勿体ぶって情報を出し惜しみすると、大体手遅れになる
一話完結の短編集。
途中からでも差し支えなく読めます。
「これで4人目か……」
スーツ姿の厳つい顔をした初老の男性がポツリと呟く。男の眼前には、女性の遺体がうつ伏せに転がっていた。後頭部が少し陥没し、赤黒く染まっている。どうやらこれが死因のようだ。
「原警部、今回は例の探偵に捜査協力を出さないのですか?」
部下の橋理が初老の男性、すなわち原翔也警部に向かって質問をする。『例の探偵』とは原警部が信頼を置く私立探偵、田児朗のことである。
「呼ばない」
「何故ですか?いつもは必要のない時でもホイホイ呼んでるのに」
「理由は2つ。1つ、くだらん自尊心さ……これは我々の手で解決すべき問題だ。1つ、田児さんを巻き込むわけにはいかない。もしかすると、彼までターゲットにされてしまうかもしれないからな……警察の仲間だとして」
ここ最近、東京都内で警察官が相次いで殺害されるという事件が発生しているのだ。
1人目の被害者は、麻生元也38歳男性。警備課。背後から刺身包丁と思しき長い刃物で刺されて死亡。
2人目の被害者は、加藤明子28歳女性。生活安全課。首を紐で縛られて死亡。
3人目の被害者は、佐々木順平45歳男性。交通課。背後から後頭部を殴打され死亡。
そして今回の被害者は、立花日葵50歳女性。会計課。前回の犯行同様に背後から後頭部を殴打され死亡している。
「なるほど……確かにその通りですね。では、今後どのように捜査を進めていけばよいのでしょうか?」
「そうだな……犯人が警察に恨みを持つ人物であることは間違いないのだろうが、被害者たちの部署はバラバラ。特定の警察官、特定の部署に恨みがあっての犯行ではなさそうだ……一体何が目的なのやら」
「……で、結局どのように捜査を進めていくんですか?」
「犯人は最初刃物を使用していた。だが、それでは返り血がつくし、凶器から足が付く恐れがある。それを防ぐために次の犯行では絞殺という手段を選んだんだろう。しかし相手は警察官だ。苦戦したのだろう。そこで第3、第4の犯行では絞殺よりも殺害が楽で、返り血も少なく足も付きにくい撲殺という手段にでた。ようするに、犯行が子慣れてきているというわけだ……早く逮捕しないと大変なことになるぞ!」
「……で、結局どのように捜査を進めていくんですか?」
「田児さんの指示を仰ぐとしよう」
「捜査協力要請はしないんじゃなかったんですか!?警察官としての自尊心は!?田児さんの身の安全性は!?」
「お前にいいことを教えてやろう……警察にとって一番の自尊心は、事件を解決に導くことだ!例えどんな手段を使い、どんな犠牲を払ってでもな!」
[自分の意見をころころ変えることへの自尊心はないんですか?]
部下の男性は心の中でそう思ったが、声に出して言うことはなかった。
原警部は都内にある田児探偵事務所を訪れていた。警部としては田児とは旧知の仲であるわけだし、わざわざアポイントなど取らなくてもよいのではないかと考えているのだが、田児に言わせれば『親しき仲にも礼儀あり。いわんや親しからず仲をや』らしい。[親しからず]というのは単なる照れ隠しに相違ないが、『親しき仲にも礼儀あり』と考えているのは確かだろう。アポイントをとった・とらなかったなどというくだらない理由で彼との仲が悪くなってしまってはたまったものではない。
それが例え、早く事件を解決しなければ大変な事態に陥ってしまう局面であったとしても、彼との関係性を保つことに比べれば、アポイントがとれるまでに2日もかかってしまったことなど些細な問題に過ぎないのだ。
「失礼します」
原警部が中に入ると、田児は深刻そうな顔をしながらソファに腰掛けるよう促した。
「原警部、僕はねこの事件に関する極めて重要な手がかりを見つけてしまったのだよ」
田児探偵の思わぬ発言に原警部は驚嘆の声を上げざるを得なかった。
「なんですか、その重要な手がかりとは!?」
「それはまだ言えない。もし今言ってしまえば警察中はパニックになってしまうからね」
「犯人を野放しにすること以上のパニックってなんですか!?じゃあ一体いつ言ってくれるっていうんですか!?」
「そう遠くない内に、な。だから君たち刑事課の諸君も躍起になって捜査をする必要はもうないぞ。他の部署の奴らも『明日は我が身』と怯えているだろうから安心させてやるといい。『名探偵がもうすぐ事件を解決に導いてくれる』とな」
「は、はぁ……」
原警部は面食らってしまった。アポイントを取るまで2日間待たされた挙句の結果がこれだ。一体、どのような理由で重要な手がかりを話すことが出来ないのかは分からぬが、彼なりに考えがあってのことなのだろう。その点に関しては百歩譲ってまあ良しとしよう……で、あるならば何故電話やメールで済ますことができたのではないか?確かに直接訪問すると言ったのはこちらだがこの程度の報告……否。『報告が出来ぬ』という報告であるならばアポイントの段階で教えてくれてもよかったのではないか?
