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『復讐』の花言葉

一話完結の短編集。

途中から読んでも支障はありません。



─死体解剖保存法第8条─

特定の地域の都道府県知事は、域内における伝染病・中毒・災害により死亡した疑いのある死体、死因が判明しない死体について、死因を明らかにするため監察医を置き、検案・解剖することができる。


不審や不安のある死者の人権を守る素晴らしい内容なのだが、[特定の地域]にしか適用されていないのがネックだ。

適用されている地域は、たったの4ヵ所。

名古屋・大阪・神戸。そして、ここ東京だ。



「あー困った困った!これは実に困った事態に陥ったなぁー」


「…………」


平日の気だるい昼下がり。

原翔也警部は田児(たご)探偵事務所の中でこれ見よがしに困って見せていた。


「うるせぇぇぇぇ!!!!」


しばらくの間その様子を冷めた目で眺めていた所長の田児(あきら)であったが、流石に我慢の限界が来ていた。


「私の話を聞いてくれたら静かにしますよ?」


「僕は君と違って忙しいんだ!この後仕事しなくちゃいけないんだ!」


原警部は田児のデスクに置かれているチラシを手にとり、呆れた目をする。


[猫、捜してます。

種類:アメリカンショートヘア 雄 3歳

名前:ニャン三郎(ざぶろう)

見つけた方は下記の番号にご連絡ください]


「仕事って……猫捜しじゃないですか。そんなもんいつでもいいじゃないですか。それよりですね、今私が取り扱っている事件についてですが 

「貴様あぁぁぁぁ!!!!『そんなもん』とは一体どういう了見だあぁぁぁぁ!!!!」


ペットは家族同然。大事な家族がいなくなって悲しんでいる人がいるというのに。家族の帰りを今か今かと待っている人がいるというのに。『そんなもん』呼ばわりするとは何とも許しがたい。

もしこの場に徳川綱吉がいたならば原翔也の首は間違いなく飛んでいるであろう。


原翔也は謝りに謝った。


「す、すいません。その仕事でしたら私の部下にやらせますので、私が取り扱っている事件に関して何卒(なにとぞ)田児大先生のお力添えをいただきたく(そうろう)……」


「そこまで言うのであれば仕方あるまい。申してみよ」


「ハハァー!!

……1週間前、鳥居(かおる)32歳が自宅で亡くなりました。第一発見者は夫の鳥居和人(かずと)28歳。

仕事から帰ってきたときに倒れている妻を発見。脈はなく、すでに亡くなっていたそうです」


「な、なんだって!?」


田児が驚きの声を発する。

思い当たる節でもあるのだろうか?


「もしかして、この夫婦のことをご存じなんですか!?」


「姉さん女房じゃあないか!」


「……」


『だからどうした?』などという野暮な突っ込みはしない。

今の一連のやりとりなど何もなかったかのように、原警部は話を続ける。

……決して突っ込むのが面倒だったわけではない。


「これといった外傷もなく、死因を特定するために司法解剖に回したところトリカブトが原因であることがわかりました。そして、半年ほど前から被害者に多額の生命保険がかけられていることもわかりました。その保険金は言わずもがな、夫である和人に支払われることになっています」


トリカブト:キンポウゲ科トリカブト属の植物。

主成分はアコニチンという猛毒。中枢神経が侵され酩酊状態となり、皮膚や胃が焼けつくような感じになって痙攣を起こし、呼吸困難となって窒息死する。

江戸時代には附子(薬として使われるときはブシ、毒として使われるときはブス)と呼ばれ、この時代からすでに暗殺に使用されていたという。


「そんなもん、夫が犯人で決まりじゃないか」


田児がチラシを整理しながらつまらなそうな声でつぶやく。


「ところがどっこい。そうは問屋が卸さない。

和人が家を出たのが午前7時半。帰ってきたのが午後7時。

トリカブトは即効性の毒ですから、犯行は仕事に行く前か、帰宅後でなければならない。

しかし、死亡推定時刻は午前10時頃と出ているんです」


「間違いないのか?」


「はい。死斑、死後硬直の度合い、死後体温そして、胃の内容物の消化具合。それら精査し、総合的に判断した結果です。間違いないかと」


死後数日経った遺体であれば様々な死体所見が消えてしまっているため、正確な日時を特定するのは困難であるが、24時間以内に発見された新鮮な死体であれば正確な時刻を導き出すことができる。


「10時ねぇ……外部犯の可能性は?」


「ありません。室内には全て鍵がかかっていました」


「それじゃあ自殺で決まりじゃないか」


「ところがですね、少々気になる点がございまして。その日は被害者が頼んだ通販の品が届くはずの日だったんです……自殺予定の日に通販なんて頼みますかね?」


「ふむ。なるほどなるほど。そうかそうか……ヨシ!

