ダイイングメッセージで暗号を残せるほど元気のある奴は絶対に死にかけじゃない
一話完結の短編集です。
途中からでも問題なく読めるようになっております。
「途中も何もこれが1話目だろ」という突っ込みは受け付けておりません。
ここは都内某所にあるマンション。
1LDKで風呂トイレ別。オートロック完備で最寄りの駅まで徒歩5分。立地が良い分、値段も良くなるのは自然の摂理……否、人工物の摂理と言えた。
このような場所に住める人間は一体どのような人物なのだろう。政治家?医者?弁護士?それとも、そこにいる大学教授?
いや、そこにいる人に関して言えば教授だったというのが正しい言い方か。
何せ彼はもう死んでしまっているのだから……
「被害者は、雅楽大輔40歳。大学の教授で化学を教えていたようです」
厳つい顔をした原翔也警部が説明する。なにも、原警部は苛立っているから厳つい顔をしているわけではない。これがこの男の素の顔なのだ。
まだ45歳らしいのだが、その顔のせいで実年齢より1回りは老けて見える。
「化学……ねぇ」
普段着のまま現場を物色している男、田児朗がポツリと呟く。
年齢不詳のこの男は警察官ではなく、事件とも全く関わりがない。にも関わらず、ご覧のようにいつもどこからかフラフラと現場にやってくる。
聞くところによると、原警部お気に入りの私立探偵らしい。
「第一発見者は?」
「ここの管理人です。無断欠席して、連絡も取れない被害者を心配した大学の事務員が管理人に電話したそうです」
「なるほど……凶器は?」
「包丁です。この家にあったもので、腹部を数回刺されています」
説明通り、リビングに転がっている被害者は腹部からどす黒い血を流している。異様な光景だが、そこに目を向けるものは殆どいない。腹部の傷痕より興味をそそられるものがあったからだ。
被害者の右手人差し指の先。
『じゅうろく』と書かれた血の文字が。
「ダイイングメッセージか……」
「はい……今、マンションに設置された防犯カメラをもとに容疑者を割り出しているところです。そこに『じゅうろく』という名の人物がいるはずです」
それを聞いていた田児は右手で顔を覆い隠しながら天を仰ぎ、高笑いをした。
「何がおかしいんですか!?」
「あひゃ!あひゃひゃひゃひゃ!!
犯人が現場に残っているかもしれない状況で、そんな分かりやすいダイイングメッセージを残すわけがないだろう!それに、『じゅうろく』……『じゅうろく』て!そんな名前の人間いるわけがないだろう!」
「は、はぁ。では田児さんはどのようにお考えなのですか?」
「被害者は化学の先生だ。そして……これを見たまえ」
田児探偵が壁のある一面を指差す。
そこには元素の周期表が貼られていた。
「ま、まさか!」
「そう。『じゅうろく』は元素番号を指していたんだ。元素番号16は硫黄……元素記号はSだ」
「……つ、つまり!イニシャルが『S』の人物が犯人!?」
名探偵田児朗がニヤリと頷く。
「あるいは、『硫黄』という名の人物が犯人かも知れんがな」
名探偵が軽い冗談を言い終えたタイミングで、原警部の部下が部屋に入り込んできた。
「防犯カメラ映像の解析が終わりました!容疑者は3名。すぐそこに待機させてますので、今呼んで参ります!」
男1人と女1人が不服そうな顔をして現場に入ってくる。
あとの1人はどうしたのかと不審に思っていると、後ろの方で男の怒鳴り声が聴こえた。ほどなく、警察官の制止を振り切り、1人の青年が部屋の中へと入ってきた。
青年は被害者のもとへと駆け寄り「叔父さん!叔父さん!」と泣き叫び続けるのであった。
皆、その様子をただ呆然と眺めていた。
この不幸な青年にどんな言葉をかけてやればよいのか思い浮かばないのだ。
だが、そんなことはお構いなしとばかりに田児朗は口を開く。
この青年も容疑者の1人。事件を解決するため、ひいては国の平和のため。一時の感情に流され、推理に支障をきたしているようでは名探偵は務まらないのだ。
「では、順に自己紹介してもらおうか。氏名、年齢、職業そして、何故その時間このマンションに出入りしていたのか」
「山田太郎40歳。ちょっとした会社の社長してます。防犯カメラに写ってたもなにも、ここに住んでるんですから映らない方がおかしいでしょう」
この男の情報は何一つダイイングメッセージと結びつかない。
事件とは関係のない人物とみて間違いなさそうだ。
「佐藤伊央26歳。キャバクラで働いて……
「お前が犯人だぁあーーッ!!」
女の自己紹介を遮り、田児が吠える。
類まれなる才能を持った名探偵の推理通り、容疑者にイニシャルSの人物がいた。
驚くべきなのはそれだけではない。この女の名前はいお。
硫黄…いおう…いお。犯人はこの女に間違いない。
女は何やら必死にギャーギャーと喚きたてている……が、ムキになるところが益々怪しい。
この女が犯人であることに間違いないのだが、とりあえず残りの人物の話も聞くことにした。
「十六夜重六24歳。今は俳優目指してて、でもお金なくて。その日は大輔叔父さんにお金を借りに来たんです。でも、インターホン押しても反応なかったんでそのまま帰りました」
……辺りが静寂に包まれる。
それを聞いた瞬間、現場にいる誰もが思った。
『こいつが絶対に犯人だろ』
『苗字と名前の両方に「じゅうろく」ってついてるじゃねぇか』
『動機もハッキリしてるじゃねぇか』と。
[現場にいる誰も]の中に田児が含まれていることは言わずもがな。
名探偵の推理ショーが今、始まる!
「十六夜さん……いや、『じゅうろく』さん。あなたがこの事件の犯人だったわけか。被害者の残したダイイングメッセージ……あれが、事件を解決に導くヒントになっていたんだ!」
[ヒント]じゃなくて[答え]だろなどと突っ込む人間はいない。
ここにいる刑事たちは人の推理ショーを邪魔するほど野暮ではない。日本という国を守るためには、それくらいの度量を持っていなくてはならないのだ。
「は!一体何を根拠に言ってんだ!そんな証拠、どこにあるってんだよ!?」
重六が怒り散らす。さきほどまで見せていた余裕はもうなくなっている。
「??……いや、だからダイイングメッセージにッ……!?」
被害者の方を振り向き、ダイイングメッセージ指差そうとした田児が、思わずフリーズする。
……ないのだ。
そこにあるべきはずのダイイングメッセージがなくなっているのだ!
『さぁ、どうする?』と言わんばかりにニタニタと薄汚い笑みを浮かべる重六。
そんな重六を見ていた田児が声を荒げる。
「……いや、お前マジで何してんの!?」
田児の視線の先、重六の上着の裾が赤黒く染まっていた。
恐らく、先程泣くフリをして被害者に近づいた時にダイイングメッセージをゴシゴシしたのだろう。
重六はすぐ警察に取り押さえられ、署へと連行されていった。
「俳優志望……か。やれやれ、大した役者だよ」
かくして、事件は無事解決された。めでたしめでたし。
足りない突っ込みは皆さんで補完してください。