……心の中でこのような悪態をつきまくっていた原翔也だが、ここでふと考えを改めてみた。この程度の報告でわざわざ事務所まで足を運ばせたというのは、彼の自信の顕れではないか、と。重要な手がかりとやらは誇張などではなく、本当に警察中をパニックに陥れてしまうほどの情報なのではないか、と。
事務所の去り際、田児から「いくら僕が超重要な手がかりを持っているとは言え、如何なる理由があろうとも絶対にアポなしでここを訪れるんじゃあないぜ?ちゃんと部下にも伝えておけよ?」と念を押された。アポイントなしで訪問すると怒るのはいつものことではあるが、こうも念押ししてくるとは度重なる突然の訪問に余程ストレスが溜まっていたのだろう。
少々申し訳ない気分になりながら警視庁へ戻ると、橋理巡査が近づいてきた。
「お疲れ様です。それで、何か手がかりは掴めましたか?」
「ああ……掴んだ」
「本当ですか!?」
「というか掴みっぱなしだ……後は、掴んだ拳を解いてもらわないことには話にならん」
「どういうことですか?」
「田児さんは重要な手がかりがあると言っているんだがな?それを言うと警察中がパニックになるから今の段階では話せないと言うんだ」
「なんですか、それ?」
橋理が苦笑いを浮かべる。無理もない。重要な手がかりを言えば何故警察がパニックになるのか?何故今は話せないのか?まるで意味が分からないのだ。
「さあな?……そうそう。いくら彼が重要な手がかりを持っているとは言え、アポなし訪問は絶対に禁止だそうだ」
「あの人に捜査協力する人なんて、原さんくらいしかいませんよ」
「……あとはそうだな、もうすぐ事件が解決するから皆にそのことを知らせてやるといいとも言われた」
「皆、って。署内全員に言って回るんですか?」
言いながら、橋理が嘲笑する。
「いや、進捗状況を聞いてきた奴にだけ伝えればいいさ。信じるかどうかは分からんがな」
─3日後─
田児探偵事務所に30代後半と思しきスーツ姿の男が来訪してきた。丁寧なお辞儀をした後、ハキハキとした口調で喋る。
「お忙しいところ失礼します。所長の田児朗さんはいらっしゃいますか?」
「僕がそうだけど?君は?」
田児はデスクに座ったまま相手を品定めするようにジロジロと見つめる。
スーツ越しでも一目で分かるほど鍛え上げられた肉体。顔も厳つく、耳は餃子のように膨れ上がっている。ラグビーか柔道でも習っているのだろう。足下を見てみると革靴ではなく、ランニングシューズを着用している。普通のサラリーマン、というわけではなさそうだ。
「申し遅れました。わたくし、警視庁刑事課の中西と申します」
田児は無言のまま、相手が用件を話すのを待つ。
「実は原警部から重要な手がかりを聞いてくるように、と頼まれまして」
「その件に関してはしばらく待つように、と伝えたはずなのだが?」
「上層部も煩くてですね……早く事件を解決しないと面倒なことになるんです」
中西刑事がバツの悪そうな顔をして苦笑いする。
「絶対にアポイントなしでここに来るな、とも伝えたはずなのだが?」
「それほどまでに切羽詰まっているのです」
田児は「なるほど」と首をこくこくと縦に振りながら、デスクから何かしらを取り出し後ろ手に隠しながらにこやかに中西刑事のもとへと近寄っていった。
「重要な証拠のことなのだがね?」
言いながら、田児は後ろ手に隠しておいた何かしらを中西刑事に押し当てた。瞬間、中西刑事は物凄い勢いで悶え苦しむ。
「今、僕の目の前に転がっているよ」
中西刑事は一瞬の出来事に状況が理解出来ぬまま田児に視線を向ける。その手にはスタンガンが握られていた。
「君がいけないんじゃないか。僕との約束を破るからこんなことになるんだよ」
言いながら、田児は不敵な笑みを浮かべる。それとは対照に中西の顔は恐怖心にかられ、見る見るうちに青ざめていく。
「こ、こんなことしてただで済むと思っているのか」
中西への返答は行わず、田児はポケットからスマートフォンを取り出した。
