あの、警察関係者の方が佐藤先生にお会いしたいと言っているのですが」
「警察?なんでまた私に……」
この忙しいときに何の用があるというのだろう?
自分は何もやましいことなどしていない……いや、それとも自分がそう思っているだけで気づかぬうちに何か問題でも起こしてしまっていたのだろうか?パワハラ?セクハラ?もしかして医療ミス?
自分に身に覚えがない分、かえって嫌なことばかり想像してしまう。
「正確に言えば佐藤先生……というよりも、今日午前中に来られた原翔也という男性を診察された方とお話がしたい、とのことでした」
その話を聞いて思わずギョッとする。
その人物は、今まさに自分が検査をしている患者のことではないか!?
一体何だというのだ!?このタイミングで警察が現れたのは、果たして偶然なのだろうか?!
「あ、あぁ……そうですか。そういうことですか……わかりました。呼んできてください」
「かしこまりまし
「その必要はない!!」
「「!?」」
看護師が警察関係者を呼びに行こうとしたまさにその時、見知らぬスーツ姿の男が研究室に侵入してきたのだ。
良くも悪くもない顔立ちをした男。数時間後も経てば忘れてしまいそうほど何の特徴もない外見だ。
年齢もいくつなのか見当もつかない。
「な、なんだね君は!?勝手に入ってきたら駄目じゃないか!」
「ははははは!可笑しなことをおっしゃる!今しがた、OKを出したばかりじゃないか!」
「とすると、あなたが?」
「あぁ。私立探偵の田児朗だ」
「探偵?警察じゃないんですか?」
「警察の関係者だとは言ったが、警察だとは一言も言っていない。それはそちらの伝達ミスだろう?僕に文句を言われても困るな」
「は、はぁ……」
佐藤医師は『別に文句を言ったつもりではないのですが』と突っ込もうとしたが、田児があまりにも面倒くさそうな性格をしていたため、適当に受け流すことにしたのであった。
「そ、それでどういったご用件でいらしたのですか?」
「なぁに、君の受け持った原翔也という男は僕の知人でね。検査結果を聞きに来たんだ」
「はぁ……それが……わからないんですよ」
「わからない?」
「えぇ。今しがた、原因と思われるウイルスは見つけたんですけどね……20年近くこの仕事をやっているが、こんなもの見たことない……」
佐藤医師は電子顕微鏡を指さしながら申し訳なさそうに答えた。
それを聞いた田児は少し、ワクワクした様子で、
「僕が見てみるから、君は少し待ってろよー!」
と言い、はりきって顕微鏡を覗き込んだ。
すると、急に田児の顔に変化が生じた。
みるみる真っ青になっていき、冷や汗をだくだく流して、ついには顕微鏡から顔を離した。
「あ、あの……大丈夫ですか?一体何が……」
「わカらナいホうガいイ……」
「いやいや!そんな都市伝説を目撃した時のような反応されても困りますよ!」
田児は、ため息をついた後「こりゃ参った」と言わんばかりに苦笑いをする。
「都市伝説……なんて可愛らしいもんじゃあない。これじゃあ世界伝説だよ、まったく……」
「なんなんですか!?何を見たって言うんですか!?もったいぶらずに早く教えてください!」
「……悪魔だ」
「悪魔?」
佐藤医師の質問を無視し、田児は震える手で携帯電話を取り出した。
「あの、申し訳ございませんがここでの通話はお控えくださ
「黙れこのやぶ医者があぁぁぁぁ!!!」
「ぶべらっ!?」
突如、佐藤医師が素っ頓狂な声を出しながら地面に突っ伏す。
田児が平手打ちを食らわせたのだ。
何事もなかったかのように通話を続ける田児。
人に暴力を振るった直後で動じているようでは名探偵の座は務まらないのだ。
「あ、もしもし?原けい……原さん?いいかい?指示が出るまで絶対に家から出るんじゃないぜ?わかったな!?」
それだけ言い終えると一方的に通話を切った。
佐藤医師と看護師は呆けた面で田児の様子をうかがっていた。
「あ、あの田児さん?一体何が……」
「いいかい?よく聞けよ?その耳の穴かっぽじってよおぉぉぉぉく聞けよ?」
「は、はぁ」
「いいか?今から言うことは決して冗談なんかじゃないぜ?」
「はぁ」
「これは、このウイルスは……天然痘だ」
天然痘。疱瘡、痘瘡とも呼ばれるウイルス。
地域や年齢層にもよって多少のばらつきはあるが、感染率80%、致死率20~50%にも及ぶ脅威の感染症。
飛沫や接触で感染し、患者から落下したかさぶたでさえ1年間感染力を持つ。
3000年以上前もから存在し、20世紀だけで5億人もの死者を出したまさに悪魔のウイルス。
「ご、ご冗談を!確かに症状……特に丘疹なんか天然痘の代表的な症状の1つではありますが……
そもそも、天然痘はもうこの世に存在しないじゃないですか!」
1980年5月8日にWHOが地球上から天然痘を根絶したと宣言しているのだ。
「その言い方は正確じゃない。自然界には存在しない、というのが正しい言い方だ」
「そ、そんな、まさか……」
「アメリカとロシアが研究のために天然痘を保管しているのは知っているだろう?