それじゃあ現場周辺を見に行くか!」


「はい!」



チラシの整理を終えた田児が先導して依頼者宅へと向かった。

田児はカバンからおもむろに住宅地図を取り出し、ところどころにメモをしていく。


「茶トラの雄……こっちはサバトラの雌、と」


ところどこに猫がいる場所をメモしていく……


「あの、田児さん?これは一体……」


「猫の縄張りを調べているのさ。そして、縄張りから追い出されたニャン三郎がどこへ逃げたのか推理していく。交通量の多い場所へはビビッて逃げていかないだろうから、この辺で逃げるとすれば……」


結局田児は原警部の手伝いをせず、当初の予定通り猫が行方不明になった現場周辺に来ていたのだった。


呆けた面している原警部へ向けて、「ほら」とチラシを手渡す。


「暇なら君も手伝いたまえ。そっちの方へポスティングを頼むよ」


「いえ、暇ではなくてですね……私は田児さんに事件についてご意見を伺いにきたはずなのですが」


「推理ならポスティングしながらでもできるじゃないか」


「えぇ、まぁ……」


原警部のテンションは明らかに下がっていた。

あんなことを言っていた癖に、田児がポスティングしながらの推理を一切していないからだ。

文句の一つでも言ってやりたいところだが、こちらが無理を言ってお願いをしている立場なのだ。

下手なことを言って機嫌を損ねるわけにはいかない。

田児が乗り気になってくれるまで待つより他なかった。



「ふむ……とりあえずこんなものか。じゃ、被害者の夫である鳥居和人のとこに案内してくれ」


「はい!」


結局、田児が捜査に協力してくれるようになったのは一通りポスティングを終え、すっかり日の暮れた頃であった。

何故こんな遅い時間に……いや。

ひょっとすると、和人が帰宅しているであろう時間になるまでわざと作業をしていたのかもしれない。

原警部に余計な気遣いをさせないために。

そんな田児の優しさに、人知れず原翔也は思わず涙をこぼしていた。



渦中の人物が住むアパートへと到着し、インターホンを鳴らすと憔悴しきった鳥居和人が出てきた。


「またですか?刑事さん……」


「えぇ。ちょっと鳥居さんに話があるという方がいるもんで」


原警部は田児に目配せをするが、田児は「はぁ?」とでも言わんばかりに不愉快そうな顔をしていた。


「警部が『どうしても』って言うからわざわざ来てやったのに、なんで僕が警部に頼み込んだみたいな流れになってんのさ!僕はね、こんなとこで油売ってないでさっさとニャン三郎を見つけないといかんのですよ!」


「い、いえ……今のは言葉の綾と言いますか……」


「ふん、まぁいい。そういうことにしといてやろう……こんなとこで立ち話もなんだ。さっさと家に上がってコーヒーでも飲むとしよう」


「いや、ここ俺ん()なんですけど!!」


納得のいかない和人であったが、田児の勢いに呑まれ、気づいた時には2人を家にあげていた。


「はっ!この家はコーヒーどころか茶もでないのか!」


「……ここが東京ではなく、京都だったらお茶漬けを出すところなんですがね」


京都で『お茶漬けでも食べて行ってください』と言われたら、それは『帰れ』と言われていることになるらしい。

お茶漬けを食べる時間=ご飯時 に訪問するのはそもそもからして失礼な話である。

例えるなら、遅くまで我が家で遊んでいる我が子の友人に対して

「もう夕飯の時間だからそろそろ帰った方がいいんじゃない?」と言うようなものか。

とはいえ、実際に『帰れ』というニュアンスでお茶漬けを勧めてくる京都人などいないわけだが。


「ハハハ!君ぃ面白いことを言うねぇ~!」


皮肉を言われたというのに、田児は上機嫌で笑っていた。

遠回しに『帰れ』と言われたことに気付いていないのか?それとも気付いた上で笑っているのか?気付いているのだとしたら何故笑っていられるのか?