「ああ、もしもし?僕だ。悪いけど今から事務所まで来てくれるかい?……後始末を頼みたいんだ」
そう短く伝え終えると、再度中西に向けて薄気味悪い笑みを浮かべた。
田児は棚からガムテープを取り出し、中西の手足をぐるぐる巻きにする。スタンガンを当てられ弱っているのだからそこまでする必要があるのか甚だ疑問ではあるが、用心するに越したことはない。
「刑事課の連中は、被害者が警察官という以外に共通点はないと考えているようだがそうじゃない。
[ア]ソウモトヤ、[カ]トウアキコ、[サ]サキジュンペイ、[タ]チバナヒマリ……被害者はアカサタナ順に殺されているんだ。そうだろう?」
田児は中腰の姿勢をとり、地面に転がる中西の眼前でバチバチとスタンガンを鳴らす。
「な、なんだ……何をする気だ!?」
「あれだけ息巻いといて大変申し訳ないのだが、警察官連続殺人事件の犯人逮捕には協力出来なかったよ……また新たな犠牲者を出すことになってしまった。そういう筋書きでいこう。君のような奴は生きていたって仕方がない。そうだろう?[ナ]カニシ君」
それからどれほどの時間が経っただろうか?
突如として事務所のドアが勢いよく開かれた。事務所に入ってきた人物は手足を拘束され、地面に転がっている男の姿を見て驚愕する。
「な、何してるんですか田児さん!?」
あまりにも異質な光景に原警部は田児を詰問するが、彼は事もあろうにデスクに座ったまま呑気にコーヒーを啜っていた。
「やあ、警部殿。随分と遅い登場じゃないか。さ、後のことは君に任せるとするよ」
「任せるって……この人、生活安全課の中西君じゃないですか!?なんでこんな状態になってるんですか?」
「ほう?知り合いかい?ひょっとするとひょっとして、彼が警部のもとへ事件の進捗状況を聞きに来て、僕が重要な手がかりを持っていることを話したんじゃあないか?」
「え、えぇ。そうですけど。よくご存じで……」
「あーそうだそうだ!まだ君の質問にちゃんと答えていなかったね?なんでこんな状態になっているのか……それはね?そこで無様に転がっている刑事さんが一連の騒動、警察官連続殺人事件の犯人だからだよ。チィとばかし脅かしてやったら情けないことに気を失ってしまったが、死んではないから安心したまえ」
「へ?刑事?……え!?犯人?」
「君の部下らしいよ?」
田児は愉快そうにカラカラと笑う。
「え?でも何か証拠があるんですか!?」
「こいつの靴を見たまえ。スーツ姿にランニングシューズなんて、頭がイカれている。ここが警察学校だったら間違いなくしばき倒されてるね。犯行時は動きやすいようにそうしていたんだろうが、詰めが甘かったな。後で靴跡を照合してみれば一発でわかるさ」
「な、なるほど。ん?犯行時に動きやすく?……ってことは、こいつ田児さんを始末しにここへ来たってことですか!?一体何故!?」
「被害者に遭った警察官はアカサタナ順に殺害されていたわけだが……」
「え!?……あ!本当だ!!」
話の腰を折られ、田児は不機嫌そうにため息を吐く。
「序盤からつまずかないでくれよ……ま、そういうわけなのだがここである疑問が生じる。犯人は如何にして被害者の名前を手に入れたか、だ。ある部署の奴らと仲良くなって、そいつらの名前を手に入れたという話なら分からなくもない。だが、被害にあった奴らの部署は全員バラバラだ。各部署で名前を聞きに回ったという可能性もなくはないが、顔を覚えられるリスクが高すぎるし、警察に恨みを持つ人物がそんなことをするとは考えにくい」
「だから警察内部の者の犯行である、と。あ!だから警察中がパニックになるって言ってたんですね!?」
「警察中がパニックになる、というセリフは犯人に向けて『警察の内部犯であることは分かっている』というメッセージを送り付けるためのものであったんだがね。思惑通りノコノコ事務所まで足を運んでくれて助かったよ」