WHOからは『根絶させたウイルスの研究をして何のためになるんだ』と散々処分を申し立てられていたが、その後、各地で天然痘を隠し持っている奴らがチラホラ出てきてね。WHOも『やっぱり、万が一のためにもとっておいた方がいい』という風に意見を変えたのさ」
「そ、そんな!じゃあ、天然痘を隠し持っていた誰かが今回の騒動を起こしたというわけですか!?
い、一体誰が!何の目的で!」
「……」
田児は黙ったまま、研究室の扉を開け立ち去ろうとする。
「田児さん!どちらへ!?」
「ふざけるな!」
「!?」
「こんな殺人ウイルスのいる部屋になんていられるか!悪いが僕は一足先に家に帰らせてもらうぜ」
そう言い放つと、こちらの制止もむなしく一目散に逃げて行った。
看護師がポツリと呟く。
「何だったんでしょう今の人……」
「さぁ……」
帰ってしまったものは仕方ない。
気を取り直し、佐藤医師は書棚から一冊の分厚い本を取り出した。
そこにある写真と、顕微鏡に映るウイルスとを見比べる。
「やはりそうか。そうなのか……あの男の間違いであってほしかったんですがね……」
佐藤医師はため息をつき、頭を抱えた。
写真に載っているウイルス、すなわち天然痘ウイルスと顕微鏡に映しだされているウイルスは同一のものとみて間違いなさそうだった。
「さ、佐藤先生、こ、これからどうすればいいでしょう?」
「今日の診療はここまでにして、院内の消毒作業を開始してください」
「わかりました!」
看護師が研究室を出払った後、佐藤医師は院長の指示を仰ぐことにした。自分一人ではどうしようもない。
とは言え、院長は本日休みをとっている。
自宅の固定電話にかけても応答がなかったため、携帯の方に電話をかけた。
中々でないため、諦めかけたその時『もしもし?』という怪訝そうな声が電話口から聞こえてきた。
[休暇中の人間にわざわざ電話をかけてきたということは、それだけ面倒な案件持ち込まれてきたに違いない]と思われているのだろう。まあ、実際その通りなわけなのだが……
「お休みのところ申し訳ございません……」
『気にするな……それだけ急を要する事態というわけだろう?』
気にするな、というわりにその声はかなり不機嫌そうである。
「じ、じつはですね……検査の結果、感染症を発症した方がいまして」
『感染症?一体何の?』
「そ、それは……」
ここまできて[言わない]という選択肢が無いことくらいわかっている。
わかってはいるが、思わず言いよどんでしまう。
怖いのだ。
天然痘ウイルスだということを報告してしまうことが。
天然痘ウイルスの存在を認めてしまうことが。
これが悪い夢であってほしいと、何かの間違いであってほしいと何度願ったことか……
『「それは」?何だね?』
一呼吸置き、佐藤医師は意を決して悪魔の名を告げた。
実際には数秒程度しか経っていないのだろうが、相手の顔が見えないことが感覚を狂わせる。
佐藤医師は時が止まってしまったかのような錯覚に陥った。
しばしの静寂の後、電話口から苦笑い交じりの声が聞こえてきた。
『佐藤君、それは本当なのかね?』
「私自身、いまだに信じられませんが……症状も合致し、顕微鏡で確認したウイルスの姿も……」
またしばしの沈黙。
『研究所からウイルスが盗まれたというニュースは?』
「ありません」
『だろうな。私も聞いてない。であれば、テロ予告はあったか?バイオテロの』
「ありません」
『だろうな。私も聞いてない。であれば、佐藤君……もう一度聞くよ?