全く分からない……

田児が何を思っているのか全く分からない。


先ほどまで怒り心頭の和人であったが、田児の理解し難い言動に今では恐怖を感じていた。

得体の知れぬ怪物と対峙する恐怖を。


「そ、それで?俺は一体何を話せばいいんですか?」


「和人君とか言ったね?君、夫婦仲はどうだったんだ?」


「『どう』って……そんなもん、俺がどう答えてもアンタらは疑うんでしょ?」


「なるほどな。一理ある……一理ある、が、そうやって逃げ口上を言う奴には必ずやましいことがあるもんだ」


結局、こちらが何と言おうと言いがかりをつけるわけだ。

イライラが募り、和人は歯ぎしりをする……が、やがて観念したかのように肩を落としてため息をついた。


「えぇ……そうですよ。仲は良くありませんでした。でもね、別にどちらかが浮気をしていたとか、暴力を振るっていたとか、そういうんはなかったんですよ。所謂(いわゆる)倦怠期……いや。倦怠期って呼べるほど長い期間一緒に暮らしてはいないですね。となると、性格の不一致って言葉が一番しっくりくるかな?」


「これから別れるかもしれない人に保険金をかけたのは何でだ?」


「またその話ですか?ですから、何べんも言ってる通り薫の方から言ってきたんですよ。『何かあったときのためにお互いに入っておきましょう』って……こんなこと言ってもどうせ信じてはもらえないでしょうが、

薫にそう言われた時、俺ゾッとしたんですよ。俺の方が殺されるんじゃないかって。だって、その時からもう夫婦仲は良くなかったんですから」


「なるほど……殺される前に殺した、と」


「そんなこと一言も言ってないでしょ!」


「でも、妙な話じゃないか。お互いに入りましょう、と言われたのにお前さんは生命険に入ってないじゃないか」


「それはですね、薫に言われたんですよ。同意しかねている俺の心情を察したんでしょうね。

『もし私のことを疑っているのならあなたは入らなくてもいい。私だけ入ることにするから』って。そう言われたんです」


「ふーん……へぇー……それで奥さんだけ保険に入ったの?っへぇー」


「薫は油断させてから俺を殺す気なのか、それとも俺とよりを戻したくてあんな提案をしてきたのか……もし後者であるならば、後者であるという確証が持てたのなら、俺も生命保険に入るつもりでいました」


「結局入らなかったということは、君は、奥さんが君のことを殺そうとしていると思ったわけだ」


「いえ、そこまでは……言ったでしょう?ただ、殺されないという確証が持てなかっただけです。保険金の話があった後も夫婦の関係は変わらなかったんです。相変わらず互いに無関心。よりを戻したいと思ってんなら他に何らかのアクションがあってもいいでしょう?

……いや、ひょっとしたら俺が薫のことを疑ったのが、俺の方が何のアクションも起こさなかったのがいけなかったのかもしれませんね。

保険の話は薫が俺に、命が尽きるまで添い遂げる覚悟があるのか確かめるために聞いたのかもしれない。

今となっちゃ真相は分かりませんがね……」


そう語る和人の表情は、どこか悲しく、切なく、寂しげに見えた。


「あ、話終わった?……これ、趣味?川?海?」


間の抜けた声のする方向を振り向いてみれば、いつの間にやら田児がリビングの隅に置かれているルアーを指さして質問をしていた。


「え?あ、はい。そうですね、趣味で。ここからだと海の方が近いんで基本海釣りですね」


「そうか。なるほどなるほど……警部!謎が解けましたよ!」


「おぉ!本当ですか!?」


「あぁ……トリカブトによる鳥居薫の変死。これは自殺じゃない。殺人事件だ!

そして、犯人は……この中にいる!!」


「いや!この中にいるも何も、容疑者が俺しかいないわけなんですが!?」


「でも田児さん、ちょっと待ってください?被害者の死亡推定時刻は午前10時。その時彼には会社にいたというアリバイがあるんですよ?」


「それは、トリカブトの毒がすぐに効いた場合の話だろう?」


「そりゃそうですよ。だってトリカブトは極めて即効性の強い毒物なんですから。ん?待てよ?