「でもちょっと待ってください?なんだって中西はアカサタナ順に殺害をしていったんですか?そんなことしなければ内部犯の仕業だなんて推理されることもなかったろうに」
原警部の質問に田児は思わず苦笑いをする。
「内部犯の仕業だと考えなかった刑事さんにそんなセリフを垂れて欲しくはないが……そうだなぁ。君たちは最初どのような犯人像を思い浮かべていた?」
「さぁ?警察官に恨みを持つ人物であることしか。でも、それにしては部署もバラバラだし……何が目的なのか、警察の何に対して恨みがあるのかさっぱりわかりませんでした」
「それこそが奴の狙いだ。もし、特定の部署のみ襲撃し続ければ厳戒態勢が敷かれてしまい次からの犯行が難しくなってしまう。だが、不特定の部署を狙いでもしたら犯人の意図が分からず『本当に警察に恨みがあるのか』という疑いが持たれてしまう。だから、一連の犯行には明確な意図があると思わせるため、アカサタナ順に殺害することに決めたのさ」
「アカサタナ順に狙う理由はよく分かりました、でも結局、中西の動機は何だったんですか?警察と殺人ゲームがしたかっただけ?」
「ゲームを楽しみたいだけの人間が保身のために無関係の僕まで殺すようなことはしないさ。動機は恐らく、恋愛感情のもつれ。同じ部署の加藤明子を振られた腹いせに殺害しようとしたが、そのままでは自分が疑われてしまう。だから個人へ向けた犯行ではなく、連続殺人事件の一環であるかのように見せかけたのさ。ターゲットを警察に絞ったのも、警察を敵視する者の仕業と見せかけて自らを捜査の対象から外すという目論見があったのだろうね……ま、それで結局犯行がバレてしまうんじゃあザマァないがな」
「なるほど。だから、アイウエオ順ではなくアカサタナ順にしたんですね。早い段階で殺害できる位置にもってこさせるために……」
「あぁ。そのとおr
「違います」
田児と原が一斉に声のする方へと振り向く。今まで気絶していたはずの中西がいつの間にやら目覚めているではないか。
「田児さん、全然違います。加藤との恋愛感情のもつれが動機なんかじゃないです。実はですね、金の使いこみが立花さんにバレましてねぇ。次の決算までに使い込んだ金を補填できないようなら上に報告するって言われて……それで殺したんですよ。殺してやったんですよ!あのババアが上手いことごまかしてさえしてくれりゃあ、他の3人も死ぬことなんてなかったのに!全部、全部あのババアのせいですよ!あのババアが3人を殺したんですよ!……ふ、ふふ……は、はは……アハハハハハハハハハハハハハハ!!」
「じゃかあしぃ!!」
「ぶべらッ!?」
突然、中西が素っ頓狂な声を上げる。それもそのはず。田児が右ストレートで中西の顔面を殴打したのだ。被疑者を、それも無抵抗の状態の者を、殴りつけるなんて暴力行為もいいところだが原警部はそれを咎めるようなことはしなかった。いや、もし彼が中西を殴りつけていなかったら警部が代わりに殴りかかっていたであろう。それこそ大問題である。
名探偵田児朗はそれを見透かし、警部の職歴に傷をつけることを防いだのであろう。
─後日─
「なあ、田児さん」
「どうした?警部?」
「田児さんが中西を犯人だと確信したタイミングはいつだったんですか?やっぱり靴ですか?」
「靴は補足情報に過ぎない。僕は奴が事務所に入ってきた瞬間から犯人だと確信していた」
「……へ!?」
「君たちには絶対にアポイントなしで来るなと言っておいただろう?だからアポなしで来た奴こそが犯人ということになるのさ」
「え、えーっと……もし、私の部下が言いつけを守らずアポなし訪問していたら?」
「なんてことはない。真犯人はそいつだったということだろう」
「もし、私がアポなし訪問していたら?」
「なんてことはない。君が真犯人だったということだろう」
原警部は誓った。今度から絶対にこの人との約束を破らないようにしよう、と。
この物語はフィクションです。
スーツ姿でランニングシューズを履いてはいけません。