それは本当に天然痘なのかね?』
「本当です!この目で見ました!」
佐藤医師が怒気を強めた。
つい先ほどまで、天然痘の存在を認めてしまうことを恐れていたというのに今となってはその逆。
天然痘の存在を認めようとしない人に苛立ちを覚えている。
行動が矛盾している、という表現は適切ではないだろう。
人の心の移り変わりというものはかように早いものなのだ。一刻を争うような事態が差し迫っている時は特に。
『……佐藤君、君は天然痘がどのようにして撲滅されたかを知っているかね?』
佐藤医師の怒号とは対照的に、至って冷静な声で院長が質問をする。
その声で佐藤医師はいくらか平静さを取り戻す。
「え、えぇ……ワクチンの接種。そして、封じ込めを行って感染者が出ないようにしたんですよね?」
『あぁ。では、ワクチンがどのようにして作られたかは知っているかね?』
佐藤医師が「あっ!」という声を出す。
『大事なことなので3回言おう……それは本当に天然痘なのかね?』
「す、すぐに調べ直します!」
『頼むよ。あぁ……だが、天然痘ではないとしても油断してはいけないよ?危険な感染症であることに間違いはないだろうし、早く感染源を特定しないと大変なことになるぞ』
「わかりました!」
電話を切り、再度注意深く顕微鏡をのぞき込む。
そして、図鑑に載ってる写真と見比べる。が、彼が見ている写真はさきほどまで見ていたものとは違っていた。
(そうか!そういうことだったのか!)
佐藤医師の眼光が鋭く光る。
ワクチンとは毒素を弱めたウイルスのことである。
それを体内に取り込むことで免疫をつけさせるのが目的だ。
ところが、天然痘はそんな毒素を弱めた状態でさえ2%の死者を出すほどの危険性があった。
こんなものでは、とてもじゃないが、根絶はできない。
では、どのようにして危険性のない、完璧なワクチンを作り上げたのか?
天然痘と近い塩基配列を持ったウイルスの発見の発見である。
症状は軽くて済むのに、天然痘に対する免疫は共通していたのだ。
そう……今回原翔也が罹患したウイルスは院長の読み通り、天然痘などではなかった。
天然痘と近い塩基配列を持ったウイルスであった。
とはいえ、まだ安心はできなかった。
今回、原翔也が罹患していたのはサル痘ウイルス。
確かに、天然痘でなかったことは不幸中の幸いと言える……が、不幸であることに変わりはない。
先ほど述べた[天然痘と近い塩基配列を持ったウイルス]牛痘、馬痘、ラクダ痘など、〇〇痘と呼ばれるウイルスは多数存在するわけだが……同じ霊長類だからであろう。
サル痘に限っては軽症では済まない。
サル痘は天然痘と同様の症状が現れる。そして、致死率は10%にも及ぶのだ。
『早く感染源を特定しないと大変なことになるぞ』
先ほどの院長の台詞が脳裏をよぎった。
早いとこ、感染源である原翔也を隔離させなければ。
だが、本当に原翔也が感染源……なのだろうか?
サル痘はアフリカにしか存在しないウイルスのはず。
診察中、原因が分からず苛立っていた患者が体調を崩した心当たりを言わないなんてことあるだろうか?
彼がアフリカは衛生的で安全な場所、と思っていたため話さなかっただけかもしれない……と考えるのは私の希望的観測に過ぎないだろう。
彼も誰かからうつされたのではなかろうか?感染源は別にあるのではなかろうか?
これから一体どうしたらいいのか、佐藤医師が激しく狼狽えていたその時、
「どうやらお困りのようだな」
不意に男の声が聞こえてきた。
声のする方向を振り返ってみると、ドア付近で腕組をしながらもたれかかる憎たらし気な顔の男……これすなわち、名探偵の田児朗がいるではないか!?
「た、田児さん!?何故ここに!?帰ったんじゃなかったんですか!?」
「はぁ~……帰るわけがないだろう……あれは探偵ジョークというものだ。た、ん、て、い、ジョ、オ、ク!ったく、冗談の通じん男だなぁ……」
田児はため息交じりに肩をすくめながら答えた。
[探偵ジョーク]なんてものは生まれてこの方聞いたことがないのだが、どうやら知らない方がおかしいらしかった。名探偵がそうおっしゃるのであれば、そうなのだろう。
「あぁ、そう……何故ここに来たかの質問に答えてなかったね。ウイルスの治療だのなんだのというものは君たち医療従事者の専門分野だろうが、僕には僕の専門分野というものがあってだね」
「はぁ……」
「人捜しだ。人殺しウイルスの感染者、略して人殺し共を捜しあててやったぞ!感謝しろ!」
「ほ、本当ですか!?ありがとうございます!」
「おい!」
「はい?」
「今のは探偵ジョークだ!笑うところだ!……笑え」
「え!?ジョ、ジョークって……どの点に関して言ってるんですか?」
「感染者共を見つけたってとこだ」
「えぇー……見つけてないんですか……」
「おい!」
「はい?」
「今のは探偵ジョークだ……ちゃんと見つけている。
隠すこともないだろうから話すがね?君が受け持った原翔也という男は刑事だ。
だから、彼にここ最近アメリカ人かロシア人と接する機会はなかったか?と電話で尋ねたんだ。
すると、10日ほど前にアメリカ人を逮捕したというではないか!そして、その時現場にいた部下の刑事2人と逮捕者にも高熱がでている。
これはもう、こいつが研究所からウイルスを持ち出したとしか考えられんな!ワクチンも用意せずに自滅するとはヴァカな奴だ!」
田児はそう言うと、カラカラと笑いながら1枚の紙を佐藤医師に渡した。
そこには刑事2人の名前と住所。そして、逮捕したというアメリカ人の名前と留置場所が書かれていた。
「ご協力、ありがとうございます!」
名探偵の活躍のおかげで、感染爆発を防ぐことができる!