そ、そうか!犯人はトリカブトをカプセルに入れたんだ!カプセルが溶け出すまでの間、時間を稼ぐことができる!そういうことですね!?」


「うん。全然違う。カプセルに入れても持つのは精々1~2時間程度。和人が家を出たのが7時半。となると、朝食はそれよりも30分~1時間前ということになる。下手したら和人が家を出る前に毒が回ってるさ」


「じゃあ、一体どうやって……」


「フグさ」


「フグ?」


「トリカブト毒のアコニチン。これは体内に流れる電位を開閉するナトリウムチャネルを開けっぱなしにしてしまうものだ。対するフグ毒、テトロドトキシンはナトリウムチャネルを閉じっぱなしにしてしまうもの。では、この相反する効果を持つ2種の毒物を同時に摂取したらどうなるか?……そう。互いの毒は長時間に渡って抑制しあうのさ。これが奴の仕掛けたトリックの正体だ!」


「な、なるほど!そんなことが!では私はこれから監察医務院の方に向かい、再度詳しく検査するように頼んできます!

……失礼します!」


言うが早いか、原警部は勢いよくアパートを飛び出して行った。


「ふふふ……これでフグ毒が検出されればお前の負けだ!」


「いや、勝ちも負けもないと思うんですが……というか、ナトリウムがどうとか、そんなの初耳ですよ!」


和人が何やらわーぎゃー騒いでいる。

と、その時。田児の携帯に一本の電話がかかってきた。


「もしもし?何!?見つかった!?そうか、そりゃよかった!」


通話を終えた田児はしたり顔をする。


「無事、ニャン三郎が見つかったそうだ」


それを聞いた和人は、意味が分からない、とでも言いたげな表情をしていた。



─後日─

鳥居薫の血液を再度詳しく検査してみたが、フグ毒が検出されることはなかった。そして……


「田児さん、あの後ですね。被害者の両親から連絡がありまして……こんなものを持ってきたんです」


原警部は大変申し訳なさそうに一通の手紙を差し出した。



[もう生きていける自信が亡くなりました。

本当は浮気をしたあの男を殺してやろうと思ってましたが、あの男を殺したら今度は私が社会的に殺されてしまう。あいつが死んで尚、あいつのせいで苦しい思いをするのはごめんです。

ですから、逆のことを考えました。私が彼を社会的に殺し、生き地獄を味合わせてやろうと。

こんなことを言うと「馬鹿なことはやめろ」と止められるのは目に見えていますよね?

だから事前に止められないように、私の意志が変わらないように、自殺後にメッセージが届くように、履歴が残らないように、メールではなく、手紙を送ったわけです。

私からの手紙が届いた瞬間、『久しぶりに薫から手紙が来た』と喜んでいたことでしょう。感謝の気持ちが綴られたものだと勘違いさせてしまったことでしょう。

実際は、このような内容です。ごめんなさい。

先立つ不孝をお許しください。


追伸:読み終えたらこの手紙を処分してください]



手紙を読み終えた田児が苛立ち紛れに答えた。


「だ~から最初に自殺で決まりだって言ったじゃないか!」


「あ、はい……そうですね」


「家の中で自殺したのも、自殺する日に通販を頼んだのも、半年前自らに保険金をかけたのも、夫に疑いの目を向けさせるものだったわけだ。

トリカブトの花言葉は『復讐』。

果たして鳥居薫がその意味を知っていたのかどうかは知らんが、まぁーピッタリな言葉だねぇ。怖い怖い……

っつーかあの野郎、不仲になった理由は性格の不一致だとかなんとか言ってた癖に普通に浮気してんじゃねーか!」



かくして、トリカブト殺人事件は無事解決された。

だが、まだ不可解な点が一つ残っている。

『手紙を処分してください』と書いてあったのに、処分せず警察に打ち明けることを決意した両親。

彼らは一体何故、娘を自殺に追い込んだ男を庇うような真似をしたのだろう?


単なる馬鹿正直者?

娘の仇とは言え無実の人が逮捕されるのを見過ごせなかったから?


ひょっとしたら、最期に犯した娘のあやまちを正してやりたかったのかもしれない。


この物語はフィクションです。

浮気をしてはいけません。 



ブサイクの人をブスって言いますよね?

ブスの語源は附子からきているそうです。

附子で死ぬ人の顔が苦し気で、醜くくなってる様からそう呼ばれるようになったのだとか。


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