佐藤医師は満面の笑みでお礼を告げた……が、すぐにその笑みはある疑念によってすぐにかき消された。
「あの……関わった外国人というのはアメリカ人の方だけですか?アフリカ人と関わった人、アフリカへ旅行した人なんかはいませんでしたか!?」
「アフリカ?なんでアフリカがでてくるんだ?今その話は関係ないだろう……」
田児は、汚物を見るような視線を佐藤医師にぶつける。
……無理もない。彼はこのウイルスが天然痘ではなく、アフリカに生息する別種のウイルスであることを知らないのだ。それもこれも、ちゃんと説明をしない佐藤が悪い。
「まあー……逮捕したアメリカ人はアフリカ人と繋がってたがな」
「そのアフリカ人は今どこにいますか!?」
「そりゃあ留置所さ。さっきからなんでそんなこと聞くのかは知らんが、アフリカ人は天然痘に罹っちゃいねぇぞ?……ん?待てよ?」
急に田児が神妙な顔をする。
「どうしました!?」
「奴らは動物を、アフリカからプレーリードッグを密輸した罪で逮捕されたわけだが、結局はすぐに死んでしまったんだよな。まあ、野生の動物だから変な菌持っててもおかしくはない。
とりわけ、プレーリードッグは様々な感染症の媒介になりやすい。それが理由で日本への輸入が禁止になっているくらいだし。
そう……感染症の媒介になりやす……ま、まさか、天然痘に罹患して!?
……いや。天然痘は人間にしか罹らないはずだ……そう……天然痘『は』だ!」
独り言のような長台詞を吐き終えると、佐藤医師の言葉に耳を貸すことなく田児は顕微鏡へと食らいついた。
「やはり!そうか!そういうことだったのか!……佐藤君!我々はとんでもない思い違いをしていたようだ……これは天然痘なんかじゃない!天然痘に似た別種のウイルスだ!!」
見事に謎を解き明かし、興奮する名探偵田児朗。
対する佐藤医師は冷めた目で顕微鏡の横で見開かれている図鑑、すなわちサル痘の写真が載っているページを指さした。
「そう……これは天然痘に似た別種のウイルス……サル痘ウイルスだ!!!」
「あ…はい、そうですね」
─名探偵田児朗が未知のウイルスの正体を暴き、さらにその感染源を特定したおかげで無事に感染爆発を防ぐことができた。
彼がいなければ、日本中……いや、世界中がパニックとなり多くの死者を出していたことだろう。
彼は地球を救った英雄として永久に皆の記憶と記録に刻まれ続けるであろう。
超がつくほどの余談だが、医療従事者たちもそれなりに頑張り、一人の死者を出すこともなかった。まあ頑張っていたっちゃあ頑張ってはいたが、それなりの頑張りだ。それなりの。名探偵の活躍に比べれば目くそ鼻くそほどの活躍でしかない。
あれから2週間。
少し遅いかもしれないが、ようやっと院内が落ち着きを取り戻してきたため、佐藤医師は改めて英雄に感謝の意を伝えることにした。
「田児さん、お久しぶりです。佐藤です」
『ん?あぁ?佐藤……あぁ、医師の佐藤君ね……君、駄目じゃないか人の個人情報ぬきとって勝手に電話なんかかけて。非常識だぞ』
「ははは……またお得意の探偵ジョークですか?原さんから聞いているでしょう?」
『ん?あ、あぁーー……そういやそんな電話があったような気がするなぁ』
「素で忘れてたんですか……」
『しょうがないだろ?ここんとこ依頼がひっきりなしにきて、疲れてんだから。
ゴホッゴホッ……
どーでもいいようなことはすぐに忘れてしまうさ。ところで、要件はなんだい?疲れてるから早くしてくれ』
「改めて、感染防止にご協力いただいたお礼をと思いまして
『あー……いい、いい。そういうのは……ゲホッ それだけの用なら切るぞ?
ゴホッゴホッ ゲホ』
そこで電話が切られた。
彼の言う通りだ。お礼を伝える必要なんてなさそうだ。
この物語は一部フィクションです。
体調が悪いと感じた場合は外出を控えましょう。